蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[82] アメリカの蔵書家たちⅦ 富豪たち

 

 

 ≪ Ⅶ 富豪たち ≫

 

 

 良くも悪くもアメリカの個人蔵書のピークはこの時期にあります。
 モルガン、ハンチントン、フォルジャーの名は従来よく併称されて来ましたが、他にもゲッティ、ウィリアム・クラーク、Wスペンサーなどこのタイプの蔵書は多いです。
 では以下で、型通りにモルガン、ハンチントン、フォルジャーとみてゆきましょう。
 モルガンの項目は、このブログで取り上げた個人では多分最大の分量だと思います。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆
 ジョン・ピアポント・モルガン John Pierpont Morgan 1837 – 1913
 モルガン・ライブラリー  MorganLibrary 

 

 ロンドンのJ・S・モルガン商会創立者ジュニアス・S・モルガンの息子としてアメリカに生まれる。ドイツのゲッチンゲン大学を卒業した後、ニューヨークのシャーマン商会に勤め、のちロンドンのジョージビーボディー商会のNY支社へ転じる。南北戦争に際して多くの財を成し、1864年に父の商会を継いだ。
 1895年には新たにJ・P・モルガン商会をNYに設立。主にイギリスからの資本導入によってアメリカ産業界の支配に乗り出す。ヴァンダービルトをはじめとする北米の鉄道会社や、カーネギーをはじめとする製鉄業を買収してこれらを統合した。これによりアメリカの金融・産業界における最大勢力を率いる立場となった。(ただ残した遺産がロックフェラーやカーネギーに比べてかなり少ないのは彼が本質的に欧州資本の代理人だったためであろう)

 ロックフェラーの場合、1世がその生涯を財産を築き上げることに費やし、美術コレクターとして名を成したのは2世の時代になってからであったが、モルガンは彼一代でアメリカ産業界の支配を完成させ、同時に美術品や古書で厖大なコレクションを築き上げている。欧州の寄宿舎制の学校で教育を受けた彼はロックフェラーやカーネギー、ヴァンダービルトといった成り上がりもの達とは生涯の初めから一線を画していた。
 大金持ちの息子らしく最初の収集物がフィルモア大統領の自筆書簡であり,それをわずか14歳の時に得ている。プロテスタントであった彼は続いて同派の監督たちのサインも集めていった。これらは大人になった後に本腰を入れて拡充され、歴代大統領の書簡や文書、プロテスタント監督達のサインなどは現在でもコレクションの重要な一角である。

 一般にモルガンの古書蒐集は、西洋稀覯本のメインカレントの三つ、中世からルネサンスに至る古い写本(マニュスクリプト)、初期印刷本(特にインキュナブラ)、自筆原稿・自筆書簡のいずれにおいても最高水準を極めたとされている。

§ まず古写本においては、特に中世の絵入古写本で知られており、この分野での世界最大の個人コレクターであることに留まらず、むしろこのジャンルを蒐集の対象とする風潮の先鞭をつけたと言ってよい存在であった。(投資銀行家であった彼はその蒐集に際してもそうした傾向があった) その意味で彼の収集は、単に資金力によってカクストン版やグーテンベルク版を蒐集したという様なものとは全く異なっている。
  モルガン親子は写本関係ではイギリスの大コレクターであったトーマス・フィリップス卿の残したコレクションに注目し、ここから数次に渡って購入した。

§ つぎにインキュナブラでは、グーテンベルク版聖書の完本を二部獲得した話は有名である。殊にクォーリッチによる書き込みのある本は最美のものとされている。またカクストン版の「アーサー王の死」もこれに劣らず名高い。(1902年に購入したベンネットのコレクションにはカクストン印刷本の大半が含まれていた)。アルドゥス・マヌティウスの印刷本の蒐集に於いても(これは近世初頭にグロリエやド・トゥが随分集めたが)、20世紀の個人コレクターではモルガンが最もよく知られている。
  古版本関係での著名な文庫の買収では、1900年のテオドーア・アーウィン文庫や、ウィリアム・モリスのインキュナブラコレクションの買収が代表的なものであろう。

§ 自筆原稿でもこの時期最も人気のあったディッケンズをはじめ、マーク・トウェイン「間抜けなウィルソン」、ロック「人間悟性論」、バルザック「ウジェニーグランデ」など重要なものが目白押しだ。自筆楽譜ではバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、シューベルトのものが揃っている。
  最後に自筆書簡に関しては、ラスキンだけで1600通もの数を所有しており、幾種もの教皇書簡から、ルイ十四世、ラシーヌ、ヴォルテール(360通)、ジェファーソン、コールリッジ(350通)、メルヴィルに至るまで、これほど厖大なコレクションは大英図書館をおいて他にない。

 モルガンは日本の岩崎とは違い、あくまで彼みずからの判断・鑑識によって収集していったが、当然その周辺には当時もっとも優れた助言者達の姿があった。のちにライブラリーの初代館長となったB・C・グリーン女史(有色人種初のハーバード卒業者)や、鑑定家で古書愛好家であった甥のJ・S・モルガンの存在はとくに重要である。
 その愛顧を蒙った業者も、バーナード・クォーリチ、ローゼンバッハ、LCハーバー、ベーアー、ピアーソン、オルシェキー、マルティーニ、ド=マリニスと、当時活躍した伝説的な大古書肆の大半が顔をそろえている。
 著名の文庫を購入することも多く、とりわけ1899年に書籍商ジェームズ・テーヴェイの文庫をまるまる買収した件は広く耳目を引いた。
 1906年マンハッタンの中央に図書館を建てここに蔵書や美術品を収めた。
 無制限といえる資金を、緻密な計算の下に投じた彼の稀覯書のコレクションは、やがてかつてのロバート・ホーのそれを凌駕していった。モルガンの蒐集の総数は2万冊ほどであったという。

 モルガンは世界最大の財閥の当主であったから最大のコレクションを築き上げたのだ、とする世間の見方は半分は当たっているがあとの半分は外れている。
 まず、モルガンの蒐集が時期的に早かったこと、そのためにレアブックの価格が騰貴する以前に多くの蒐集がなされていた点が挙げられる。
 また、モルガンには優れた鑑識眼と先見の明があり、絵入写本のケースのように、収集する対象が常に世間から一歩進んでいた。これは有能な投資銀行家であった彼が、情報を集めたり先行きを予測する能力に長けていた為であろう。
 後年いくつかの西欧諸国が貴重な古写本の輸出を禁ずる措置をとるが、すでに多くがモルガンの所有に帰していた後だった。

 彼は世界最大の貴重書コレクターであるだけでなく美術コレクターとしても20世紀最大だった。こちらも絵画・版画・彫刻・ブロンズ・陶磁器・ガラス器・タペストリー・金銀細工・宝石時計・古銭とほぼ全分野にまたがり 殊に宝石は名高かった。遺産のうち収集品の評価額は6000万ドル(現在の9億ドル)に上るが、古書はそのうち八分の一に過ぎない。

 

 

 

☆☆☆
 ジョン・ピアモント・モルガン Jr (通称ジャック・モルガン) John Pierpont Morgan Jr 1867 – 1943

 1913年、父の死によりその跡を継ぐ。古書蒐集の面でも1943年に歿するまでの30年間、貴重書・珍本を購入し続け、受け継いだコレクションを拡充した。
 相続の際には、巨額の相続税の支払いに迫られ、美術品の相当部分を処分したり税金対策のためにメトロポリタン美術館へ寄付した。しかし本は手放さなかった。父モルガンは美術コレクターとしても書籍コレクターとしてもも20世紀最大級であったが、教養豊かでレアブックの価値が分かっていた息子は後者を選ぶ。そして新しい収集に自らも着手した。
 16年にはトーマス・フィリップスのコレクションから重要な写本類を買い入れ、20年にはリーセスター家、Gホルフォード家からも写本を購入。
 インキュナブラ収集も継続し、ヨークの寺院から出たカクストン版二種にはローゼンバッハに古書史上空前の巨額を払っている。これらの結果、初期印刷本は2000に達し 写本も679に及んだ。
 御贔屓の業者に関しては、父モルガンがバーナード・クォーリッチと活動時期を同じくしてそれを最も使ったのに対し、ジュニアの方はローゼンバッハとほぼ活動時期を同じくている。

 1924年にコレクションを管理委員会の手に移した。この時で2万5千冊ほどになっていた。同年これが公開参考図書館となったため(図書の貸し出しをしない特殊図書館)これ以降のモルガン図書館に関しては筆をおく。(ただ29年の大恐慌でモルガンが窮した際にはコレクションのうちからティッセンに売却した例もあり、財布として機能することもあるらしい)
 このモルガンライブラリーには、モルガンだけでなく、館長のグリーン女史、業者のハーパーまでがその遺産を寄付していて、それを取り巻く人々の類稀なコレクションへの愛情が個人的利害を超越したものになっていた事を伺わせる。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆
 ヘンリー・E・ハンティントン Henry E Huntington 1850-1927
 ハンティントンライブラリー  Huntington Library 

 

 JPモルガンと長らく併称されてきた蒐集家に、このハンチントンと次のフォルジャーがいる。モルガン図書館がニューヨーク、フォルジャーシェイクスピア図書館がワシントンにあるのに対して、ハンチントン図書館は西海岸にあり広大な敷地を誇る。
 鉄道王ハンチントンはアメリカ最大の土地所有者でもあった。書籍の蒐集は1890年に開始している。30年間に集めた数が17万5千冊というからモルガンよりも対象を幅広く設定したようだ。

 図書館化されてハンチントン図書館となったが、ここは多くの著名な個人ライブラリーを丸ごと買ってきたことで知られており、「図書館の図書館」「諸コレクションのコレクション」とも従来称されている。その意味で、我が国の岩崎弥之助(静嘉堂文庫)や、武田長兵衛(杏雨書屋)に似ていないこともない。
 ハンチントンがそこから多くを買ったものとしては、イギリスでは、ウィリアム・ヘンリー・ミラーのアメリカーナや、ヘンリー・フスの蔵書がまず挙げられる。アメリカでは、エリヒュー・チャーチ(前頁)、フレデリック・ホールジー(次頁)、ビーヴリー・チュー(次頁)などの蔵書の買収だろう。
 とりわけ有名なのが、ロバート・ホーの没後オークションを席巻した伝説である。 このオークションの当時最高記録となった200万ドルという出来高のうち、ハンチントンはおよそ50万ドル分を購入している。ハンチントンの所蔵するグーテンベルクバイブルはここからの獲物である。

 ハンチントンライブラリーはとりわけインキュナブラに強く五千点以上を所蔵している。よく知られた蒐集品としては、前述のグーテンベルク版聖書の他、カンタベリー物語の彩色写本、歴代大統領の原稿や手紙などがある。シェイクピアでも「ハムレット」のクォートを二部所蔵している。またウィリアム・モリスのコレクションも2000冊の本の他に関連する美術品などかなり大規模なものだ。
 ハンチントンの後期の収集活動を手助けした人物として、司書のジョージ・ワトソン・コールの存在は大きい。 書肆はジョージ・D・スミス(Eチャーチの買収の時など)やローゼンバッハを多く使った。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆
 ヘンリー・クレイ・フォルジャー Henry Clay Folger 1857-1930
 フォルジャーシェイクスピア図書館 Folger Shakespeare Library

 

 史上最大のシェイクスピアコレクターである。
 フォルジャーはロックフェラーのスタンダードオイルに勤務し、それが独禁法で分割されてからは、ニューヨーク・スタンダードオイルの社長に選出された。
 1889年に最初に手に入れた稀覯本はシェークスピアのフォース・フォリオだったといわれる。その四年後にはもうファースト・フォリオを手に入れていた。
 富裕ではあったがサラリーマン社長であり、モルガンやハンチントンの様なオーナー富豪ではないため、古書籍市場でとりわけ大金持ちが集まるシェイクスピアという分野で最大のコレクションを築き上げる事には自信がなかったらしく、蒐集を主人のJDロックフェラーに売却しようとした事もあった(これは成功しなかった)。

 フォルジャーはローゼンバッハによる仲介で欧州から大量に購入した。ちょうどモルガンやハンチントンもイギリスの著名な蔵書を盛んに買った時期なので、このような貴重な文化財のアメリカへの流出は当時イギリスで少なからぬ問題になっている。
 没後開館した彼の図書館はワシントンのど真ん中の一等地にあり、今では世界のシェイクスピア研究の拠点である。
 現在印刷本26万と写本6万の規模を誇り、とりわけ現存するファーストフォリオ235のうち、82を所有することは巷間喧しい。(図書館設立以前どれぐらいだったかは調べ中。)
 ちなみにこの史上最大のシェイクスピアコレクターが、シェイクスピアの最高傑作だと考えていた作品は「リア王」だった。

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆
 ウィリアム・アンドリュース・クラークJr William Andrews Clark Jr 1877–1934
 クラーク記念図書館 William Andrews Clark Memorial Library

 ウィリアム・クラークは著名な銅山王の息子で1910年代半ばから収集を始めた。 1919年書誌学者のロバート・コーワンを雇い、購入についてアドヴァイスを受けることになる。
 20世紀初頭はアメリカの億万長者たちによる稀覯書蒐集のピークを迎え、モルガン、ハンチントン、フォルジャーなどが古書市場を跋扈したがクラークもその一角を形成している
 当初は英文学から集め始めたようで、ライブラリには4つのシェークスピアフォリオをはじめ、他にチョーサー、ベン・ジョンソン、バイロン ディケンズ、ロバート・スティーブンソンの重要な版があった。他にロンサールからエミール・ゾラに至るフランス文学や著名人の直筆サイン、アメリカ西部の探検に関する資料など。
 やがてクラークは17世紀や18世紀の英文学に重点を置き、ドライデン、ミルトン、デフォー、スウィフト、A・ポープ 、フィールディングなどでは大英図書館のコレクションに匹敵する威容を誇った。
 特色があるのは科学や哲学に関する蒐集で、前者ではニュートン、ボイル、ハレー、ディグビーのもの、後者ではトーマス・カートライト、プロテスタント神学、ホッブス、ロック、ヒュームのなどのコレクションを揃えている。
 そしてクラークが最後にたどり着いたのが、同時代のオスカー・ワイルドの諸版や原稿である。クラークはワイルドの息子と知り合いでそこから直接原稿を購入していた。写真、肖像画、似顔絵、チラシ、スクラップなどが含まれ、ワイルド関連のコレクションでは世界で最も包括的なものであろう。現在のワイルド研究の多くがこれらにリソースを依存している。このコレクションはワイルドのみにとどまらず、イェーツなどその周辺のサークルのものを含み19世紀末の芸術至上主義やモダニズムの研究にも欠かせない。
 またクラークはケルムスコットプレスにも影響を与えその関連のコレクションもある。他に楽譜などでもヘンデルなど。
 カリフォルニア大学に寄付されたライブラリーには現在110000の稀覯書と22000の写本がある。

 

 

 

☆☆
 ウィリアム・オーガスタス・スペンサー William Augustus spencer 1855-1912
 ニューヨーク公共図書館
 豪華客船タニタニックで遭難した蔵書家と言えば、ハリー・ワイドナーが有名だがこのウィリアム・スペンサーもそうで、彼はその稀覯本のコレクションをニューヨーク公共図書館へ遺贈している。
 これらは精緻な装丁や美麗な挿絵で知られ、著名な蔵書家の文庫が多く寄託された同図書館の中でもとりわけ貴重なコレクションである。

 

 

 

◆◆
 ポール・ゲッティ Jean Paul Getty 1892-1976
 ウームズリー図書館 Sir John Paul Getty Jr’s Library at Wormsley 
 この頁ではゲッティだけが第二次世界大戦後なので時期がかなり下る。石油王ポール・ゲッティも、もはや説明が不要なほどの大美術コレクターで稀覯本の大コレクターである。
 現在ゲッティ一族が所有するイギリスの城館ウォームズリー・エステートには、そのコレクションを納めた豪華な図書室がある。
 億万長者の行う稀覯書の蒐集はモルガンやゲッティの様に美術品収集の延長上で行われているものが多く、最も貴重な書物を含むのは大概この種のコレクションである。チョーサーのカンタベリー物語の初版、シェイクスピアのファーストフォリオ、聖書の重要な版、中世末期の写本などがあり、美麗な本多い事でも知られている。

 

 

 

 

 


 ジョージ・ヴァンダービルト George Washington Vanderbilt II 1862-1914
 ビルトモアエステート Biltmore Estate
 鉄道王コーネリアス・ヴァンダービルトの孫。邸宅のビルトモアエステートは、世界最大の個人住宅である。ここは映画などに登場する豪邸のモデルにもよくなった。「キャンディ・キャンディ」のアードレー家本宅のモデルも確かこれではなかったか
 当然その図書室も大変に豪壮であり、現在も2万3千冊の蔵書が遺されている。

 


 ウィリアム・ランドルフ・ハースト William Randolph Hearst Sr. 1863-1951
 ハーストキャステル Hearst Castle
 ハーストはピュリッツァーと並ぶアメリカの新聞王で「市民ケーン」の主人公のモデルにもなった。映画に出てくる大邸宅は別の資産家の豪邸を撮影に使ったらしいが、ハーストキャステルの図書室には8700冊が残されている。大美術コレクターだけあって蔵書も著者の自筆サイン入り初版本などの稀覯本が中心。ディケンズが好きだったらしく多くがその関係で占められる。
 ハーストキャステルには、他にもゴシックスイートなどの書斎があるので全体の所蔵数はもっと上だろう。  

 

 

 

◆◆
 デュポン家 DuPont
 ハグレー図書館 Hagley Museum and Library
 アメリカの財閥中でもっとも古く、また高い格式を持っているデュポン家。
 ピエール・デュポンが1953年に設立したロングウッド図書館が、同家設立の博物館と合併して現在ハグレー博物館&図書館として一般公開されている。
 現在蔵書は20万冊ほどあり、法人化される前がどのくらいなのか不明だが、かなりの部分がデュポン財閥に関する経営資料である。

 

 

◆◆
 エステル・ドへニー Carrie Estelle Doheny 1875-1958
 エステル・ドへニーは石油王エドワード・ローレンス・ドヘニー(Edward Laurence Doheny 1856–1935)の二度目の妻。1920年代に本の収集を始めた。美麗な装丁のもの、自署入り原稿、インキュナブラ、アメリカーナなどを好んだ。
 エドワード・ニュートンの「100の良い小説」、グロリアクラブの「英文学で有名な100の本」などのセレクト集に従って集める傾向があったが、彼女の蒐集の質が非常に高い事で知られているのは、顧問として、蔵書家ではエドワード・ニュートンやフランク・ホーガン、古書肆ではローゼンバッハやアリス・ミラードが付いていたからであろう。彼女の自署入り原稿コレクションは独立宣言の56人の署名者全員を含んでおり、1950年にはグーテンベルク聖書の完本を取得している。
 トータルでの数はおよそ7000冊の本と1300の原稿。コレクションは1980代の終わりにクリスティーズで競売にかけられ3800万ドルに達した。グーテンベルク聖書だけで500万ドルの値が付いている
 ちなみに夫人は億万長者の夫と結婚する前は電話オペレーターとして働いていた。あと何か付け加える事としては、「小口絵」本( Book on Fore-Edge Painting)のコレクターとしても世界最大級だったという

 

 

 

 

 

 

 億万長者による稀覯書の蒐集は美術品コレクションの延長上で行われているケースが多く、最も価格の高いものを、ジャンルに拘らず集めているような例も、しばしばみられます。
 そうした中にあって、フォルジャーの様にシェイクスピアへの強い執念が感じられるもの、Wクラークの様に英文学への深い耽溺が伺われるものなど、蒐集者のパーソナリティが現れているコレクションも少なくありません。あれだけ総合的なモルガンですらその事は強く言えます。

 もう一つ指摘しておくべき点として、この時代のアメリカの富豪があまりにも欧州から買い過ぎたがために、あちらでも眉をひそめる人もあったらしく、のちに文化財の流出を防ぐ手段が取られた事があります。この時期を越える蔵書家がアメリカにおいてもその後現れなかったのは、博物館級の古書の価格がこの後高騰した事実と併せて、こちらも大きな理由でしょう。 
 例外的に戦後においてこの種の稀書の大コレクションを形成したPゲッティが、イギリスの城館を購入してそこに収蔵していることは、こうした経緯に鑑みて示唆的に感じます。

 モルガン、ヴァンダービルト、デュポン、ゲッティと主要な財閥をみてきました。あと残ってる大きな名前といえば、ロックフェラー、カーネギー、アスターぐらいでしょうか。

 ロックフェラーの場合よく言われるように、一世が財を築く事に人生を費やし、二世が(美術コレクターとして)それを使う事に人生を費やしたわけですが、稀書珍籍の収集という事になると、フォルジャーやウィリアム・T・シェイデなど一世の部下だった人物の方が遥かに有名です。

 カーネギーもその蔵書に関してはあまり話は聞きません。
 しかし彼は少年時代、近所の退役軍人が蔵書400冊を彼のような勤労少年のために開放した図書館へ通い詰めていました。土曜の朝、開館の前から並び、数時間も本を読み続けていた話が伝わっています。そして成功したのちには、2500館に及ぶ公共図書館を寄贈しています。

 アスターは大きな公共図書館を作りました。
 しかしこれらも当主の個人蔵書とは何の関係もなく、援助や基金を与えただけに過ぎません。実業家の作ったニューヨーク市内の公共図書館として、アスター図書館、クーパー図書館、レノックス図書館の三つは併称されて来ましたが、これらのうちで蔵書家といえるのはレノックスだけです(前頁で解説)。アスター図書館は、アスターが遺産40万ドルで本を買って図書館を作れと遺言したものなので、個人ライブラリーの図書館化ではありません。クーパー( Peter Cooper 1791–1883)もそんな感じです。

 財を成した人には、このように自らが稀書珍籍を収集する蔵書家とはならなくても、その遺産で公共図書館が設立される例が多いです。
 ロックフェラー(一世)もカーネギーも貧窮から身を起こし、終生金儲けに邁進していたので愛書趣味など持つ余裕がなかったのでしょう。彼らは19世紀アメリカの産業資本家に特有の悪辣なやり方で頂点に上り詰めましたが(「泥棒紳士」と呼ばれる)、そうやって築いた財産の九割を福祉事業に費やしました。 

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テーマの著者 Anders Norén

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