蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[85] アメリカの蔵書家たち エピローグ 蔵書家に与えられる賞 

 

 

 ≪ Epilogue 蔵書家に与えられる賞

   トーマス.モア.メダルとドナルド F.ハイド賞  ≫

 

 

 

【 序 】

 

 芸術であれ学問であれ、社会や経済に関わるどんな仕事に対しても賞というものは存在します。例えばラスベガスには売春婦に与えられる賞があります。年に一度、その年一番の売春婦を選び、表彰するわけです。こういうのは審査員も大変です。年配の方であれば、候補者に一通りあたるだけでかなりの労力を要します。

 じつは書物蒐集に関しても、今管理人が把握しているもので、二つの賞がアメリカにあります。一つはサンフランシスコ大学グリーソン図書館が選定するトーマス・モア・メダル、もう一つはプリンストン大学図書館が選定するドナルド・F・ハイド賞です。
 トーマス・モア・メダルは、たしかサンフランシスコ大学の図書館がトーマス・モアの手稿だか蔵書だかを手に入れた記念に設立されたように記憶してます(ここは違ってるかもしれない)。
 ドナルド・ハイド賞の方は、20世紀後半のアメリカを代表する蔵書家の名前にちなみ、この人が亡くなった翌年に設立されました。

 

 著名な蔵書家の名を冠した賞で、しかも書物蒐集に対して与えられる賞であれば、他にもいくつかあります。
 Philip Hoferにちなんだフィリップ・ホッファー賞、Hill Shumateにちなんだヒル・シューマート・ブックコレクション賞(カリフォルニア大バークレー校)、Kimball Brookerにちなんだキンバール・ブルッカー賞などなど。いずれも当サイトのアメリカ篇で紹介した大物コレクターの名前が冠されています。
 しかし、これらは大学などが学部学生を対象に、書物蒐集を奨励する目的で作った一種のコンテストです。まず、規定の締め切り日までに応募して、コレクションの目的などに関するエッセイを提出し、その一貫性、幅広さ、品質などが(おそらく教授や司書からなる)審査団に評価されます。かかったコストや希少性、量などは評価対象になりません(但しシューマート賞ではコレクションが最低50アイテムである事を要す)。一等賞、二等賞、三等賞とランク付けされて、賞金もあります。
 評価のポイントは、特定の著者や主題をカバーしている事、版、イラスト、製本などの書誌的特徴にこだわる点で、著名なコレクターへの評価とあまり変わりませんが、これは本物の蔵書家への評価ではなくて、学園祭の模擬店の様なものですね。
 この種の賞では、プリンストン大学にもエルマー・アドラー賞という賞がありました。こちらは司書の名前を使っています。
 アメリカという国はたまにおかしな事をやりますが、こういうコンテストで一等賞を取った人がその後、名のある蔵書家になるかと言えば、あまりそういう気はしません。色々な蔵書家を見てきて思うのは、多少不器用であっても何十年にも渡って継続する情念の様なものこそがコレクションの形成に一番必要とされるからです。このタイプの賞は学生たちの創意工夫を試してやろうという教授目線での賞であって、蒐集内容の評価や顕彰を意図するものではないと思います。

 あとカリフォルニア大学に、十九世紀末アメリカ最大の蔵書家だったHubert Howe Bancroftの名を冠したヒューバート・ホウ・バンクロフト賞という賞があり、こちらは著名な蔵書家も対象になっているんです。
 ただ、バンクロフト自身がラテンアメリカの歴史著述家であるため、その分野における歴史家、ライター、編集者、司書と共に収集家も対象とされているという事です。蔵書家からは、Michael Harrisonと、William Barlowの二人が受賞しており、他に、歴史家としての受賞になりますが、W. Michael Mathesも存命中の蔵書家では大きな存在です。

 

 

 

【 1 Thomas More Medal Winners List 】

 

 それではいよいよトーマス・モア・メダルとドナルド・F・ハイド賞をこれから見ていきましょう。

 まずトーマス・モア・メダルですが、選定者サイドからの説明には、The Sir Thomas More Medal for Book Collecting is an important tradition in the history of the Library and the Gleeson Library Associates. The More Medal was established by Fr. William J. Monihan S.J. to honor the spirit of “private collecting, a public benefit.
 (書物蒐集を対象にしたトーマス・モア・メダルは、グリーソン図書館と同図書館アソシエイツの歴史において重要な伝統を形成しています。この賞は個人収集とその公益性の精神を顕彰する目的でFR・J・モニハン神父によって設立されました。)とあります。

 選ばれている顔ぶれは極めて妥当な選考で、20世紀後半のアメリカの代表的な蔵書家の大半が網羅されています(少し毛色の変わった人も若干入ってます)。受賞者は原則アメリカ人が対象で、他にイギリス人が二人、カナダ人が一人、英米圏以外からも二人選ばれていました。

 ちなみにこのトーマス・モア・メダルには我が国に受賞者がいます。
 明星大学学長の児玉三夫氏で、シェークスピアやペスタロッチの蒐集によって国際的に有名な方です。1986年度のこの賞を受賞されています。
 30年以上前のラジオたんぱの新春対談の冒頭で、友達の学者が「今度世界最高の賞を受賞されたそうですね」と話を向け、児玉氏がそれに「東洋からは私が初めてだそうです」と応じ、その後延々とその話が続く展開がありました。

 

Sir Thomas More Medal for Book Collecting 
 by サンフランシスコ大学グリーソン図書館アソシエイト

1968 Norman H. Strouse
1969 Wilmarth S. Lewis●
1970 C. Waller Barrett●
1971 Lessing J. Rosenwald●
1972 Elmer Belt
1973 Gordon N.Ray●
1974 Frederick R.Goff
1975 Mary Hyde●
1976 Otto Schafer
1977 Lawrence Clark Powell
1978 John S.Mayfield
1979 John Dreyfus
1980 Phyllis Goodheart Gordan●
1981 Robert H. Taylor●
1982 Albert A.Sperisen
1983 Bern Dibner 
1984 William H.Scheide●
1985 Sanford L. Berger
1986 Mitsuo Kodama
1987 Carlton Lake
1988 Lawrence Lande
1989 William P. Barlow, Jr.
1990 Kenneth E. Hill
1991 Arthur Holzheimer
1992 T. Kimball Brooker
1993 William J. Monihan, S.J.
1994 The Lord Wardington
1995 Albert Shumate
1996 Michael Harrison
1997 Lloyd Edward Cotsen
1998 Virginia and Jenkins Garrett
1999
2000 W. Michael Mathes

 

 

 

【 2 Donald F. Hyde Award Winners List 】

 

Donald F. Hyde Award 
 by プリンストン大学 Friends of the Princeton University Library

1967 Lessing J. Rosenwald●
1968 Wilmarth Sheldon Lewis●
1969 Philip Hofer
1970 Sinclair Hamilton
1971 No award
1972 Clifton Waller Barrett●
1973 Mary Hyde●
1974
1975 Robert H.Taylor●
1976
1977 William H. Scheide●
1978
1979 Gordon Ray●
1980
1981
1982 Phyllis Goodhart Gordan●
1983
1984
1985
1986
1987
1988 Edwin Wolf
1989
1990
1991
1992
1993 Arthur E. and Charlotte Z. Vershbow
1994
1995 不明
1995
1996
1997
1998 Leonard L.Milberg Ferguson
Between 1999 and 2020 No record of an award –

 

 

 

 この二つのリストは手に入りにくかったです。
 二つの図書館のレファレンスのチャットを使って問い合わせてやっと分かりました。サンフランシスコ大学グリーソン図書館とプリンストン大学図書館の担当者様には感謝あるのみです。
 ただ児玉さんには悪いのですが、今どきの司書は誰もこの賞を知りませんね。一般人が誰も知らないのは当然として司書ですら知らない。それも賞を選定した当の図書館の司書が全く知りませんでした。これはある程度予想はしていました。

 理由は三つほど考えられます。
 まず、高名な個人蔵書家に対して興味を抱いているような人が、今の世の中では、非常に稀である事です。
 次に、賞の主催者が大学や図書館そのものではなくて、「Friends of the Princeton University Library」や、「サンフランシスコ大学グリーソン図書館アソシエイト」といったそれらの「友の会」組織である事。
 第三に、どちらの賞も、現在は廃止されたか、休止中である事です。

 どちらの大学図書館も最初のチャットの担当者は賞の事を全く知らず、より専門的な司書からのメール連絡に切り替えられて、少し時間を置いて教えて貰いました。
 何の手違いなのかこちらに来たメールに司書同士がやり取りしているメールが添付されていて「私この賞全然知らないんだけどあなたは知ってるかしら」とか書いてました。今はコロナで在宅テレワークなので図書館の資料が利用できず苦労されたようです。

 ところで、管理人がプリンストン大学図書館のチャットで最初に尋ねた時「それはエルマー・アドラー賞の様なものかい?」と返された覚えがあります。エルマーアドラー賞というのは、上で触れたような学部学生向けの書物収集コンテストです。まだこっちであれば、司書は知ってるわけです。
 しかしよく考えたら、そもそもこちらの方が大学が正規に出している正式な賞なのであって、むしろ世界的に高名な蔵書家を顕彰するドナルド・ハイド賞の方が友の会組織の出す非公式の言わば日陰の賞になっています。普段英語のチャットなんかしないので、まともにやり取りできず、この時は相当アタフタしてたのですが、今思い返してみると随分変な話に思えます。

 怪しげな賞であれば、でたらめな名前が並ぶわけですが、このトマスモアメダルとドナルドハイド賞の場合、見事な人選というか、主要な蔵書家が網羅されていて、しかもあまりおかしな人は入らない。当然重複している受賞者も多く、特にその八人は20世紀後半のアメリカを代表する存在と言ってよい人たちです。
 我が国からの受賞者にしてみても、この時期の日本から誰か一人選ぶとすれば児玉氏をおいて他にない、というのはほぼ衆目の一致するところです。和書漢籍が対象になるわけでもなし、洋書コレクターであればそう言い切っておかしくありません。他に非英米圏から選ばれているのは西ドイツのOtto Schaferという人ですがこちらも戦後ヨーロッパで最も重要な蔵書家とされる存在です。

 この二つは、専門家たちの内輪の賞であるような印象を受けます。例えばドナルド・ハイド賞の場合、最後の授賞式は、受賞者の自宅に集まってやっています。
 むしろこういう賞の方が、限られたエリートたちの世界であって、これはカジノでも上流階級の社交場になっているようなカジノは、どこにあるのか誰も知らないような小さなプライベートなカジノであり、銀行でも本当の大金持ちが使うのはスイスの家族経営のプライヴェートバンクである事を思い出していただければわかりやすい筈です。
 だから、上の三つに第四の理由を付け加えると「世間には知らせるつもりもない」という事らしいです。

 トマス・モア・メダルもドナルド・ハイド賞も1960年代の後半、ほぼ同時に始まって、前世紀末のほぼ同じ頃には、受賞者を選定することを停止しています。この20年間は誰も選ばれていません。
 上の二つの受賞リストで黒丸を付したのは、両方とも受賞した人ですが、時期的には前半に偏っています。つまり大物はすべて80年代前半以前の受賞者です。彼らの実際の収集活動はもっと前でしょう。
 また、ドナルドハイド賞のリストをみると、最初毎年だったのが、隔年になり、数年に一度になってゆく経緯も見て取れます。
 
 わが国でも反町茂雄さんが日本の古典籍市場は1970年代半ばで終わったみたいな事を書いていましたが、アメリカでもそれに前後して、稀覯書の蒐集家の時代は終わっていたのかもしれません。
 本当に貴重なものはみな博物館や図書館に入ってしまい、市場に出ているのはそれらの余りものばかりで、しかも以前から考えると目の玉が飛び出るような値段に高騰している。これではお金のある人がいても、稀覯本蒐集家にはなりませんね。アメリカには、反町さんが言うように「洋服一着の値段で重要文化財が買えて」という時代はなかったかもしれませんが、やはり重要なものが公的機関に収蔵されるにつれて古書価格の急騰はさけられなかったようです。
 そんなこんなで、アメリカ篇でも、蔵書家たちの「黄昏」を確認する状況に終わってしまいました。

 それでは最後に、二つの賞の受賞者のうち、アメリカ篇では項目を設けなかった人たちに簡単な説明をつけておきます。

 

 

 

トーマス・モア・メダル

1974 フレデリック・ゴフ Frederick R.Goff 1916-1982
 レアブック専門の司書であり、特にインキュナブラの専門家だった。米国議会図書館でこの部門の長として勤務した。1968年から1970年まで米国書誌学会の会長を務めていた。ゴフはインキュナブラ、 本の歴史、書誌学に関する学術研究など多く本を書いている

1976 オットー・シェーファー Otto Schafer 1912-2000
 戦後西ドイツを代表する蔵書家。 西洋近代篇ドイツ20世紀 で解説予定。

1977 ローレンス・クラーク・パウエル Lawrence Clark Powell 1906-2001
 文学評論家、書誌学者、司書。100冊以上も本を書いていて邦訳に「聖処女」がある。UCLAの図書館に勤務し、彼の指導の下で蔵書量は四倍になったという伝説的な司書である。

1979 ジョン・ドレイファス John Dreyfus 1918-2002
 西洋近代篇イギリス20世紀 で解説予定。
 
1982 アルバート・スペリセン Albert A. Sperisen 1925-1965
 カリフォルニアのブッククラブの司書。それ以前は広告会社のデザイナーであり、タイポグラフィの専門家としてその関係のものを集めた。サンフランシスコ在住。

1986 児玉三夫 Mitsuo Kodama 1915-
 日本を代表する洋書コレクター。 分野別蔵書家 シェイクスピアコレクション で解説予定。

1988 ローレンス・ランデ Lawrence M. Lande 1906–1998
 カナダを代表する蔵書家。 カナダ・オーストラリア・ニュージーランド篇 で解説予定。

1992 キンボール・ブルッカー Kimball Brooker
 実業家で投資銀行業界から石油協会に進んだ。その半面でルネサンスが専門の書誌学者でもあった。その関係の稀覯書を多く収集している 名は学部学生向けの図書収集コンテストであるキンポール・ブルッカー賞で広く知られているが、彼自身もこの種の賞(Adrian Van Sinderen Prize)を受賞してる
 
1993 ウィリアム・J。モニハン William J. Monihan, S.J. 1947-1988
 サンフランシスコ大学図書館員で専任ブックマン。トマスモアメダルの創立者である。

1994 ウォーディントン卿 The Lord Wardington 1924-2005
 西洋近代篇イギリス20世紀 で解説予定。

 

ドナルド・ハイド賞
1988 エドウィン・ヴォルフ二世 Edwin Wolf 2nd 1911-1991
 司書、書誌学者、作家、歴史家。フィラデルフィア在住。ベンジャミン・フランクリンの専門家であり、また書籍商ローゼンバッハの評伝も書いている。1955年から1984年にかけてフランクリンがかつて設立したフィラデルフィアの図書館会社で司書を務めた。

 

 

 

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© 2021 蔵書家たちの黄昏

テーマの著者 Anders Norén

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