蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[10] 鏡像フーガ5 明治大正期の蔵書家

以下引用
「明治以後には、善本の蒐集家の数は一段と増加致します。青木信寅・黒川家三代・竹添井々・田中光顕・井上頼圀・田中勘兵衛・神田香厳・富岡鉄斎・平出氏三代・大野酒竹・徳富蘇峰・和田維四郎・市島春城・二代目安田善次郎・加賀豊三郎・渡辺霞亭・池田天鈞居・松井簡治・佐佐木信綱・石井光雄・高木利太・大島景雅・守屋高蔵等々、みな錚々たるコレクターです。  ~ 中略 ~  これらのうちで、稀書珍籍の蒐集に於て、質と量を見合わせて、最も見るべきは、私見によれば、大震災の前後を併せた安田善次郎さんと、和田雲村翁で、すぐこれに次ぐは、徳富氏成簀堂文庫でしょう。」

 

 江戸時代に比べて個人蔵書家の規模がさらに大きくなっているようです。
 明治初期は大名の蔵書が放出されて稀覯本が廉価で流出したこともあり、古書取引市場は黄金期を迎えます。戦後すぐの頃も価値のあるものが安く買えましたがその頃は皆にお金がなくてごく少数の買い手だけが吸い上げる傾向にありました。逆に皆が豊かになった1970年前後になると貴重書の多くが図書館や大学に収まってしまい、量を誇るコレクターは多くても大半が質の面では心もとない。ゆえに「質量かねた面」で、日本の個人蔵書の歴史上最も数多くの大蒐集家が登場したのが、この明治・大正期だと言えます。紹介する人もこのページが一番多いです。

 反町さんによると、上に挙げられた23名中で、質と量の両面で飛び抜けているのは安田・和田・蘇峰の三名です。 確かに明治30年代以降はこれら大型蔵書家が古典籍市場を席巻する時代に入ってきますが、そこへ至る明治の初期・中期あたりはどうだったのでしょうか? まずそこから話を始めていきます。
 ① 反町茂雄は別の著述では、彼らに少し先立つ時期における東西の双璧として、東京の大野酒竹と大阪の渡辺霞亭を取り上げていました。この二人はコレクションの質の高さによってピックアップされたようで、とくに後者は江戸期の版本に関してはその後並ぶ者は現れなかったそうです。ただ、これはあくまで彼の専門の和本でも一番よく売れ売買価格も高かった江戸文学の分野における双璧と見た方がいいと思います。
 ② 明治初頭の時点で、量的に最も大きかったのは江戸期に引き続きやはり国学者たちであり、おそらく黒川家や井上頼圀あたりでしょう。
 ③ しかし、この時期の最も盛んな買い手として衆目の一致する存在は、田中光顕だと思われます。あるいは、「質」の点では村口半次郎の高く評価していた野村素介の名前も浮かんできます。この二人は共に、維新の功により爵位を得た藩閥政治家でした、ちょうどこの少し前、楊守敬をはじめとする清末の大蔵書家たちが価格の低落していた日本の医書などを大量に購入しているので、おそらく我が国でもその価値にやっと気づいたのか、こうした政府の要職にあるものが何か対応をしなければ、という危機感が伺えますね。田中は自らもかなりの蔵書家でしたが、内閣書記官長や宮内大臣という地位にありその関係から内閣文庫や宮内省図書寮の書物の購入を仕切っていました。膨大な書物を購入して、これは宮内庁に入れようとか、或いは自分用に取っておこうとか、のちの和田維四郎のような贅沢な書物道楽を楽しんだのかもしれません。
 あと、鉄斎や湖南が田中慶太郎(文求堂)を通じ膨大な漢籍を蒐集したのは清朝滅亡後の話だから時期はこれより少し下がって明治の後半になってくるかと思います。(この時期には逆に向こうの書の価格が下がっていて、日本人がそれを大量に購入したわけですね。岩崎弥之助による陸心源蔵書の買収もこの文脈で捉える事ができます)
 ちなみに、コレクションの「量」と「質」が、没後オークションの総売り上げ金額に「共に反映されていた」と仮定して、参考までにこの時期の蔵書家の主な売り立て会の出来高を書き出すと、以下の通りになります。
 平出家(1925)四万七千円(これは個人オークションとしてはそれまでの最高額)、黒川家(1926)一万円(震災で三つの蔵のうち二つが焼け、これは焼け残った部分のさらに一部)、渡辺霞亭(1927)四万数千円(しかしこれは東大図書館が三分の二以上の重要品を抜いた残り)、市川春城(1927)四万円、池田金太郎(1928)四万円、越後の桂家(1930)二万円、富岡鉄斎(1938)十五万円・・・・・  

 こうした流れの後に、安田や和田、蘇峰などの巨大なコレクションが形成されるわけです(安田の蒐集の開始は上記の幾人かに先立ちますが、昭和十年代まで継続しました)。
 では、いよいよ以下に反町が挙げた23人のプロフィールを記していきましょう。例によって反町茂雄の文章で挙げられていた蔵書家は■で表しています。(但し活躍時期に応じて順序は若干入れ替えました)

 

 ■ 黒川家三代(春村・真頼・真道)
 Kurokawa (Harumura 1799-1867)(Mayori 1829-1906)(Mamidhi 1865-1825)
 初代春村は浅野梅堂より年長なので、前頁に記載してもよかった。棭斎門下でもあるので、江戸の大蔵書家達の流れをくむ人でもある。
 この蒐集は著名な国学者三代にわたるもので、その数8万を越えた。三代のうち一番集めたのはおそらく真頼で、真道はただ死蔵していただけとも伝えられる。真頼は次子を古本屋にする積りで文行堂へ小僧に出したが、子供は「うちの方が文行堂より本があるなあ」と笑っていたそうである。

 ■ 平出家三代(順益・延齢・鏗二郎)
 Hiraide (Juneki 1809-1861)(Nagatoshi)(Koujiro 1869-1911)
 これも江戸末期からのコレクション。ここは代々続いた名古屋の医家。但し三代目は知る人ぞ知る著述家である。競売に立ち会った反町によれば「江戸時代の善本稀書に富んでいた」と。

 ■ 井上頼圀 Inoue Yorikuni 1839-1914
 平田鉄胤門下。平田の系統は維新後官学から遠ざけられたが、この学派の正統を継承する明治期における国学の泰斗である。集書の範囲は神道・国学に留まらず人文科学の全分野に及び自らの筆写を主とする『玉麓』は名高い。もとの蔵書は6万近いとされた。「神習文庫図書目録」(昭和10(1935)刊行)あり。
 尚、平田派では他に中根雪江のものが名高いが内容や冊数などの情報が幾分乏しい。

 

 

 ■ 竹添進一郎 Takezoe Shinichirou 1842-1917
 外交官で、のち東大教授となり漢学を講じた。学士院賞を受賞した「左氏会箋」は明治の漢学研究の最高峰とも称されている。門下には島田翰や諸橋徹次がいた。反町による「井々」というのは蔵書印。7千が静嘉堂へ。

 ■ 田中教忠 Tanaka Noritada 1838-1934
 勘兵衛の方が圧倒的に人口に膾炙しているがここでは本名で記した。京の呉服屋、のち考証家。京都帝室博物館開設時に学芸委員として招聘される。1200点の古文書や古典籍を蒐集。

 ■ 田中光顕 Tanaka Mitsuaki 1843-1939
 官僚・政治家。陸軍少将、内閣書記官長、警視総監、学習院院長・宮内大臣などを歴任。自らの所蔵は1万3千ほど。しかし政府を代理しての購入が膨大で名実ともにこの時期を代表する蔵書家である

 ■ 神田久信 Kanda Hisanobu 1854-1918
 京の詩人。代々両替商として栄えた家に生まれ、書画鑑定でも著名。名を信醇、字を子醇というが号の香巌がもっともよく知られている。

 

 

 ■ 富岡鉄斎 Tomioka Tessai 1837-1924
 画家としては小林秀雄がエッセイで高く評価した事で知られるが、本人は自分の本業を儒者だと考えており、最後の文人画家と評価されている。国学にも造詣が深く蔵書は3万巻を数えた。尚、その半ばを蒐集したのは夭折した考古学者の息子謙蔵だった。

 ■ 青木信寅 Aoki Nobutora
 裁判官。サンスクリット文献の収集は有名。死後岩崎静嘉堂文庫と名古屋の関戸家へ。静嘉堂の最良の和本には青木のものが多い。岩崎弥之助が蒐集に本腰を入れたのは青木の書の購入がきっかけだったとも言われた。しかし娘婿の黒田太久馬はとっておきのものを手元に残していて後でポツリポツリ売っている。

 ■ 大野酒竹 Oono Shachiku 1872-1913
 俳人。本業の医師としては梅毒治療が評判の病院院長だった。古俳書の収集で知られ「天下の俳書の七分は我が手に帰せり」との言葉も。連歌・俳諧関連の4千冊が東大図書館へ行き、別に村口書房の手で安田に流れた3千点があった。書肆は浅倉屋、琳琅閣をよく使ったといわれる。

 ■ 渡辺霞亭 Watanabe Katei 1864-1926
 小説家、新聞記者、劇評家であった。明治大正期の大阪には浜和助、水落露石、永田有翠、打越晴亭、加賀豊三郎など有力なコレクターが多かったが、最も質的に高い集を築いたのが霞亭だとされる。江戸文学の蒐集では後にも先にも右に出る者はなかった。文庫へ寄付されたものだけで1851冊

 

 

 ■ 二代目安田善次郎 Yasuda Zenjirou Jr 1872-1936
 安田財閥御曹司。中学へは上がらず父が各方面から招いた一流の人士による教育を受けた。古書歴は長く下記の和田が晩年に集め始めたのとは対照的に、すでに小学校の帰りに古書肆に立ち寄っていた。独特の怜悧な性格とも相まってその鑑識眼の確かさは業界から畏敬を受けた。
 父の死により「松廼舎」という部屋住みの身分から「桐廼舎」という本家棟梁となったが、事業は日銀から結城豊太郎を安田保善社専務理事として迎えて、さほど表立った指揮はとらなかったという。自身は稀覯本のコレクションや能・狂言に熱中した。
 蒐集は2期からなるが、第一期の「松廼舎文庫」は関東大震災で焼失(この震災では邸宅も焼けて家族親戚の多くを失い、数年前には父も暴漢に刺殺されていた)。財閥総帥となった後の蒐集である第二期の「安田文庫」も、大戦の空襲で焼失してしまったという「悲劇のコレクター」である。質量ともに明治大正期では一二を争う存在であり、文化的損失もきわめて甚大なものになった。
 江戸文学中心の前期に対し、後期は古写経・古版本に力を注いだ。その相談役を務めたのは川瀬一馬である。書肆は浅倉屋・文行堂から晩年は一誠堂・弘文荘まで多くが愛顧を被ったがやはり一番多く利用したのは村口書房だとされる。

 ■ 和田維四郎 Wada Tunashirou 1856-1920
 鉱物学を専門とする東京大学教授で官立八幡製鉄の所長の地位にも就いている。反町は、和田を安田と並ぶこの時期最大のコレクターとしているが、彼の蒐集は量的にみれば、27077+18000で計四万五千ほど。明治大正期にはこれを越える蔵書家は幾人もおり、その質の高さを評価しての判断である。日本書誌学のバイブルといわれる著書「訪書餘録」は、反町が自費で復刻するほどの傾倒ぶりである。
 彼の蒐集には岩崎久弥と久原房之助という二人のスポンサーがいて、彼らの蒐集への助言も行った。死後蔵書はこの二人の下へゆく(後者はのちに五島慶太へ)。その意味で和田は、岩崎や久原の古書蒐集の指南役に過ぎないのではという見方も成り立ち、事実そのような書き方をしている文章もあるが、こうした見方に対して反町は否定的である。また、和田に対する蔭口の類では「鉱山局長の地位にあった時に三菱や久原に有望な鉱山を払い下げ、彼らから一生遊んで暮らせるだけの小遣いを貰い、当初は芸者遊びに熱中したが年を取ってから書物道楽へ移行した」という見方が一方で存在する事も事実である。
 書肆は主に村口書房を使った。というより、村口が日本を代表する古書肆に飛躍するきっかけになった程の大口顧客であった。

 ■ 市島謙吉 Ichishima Kenkichi 1860-1944
 主に春城の号で通っている。新潟最大の大地主だった市島一族の一員でジャーナリスト・政治家として活躍した。晩年は早稲田大学の図書館長の地位にも就く。

 ■ 松井簡治 Matsui Kanji 1863-1945
 国語学者。国語学上重要なコレクション。量は2万ほど。うち静嘉堂文庫へ買われた分が1万7千冊

 ■ 徳富蘇峰 Tokutomi Sohou 1863-1957
 ご存知戦前を代表するジャーナリストだが、蘇峰はどちらなのだろう、この時期の稀覯書のコレクターとしても反町によって安田・和田に次ぐ位置づけを与えられているが、なにせ数自体が10万という巨大さであって、これは一ジャーナリストとしての情報環境の整備を目的とする面も強い蒐集ではなかったかと思わせる。事実その浩瀚な「近世日本国民史」の情報量は圧倒的であり、世の幕末モノはたいていこの本を種本にしていた。蘇峰の抜きんでた情報量はこの本に限ったことではなく、例えば山縣有朋の伝記でも同じテーマの本の中では圧倒的だった。
 もともとは,親交のあった島田翰の蔵書を買い取ったことをきっかけに蘇峰の蒐集は始まっている。書肆は文行堂を訪れることが最も多かったという。

 

 

 ■ 高木利太 Takagi Toshita 1871-1933
 大阪毎日の主筆や専務の任にあったジャーナリスト。古版本のオーソリティでその蒐集は安田文庫を経て天理へ行った。安田に買われたのはこれが専門の川瀬一馬が収集責任者だったからであろう

 ■ 加賀豊三郎 Kaga Toyosaburou 1872-1944
 大阪の実業家で都立図書館に加賀文庫として寄付した分だけで2万4千百点を数える。

 ■ 大島雅太郎 Ooshima Masatarou 1868-1948
 景雅は蔵書印。三井合名株式会社の理事という地位にあった財界人で、歌道では佐佐木信綱門下。源氏物語の写本の収集で知られ、それは親交のあった池田亀鑑の研究にも資したという。

 ■ 守屋孝蔵 Moriya Takazo 1876-1953
 反町による高蔵は孝蔵の誤り。京都の弁護士で、古写経と中国の古鏡のコレクターとして知られる。蒐集物は主に京都国立博物館へ寄付された

 ■ 佐佐木信綱 Sasaki Nobutsuna 1872-1963
 歌人にして国文の泰斗だったこの人も反町のお得意さんだった。戦後の混乱期に窮乏し、やむを得ず稀覯書を処分したエピソードは痛々しい。
 
 ■ 石井光雄 Ishii Mitsuo 1881-1966
 銀行家。日本勧業銀行総裁。戦前に目録「石井積翠軒文庫善本書目」が刊行されている。

 ■ 池田金太郎 Ikeda Kintarou 1885-
 江戸から明治・大正・昭和前期まで日本を代表する天ぷら屋だった天金の主人。子息は国文学者の池田弥三郎。ここでは本名で記したが反町による天鈞居というのは蔵書印。


 


 さて、前頁「江戸の蔵書家」では、反町さんが挙げた11名のほかにサイト側から20名ほど追加しましたが、ここらへんからは実際に彼らと売り買いしていたこの人のフィールドに完全に入ってくるので、もうあまり触らないほうが良いと思います。永田有翠,水谷不倒,稲田福堂,幸堂得知,横崎海運,中川得楼などいろいろ思い当たる名前もないわけではありませんが、反町さんはその蒐集の質まで把握したうえで、あえて挙げてないわけですから。
 ただここでは、蘇峰10万、黒川家8万、井上頼圀6万などの上記のコレクターたちに遜色ない量を誇るか、或いは質の点できわめて高く評価されている蒐集家だけを8人追加しておきます。

 

 □ 狩野享吉 Kanou Koukichi 1865-1942
 前述の通り反町茂雄は安田善次郎と和田維四郎の2人をこの時期の最大のコレクターと評価していたが、一方、脇村義太郎教授はこの狩野のそれを明治期における最大のコレクションとしている。前頁の小山田与清もそうだが反町がなぜこの巨大な蔵書家を省いたのかよくわからない。(彼も別の文章では狩野を明治・大正・昭和に渡る最大のコレクターの一人としているにもかかわらず)
 東北大学へ寄付された分が10万8千冊。九州大学には2200部8400冊。京都大学には3651冊。合計しただけで12万を越えてしまうが、これらは全体の半ばであり、後は数次にわたるオークションで売られたという。狩野は売った後にまた買い、さらに売るようなタイプだったらしく、事実であればのべ20万を越える蒐集ということになる。狩野が学生時代からの本道楽であったことは事実にしても、この数はあまりに多すぎる。特に本が増加したのは狩野が京大の設立委員に選ばれた時だといわれる。西洋の学問受容を目的とした東大に対して京都大学は独創性をコンセプトに設立された。委員であった彼は本当に独創性のある日本人が過去にいたのかを確かめるために、古書店を回って大量の和書を漁ったという(その時再発見された一人が安藤昌益だった)。これから推測するに彼の蒐集には公費支出や援助などもあったのではという気がする。
 さて狩野亨吉と言えばまず『吾輩は猫である』の苦紗弥先生のモデルとして知られている。京大文学部長の時には西田幾多郎や内藤湖南を呼び寄せ、前者は京都学派(哲学)の、後者は京都支那学の祖となり、まさしく京大文学部隆盛の基礎を築いたといってよい存在である。本を読むのに忙しかったためか、まとまった著作はない。その厖大な書籍のほかに、春画コレクターとしても世界一との折り紙をつけられている。コレクションの形成には、伝説的なせどりの野田園五郎の多大の寄与もあったという。

 □ 徳川頼倫侯 Tokugawa Yorimichi 1872-1925
 紀州徳川家の当主。反町茂雄も川瀬一馬も南葵文庫は大名蔵書と捉えたのか名前を挙げていないが、しかし代々受け継いできた紀州藩での蒐集はうち2万ほどで、後は一侯爵として東京に住んでいた頼倫が一から築き上げた個人蔵書であり、合計して9万6千冊、要した費用は当時の金で150万円。旧大名華族の中で最も豊かだったといわれる紀州の財力がしのばれる。麻布の徳川家邸内にあったこの南葵文庫は旧対馬藩主宗家の記録類、小中村清矩旧蔵の陽春蘆本、依田学海蔵書も含んでいた。これらは関東大震災で蔵書の多くを失った東大図書館へ寄付される。なお南葵文庫は個人図書館の体裁をとっており、頼倫侯は「文庫主」ということで、図書館協会総裁も務めていた。ちなみに紀州徳川の大名家として伝わってきた蔵書は他にも和歌山県立図書館と和歌山大学に入っている。

 □ 内藤湖南 Naitou Konan 1866-1934
 およそ5万(父子による寄付33000が関大にあり、湖南単独による寄付が別に5892冊と、また別に1046冊。他に国宝・重文が杏雨書屋へ)

 □ 野村素介 Nomura Motosuke 1842-1927
 我が国を代表する古書籍商は江戸末期は達磨屋五一、明治期は浅倉屋八代目、大正から昭和前期は村口半次郎、昭和中期から後期は反町茂雄というのが一般的な見方だろうが、反町のちょうどひとつ前の時代に古典籍売買の世界を仕切っていた村口半次郎がその古本屋人生でこれほど珍書の多い蒐集は見たことがない旨の回想をしているので(「紙魚の昔語り」)反町さんは名を挙げていないけれどもやはりこの人物は外せない。野村素介は長州出身の官僚で貴族院議員も務めた人。とくに書家として名高い。全体の量などはわからないが、その蒐集はのちに村口を通して和田や岩崎に行った。野村には楊守敬が買い損ねた書をわずかの差で得て日本に留め置いたという逸話もある。

 □ 小川為次郎 Ogawa Tamejiro 1851-1926
 統計院官僚から実業界に移り百三十銀行副頭取や阪神電鉄取締役などに就く。為次郎以後、睦之輔(解剖学者で京都帝大医学部長)、広已(阪神電鉄重役)と、2000年代に至るまで五点の国宝を法人化もせずに所有し続けたという点で他に類例を見ない家である。しかし今世紀に入ってから国宝四点と重文十一点を国に売却した(それらの総額は40億を越えた)。この京都の小川家は本来筆墨コレクターと見た方が正しいのであろうが、古典籍の面でも明治以後では質的に最強のコレクターだったのかもしれない。国宝・重文の数では天理を除き、どこも及ばない。

 □ 土肥慶蔵 Dohi Keizou 1866-1931
 皮膚病の最高権威で東大医学部教授を務めた。死後その鶚軒文庫は三井家に購入され三井文庫の中へ入るが戦後分散する。東大図書館には専門分野の4618冊(うち約60部が貴重書に指定)、東京医科歯科大図書館には洋書1805冊と和書440冊、国会図書館には漢詩文7898冊がありこれは日本人による漢詩文の世界最大のコレクションとされる。そしてカリフォルニア大学バークレイ校にも2万8000冊あり、これらを単純に足し合わせただけでも4万5千に及ぶ。

 □ 岩瀬弥助 Iwase Yasuke 1867-1930
明治期の実業家で私財を投じ私立図書館岩瀬文庫を設立した。図書館設立前には業者委託による購入もしたが、もともと神田ではよく知られた収集家であった。しかし強引に値切り倒す悪癖でも有名で、浅倉屋では一流の商品は隠し、二流・三流のものしか見せなかったという。量的には8万冊という厖大さ、しかもそのほとんどが近世以前の和本にもかかわらず、反町が名を挙げなかったのはそのせいかもしれない。本屋に金のない大晦日を見計らってやって来て札びらを見せびらかしながら、というスタイルは美濃の肥料商ならではであり書籍コレクターでは珍しいタイプだ。

 □ 渡辺家三代 WATANABE
 渡辺家は山梨の豪農で、初代の寿(桃廼舎)は黒川春村と交わりその教えも受けた。二代目の信(青洲1840-1911)は青洲文庫として蒐集を図書館化する。三代目の沢次郎(春英1871-1941)が東大図書館へ売却した。その数2万4979冊で、初代は国文関係、二代目は漢籍、三代目は浮世草子・洒落本と、それぞれ蒐集の中心軸は異なっている。震災で和漢の書を失った東大図書館がこの家の本を欲しがったのはこのように基本的なアイテムがバランスよく揃っているためだろう。中国の如く数代に渡る市井の蔵書家は日本では珍しいが、黒川家三代や平出家三代(名古屋の医家)と共にその少ない例である。

 

 

 

 ほかに明治大正期の有名人で本を多く持っていた人をあげておくと・・・

 ≪まず作家では≫
 □ 森鴎外 1万8900冊 これは文庫に今ある分
 □ 坪内逍遥 1万冊(熱海町立図書館に地誌関係など5657冊と早稲田大学に演劇関係など5082冊《うち洋書1258冊》)

 ≪国学者では≫
 □ 木村正辞 数万冊。珍本コレクターで稀覯なものに富み、岩崎文庫に吸収される。
 □ 物集高見 5万冊。これらは類書公文庫の資料となったらしい

 ≪漢学者では≫
 □ 林泰輔 1万6千冊(和漢1万220,洋350, 他に雑誌)
 □ 須永元 1万3千冊(和書8千 漢籍5千 資料1千)

 ≪洋学者では≫
 □ 西村茂樹 1万冊 東大図書館に寄付され震災で焼ける
 □ 中村正直 1万3千冊 昌平黌始まって以来の秀才とされた人なので漢学の素養も半端ではないと思うのですが

 ≪国史家では≫
 □ 星野恒 1万冊 東大図書館に寄付され震災で焼ける

 ≪東洋史家では≫
 □ 桑原隲蔵 1万2457冊 京大寄付分
 □ 市村瓚次郎 3万冊(内容は漢籍)

 ≪仏教学・サンスクリット学者では≫
 □ 高楠順次郎 「トラック八台分」という量。この蔵書は散逸した。
 □ 松本文三郎 1万1千冊
 □ 井上円了 数万冊 そのうち明治維新前の2万冊が東洋大学にある

 ≪哲学者では≫
 □ 井上哲次郎 2万4千冊
 □ 九鬼周造 1万冊

 ≪経済学者では≫
 □ 福田徳三 4万4841冊

 ≪医学史家≫
 □ 富士川游 1万3800冊(京大に9千 慶応に3632冊 日大に840冊)

 ≪政治家・官僚では≫
 □ 西園寺公望 1万6千冊以上 公家の蔵書の項で再論する

 □ 寺内正毅 家伝の書・個人蔵書含め2万 桜圃寺内文庫で公開
 □ 原敬 およそ1万冊 関東大震災で焼ける

 □ 星亨 彼も読書範囲は広かった。1万余冊
 □ 内田嘉吉 官僚。逓信次官をつとめた。1万6千冊
 □ 渡辺千秋 伯爵。宮内大臣もつとめた。売り立て回に会に参加した反町によると「トラック六台分」という相当の量だが、内容は「程度の高い教養書」が主だったいう興味なさげな表現で、よってこちらに置く
 □ 浅羽靖 官僚・政治家で北海道振興に尽くした。4万5千
 □ 鵜飼郁次郎 一万三千 政治家。鵜飼文庫本は日本古典籍データセットで多く利用されている

 ≪宗教家では≫
 □ 中野達慧 1万冊 ほとんどが仏教書
 □ 渡辺海旭 震災で2万巻を焼いても淡々としていた
 □ 藤本重郎 上の浅羽靖とこの人だけは今では有名人とするのは少しキツイかもしれない。しかし山陰のその私設図書館は5万冊を誇る

 

 


 さらにこの時期の蔵書家で特色ある収集内容の10人を追加しておきます

 □ 島田蕃根 文政10年 – 明治40年 Shimada Iwane 1827-1907
 蔵書家として語られる事の多い存在だがその蒐集は幾度か分散してるので全貌を捉えにくい。京大に寄付された島田文庫の量はわずか480点ほど。これは修験道文献の特異な集成で累代の文書・記録・典籍など。修験道に際して用いられる諸種の器物も含む。

 □ 鹿島則文 天保10年1月13日 – 明治34年10月10日 Kashima Noribumi 1839-1901
 鹿島神宮大宮司を代々世襲する家に生まれ自らもその地位に就いた。儒は安井息軒に学ぶ。幕府に八丈島に流されたこともあるが,のち伊勢神宮大宮司を拝命。祭儀の復興、林崎文庫の整備、神宮皇學館の開学、『古事類苑』の刊行など業績は多い。その桜山文庫は「珍籍奇冊3万冊」と言われた。

 □ 浜野知三郎 明治3年10月5日 – 昭和16年10月5日 Hamano Tomosaburo 1870-1941
 全体では1万1500冊。和漢古書と近世の漢学書における貴重書・善本は千五百冊を数えるが、好事家の集める珍本よりも研究に益するものを志向していた。ことに松崎慊堂関係の資料では並ぶものがない。麻生家の斯道文庫に買収され現在は慶応大学にある。 

 □ 秋葉芳美 延宝から明治までの芝居番付1万6831冊は東大秋葉本として名高い。他に狂言本や評判記も多数所有していた
 □ 伊佐早謙 米沢の郷土史家。1万1240
 □ 伊藤鬼一郎・庸二 これは教育者の父と海軍大佐の息子による膨大な教科書コレクション。3万2677冊に及ぶ。
 □ 村上忠順 明治初期の三河の国学者。2万5千。刈谷市立図書館にほぼ原型のまま遺されている点で稀。中に国宝級も
 □ 石崎勝蔵 奈良の名物漢方医で文庫を開設。和書6323冊 漢籍5155冊の蔵書は本草学など。漢籍には元版明版もあった 
 □ 武藤長蔵 対外交渉史が専門で日蘭・日英貿易、幕末長崎関係史料など1万冊を長崎大へ寄付
 □ 小田切萬壽之助 外交官・銀行家 東洋文庫初代監事。漢籍17643冊、和書1830冊、洋書4冊、計2万冊。漢籍は集部に優れていたという

 

 

 

【二つの稀覯本放出期】

 明治維新を迎えた頃、日本における書物の蒐集には主に三つの「巨大な塊」がありました。
 A ひとつは前述の大名蔵書、
 B つぎに公家蔵書、
 C 最後に寺社蔵書です。

 また、明治以降の古書取引史には、二度の「黄金期」があります。ひとつめは明治の初期で、もうひとつめは終戦直後です。これらの時期は市場に貴重な稀覯本が大量に、また異常な低価格で流出しています。
 大雑把に言って、明治初期の最初の黄金期は、領地と切り離され華族化し、巨大な家を維持できなくなった大名たちによる放出によるものと言い切ってしまってよく、終戦直後の二度目の黄金期は、華族制度廃止に伴う名家の没落にその原因を求めるべきで、こちらも九条家をはじめとする公家華族たちの放出によるもの、と言ってもいいでしょう。
 この明治・大正期篇では一度目の黄金期に市場を席巻した蔵書家たちについて解説しましたが、どちらの黄金期が凄いかというと、反町さんによれば断然「戦後のもの」ということになります。(これに関しては昭和の蔵書家の頁で解説します)
 さて、近代以前の三つの巨大な書籍収集のうち、大名蔵書が明治初期に消え、公家蔵書が終戦直後に消えた後、最後に残ってるのは寺社による蔵書ですが、こちらは古代中世以来の大寺がいまだ健在であるため、市場には流出していません。(幕府や大名の命令で一部供出させられ写しをとられた事はあります)
 一般に大名蔵書よりも公家蔵書のほうが古いものが残っていた、しかし寺社の蔵書はある意味それ以上かもしれない。近衛文麿の「この間の火事でみんな焼けてしまいました」ジョークはさておき、その公家ですら京の度重なる戦火で幾度となく焼け出されてきました。しかし寺社の場合、叡山などを別にすれば相当なものが残ってるはずです。そういえば、大物蒐集家たちで仏典に本格的に手を出した人はやや少なめです(例外は安田あたり)。中山正善のコレクションも南蛮・キリスト系には強いが仏典には弱いことで有名でした。これは蒐集者の興味がそちらに向かなかった事もありましょうが、なにより他の分野のように重要なものが廉価で出回っていなかったことが一番の理由に思えます。


【関東大震災】

 おそらく質量兼ね備えた大物コレクターが最も跋扈した時期がこの明治・大正の頃なのでしょうが、この時代は悲劇的な災害によって幕を閉じることになります。
 西洋の古代末期に起こったキリスト教勢力による書物の廃棄や、中国歴代王朝交代の戦乱による書の散逸のようなケースは日本の場合あまりなく、わが国では比較的古いものがよく保存されてきたといえます。それは明治初期にやってきた清朝の人士がすでに本国で消えた本が日本で多く残っていることに驚いたエピソードからも明らかです。応仁の乱や叡山焼討のようなケースも、外国の戦禍に比べると大したものではないのかもしれません。
 その日本にあって、過去現在を通じて最大の書の惨事といえるのが関東大震災であり、東京が焼け野原になった点では太平洋戦争での空襲も同じですが、何の準備もできず突然訪れたこちらの方が被害はより甚大でした。個人の収集家では二代目安田善次郎のまつのや文庫、図書館では東大付属図書館、古書肆では当時最大の古典籍商だった浅倉屋の倉庫、丸善の洋古書など、無数の蒐集が灰燼に帰しています。
 ここは個人蔵書に関するサイトなので、安田についてだけ触れましょう。 
 前期の収集が震災で、後期の収集が戦災で、ともに灰燼に帰してしまっただけに、彼のコレクションに関しては様々な逸話が語り継がれてきました。
 例えば、大野酒竹が死後残した蔵書(俳書を除く)は村口書房の手を通じて、まず安田善之助が「一括購入」し、彼がそこからめぼしいものを抜いた後で、次に蘇峰が抜き、和田が抜きして、しかる後オークションにかけられています。往年の華客とはこうしたものであり、一般コレクターとの蒐集の質の差に天と地ほどの開きが出るのは当然でありました。(反町の場合でもドナルド・ハイドのような外人VIP顧客への選りすぐりの品は、有名な目録に載せる前に取引されています)
 ちなみに、これは安田の前半の収集「まつのや文庫」の話です。一方、後期の「安田文庫」に関して、川瀬一馬はこのように語っています。「安田さんのお陰で、誰よりも江戸絵入物のよい本を数多く見せていただけたことは幸いでした。ですから(和田維四郎による)久原文庫の江戸物の一大蒐集に出会ってもさっぱり驚きません。あれを見てビックリしている人を気の毒だと思っています」  すでに述べたように、安田の後期は古写経などへ進んでいたので、江戸物は余技でした。その江戸物に全力投球していた「まつのや文庫」の全貌は、川瀬も反町もみていないのです。

 

 

 

《トピック 無窮会》 
 平沼騏一郎の指導した無窮会の厖大な蔵書は戦前の段階で20万を越えていたのもにかかわらず、なぜか集書のテーマで語られることは少ない。国学者・漢学者の蔵書を集めたもので(平沼はうち十数万分の書を私費で購入して会に寄付した)、一人一人の数が大きく貴重書も多い。
 ここに蔵書が入った中では、井上頼圀の神習文庫のみ上に載せているが、あと数人を追加しておく

 □ 三宅真軒(三宅正太郎) 4万1千冊。漢学者(司法官僚とは別人)。漢学の全領域に渡り善本に富む蒐集が眞軒先生文庫にある。
 □ 織田確齋(織田小覺)  2万5千冊。漢学者で旧藩主前田家の学事顧問を務め学風は崎門学を尊重した。同学派の収集の豊富さでは並ぶものがない。
 □ 川合槃山(川合孝太郎) 1万5千冊。明治期の大阪で三大儒者とされた。蒐集は文字学・金石関係が中心でこの方面での刊行物は網羅されており保存状態も優れていた。
 □ 加藤天淵(加藤虎之亮) 1万6千冊。上記三宅真軒門下で東洋大学学長や宮内省御用掛をつとめ、三十年に渡り香淳皇后や秩父宮親王に進講した。漢詩人としても国分青崖の四天王に数えられる。

 

 

 

 

総目次
 
まずお読みください

◇主題  反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4

◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ 
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
 

◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya

◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》

◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》

フランス イギリス ドイツ  イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀  16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀  17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀  18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀  19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀  20世紀概観
仏概史  英概史  独概史  伊概史

◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元   中華・中共    

◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
 
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ

◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期

◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
 
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC

◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 

◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀①   19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③

 

 

Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
 
◇終曲   漫画の蔵書家たち 1 
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
 

§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]

§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
 
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
 
Θ カーテンコール 
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④


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  1. 総目次 2019/5/9更新 – 蔵書家たちの黄昏
  2. [116] Twilight of the Book Collectors – 蔵書家たちの黄昏
  3. [298] ジャンル別蔵書家 医薬・本草書 – 蔵書家たちの黄昏
  4. 総目次  11/25更新 – 蔵書家たちの黄昏
  5. [8] 鏡像フーガ3 大名たち – 蔵書家たちの黄昏
  6. [107] 現代日本の蔵書家5 五万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  7. [113] 現代日本の蔵書家11 十五万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  8. [211] イスラムの蔵書家たち カイロ – 蔵書家たちの黄昏
  9. [18] 鏡像フーガ付録3 百姓の蔵書 – 蔵書家たちの黄昏
  10. [300] 主題回帰 反町茂雄によるテーマ – 蔵書家たちの黄昏
  11. [2] 反町茂雄によるテーマ その1 – 蔵書家たちの黄昏
  12. [109] 現代日本の蔵書家7 七万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  13. [203] 古代の蔵書家 ヘレニズム – 蔵書家たちの黄昏
  14. [7] 鏡像フーガ2 蒐集のはじめ – 蔵書家たちの黄昏
  15. [9] 鏡像フーガ4 江戸の蔵書家  蔵書家たちが交流をはじめる – 蔵書家たちの黄昏
  16. [110] 現代日本の蔵書家8 八万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  17. [114] 現代日本の蔵書家12 二十万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  18. [120] 現代欧米の蔵書家たち 30000クラス,40000クラス,50000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  19. [12] 鏡像フーガ7 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する – 蔵書家たちの黄昏
  20. [11] 鏡像フーガ6 外人たち – 蔵書家たちの黄昏
  21. [13] 鏡像フーガ8 昭和期の蔵書家 (1970年頃まで) – 蔵書家たちの黄昏
  22. [201] 古代の蔵書家 オリエント – 蔵書家たちの黄昏
  23. [209] イスラムの蔵書家たち 前史ペルシア – 蔵書家たちの黄昏
  24. [212] イスラムの蔵書家たち コルドバ – 蔵書家たちの黄昏
  25. Grolier, De Thou, Mazarin, Colbert – 蔵書家たちの黄昏
  26. [206] 中世の蔵書家たち 9, 10c – 蔵書家たちの黄昏
  27. [205] 中世の蔵書家 5, 6, 7, 8c – 蔵書家たちの黄昏
  28. [118] 現代欧米の蔵書家たち 10000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  29. [115] 現代日本の蔵書家∞ エピローグ – 蔵書家たちの黄昏
  30. [104] 現代日本の蔵書家たち2 二万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  31. [208]中世の蔵書家たち 13,14c – 蔵書家たちの黄昏
  32. 総目次 4/15更新 – 蔵書家たちの黄昏
  33. [202] 古代の蔵書家 ギリシア – 蔵書家たちの黄昏

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