蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[12] 鏡像フーガ7 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する

 「5 明治大正期の蔵書家」と「8 昭和期の蔵書家」の間に、「6 外人たち」と「7 岩崎2家」のページを設けています。両方の時期にまたがって活躍した人をそこに置くためですが、この「7 岩崎2家」のページにはこれまでのように反町さんから引用した文章はありません。

 反町さんが名前を挙げなかった蔵書家のうちで、最も大きな存在が、おそらくこの2つの岩崎家(特に兄家)だからです。

 

 

 


 □ 岩崎弥太郎・久弥  兄家 (  東洋文庫 
   Iwasaki Yatarou 1835-1885 Iwasaki Hisaya 1865-1955

 1 「岩崎文庫」
 三菱財閥を創設してその解体までの間これを率いた岩崎家は、兄と弟の2家の当主が交代で長に就いており、初代は岩崎弥太郎、二代目は弟の弥之助、三代目は弥太郎の息の久弥であり、四代目が弥之助の息の小弥太であった。
 こちらの兄家(弥太郎・久弥)の場合、古典籍に関しては弥太郎の生前から少し集めてはいたものの、本腰を入れての蒐集になったのは息子の久弥の代である。それは、和田維四郎の助言・選択(あるいは代理購入)の下に、久弥の拠出する資金により購入するもので、その数は一万に達した。(木村正辞・小野蘭山・広橋伯爵家の蔵書も買収したという)
 和田は、岩崎久弥と久原房之介の二人に日本にある古典籍の重要性とその散逸の危機を説き、自らの選択による古書を彼らに購入せしめると同時に、和田自身の個人的蒐集に対しても両者からの資金援助を受けた。そのため和田の死後には二人は彼の蔵書を受け取ることとなり、久弥はそのほぼ6割(2万7千冊)を得た。この結果コレクションは計3万8千冊の「岩崎文庫」となる。共に和田維四郎の選択の下に購入された岩崎文庫の和書は、静嘉堂文庫の和書にも勝ったといわれている。

 2 「モリソン文庫」
 岩崎久弥のコレクションは主に二人の大収集家のそれからなっていたが、もうひとつは北京のジョージ・モリソンのそれである(和田同様すでに触れているコレクターであり、参考までに、和田維四郎《明治大正期の蔵書家》、モリソン《外人たち》)。
 前頁ジョージ・モリソンの項の末尾で述べたように、岩崎は北京にあったモリソンの2万5千冊の洋書を購入して日本の自邸へ運び「モリソン文庫」と名づける。そして石田幹之助をはじめとする白鳥門下の学者たちに潤沢な資金を与えて、さらに補強すべく新たな蒐集をさせた。
 このモリソン文庫は、東洋文庫として財団法人化されるまでの七年間は、岩崎久弥の個人所有の期間であり、会計や庶務も岩崎家庭事務所が担当していた。財団法人東洋文庫として「船出」して以降は、岩崎が寄付した200万円の基金の利子で運営され、新規の蒐集もそこから行われたわけだが、これに対して岩崎所有の七年間は、要求に対してほとんど「無制限に支出」されたという。
 岩崎所有のこの七年の間に、文庫主任の石田幹之助は、中国本体が中心だったモリソンのコレクションを、満蒙や中央アジア・東南アジアなどの周辺部からアジア全域へ拡大し、また欧文文献のみならず、漢籍をはじめとする現地語文献をも対象に蒐集してゆく。さすがのモリソン蔵書も中国周辺部に関しては望むところがあったとみえ、満蒙・シベリア方面では石田は以下の様な不満を残している。

 「そこで図書の新規蒐集や遺漏の補充の方に移りますが、例えば満州・蒙古・シベリア方面に就いて申せば、モリソンの蒐集方針には勿論この方面に関する図書の蒐集もはいっており、現に相当数の書物があり、結構有力なものではありましたが、概して云へば一般的な叙述のものが多く、純学術的なものはこれからというので中々骨が折れました。
 尤もさうはいうもののさすがにモリソン氏の眼光はよく光っており、フォン・シュレンク監修の「アムール地域研究誌」とか、コマロフの「満州植物誌」とか、シュトラーレンベルグの「欧亜東北域誌」とか、クラシェニニコフの「カムチャトカ誌」といふやうな名物がもう集まってをりましたし、ラーヴェンスタインの「黒竜江上の露人」とか、コックスの「米・亜に於ける露人の諸発見」というふやうな稍々稀覯のものもあり、新しいものでもツァプリチカ女史の「アボリジナル・サイベリア」、ゴールダーの”Russian Expansion on the Pacific”、カーエンの「ピョートル大帝時代露清関係史」のやうな学術的良書もありましたが、全体から見ると何としてもまだまだ不揃いでありました。
 シベリア関係でもミュラーの「ロシア彙纂」やフィッシャーの「シベリア史」は無く、ミッデンドルフも無ければステラーも無く、ラードロフの「シベリア日記」も無ければウィトゼンの「韃靼東西記」も無く、第一、ザハロフの「満露辞典」や「満語文典」がなく、トゥングース諸民族や極北古アジア民族の研究に至っては、ステルンベルグやアルセニエフはなく、況やジェサップ・エキスペディションの大報告はありませんし、アイヌではビルスドゥスキーがあったには感心しましたが、ボブロブニコフの「アイヌ・ロシア対訳辞典」はなく(これは今日でも日本に一部か二部しかないでせう)、蒙古へ行くとドーソンは有っても、べレジンやクヮトルメールは無く、パラスは民族誌も無く、露領諸地巡遊記もなく、「シベリア植物誌」もありませんでしたし、シュミットやコワレフスキーの辞典はありましたが、ゴルストゥインスキーの「蒙露辞典」やボズドネーフの「蒙古文学史」はほんの一部分しか無く、ポドゴルウィンスキーやジェムツァラーノの文典も無く、現代の学者としてはラームステットやコトウィッチのものが少々あったぐらゐで、まだウラジミルツォフ、ポッペ、モスタールト、シロコゴロフなどの活躍以前のこととてこれら諸氏の労作は当然一つもありませんでした。
 かうなると満蒙・シベリアの一角だけでも無い無い尽しのやうなもので、さも文庫が穴だらけのやうに見えますが、支那本部を中心に傾けたモリソン氏の努力は少しも価値を減ずるものではなく、今でも目録を繙いてよくもこんなに集めたものと敬服せざるを得ないのであります。仮すに日を以てすれば、モ氏の余力は必ずもつと満蒙・シベリアにも及んだに違ひないと思はれますが、仮にさうとしましても、右に挙げましたやうな書はいづれも名だたる稀覯書で、中々チットやソットの探索では手に入るやうなシロモノではありません。誰が手を出したとしても余程気永にやらなければ寄ってくるものではありません。」

 上記の「ないない」と言われていた稀書のほとんどは、三菱の財力と石田の探索力により、岩崎所有時代の末期には文庫の書棚を飾っていた。中央アジアや東南アジア方面でも事情はほぼ同じだったとみえる。
 「それでその蒐集に一所懸命に乗出し、パリのPaul GeuthnerとかMaisonneuve Freres,ライプツィヒのOtto Harrassowitz,同じくkarl Hiersemann,ハーグのMartinus Nijhoff,ロンドンのBernard Quarrich,Kegan & Trubner などの古書目録を目を皿のようにして物色し、丸善や神田・本郷の古本屋の書棚を暇さへあれば渡り歩いて、文庫が東洋文庫となって店開きをするまでにはどうにかここに挙げたやうなものは集めました。」

 モリソンの洋書を拡充したのは石田によるこの目録注文のほかに、白鳥庫吉や羽田亨が欧州の書店に出向いて探し求めたものも多く(白鳥だけで数千冊購入した)、また漢籍に関しては和田清が選定を行っている(但し和田の蒐集方針は稀書の多い経書を敬遠した実利的なものだった)。
 このブログは基本的に本の所有者を対象にしていて、司書やスタッフには詳しく触れないことにしているが(触れだすときりがない)、モリソンの手から東洋文庫へと至る書籍群に関して言うと、これはどうみても主役は石田の方だろうと思わざるを得ない。
 彼は上田万年の命でモリソンの書庫に入って以来、帰国して各方面へのプロモーションを行い、岩崎久弥が引き受けた後は主任としてコレクションの拡充に中心的な役割を果たし、東洋文庫として財団法人化された後も(「ある理由」で主事から降ろされるまでは)そこの稀書珍籍にもっとも精通した存在だった。多額の費用でモリソン蔵書を引き受け、建物・敷地・運営基金まで付けて、自らの手の内から財団法人化してしまう岩崎男爵もカッコイイのだが、集められた巨大な書籍群への精通度からいうと到底比較にならない。蔵書家を語る場合、井上ひさしのように所有者と集めた本の内容が密接にリンクしているケースもあるが、モリソン蔵書を受け取った以降に集められた書籍群は白鳥門下の色が強すぎて、これは岩崎久弥個人の人間をみていっても何もならない気がする。元来京都支那学派と東大の白門では得意方面が異なり、前者は中国歴代王朝本体、後者は辺境や対外関係史である。元のモリソンのコレクションを後者へ向けて全面的に拡張していったのは石田幹之助に代表される白門のイニシアティブであろう。上にかなり長い引用をしたのはこのことをよく表しているからである。
 これは極端なケースかもしれないが、マザランの司書ガブリエル・ノーデ、二代目スペンサー伯におけるトマス・ディブディンなどそうした例は「教養のある君主」タイプの蔵書家には多く、もっと言えばあの中山正善の蒐集ですら反町茂雄の匂いが強すぎるとみる人もいるかもしれない。

 3 「東洋文庫」
 最終的に久弥は自らの所有する「岩崎文庫」と「モリソン文庫」の二つを一緒に合わせ、1924年に東洋学専門の図書館「東洋文庫」として財団法人化した。(但し岩崎文庫の方は「寄付」ではなく「寄託」であり1932年になって寄付された)
 岩崎久弥の収集は質的な面でおそらく日本最高の一つだったのだろうが、これまで述べてきたように彼個人の色彩は非常に薄く、和田維四郎やモリソン、石田幹之助といったビブリオフィルたちの情熱の結晶という感が強い。

 

 

 


 □ 岩崎弥之助・小弥太 弟家 ( 静嘉堂文庫 
   Iwasaki Yanosuke 1851-1908 Iwasaki Koyata 1879-1945

 三菱財閥二代目の弥之助が駿河台の自邸で蒐集をはじめ、当初は重野安緤が管理していた。書肆は主に斎藤琳浪閣と浅倉屋を使っていた。
 このあと重野を蒐集主任として著名な文庫を次々と買収してゆくわけだが、とりわけ弥之助晩年の陸心源蔵書の購入は重要である。これは島田翰の仲介によって実現を見たもので、この時点で(1908年)すでに4万冊の書を収集していたとされるが、そこに4万を越える本場の漢籍が流れ込み総数は8万を越えた。これをきっかけに後継の小弥太が自らの高輪邸に移転(1910年)。
 関東大震災後の1924年には現在地の紅葉丘に移転して研究者に限り公開した。1936年に松井寛治の1万7千冊を買うが、四年後の1940年に財団法人化された。
 弥之助自身が元来古書好きではあったが、初期の文庫には彼の漢学の師である重野の研究を助けるための史料収集という性格が強かった。それは「国史綜覧稿」に結実するが、重野の蒐集方針は自らの専門である史を重視し江戸文学などは好まなかったという。1921年からは諸橋徹次が文庫長を三十年以上にわたって務める。
 岩崎弥之助・小弥太親子の静嘉堂文庫は、大きな資金力を持つ企業家が個人文庫を次々と買収して巨大化したケースの典型例であり、わが国では他に武田長兵衛(武田薬品)の杏雨書房が同じ類型に属する。海外ではアメリカのハンチントンライブラリーの様に200もの個人収集を吸い込んだ例さえみられた。
 岩崎静嘉堂文庫の行った著名な文庫買収の経緯を下に。


明治27年 青木信寅 旧蔵書和書240部 1033冊
明治29年 上海購入 漢籍82部 4473冊
明治31年 中村敬宇 旧蔵書和漢書1562部 13181冊
明治31年 鈴木真年 旧蔵書和書数十部
明治32年 宮島藤吉 旧蔵書和漢書635部 1608冊
明治34年 楢原陳政 旧蔵書漢籍384部 4811冊
明治35年 田中頼庸 旧蔵書和書412部 2139冊
明治36年 小越幸介 旧蔵書漢籍385部 1570冊
明治36年 山田以文 旧蔵書和書648部 1490冊
明治37年 色川三中 旧蔵書和書1374部 4939冊
明治40年 竹添光鴻 旧蔵書漢籍515部 7204冊
明治40年 島田重礼 旧蔵書漢籍44部 944冊
明治40年 高橋残夢 旧蔵書和書91部 418冊
明治40年 陸心源  旧蔵書漢籍4146部 43218冊
大正13年 木内菫四郎旧蔵書朝鮮本84部 1021冊
昭和10年 松井簡治 旧蔵書和書5902部 17016冊
昭和15年 財団法人化
昭和18年 大槻如電 旧蔵書洋学関係書811部 1876冊
昭和18年 諸橋轍次 旧蔵書漢籍 20000冊〇


異説(参考までに)
1894:青木信寅 旧蔵国書数百部
1896:上海購入 漢籍82部4472冊(楢原陳政に依托)
1898:中村敬宇 旧蔵書約4000冊
1899:宮島藤吉 旧蔵書1591部
1901:楢原陳政 旧蔵書498部4716冊
1902:田中頼庸 旧蔵書654部3988冊
1903:小越幸介 旧蔵書490部2102冊
1903:山田以文 旧蔵書500部1491冊
1904:色川三中 旧蔵書1400部7919冊
1907:竹添光鴻 旧蔵書5996冊(松方正義より)
1907:島田重礼 旧蔵書44部(松方正義より)

 

 

 

岩崎2家を振り返って
 冒頭に揚げた反町さんの「主題」の文章からは、天理を揺るがしかねない岩崎家の作った二つの巨大なコレクションは省かれてしまってますが、著名な文庫の買収によって形成されたこれらは別格扱いにすべきとみられたのかもしれません。
 モリソンの蔵書を引き受けた岩崎久弥所有の「モリソン文庫」は、石田幹之助らによって拡充され、さらに岩崎文庫(弥太郎以来集められてきた岩崎本家の蔵書に和田維四郎蔵書の6割が加わったもの)も加えられて、「東洋文庫」として岩崎家の手から離れることになりますが、その後の戦災や散逸の危機を乗り越え、現在では東洋学の文献に関して、ハーバード大学燕京研究所、ロシアアカデミー東洋学研究所、大英図書館、仏ビブリオテークナショナルと並ぶ世界に冠たる存在へ成長しました。これは、その基になったモリソン蔵書の価値による部分もありますが、多くはその後の蒐集によるものだと思われます。
 一方、多数の著名な文庫を次々に買収していった岩崎小弥太所有の「静嘉堂文庫」は、戦後1948年には国会図書館の支部図書館になりますが、現在ではまた三菱系に戻っています。
 財団法人化までの両家の蒐集した量についていえば、まず岩崎小弥太の方は10万を越える数です。岩崎久弥の方は、岩崎文庫(3万8千)とモリソン文庫(2万5千)を合計した数になりますが、7年の間にモリソン文庫は拡充されており、斯波義信の推定によると6万程に増えていたという事なので(一方、丸善の八木佐吉によると、モリソン文庫の増加分は丸善が扱った二万五千冊と、漢籍二万という話なので、計7万になってます)、こちらも合計して10万近いです。
 このサイトは原則個人の本棚だけを扱うので財団法人化以後の展開には筆を置きます。

 

 

 

 


 □ 久原房之介 Kuhara Fusanosuke 1869-1965  久原文庫 
 岩崎久弥と同様に和田維四郎に委託して古典籍を蒐集をさせ、また和田の死後にはその蔵書の四割ほどにあたる1万8千冊を受け取っている。
 久原房之介は日立製作所や日産自動車の創立者で久原財閥の総帥。のち政治家に転身して政友会の総裁にまでなった。久原文庫は合計2万冊ほどだが、久原家にはこれらとは別に本宅に古典籍の蒐集が数千冊ありこちらは平板な内容だったとの事(戦前に散逸した)。


 □ 藤田家 Fujita  古梓堂文庫
 上記の文庫が縁戚の藤田家に移されたもの。その管理は、自身も蔵書家であり神道・国学に造詣の深い鈴鹿三七が行った。ちなみに藤田家にも他にも古典籍の蒐集があり、うち2点は国宝に指定されている。


 □ 五島慶太 Gotou keit 1882-1959  大東急記念文庫 
 上記の文庫がさらに五島慶太の手中に帰したものである。五島はコレクションに若干の追加(井上通泰の蔵書など)をしたが、和田の蒐集による久原文庫以来の蒐集物が最重要品のすべてと言ってよい。計2万5千ほど。

 

 

 


《トピック1 三井文庫と住友文庫》
 三井・三菱・住友・安田という戦前の四大財閥のうち、岩崎2家や安田善之助が善本稀書の巨大なコレクションを形成していた間に、三井と住友はいったい何をしてたの? って要はそういう話です。
 「三井文庫」「住友文庫」ってのは一応あるんです。
 ただ、三井文庫というのは三井家に関係した古書・古文書の保存が主目的であり、(それが全くないわけではないにせよ)和漢洋の古典籍を幅広く収集したようなものではないんですね。縁戚である土肥博士の厖大な蔵書を受け入れたとかそういうのはあるし、また一族の中にも三井源右衛門のような著名なコレクター(五山版の古版本などが中心)はいますが、それだって安田・岩崎のスケールには到底及びません。
 一方、住友文庫というのは現在大阪府立図書館にあって、こちらは住友友純が同図書館へ寄付するために新たに購入した文献群なんです。本8900冊、学位論文パンフ43000冊、雑誌8200冊の計6万を越える大コレクション(個人文庫事典より)のですが、住友一族の蔵書ではなく寄付者の名前を冠した文庫にすぎません。岩崎小弥太が著名な蒐集家の文庫をどんどん吸い込んでた時期に住友は何をしていたのかと思っていたら、こうした地道な学術的貢献をしていたわけですね。
 もちろんこの二家は岩崎・安田と違って江戸時代から続く富裕なお家であり、累代の蒐集はあったようです。特に住友家の場合、大坂の商家が元来豊かな蔵書を保有する傾向があったため、殿村家や鴻池家のそれと並んでよく知られています。(平瀬家をはじめとするこれら大坂商家の蒐集に関してはあとで一章を設けます)

 三井文庫   住友文庫 

 

 

 

 

《トピック2 蔵書家とその所有》 
 このページまできて、やっと前田、安田、和田、岩崎などの日本で最も価値のある蒐集を成し遂げたビッグネームの顔ぶれが出揃いました。あと中山という最大の存在が残っていますが、このあたりで一息ついて、その蒐集物はどこまで収集家の所有といえるのか、という問題点をゆっくり振り返ってみましょう。

 

① 反町茂雄が最重要の蔵書家とした前田紀起・中山正善・和田維四郎の三人について。

 MAEDA  
 3 大名たち の頁で大名蔵書(とくに前田尊経閣)の特質に触れたとき、これは個人の蒐集というよりも国家の事業であり、また方々から集められた異本の校正など、実質的には文化・学術事業に近いことを述べました。だから反町がやったように、前田を中山や和田と並べるのはおかしいのではと疑問も呈しました。
 しかし、そういう実質云々の話ではなくて、所有という観点からみると、これはあくまで大名の所有以外の何物でもありません。

 日本の封建制は非常に特殊です。例えば戦後GHQが農地改革を行ったとき、彼らは占領下のドイツで行ったプランをそのまま日本に当てはめました。これはプロイセンのユンカーを潰す事を目的としたプランだったわけですが、その単純な適用は当時のGHQの担当者が兵農分離以降の日本封建制の二重性を理解できていなかったことの現れでした。フランス革命で行われた領主権の廃止を目指しながら、それとは何か別のことをやってしまった。
 日本の「藩主」」というのは西欧における「領主」とは異なって、支配地域への徴税権はあるけれども、所有権はない極めて「政府的な」存在でした。つまり土地の所有者は藩主とはまた別にいたわけです。(だから日本最大の百姓と言われた山形の本間家は下人2000人を所有しその収入は藩主を上回っていた)
 その半面で、藩自体は大名の「家」としての存在がすべてであり、最近の幕末ドラマでよくあるような、「拙者は土佐『藩士』でござる」というようなセリフは実際には殆ど聞かれず、「お点前はいずれの『ご家中』でござるか」「加賀の前田様の『家中の者』でござる」という風なやり取りが通常でした。政府自体が大名家そのものであり、そのシステム下にあるものすべてが大名の所有なわけです。
 前田綱紀の蒐集が、性質としては極めて政府事業に近く、法的な所属としてあくまで大名家の所有であるという点は、この二重性を反映していたように思えます。このことは前田尊経閣のみならず、幕府紅葉山文庫にもいえ、形式的には将軍の個人的ライブラリーではありながら、書物奉行のもとに運営され、その巨大な蔵書は幕府要人や学者に開かれていた公的色彩の強いものでした。

 NAKAYAMA
 次回取り上げる中山正善の場合は、その逆になります。彼が大学時代から行っていた個人的な蒐集を、自身が設立した天理図書館が引き継ぐわけですが、中山自身は図書館の館長でもないし、また図書館の所有者でもない。しかし実質的な最高意思決定者として購入の選択に関与し続けました。
 天理図書館はすでに1930年に設立されているので、それ以後の蒐集(つまり重要なもののほとんど)は中山個人による蒐集ではなく、会計上も税法上も天理図書館の蒐集になります(もっとも中山は学生時代から本の購入資金を教団の予算に掛け合っていたので、当初から厳密な意味での所有になっていたかは不明)。だからこの点からみると、中山を近代日本最大の書籍蒐集者とする見方はおかしいわけです。(またその反面で、今の綿屋文庫は中山家から図書館へ寄付されたという経緯があるようだし、天理図書館のどこからどこまでが「中山のもの」だったのかについての議論は、非常に複雑になってきます)
 もう一つ言うと、中山&天理図書館の収集活動の最盛期は文庫を丸ごと買うとかそんな感じなので、これはどう見ても図書館の蒐集方法です。数ある文庫買収の中でも、とくに伊藤仁斎家の蔵書・古文書を丸ごと購入した話は有名ですね。

 WADA
 和田維四郎の場合には別の問題も出てきます。和田について反町茂雄はこう述べています。
 「古書の蒐集事業は主として自力によって賄われ、雲村文庫の富を形成しましたが、時には昵懇の岩崎久弥及び久原房之介の力を借りた様です」
 一方で、岩崎と久原が和田をチーフとして古書を蒐集させたように書いている文章は多いです。例えば「和田先生は ~中略~ 多年親交のあった岩崎久弥男爵と久原房之介氏に説いて自分の推薦する図書を購入せられんことを以てし、両家ともこれを快諾されて大正年代の初期から両家の蒐集事業が起こったのでした」(石田幹之助)。つまり和田は両家の援助による蒐集と、両家の蒐集指南を同時にやっていたので非常にややこしいんです。
 おそらく岩崎や久原に委託された取引も多くは和田名義で行われたと思われるので、私はだいたいにおいて反町茂雄の言い方の方が正しいと思うけれども、没後にコレクションが両家へ行くことは了承済みだったようで、その所有は極めて不安定です。たしか近世初頭のイタリアの蔵書家ニッコロ・ニッコリとメディチ家の関係がこれに似たパターンだったと思います。

 

② 一般人は本を蒐集するが財閥は蒐集者を蒐集する

 IWASAKI
 そして、このページで語った岩崎についてですが、通常、岩崎両家を最大の蔵書家とは言うことはありません。むしろ図書館のオーナーという位置づけです。しかし、その兄家の東洋文庫と、弟家の静嘉堂文庫は、有名文庫をどんどん購入しており、合わせれば質量ともに天理を揺るがしかねません。
 岩崎兄家(久弥)は上記にあるように和田維四郎の残した蒐集の6割を受け取り、これを別に購入したモリソン文庫に合わせて「鬼に金棒」と言われました。これらはのちに東洋文庫として財団法人化され岩崎の個人所有を離れることになりますが、現在でも三菱系です。(このモリソン文庫にかんしては 6 外人たち でさらに詳しく解説しています) 
 また弟家(小弥太)の静嘉堂文庫も、重野安績を収集主任として、和書では青木信寅・鈴木真年・中村正直・宮島藤吉・田中頼庸・山田以文・色川三中・高橋残夢、漢籍では中村正直・宮島藤吉・楢原陳政・小越幸介・竹添光鴻・島田重礼の蔵書を吸収し、さらに清末四大蔵書家の陸心源の蔵書の一部(4万2千巻)も購入してこれを漢籍の基本蔵書に置き、とどめは木内重四郎・松井簡治・大槻如電・諸橋轍次などの文庫も吸い込んで、米のJPモルガンのそれを思わせる威容を誇っています。(この中にはこれまで名前を挙げてきた蔵書家も4,5人混じっていますね)
 中山正善の場合、天理図書館の収集活動が御本人の蒐集の延長上にあるので、世間からはすんなり同一とみなされるんですが、岩崎両家の場合は最初から「財閥が図書館を作った」みたいなイメージがあり、世間一般で言われる蔵書家とは別におくのが慣例です。
 ところが、じつは岩崎両家もそれそれの先代(弥太郎と弥之助)は古書マニアで頻繁に神田古書街に足を運んでたことがあり、静嘉堂文庫も父の弥之助の蔵書をもとに,小弥太が自邸の一角に開館したものなんです。そうなると静嘉堂文庫や東洋文庫を所有していた岩崎両家をどう位置づけるのかという問題が出てきます。
 たしかに両家の家長は収集の実務にはほとんどタッチしておらず、高度な知識を持つ専門家に任せていた。しかしそれは、反町をはじめとする書誌学者顔負けの取引業者や富永牧太図書館長以下のスタッフの補佐を受けていた中山正善も同じことです。

 

 反町が挙げた最も重要な蔵書家の前田、和田、安田、中山のうち、安田を除くとほかの三人は実際には蔵書家といえるのかという点で、このようにいろいろと問題が起こってくるわけです。
 いずれにせよ、巨大すぎる蒐集は、その所有権者自体がファジーであるし、購入する書物を選択する当事者の権限もファジーだし、またその目的面でも自分のためのものなのか人のためのものなのかよくわからなくなってきます。
 自分が知識を蓄え世界を広げるためなのか、世のため人のための文化事業なのか、次次項でのべる「没後に文庫化ごと寄付」という「蒐集の墓場」が日本でとくに横行した理由も、蒐者が徐々に後者の視点に侵されてきがちな一般的傾向なしに理解することはできないと思います。

 

 

 

 

総目次
 
まずお読みください

◇主題  反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4

◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ 
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
 

◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya

◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》

◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》

フランス イギリス ドイツ  イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀  16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀  17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀  18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀  19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀  20世紀概観
仏概史  英概史  独概史  伊概史

◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元   中華・中共    

◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
 
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ

◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期

◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
 
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC

◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 

◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀①   19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③

 

 

Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
 
◇終曲   漫画の蔵書家たち 1 
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
 

§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]

§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
 
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
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  1. 総目次 2019/5/9更新 – 蔵書家たちの黄昏
  2. [108] 現代日本の蔵書家6 六万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  3. [113] 現代日本の蔵書家11 十五万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  4. [115] 現代日本の蔵書家∞ エピローグ – 蔵書家たちの黄昏
  5. [118] 現代欧米の蔵書家たち 10000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  6. [210] イスラムの蔵書家たち バグダッド – 蔵書家たちの黄昏
  7. [211] イスラムの蔵書家たち カイロ – 蔵書家たちの黄昏
  8. [212] イスラムの蔵書家たち コルドバ – 蔵書家たちの黄昏
  9. [213] イスラムの蔵書家たち 十字軍以降 – 蔵書家たちの黄昏
  10. [7] 鏡像フーガ2 蒐集のはじめ – 蔵書家たちの黄昏
  11. [10] 鏡像フーガ5 明治大正期の蔵書家 – 蔵書家たちの黄昏
  12. [13] 鏡像フーガ8 昭和期の蔵書家 (1970年頃まで) – 蔵書家たちの黄昏
  13. [8] 鏡像フーガ3 大名たち – 蔵書家たちの黄昏
  14. [9] 鏡像フーガ4 江戸の蔵書家  蔵書家たちが交流をはじめる – 蔵書家たちの黄昏
  15. Bibliophile Interview  Gabriel Naudé 前編 – 蔵書家たちの黄昏
  16. Grolier, De Thou, Mazarin, Colbert – 蔵書家たちの黄昏
  17. [103] 現代日本の蔵書家たち1 一万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  18. [104] 現代日本の蔵書家たち2 二万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  19. [203] 古代の蔵書家 ヘレニズム – 蔵書家たちの黄昏
  20. [208]中世の蔵書家たち 13,14c – 蔵書家たちの黄昏
  21. [206] 中世の蔵書家たち 9, 10c – 蔵書家たちの黄昏
  22. [120] 現代欧米の蔵書家たち 30000クラス,40000クラス,50000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  23. [105] 現代日本の蔵書家3 三万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  24. [112] 現代日本の蔵書家10 十万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  25. [300] 主題回帰 反町茂雄によるテーマ – 蔵書家たちの黄昏
  26. 総目次 4/15更新 – 蔵書家たちの黄昏

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テーマの著者 Anders Norén

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