蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[14] 鏡像フーガ9 公家の蔵書

 前頁の 8 昭和期の蔵書家 を語る上で大変重要な意味を持つ出来事は、終戦直後における華族の蔵書の崩壊でした。
 大名華族の蔵書については 3 大名たち で既に触れていますが、公家華族の蔵書については、 2 蒐集のはじめ で主に蒐集家個人として多く取り上げはしたものの、何百年もかけて代々蓄積されてきた蒐集の実質をこれでは紹介したことになりません。で、九条家を上回る最大の公家蔵書とされた近衛家をはじめとして、その主要なものについて最後の頁で軽く触れておきましょう。
 大名蔵書がどちらかといえば総合的な内容を持つのに対して、そもそもお公家さんというのは朝廷に奉仕する家々である以上、明経道、文章道、歌道、音楽など、それぞれ専門の「家」にその「筋」の書物だけが伝承される傾向があり、これらを網羅的に所蔵する事は関白家でさえままなりませんでした。そのため専門性・秘蔵性はより高く、また時期的にもさらに遡る貴重な典籍が多くみられる事が特徴として挙げられます。

 

 

 

 ≪「公家の蔵書家」を読む前にまず予備知識≫

 公家とはそもそも天皇を取り巻く官人を総称したものであり、その仕事は朝廷の儀式を宰領する事でした。
 かつてはこれらは「国史」「格」「式」「儀礼」などの官撰の書物に則って行われていましたが、中世から古代にかけて、新しい記録や法令・規範に関するオフィシャルな編纂がされなくなり、その結果、各家は銘々の家々に代々蓄積された家記(日記や記録類)を参照してこれを執り行うようになってきます。有職故実という学問はこれらに関するものですね。


 公家にはもう一つ、家ごとに継承される学問や技芸があり、家々にはそうした家学・家業関係の書物も伝来してきました。江戸期以前の公家の蔵書は、主にこの二つから構成されています。


 ところが、応仁の乱以降戦乱で各家が蔵書を失い、そのため家礼関係という制度でこれに対処するようになります。

 これは従来から総合性の高い蔵書を持ち、また比較的蔵書の焼けることが少なかった五摂家に、多くの公家が家臣のように主従関係を結び、所蔵する記録類の利用を許され、朝廷儀礼の作法や和歌などの指南を受けるというものです。家礼関係自体は古代からありますが、江戸期以降のそれは摂家の統制が強まり、主家を重複することなどは到底許されなくなっています。
 摂家が、家学・家業の方はともかく、家記に関しては総合性の高い蔵書を持っていた理由は、公家中で最も格式の高い摂家は通常の朝廷儀礼以上に専門性の高い知識を必要としたため、中世初期に公家が上位の摂家に対して家記を提供していたからです。室町期最大の蔵書家であった一条兼良がまず有職故実の大家であった事実をここで思い起こされた方もいるかもしれません。
 昔、近衛文麿がある外国のパーティーで「あなたのお家は古いから、さぞかし昔からの宝物が残ってるんでしょうね」と言われ、「随分ありましたが、この間の火事でみんな焼けてしまいました」と答え、「それはいつ頃の火事ですか」と尋ねられると、「応仁の乱のときです」と返したという有名なエピソードがありました。しかし、他の公卿家からくらべてみると、書物・古文書に関しては、その近衛家にはまだかなり残っていたという事のようです。
 では五摂家のうち、各家で幕末頃にどのぐらい家礼がいたのかみてみましょう。

近衛 48家
九条 20家 
二条  4家
一条 37家
鷹司  8家

 一般的に認められている格式の順に記しましたが、家礼の数は必ずしもそれに一致していません。これはやはりこの制度が蔵書に関係するためです。
 二条家が極端に少ないのは延宝三年の大火で文庫を焼失させたからです。鷹司家も延宝元年の火事で蔵書を失っています。これでは公家たちは寄ってきませんね。
 藤原氏一門の氏長者を出す事になっている九条家は近衛家に匹敵する名家で、また道房の代にかなり蔵書を増やしているはずですが、家礼の数は近衛家の半分以下です。原因は道房以後の多くの後継者が早世し、蔵書を活用するスキルを持たなかったためだと言われます。いくら蔵書を持っていても当主にそれを読み込んで家礼に朝廷儀礼のアドヴァイスができるようでなければ、やはり公家たちは寄ってきません。
 この部分は「江戸時代の公家の蔵書」(佐竹朋子著)が大変分かりやすかったので参考にさせて貰いました

 

 

 

 


 □ 近衛家 (  陽明文庫 ) KONOE

 五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)の筆頭で、天皇家を別にすれば日本最高の名家といってよい近衛家は、伝来してきた典籍・古文書においても九条家と共に公家が所蔵してきたもののうちで最重要のコレクションだった。
 九条家をはじめとする他の多くの公卿家のものが戦後不幸にして散逸したのに対して、近衛家の場合、文麿(Fumimaro Konoe 1891–1945)の英断ですでに1938年に陽明文庫として文庫化されており、今日でもまとまったかたちで保存されている。ただし一般公開はされていない。
 古文書・典籍など10万点。中でも御堂関白日記の道長自筆本(国宝)があるのは藤原北家の宗家であってこそであろう。昭和前期で最も価値の高い書を数多く所有していた者は、じつはこれらの先祖伝来の典籍を継承していた文庫化前の近衛文麿であったかもしれない。(ただし蒐集者とはいえない)
 篤麿の時代に京大に2万冊を寄託していて、陽明文庫設立時にそれを返還してもらい、あらためて近衛家の典籍・古文書類を全部ひとまとめにしたそうである。

 

 

 □ 九条家 KUJYO

 前にも述べたように、九条家は父九条道実公の時に,昭和4年のオークションで一部を処分。そして子道秀の時,昭和22年の大処分に至った。目録を作らなかったので詳細な記録は残らない。
 「中近世期における九条家蔵書の形成と流伝に関する研究」によると、散逸した九条家旧蔵本は現在は、鶴見大学・実践女子大学・広島大学・島根大学・東海大学・学習院大学・日本大学・慶應義塾大学・早稲田大学・天理図書館・国文学研究資料館・正宗文庫・宮内庁書陵部などに分散されており、この点やはり近衛家の陽明文庫とは著しい対照をなす。ある程度まとまった分量を所蔵しているのは天理図書館と宮内庁書陵部の二つだそうで、前者は前頁に述べたように反町茂雄の功によるものだろう。
  九条家の蔵書の形成過程について触れると、戦国期に多くの蔵書を失った後、江戸初期に九条道房(Kujō Michifusa 1609–1647)によって行われた書写活動が大きな意味を持っており、道房の弟の栄厳の関係から小野随心院・醍醐寺・東寺などとの間で貸借が行われていた。また歌合関係書では三条西家の蔵書の利用もあったとのこと。その他、二条家,五条家の様な公家に留まらず、尾張徳川に至るまで蔵書を借り出し書写している。

 戦後の混乱期に散逸した華族の蔵書としては、とくにこの九条家や、三條西家・卜部吉田家などは代表的な存在とみられている。(反対に持ちこたえた例では、上記の近衛家や、前田・細川などの大名華族のそれがあげられる)

 

 

 

ここから下は工事中です。まだ読まないでください。(以下 資材置き場)

 

 □ 二条家
 二条良基(Nijō Yoshimoto 1320–1388)という室町初期を代表する蔵書家を祖先に持つ二条家は、応仁の乱を経て殊に江戸時代に入ってからの1675年に遭遇された火事が痛かったようで、この家の極端な家礼の少なさはそれを反映している。

 □ 一条家
 一条兼良(Ichijō Kaneyoshi 1402–1481)の名前に結び付けられて語られる事の多い一条家累代の蒐集である桃花坊文庫は、応仁の乱でその大半が失われたとされている。一条家では、江戸中期に冬経(Ichijō Kaneteru 1652–1705)という蔵書家が出て当時有数の文庫を興し、以降の同家の蔵書はこちらの系統を引いている。

 □ 鷹司家

 

 □ 久我家
 上記の近衛家は大藤原氏の宗家だが、こちらの久我家は村上源氏の宗家にあたり五摂家に次ぐ精華家でもその第一とされる。
 久我家伝来の古文書は国学院大学図書館に二千四百六十一通が所蔵されており、宮内庁書陵部所蔵の九条家文書と並ぶわが国を代表する公家文書といわれる。内容は中世の家領文書、近世公家文書、当道座関係文書の三群に分けられるが、中心を占めるのは千百通の家領文書である。

 

 □ 三条家 SANJO
 家格は摂関家に次ぐ精華家である。江戸期にはすでに家記や家業の蔵書を失っていて、装束の家業すら維持する事ができず、一門全体の有職故実はもちろん三条家自身の有職故実もままならぬ状況にあった。にもかかわらず、摂家と家礼関係を結ばなかったのは精華家のプライドであろう。
 三条一門の中での地位も危ぶまれたことから、三条実起(Sanjo Saneoki 1756-1823)が当主になって以降、他家の蔵書を借り出して書写に励むようになった。実万(Sanjo Sanetsumu 1802-1859)の代になって三条家の家説や三条一流の有職故実を復活させている。この頃は摂家である一条家や鷹司家に書を貸すほど蔵書は充実していた。
 実万は政治方面の書も読み進めてゆき、その結果幕末の政争に絡んで、安政の大獄で蟄居となった。しかし、意志は長男の三条実美(Sanjo Sanetomi 1837-1891)に継がれ、彼は明治新政府初期の指導者となった。
 なお、實美の孫にあたる公爵三條實徳は国史、国文学関係の7千251冊を東京大学に寄付した。

 


 □ 西園寺家
 西園寺家の場合、和漢洋の教養を兼ね備えた西園寺公望個人を「明治大正期の蔵書家」の項に置いたが、この「公家の蔵書家」の項でも堂上華族としての西園寺家に触れておく。西園寺家で内容が明らかになっている蔵書は大学へ寄付された分をもって限りとするが、公望の知的フィールドを跡づける個人蔵書と、養子である彼以前から同家に伝来してきた典籍・古文書群に種類が大きく分かたれるからである。
 これらの寄付先も三つの大学に渡っており、また一つの大学に対する寄付であっても数回に分かれ、その毎に個人蔵書であったり伝来されてきた古典籍であったりするので、これらの経緯は少々複雑である。
 ①まず縁故ある立命館の西園寺文庫だが、大学昇格以前の1925年に洋書187冊を寄付している。これは当然公望の個人蔵書であろう。②その後1930年にも和本・漢籍300冊を寄付。こちらも本人の蔵書とみられる。③そして1938年の文庫設置時には西園寺家伝来の和綴本739部881冊の寄贈が行われた。これは有職故実関係、改元記録、和歌関係などを内容としている。④1940年、死の直前に行われた最後の寄贈は和書・漢籍など6671冊という大きなものでおそらく本人の愛読書であろう。
 ⑤没後には京都大学の陶庵文庫に和漢洋の8046冊が寄付されており、ここには珍籍・稀書の類はほとんどなく、これも公望個人の蔵書と思われる。漢籍・洋書に比べて和書が極端に少なかったことが興味深い。
 ⑥さらに平成になってから学習院大学に直系の子孫公友が家伝来の文書群を寄託する(こちらも西園寺文庫と命名された)。内容はやはり有職故実や西園寺家関する史料で、時期的には文明13年(1481)から昭和9年(1933)に至るものなので、応仁の乱でそれ以前のものが焼失した後、それ以降の古文書全てとみていいかもしれない。数量は747点。
 このように寄付行為によって世間的に公になったものに関しては、古文書を別にすると1万6千に及ぶ蔵書の大半は蔵書家であった公望個人の趣味嗜好が現れたものである。西園寺公望は大正から昭和前期にかけて、西洋的なイデーを体現する政治家たちの大元締め的な存在という印象が強く、和書より洋書の方が多いのはほぼ予想通りだが、意外だったのは漢籍の量がこれらよりも圧倒的なことだった。現在では専門的研究者以外にはほぼ絶滅した感があるが、この時期までの日本の知識人のバックボーンがまず漢籍にあった事を伺わせる。


 □ 徳大寺家
 □ 花山院家
 □ 大炊御門家


 □ 菊亭家(今出川候爵)
 京大の菊亭文庫は大正時代に当時の当主から寄託され、図書910部1369冊を数える。専修大の菊亭文庫は購入されたもので3,448点。
 琵琶の演奏を家業とした為、音楽,楽器に関する稀書珍籍がどちらも豊富である。しかし京大の方で重要なのは室町時代の公卿の自筆日記であり「建内記」「惟房公記」「薩戒記」「教忠卿記」「言国卿記」「言継卿記」などかなりの量に上っている。このような日記が政治や風俗等を知るための最良の手がかりなのはよく知られたところである。
 専修大の方では、一部鎌倉にさかのぼるとはいえ近世を中心とした典籍が目立ち歌写本、歌合、連歌、連句など857点、それに雅楽・有職故実など諸記録類。元禄以降の日記、家記も多い


 □ 広幡家(正親町源氏) 
 □ 醍醐家
 □ 嵯峨家(正親町三条家)


 □ 三条西家
 公家の蔵書散逸の例として九条家についで有名なのがこの三条西家。三条西家の集書は歴代のうちで蔵書家として聞こえた三条西実隆以来の蓄積があり、また古文書の類も多かった。それらは現在、学習院大学、東京大学、国立公文書館、国文学研究資料館、早稲田大学、カリフォルニア大学、天理大学、日本大学などに分散しており、とりわけ重要なのが実隆の膨大な自筆日記。原勝郎の名著の種本になったことでも知られたこの至宝は、反町茂雄がわずかの差で東大史料編纂所に攫われている。
 当時の当主公正が宮内省図書寮編修官、帝室博物館鑑査官を務めたまさにその道の専門であったことが逆に散逸につながったようにも思えるケースである


 □ 中院家(村上源氏) 
 中院文庫は住友が中院通規から典籍1041冊(古文書含む)を購入して京大に寄贈したもの。十四代通勝,十五代通村をはじめとする一族の自筆本、転写本などが中心で刊行されたものがほとんどないことが特徴である。
 歴代の中院家当主は国文学に造詣が深く、殊に通勝、通村は和歌に長けていた。他に社寺の祭祀の記録、有職故実や当時の政情を記録した文書もあり内容は多岐にわたる。

 

 


 □ 壬生官家(小槻氏)
 小槻氏の官文庫はここにあげるのが適当かどうかわかりませんが、量的にはどこよりも大きいかもしれないので一応記しておきます 。
 官文庫とは、平安以来代々太政官の官務を務めてきた小槻氏が、本来太政官の文殿で保存するべき文書を徐々に家の文庫で保存するようになって、これが慣例化したものです。それは鎌倉・室町を経て江戸まで続き、朝廷はもちろん時の幕府もその保護に尽力しました。維新後は宮内庁書陵部に寄付されます。なので相当な分量にのぼり、室町期最大の蔵書家だった一条兼良の蔵書3万5千巻が箱にして700合(つまり一箱50巻)だった時に数千合あったともいわれます。よって、事実上公文書の色彩が強いのですが、一応個人文庫なので簡単に触れてみました。


 □ 冷泉家 ( 冷泉時雨亭文庫 
 和歌の家として貴重な典籍・古文書が数多く伝えられてきた点では近衛・九條に勝るとも劣らないのが定家の子孫にあたるこの冷泉家。これだけ有名なら、管理人があれこれつたない解説を付けるまでもない。


 □ 清原家


 □ 卜部吉田家
 貴重な典籍・古文書が伝えられ、その多くが門外不出であった事では上記の冷泉家と双璧である。だが近世以後の神道における最有力家として、外部の者には名前さえ知られていない秘伝の類も少なくなかったこの卜部吉田家はやはり非常に特異な存在であろう。不幸にして昭和二十年代に散逸してしまい、これは戦後の混乱期における九条家、三條西家に次ぐ悲劇といえる。例によって反町さんもその時期に呼ばれており、自伝にこの時の回想を残している。
 「ホンの八畳に炊事場を付けた程度の家(多分、元来は御門番の寝起きする場所だったのでしょう)、それがお若い子爵夫妻の御住宅でした。子爵は三十歳前後、奥様は二十五、六歳。お二人とも少しやせ気味の、色の白い、貴族的な風貌のお方々でした。挙止もそれにふさわしい上品さでしたが、下婢もおありなされないらしく、奥様御自身でお出し下さったお茶は、薄めのお番茶です。 驚きました。 この家、このお茶、これが神道の総本家として名高い吉田吉兼子爵のお暮しなのか。 さりとてはお気の毒な、何という事だろう。 」
 今読むとさすがにこの文章はヤリスギ感漂うがご本人が自覚してないだけ少々たちが悪い。さてこの後京都の土蔵に案内された反町は 「(運び出す際に旧家来筋の者に見られたくないので)出来るだけ嵩張らないもので高く値が付くものを」という指定を受け、蔵に二日間籠って思う存分検分する事になり、その古書籍商人生で最高の成果の一つを得たという。(といっても別の業者が先に国宝2点を持ち出してるのを後で知り驚く事になった。うち一点が下記の日本書紀神代の巻である)
 のちになって天理図書館が散佚した残りのもの7000点1万冊を一括購入し、吉田文庫と銘打って『吉田文庫神道書目録』を公刊するが、そこには貴重書はすでになく、天理はこれとは別に吉田家旧蔵の書を独自に収集、『日本書紀神代巻』(国宝)、『古語拾遺嘉禄本』(重文)、などをはじめとする多くの稀書を手中に収めた。なので現在その吉田家旧蔵の書を最も備えているのは天理になる。日本神道の総本家格の家に代々伝来してきた門外不出の古文書が、新興宗教団体の図書館に蔵せられているのを吉田兼倶が生きていたらどう思うだろうか。

 

 

 □ 野宮家 NOMIYA
 家格は羽林家。有職故実の専門家として知られた。その関係の蔵書の充実は、養子として入った定基(Nomiya Sadamoto 1669-1711)が実家の中院家をはじめとする他家の蔵書を借り出して書写したことから始まる。その中院家は摂家との家礼関係を結ばずやって行けるほど自らの家記を保持していた。
 野宮家は大納言まで邁む可能性のある家格だが、江戸期の公家の貧しさは従来語り草で、この家も家禄は150石程度、赤穂四十七士とさほど変わりがない。にもかかわらず、定基は新井白石から諮問を受けたり、水戸徳川の依頼で儀礼書の校訂もしている。当時の「有職四天王」の一人にも称された。彼の時点での目録「松堂諸記目録」には760冊あり、他の名家の家記など「秘抄」とされるものに富んでいたという。
 子孫は遺訓を守り蔵書の拡充に努め、歴代当主がこれを活用する学識も維持していった事が有職故実の面での同家の声望につながった。

 


 

久邇宮家
三条西家
卜部吉田家
冷泉家(上冷泉家下冷泉家)
醍醐家
飛鳥井家
久我家
水谷川家

前田家
桑名松平家
伊達家
細川分家
吉川家


益田家
鴻池家
三井家
大島家
福井菊三郎家
上野家
保坂家  

黒川家
京都福井家
高木文庫
石井積翠軒

石山寺
青蓮院

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  1. 総目次 2019/5/9更新 – 蔵書家たちの黄昏
  2. [116] Twilight of the Book Collectors – 蔵書家たちの黄昏
  3. [13] 鏡像フーガ8 昭和期の蔵書家 (1970年頃まで) – 蔵書家たちの黄昏
  4. 総目次  11/25更新 – 蔵書家たちの黄昏
  5. [210] イスラムの蔵書家たち バグダッド – 蔵書家たちの黄昏
  6. [101] 現代日本の蔵書家たち 本棚はいくつありますか? – 蔵書家たちの黄昏
  7. [103] 現代日本の蔵書家たち1 一万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  8. [105] 現代日本の蔵書家3 三万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  9. [109] 現代日本の蔵書家7 七万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  10. [111] 現代日本の蔵書家9 九万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  11. [122] 現代欧米の蔵書家たち 100000越え.150000越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  12. [123] 現代欧米の蔵書家たち 300000越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  13. [124]  現代欧米の蔵書家たち エピローグ1 – 蔵書家たちの黄昏
  14. [125] 現代欧米の蔵書家たち エピローグ2 – 蔵書家たちの黄昏
  15. [299] 漫画の蔵書家たち2 – 蔵書家たちの黄昏
  16. [300] 主題回帰 反町茂雄によるテーマ – 蔵書家たちの黄昏
  17. [5] 反町茂雄によるテーマ その4  – 蔵書家たちの黄昏
  18. [213] イスラムの蔵書家たち 十字軍以降 – 蔵書家たちの黄昏
  19. [201] 古代の蔵書家 オリエント – 蔵書家たちの黄昏
  20. [202] 古代の蔵書家 ギリシア – 蔵書家たちの黄昏
  21. [203] 古代の蔵書家 ヘレニズム – 蔵書家たちの黄昏
  22. [204] 古代の蔵書家 ローマ – 蔵書家たちの黄昏
  23. [206] 中世の蔵書家たち 9, 10c – 蔵書家たちの黄昏
  24. [7] 鏡像フーガ2 蒐集のはじめ – 蔵書家たちの黄昏
  25. [115] 現代日本の蔵書家∞ エピローグ – 蔵書家たちの黄昏
  26. Bibliophile Interview  Gabriel Naudé 後編 – 蔵書家たちの黄昏
  27. [104] 現代日本の蔵書家たち2 二万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  28. [211] イスラムの蔵書家たち カイロ – 蔵書家たちの黄昏
  29. [212] イスラムの蔵書家たち コルドバ – 蔵書家たちの黄昏
  30. Grolier, De Thou, Mazarin, Colbert – 蔵書家たちの黄昏
  31. [208]中世の蔵書家たち 13,14c – 蔵書家たちの黄昏
  32. [120] 現代欧米の蔵書家たち 30000クラス,40000クラス,50000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
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