「蔵書家たちの黄昏 ロシア篇」です。
農奴制が19世紀まで残っていたロシアでは、集書の点でも機関蔵書・個人蔵書の両面で遅れがあり、西欧が15世紀後半から急速に規模を拡大するのに比べ、ロシアにおけるそれは18世紀初頭のピョートルの治世前後からになります。ただ2,300年のブランクはあるものの、この間の急速な拡大はじっさい西欧のそれに勝るとも劣りません。
「『ピョートル大帝蔵書』とロシアの書籍文化」 (岩田行雄著)というネットでも閲覧できる好論文があり、17、8世紀の記述はほぼ全面的にこれに従っています。20年ほど前のものですが至れり尽くせりの内容で、それまで自分で書き貯めていた情報の多くがあり、新たに調べるにしても付け加えるべきものはたいして見当たりませんでした。
ではその前に、中世末期から15世紀までのロシアの状況から語り起こしてみましょう。
11世紀から17世紀の間のロシアで、現在まで残っている写本はおよそ75000冊だと言われています。
個人・機関ともに量や内容などはっきりした記録は殆どなく、ここではエヴゲーニー・イワノビッチ・シャムーリンによる記述から11世紀のヤロスラフ賢公の時代における機関蔵書と王族の蔵書の例を挙げておきます。
◆ ソフィア寺院(Собо́р Свято́й Софи́и St. Sophia, Novgorod)
有名なイスタンブールのものではなくて、ノヴゴロドにヤロスラフ一世の息子ウラジミールが建てた方である。E・ゴルビンスキーはこの寺院の図書館はヤロスラフ公の時代に500冊を越えていたと推測している。
ヤロスラフ公の二人の息子たち
◇ スヴャストラスはチェルニゴフに王宮図書館を持っていた。
◇ フセヴォロトは五カ国語に堪能で本を常に携行していたと言われる
◆ キリルのベレゾフスキー修道院
上三つは11世紀だが、ずっと時代を下った15世紀末にこの修道院には212冊あったという記録が残る。