蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

まだ読めない本 Ⅰ

あそびのページ まだ読めない本 Ⅰ

 

 

★関谷「日本は翻訳王国です。西欧からは一番遠く離れた国なのに、なぜかたくさんの本が翻訳されています。そこで今年の年末は、『まだ読めない本』と題して、いまだ翻訳されていない名著を語ってみましょう」

☆梅本「たしかに、マビヨンの『古文書学論』が現代語になってる国なんて世界中で日本だけだそうですよ。あれはフランス語訳さえ存在しません」

★関谷「魯迅の蔵書は日本語の本が四分の一を占めてたらしい。しかし肝心の日本文学の本は百余点で、大半は西欧やロシアに関する日本語書物だった。翻訳王国だった日本を通して魯迅は欧米文化を摂取してたんだな。日本という国の知的隆盛の秘密もこの翻訳文化にありそうだ。」

☆梅本「私思ったんですけど、今回の企画はここの管理人にピッタリなんです。もともとここの管理人は大した量の本を持っていません。にもかからず、こんなブログ作ってずうずうしく歴史的な大蔵書家を語ってる。」

★関谷「どう見たって役不足なんだけど、他にやる人がいないからな」
☆梅本「でもこの企画に限ってはちょうど良い人選かも知れません。なぜかというと、何万冊も蔵書のある人がもしこういうテーマで話し出すと、誰も知らない珍籍・希書の話題ですぐ埋め尽くされて収拾がつかなくなります。読んでる人が皆目わからない名前ばかりが出てきて煙に巻かれてしまいます。
    その分野では誰でも知ってるようなオーソドックスな定番中の定番の本なのに、なぜか日本語には翻訳されてない本を挙げてゆく分には、基本的にそういう人は不向きなんですよ。そこへ行くと、ここの管理人は余計な事をあまり知らないだけに、定番の名著しか挙げる事ができない。かと言って、今さっき生まれたばかりのチンパンジーの赤ん坊みたいに何も知らないわけでもないので、大雑把な事だけはなんとか算段がつきます」

★関谷「つまり1ページに収めるには、本当にオーソドックスな定番の名著だけに限らねばならないというわけだな」

☆梅本「ええ、本当のマニアに付き合うとキリがありません。訳されてない本なんて膨大ですからね。」

★関谷「ところで三年目に入ろうというのに西欧近世篇はまた未完成か」
☆梅本「管理人の言うには、電磁波で書くのを妨害されてるとの事です。この一年殆ど更新ができてないのは要はそういうことでしょう」 
★関谷「たしかもう三年もテント生活だったよな」
☆梅本「では今から始めます。半年ぶりの更新です。」

 

 

★関谷「まずメビウスの最高傑作と言われる『密封されたガレージ』がいまだに日本で訳されてないのが謎なんだよな。」
☆梅本「いきなり、マンガですか?」 
★関谷「マンガとかそういう事は重要じゃないと思うんだよ。」
☆梅本「いきなり、マンガですか?」

★関谷「これ中国では訳されてるんだよ! なのにメビウスの邦訳が多い日本で肝心のガレージがなぜ訳されないのか?」
☆梅本「中国語に訳されてるからどうだとか、そういう話は・・・」
★関谷「いや、なぜ中国人が読めて我々日本人が読めないのか・・・」

☆梅本「要は出版界に体力があるからでしょう。日本の十倍翻訳者がいて日本の十倍読む人もいるんだから」
★関谷「しかし翻訳王国としての日本の地位が中国に奪われるのをみすみす黙って・・・」
☆梅本「そういう話はよそでやってください」
★関谷「『密封されたガレージ』は今の日本に絶対必要だ!」

☆梅本「ここの管理人は中国語バージョンを持ってるんだけど、案外あっさりしてるって」 
★関谷「あっさりしてる?」
☆梅本「アンカルとかは、メビウスが影響を与えた大友なんかの日本漫画の技巧の影響を逆に受けてるから、日本人にも読みやすいですね。でもこれは70年代の作品なので今読むとかなりシンプルです。逆にこういうシンプルな構図こそがメビウスの真髄なのかもしれないです。日本で訳されないのは、あちらで最高傑作と言われてるのに日本人が実際読んでみたらガッカリする事を警戒してるのかもしれないですね。でもバンドデシネでオールタイムのベストテンをやると必ず候補に挙がる作品なので一応チェックしときましょう」

★関谷「日本のマンガでそういうオールタイムのベストテンをやると、『火の鳥』とか『あしたのジョー』が首位を争うだろう。フランスでは?」
☆梅本「前にフランスの新聞でノンフィクションもフィクションも併せて20世紀の名著100冊を選ぶ企画があって、その時バンドデシネでそこに入ってたのは『アステリスク』と『コルトマルテーゼ 死海のバラード』の二冊でした。アステリスクはフランスの『ササエさん』みたいなものだから、これはちょっと別に置いた方がいいかもしれないけど、コルトマルテーゼは明らかにオールタイムのベストテンで首位を狙うマンガの一つですよね。」
★関谷「じゃあ『コルトマルテーゼ 死海のバラード』も追加だな? あとそういうベストテンに入りそうな重要作って・・・」
☆梅本「『闇の国々』もそんな位置づけですけどこちらは十年ぐらい前に訳されました」 
★関谷「アメコミなら、こういうのでベストを争う作品っていえば『ウォッチメン』とか『ダークナイト・リターンズ』だが・・・」
☆梅本「どちらも訳されてます。もうマンガの話はやめましょう。このコーナーは1ページに収める予定なんだから。
    そろそろ本番に移りましょう。」

 

★関谷「では気を取り直して・・・ 歴史から始めることにします・・・ 
    まずランケの二大傑作である『ローマ教皇史』と『宗教改革期におけるドイツ史』。後者は中公の『世界の名著』シリーズで一部分だけ訳されてる。」
☆梅本「『ローマ教皇史』の方も戦前に『羅馬法皇史』という表題で訳されてます。これも完訳ではないでしょうが・・・」 
★関谷「ランケって言ったら、歴史学者の中では物理におけるニュートンやアインシュタインに相当する超大物でしょ? その代表作が訳されてないのは、いくらなんでもキツイのではないか?」
☆梅本「日本はランケの翻訳って結構多いんです。昔は選集も出てたことがあるし。ただこの二著はかなりの大著なので完訳が出なかったんでしょうね」
★関谷「この二つは古典的作品だから学問水準がさらに進んでる今の時点で読んでも参考になると思うんだ。」
☆梅本「まあ逆に言うと19世紀前半の本を訳して誰が読むか、ですよね。二百年も前の」

★関谷「モムゼンだって最近訳されたじゃないか?」
☆梅本「確かに古代史の分野では、平成になってから昔の碩学・泰斗の大作がいくつも訳されてますね。モムゼンの『ローマ史』全四巻に、ロストフツェフ『ローマ帝国社会経済史』二巻、ロナルド・サイム『ローマ革命』、オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』」 
★関谷「従来日本では名のみ知られていた古代史学の巨人たちの著作が次々に訳されて全貌を現したのには驚いた。古代史ではこのクラスの大物の翻訳って、それまではマティアス・ゲルツァーの『シーザー伝』があったぐらいじゃないか」
☆梅本「でもオストロゴルスキーの『ビザンツ帝国史』なんて部数が異常に少ないですよ。これは200部しか刷られなかったらしいんです。」
★関谷「その部数なら各地の図書館が買って専門家が買ったら売り切れじゃないか?」
☆梅本「ええ 確か定価は一万五千円か、ニ万円ぐらいだったと思うけど、ここの管理人も当時『すぐに要る本じゃないし五千円ぐらいになったら手を出そうかな』なんて虫のいい事を考えてたんです。一応図書館で借りて大急ぎで斜め読みして簡単なレジュメを取ってたらしいんですが。

    それが今アマゾンマーケットプレイスを覗いたら17万円になってました。こうなるともうお手上げですね」
★関谷「本が安い時代に、最近出た本でもそんな値のつく例があるんだね」
☆梅本「これは部数を制限しすぎた特殊なケースです。ランケの話に戻ると、まあ大物の代表作なので『ローマ教皇史』は一応入れときましょう」 
★関谷「ロストフツェフにはもうひとつ『ローマ帝国社会経済史』と並ぶ『ヘレニズム社会経済史』という大作があってこれも頼む。それとあと一人、オーストリアのオスマン史の泰斗のプルグシュタールの『オスマン帝国史』。長大な大著だが・・・」
☆梅本「この分野では知らぬ者のない伝説的な名著ですね。でも浩瀚すぎて実際に訳すところが現れるとは思いませんがね、まあ一応入れときましょう。
    とにかく古代史、特にローマ関係は近年だいぶ改善されました。カルコピノとかジルベール・ダグロンとか心残りな名前も残ってますが、古代史はこれで閉めましょう」

 

★関谷「じゃあ次は中世史だな。中世史の専門家で翻訳のない大物といえば、誰がいるだろう?」
☆梅本「法制史だったら、メイトランドは昔から多く訳されてるけど、スタッブスはありません」
★関谷「ドイツの法制史家なら、ミスター通説と言われたハインリヒ・ブルンナーもなかったよね?」
☆梅本「Hブルンナーは、どこかの大学の紀要に無記名有価証券の起源に関する論文の試訳が載ってました。まあ著作のはありませんね。 
    中世史で他に心残りといえば、ポーウィックあたりでしょうか?」

 

★関谷「今度は近世史。」
☆梅本「近世史であれば、まずアクトン卿。」
★関谷「でもアクトンは論文ばかりで計画的に執筆した著書がないだろう」
☆梅本「だから講談社学術文庫で『アクトン史論集』とかどうでしょう?」
★関谷「何も出版社まで決めなくても・・・」
☆梅本「アナール学派ではライバルのブローデルがあれほど訳されてるのにエルネスト・ラブルースのものはありません。
    また近世スペイン史だったらマルセル・バタイヨンとか、ジョン・H・エリオットが・・・」
★関谷「エリオットの翻訳はいくつもあったはずだが・・・」
☆梅本「彼の畢生の大著であるカタルーニャ研究やオリバーレスの伝記がないんですよ。せめてオリバーレス関係のエッセンスを、ってことで『リシュリューとオリバーレス』って短い本が訳されてますが。」
★関谷「長い本は訳しにくいからこういうやり方をよくやるよね。」
☆梅本「あとラテンアメリカ法制史という事で必ずしも一般性のあるジャンルかどうかわかりませんが、この分野にはシルヴィオ・サバラという巨人がいることをお忘れなく」

 

★関谷「アッシリア学やエジプト学では?」
☆梅本「無難に大御所から挙げるんなら、前者ではファルケンシュタイン、後者ではレプシウスあたりになるんでしょうか?」
★関谷「さすがにレプシウスは・・・ もうちょっと最近でいないの?」
☆梅本「それならジャン・ルクランとか・・・ これも結構昔の人かもしれませんが・・・」

★関谷「セム系の文献学では、何と言ってもネルデケの著作が訳されてないのが一番致命的だな」
☆梅本「う~ん。人類の歴史上で一番どす黒いところなんで私もあの辺は興味がありますが、果たして今ネルデケを訳してみて、みんなが読むかどうか」
★関谷「オストロゴルスキーの例でもわかる通り、出版社が『これは無理だろう』と思ってても、知ってる人は知ってるんだよ」

☆梅本「それより文献学なら中世フランス文学のガストン・パリスあたりはどうでしょう」 
★関谷「これはちょっと専門的すぎるんじゃないかな。訳しにくいでしょ?」
☆梅本「メネンデス・ビダルの中世スペイン語に関する概説書は訳されてますよ。そういえばビダルの先生のメネンデス・ペラーヨも翻訳はなかったですね」
★関谷「じゃあ、ネルデケもガストン・パリスもメネンデス・ペラーヨも採ってください」
☆梅本「中世フランス文学の巨魁ガストン・パリスの名前が出てきたら、やっぱり中世ドイツ文学の大御所グスタフ・レーテも必要ではないでしょうか?」 
★関谷「じゃあそれも採ってください。いまどきネルデケだのガストンパリスだの言ってるサイトはここだけだと思うが」

 

☆梅本「思想史・宗教史の方面へも目をやりましょう。」

★関谷「それならミトラ学のフランツ・キュモンの畢生の大著『Texts and Illustrated Monuments Relating to the Mysteries of Mithra 』なんかどうだろう?」
☆梅本「一応日本でも、序説の結論部分だけを抜き出して『ミトラの密犠』と題して訳してますね。この形は向こうの普及版を踏襲したもののようです」

★関谷「キュモンの弟子のフェステュジエール神父のヘルメス思想の研究は?」
☆梅本「これは妥当なところですね。採っておきます。」

★関谷「仏教学のエティエンヌ・ラモットは?」
☆梅本「ラモットはないと思ってたんですけど、『ラモットの維摩経入門』って訳書が2015年に出てました。」

★関谷「じゃあ後は、ハンス・リューダース。」
☆梅本「ドイツのインド学者ですね。パウル・ティーメの先生だった人」 
★関谷「パウル・ティーメの翻訳本も見かけないね」
☆梅本「他はヴェーダ学ならオランダのウィレム・カーラントあたりが無いのがつらいところですね。 

    ただ概して言える事として、インド学・仏教学よりもイスラム思想の方が日本では重要著作の翻訳が少ないんです。亡くなった井筒先生が激賞してたマシニョンこそ、今の日本で一番求められているんだと思います。ハッラージュの著作を校訂して出版したものとか・・・」
★関谷「マシニョンの翻訳がないのは不思議だね。なぜ井筒俊彦自身が訳さなかったんだろう? マシニョンのライバルだったレジナルド・ニコルソンの翻訳はいくつか出てるでしょ? イスラムは日本で受けないのかな」
☆梅本「そもそもハッラージュ自体が日本では訳されてませんしね。ルイ・マシニョンも一応入れておく事にします。
    次、魔術研究ではバイブル的存在のリン・ソーンダイク『魔術と経験科学の歴史』です。この本もあちこちで言の葉に上ってる本ですが、やっぱり量が多すぎるのかも?」
★関谷「名高い名著なのはわかるけど・・・」

 

☆梅本「西洋の法律学では、基礎中の基礎と言えるものが訳されてませんね。ローマ法では、まず『ローマ法大全』に、バルトルスによる膨大なその『注釈』、及びイルネリウス学派による『標準注釈』。カノン法ではグラティアヌスの『教令集』。ここらへんは必須でしょう。」
★関谷「どうせ訳せないだろうと思って、もう好き放題言ってないか?」
☆梅本「いやまさにそういうコーナーだから。ここは」
★関谷「もうちょっと現実味のある話をしてください。まだ国際法の標準的教科書とされているケンブリッジの『オッペンハイム国際法』とかの方がリアリティがある。あと、憲法学ならイギリスのダイシーは翻訳が多いのにフランスのエルマンはないな」
☆梅本「そういえば最近ヘルムート・コーイングの『法解釈学入門』が訳されてました。この人、今まで法史の本ばかり訳されてたからめっけものです。」

☆梅本「次は文学研究・文芸批評の方面に移ります。
    モーリス・バウラ卿の『英雄詩』。これは極めつけです。代表作の一つなんですけど未訳です。
★関谷「モーリス・バウラは象徴詩やロマン主義の詩を論じた三部作がかなり評価が高い人だけど、最近は話題にならないね。」
☆梅本「同じように偉い文芸評論家であっても、クルティウスやマリオ・プラーツみたいに何かに耽溺してるような人には、彼らに似たタイプの人が自分と同じ匂いを嗅ぎつけて来て人気が出るんですけど、こういう学問的骨格のしっかりしてる本格的な学者は昔から受けないです」 
★関谷「バウラとあとは・・・」
☆梅本「うんと古い本だけど、未だ訳されてない大物も一つあげてみます。テーヌの『英文学史』」 
★関谷「部分的には訳されてるはずだが?」 
☆梅本「かなり大著なので完訳はむずかしいんでしょうね。19世紀ではテーヌに並ぶ批評家のサント・ブーヴは『日曜閑談』はあるけど『ポールロワイヤル』がないのでそれも欲しいです・・・」

 

    えーと、ずっと学術書ばかり続いてるんで・・・ 関谷さん、小説で何かありませんか?」

 

★関谷「シモンだな」
☆梅本「シモン?」
★関谷「クロード・シモンだ」
☆梅本「ああ、フランスの」 

★関谷「俺にとって小説は、一にシモンで、二にシモン、三四がなくて五にシモンだ。」
☆梅本「そんなにシモンがお好きなんですか」
★関谷「ああ、シモンを読んでからは他の小説家はもう読む気がしない。大和小で漂流してた時、俺が怪虫に襲われて一時的に幼児に退行していた時期があったろ?」
☆梅本「ええ。でも途中からは正気に戻ってたんですよね?」 
★関谷「ああ、正気に戻ってからは小学校の図書室でずっとシモンを読んでたんだ。『フランドルの道』『ル・パラス』『ファルサロスの戦い』『三枚つづきの絵』『アカシア』・・・ みんなあそこで読んだもんだ」
☆梅本「たしか、ユウちゃんの三輪車に乗っていらした頃・・・ですよね?」

★関谷「ところがシモンも最高傑作の呼び声が高い『植物園』がいまだ翻訳されていない」
☆梅本「これ誰かが専門誌で試訳してませんでしたか? いずれ訳されると思いますけど、まあ重要作なのでとりあえずそれも入れときましょう。
    しかし最近は、おそらく日本語訳が出ることはないだろうと思ってたようなのがよく訳されてますね。フォード・マドックス・フォードの『パレードの終わり』とか」
★関谷「でも翻訳されても訳が拙くて、訳し直してほしいと思えるものも多いよね。かなり以前の翻訳だけど、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』は昔から評判が悪い。」
☆梅本「あれ文章が生硬なんですよね。マルケスの幻想豊かな世界観があまり感じられません」
★関谷「使う言葉も古いんだ。『小町娘のレメディオス』とか・・・ 今どき小町娘なんて言わないだろ?」
☆梅本「訳語の選択って・・・時代を如実に反映しますね。坪内逍遥のシェイクスピアなんて『拙者は』『それがしが』『~でござる』って武家言葉を使ってる」
★関谷「明治時代の坪井九馬三の西洋史の講義ではブルジョワを『旦那衆』と訳してたらしい」

★関谷「まあろくすっぽ原語もわからない我々が翻訳に関してあれこれダメ出しするのはやめましょう」
☆梅本「ヘルダーリンの訳したピンダロスなんてドイツじゃ凄い評価だけど、どちらの言葉も知らない私どもには全く縁遠い話題です」
★関谷「せいぜい源氏物語を原文と谷崎訳、円地訳で比較するぐらいか。英語が自在に読める人なら、Aウェイレーの英訳版も名訳の誉れ高い。正宗白鳥なんかウェイレーの英訳で読んで初めて源氏の価値が分かったそうだ」
☆梅本「あれには橋本治による桃尻訳なんてのもありましたね。そういう翻訳そのものを鑑賞するって事になると、結構ユニークな試みも多いです。」
★関谷「ユニークな試みといえば、岩波文庫のアエネイスはすごい凝りようだ。あの長大な叙事詩を全部七五調で訳してある」

 

☆梅本「文学ではあと他に?」
★関谷「戯曲なら、ピランデルロの『山の巨人』。」
☆梅本「ピランデルロ晩年の最重要作ですよね」
★関谷「『ピランデルロ戯曲集』には入っていないし、検索しても単発では出てないみたいだから多分訳されてないんだろ。」
☆梅本「でもこれ昔からYoutubeでストレーレル演出の舞台映像が観れるんです。良くも悪くもネットが出版を追い越しちゃったという・・・
    あと詩では何か?」

 

★関谷「やっぱりユージニオ・モンターレでしょう。短い詩ならあちこちに訳されてるみたいだけど、詩集というまとまった形では出てない。」
☆梅本「イタリア詩の場合、古典的作品に目をやっても、アリオストの『オルランド』は完訳で出たけど、タッソーの『エルサレムの解放』は未だ抄訳しかないというような体たらくです。」
★関谷「まあ詩を訳してどうするんだ?という意見もあるだろうが、ここの管理人みたいにサンジョンペルスもパウルツェランもみんな翻訳で読んで、それで読んでるつもりになってる人間もいるしな」
☆梅本「それはかなりの禁句ですよ。
    そうですね。とにかくモンターレは20世紀後半では最高の詩人のひとりに数えられる人ですから・・・採らないわけにはいかないかも」 

 

☆梅本「つぎは、伝記の類にうつります」
★関谷「これはむしろ最高水準の研究書といった方が適当なのかも知れないが・・・ スルビクの『メッテルニヒ』、あるいはPヴィラッリの『マキアヴェリとその時代』なんかがまず候補に上るだろう。」
☆梅本「スルビクはナチス党員だったのでこういう人はなかなか訳されにくいです。
    ところで、伝記というよりも、これは本人の遺文を編集したものなんですが、カーライル編纂の『クロムウェルの書簡と演説集』は昔から有名ですね。」
★関谷「19世紀後半の英国では一世を風靡した本だ」
☆梅本「それともう一つ、ここは個人蔵書専門のサイトなので是非言っておかなければなりませんが、ホレス・ウォルポールの手紙なんかはいかがでしょうか? 
    この人日本では幻想小説が一つか二つ訳されてる程度だけど、現在の英米圏ではむしろ大量の手紙の方が重視されてるんです。ウィルマース・ルイスっていう高名な蔵書家が彼の残した手紙を大量に収集して、注釈付きで出版して向こうでは非常に高く評価されました。この書簡集は48巻にも上るので全訳は無理だろうけど、せめてエッセンスを一冊にまとめて・・・」

 

★関谷「そういうことなら今度は、著名人の自伝・回顧録へ移りましょうか」
☆梅本「昔からあちらでは大変有名な本ですが・・・ビスマルクの『自伝』。これが未だに訳されない」
★関谷「全然畑違いのウィトゲンシュタインも読んで感銘を受けたという・・・」
☆梅本「ビスマルクは19世紀後半の欧州外交史の要の人ですよね」

★関谷「外交官の回顧録では一番有名なのはシャトーブリアンの回顧録『墓の彼方からの追想』だろう。これは日本語になってるの?」
☆梅本「ほんの一部だけね」 
★関谷「ビスマルクもシャトーブリアンもこのジャンルでは代表的な作品だけど量が多すぎて二の足を踏んじゃうという事か」」
☆梅本「フランスではサン・シモン伯の回顧録も大変有名ですがこれも未訳・・・」
★関谷「まあどれも19世紀の名著だから、いまさらって気がするが」
☆梅本「そうはいっても平成になってから『ピープス氏の日記』が訳されました。私はまさかあれが全訳されるとは思いませんでしたよ」

 

★関谷「ではもう少し現代に近い本で・・・」
☆梅本「まず筆頭はクラーク・クリフォードの『回顧録』です」 
★関谷「20世紀最大のロビイストだな」
☆梅本「ええ、かつてワシントンでものすごい影響力を持ってた人です。管理人はいつ訳されるのかいつ訳されるのかと待ち望んでましたが、とうとう訳されませんでした」
★関谷「Aドブルイニンにも回顧録はあったね」
☆梅本「そう、この辺が弱いんです。この辺が訳されないとあちらの事情が今ひとつわからない隔靴掻痒の感があります。他に、ブトロス・ガリの『エルサレムへの道』も向こうでかなり評判になってたのに日本では訳されませんでした。」 
★関谷「最近名著の誉れ高いスティムソンの回顧録の翻訳が出たようだけど?」
☆梅本「実質的にはマクジョージ・バンディが書いていたというやつでしょう? 道理で本人が書く以上に完成度が高いわけです」
★関谷「でも外交官の回顧録なんて読んでガッカリする事が多いよ」
☆梅本「国家の守秘義務があるので本当の事が言えないから」
★関谷「確かにグロムイコや松永信雄の回顧録は気味悪いほど面白くない」
☆梅本「一般向けに書いた著作よりも、プロ向けの外交文書の方が重要で面白いものが多いんですよ、外交官は。
    例えば、ダフ・クーパーが『タレイラン評伝』で激賞してたものに、19世紀の前半にフランスの外相を務めていたタレイランが外務省職員に対して発令した訓令があります。ここで行われたオーストリアの国制の分析は非常に見事なものだったって。
    またキッシンジャーが彼の主著『外交』で褒めてたイギリスの外務次官エーア・クロウ卿による第一次世界大戦前夜のドイツの意図に対する分析。こういうのも外交文書だからって別枠にせずに、学術系の文庫かなにかでちゃんと訳せばいいと思うんですが」

★関谷「それは古典的な著作とはいえませんね」
☆梅本「歴史を左右した重要文書ですよ」
★関谷「しかしそんなものまで・・・」

☆梅本「この種のもので一番重要なものといえば、やはり冷戦の企画・策定にかかわったとされる戦後アメリカの三大文書でしょう。
    ジョージ・ケナンの『長文電報』、クラーク・クリフォードの『クリフォードメモランダム』、ポール・ニッツの『NSC68号文書』・・・・ このあたりを文庫か何かにまとめて概説をつけて中高生でも読める状態にして置いてくれなければ日本の未来は明るくありません。
★関谷「ケナンは長文電報を敷衍したX論文(ソヴェトの行動の源泉)を岩波現代文庫で読む事ができるが・・・ さすがにそういうのは今回の企画では不要だと思う。」
☆梅本「生半可な名著よりもはるかに歴史を大きく動かした文書ですよ!」
★関谷「認めません。
    タレイランの訓令書以下に挙げられたものは、私の職権で却下します」

☆梅本「アメリカの外交政策に影響のあった文書といえば、冷戦の中期頃に書かれたアルバート・ウォルシュテッターの戦略分析に関する論文も軍備管理を抜本的に修正したとして冷戦初期のケナンらの文書に匹敵する評価を与えられていて・・・」
★関谷「まだぐずぐず言ってるな・・・」」
☆梅本「じゃああと一つ、これだけは入れさせてください。ハリー・ヒンズリーの『第二次世界大戦におけるイギリスのインテリジェンス』。」
★関谷「ああそれなら。諜報史ではまさにバイブル的な著作だからね」
☆梅本「これも六巻と分量がかなりあるので訳すのはそれなりに難しいでしょう」 

★関谷「諜報といえば、マルクス・ヴォルフの回顧録が訳されなかったのが残念だ」
☆梅本「誰ですかそれ」
★関谷「東ドイツの情報機関の長官を何十年もやった諜報の世界の超大物だ。冷戦中は『顔のない男』といわれ謎の存在だったが、統一後に正体を現して本を書き始めた。俺は西ドイツのBNDトップのラインハルト・ゲーレンの回顧録も持ってるから、それといろいろ読み比べしたいんだよ。」
☆梅本「ようは読み比べマニアですか」
★関谷「ほかに、MI6の歴代長官中で最高と言われたモーリス・オールドフィールド卿の伝記があって、ある意味こちらの翻訳のほうが欲しいかも」
☆梅本「ああ これルカレの小説に出てくるスマイリーのモデルだった人ですね」
★関谷「そのスマイリーの敵役だった『KGBのカーラ』のモデルが、マルクス・ヴォルフなんだよ」

 

☆梅本「ところで・・・また却下されるかもしれませんが個人的にちょっと拘ってるものに・・・ マリア被昇天の教義に関するピウス12世の回勅があります。」
★関谷「フェリーニの映画で何度かオブジェに使われてる教皇だね」
☆梅本「20世紀のローマ教皇の中では最も天才的な頭脳を持っていた人だとされています。例えば、第二バチカン公会議は一般的には次代のヨハネス23世の業績だとされていますが、実際に公会議の公文書全集の索引をみるとピウス12世の著述の引用回数は聖書に次いで第2位、アウグスティヌスや聖トマスより多いんです。20世紀のカトリックの様々な改革には影に日なたに影響力を与えていた人です。
    特に戦後この回勅が出された時あまりにも教皇の真意が謎過ぎて旧教側も新教側も全く沈黙していました。ただ一人その意味を理解したのが心理学者のユングだったんです。昔ユングの『ヨブへの答え』を読んだ時、この回勅にひそむキリスト教のおぞましい部分に関してユングが・・・」
★関谷「却下です」
☆梅本「これは教皇が最後に無謬権を行使した歴史的な文書であり・・・」
★関谷「司会の職権を行使します。却下です。
    教皇連中の回勅ならサンパウロ社がいろいろ訳してるじゃないか? そこに無かったら諦めな。 ここではもっと一般性のある著作を挙げてください」 

 

☆梅本「それじゃ関谷さんは文書類で、ぜひこれを!っていうようなのはないんですか?」

★関谷「やはり1933年版の『作戦指揮』だろうな」
☆梅本「何ですかそれは」

★関谷「ドイツ版の『統帥綱領』だよ」
☆梅本「ああ 軍隊の戦闘マニュアルみたいなやつ・・・」

★関谷「昭和三年の日本の『統帥綱領』はことに傑作の誉れが高かった。こういう軍の基本作戦の参考書はどこの軍隊でも極秘だからな、原則持ち出し禁止な上に、原本はもうどこにもない。現在出版されてるのは、旧帝国陸軍の軍人たちが暗記してたのを集成して復活させたんだよ。」
☆梅本「ああそうですか」

★関谷「旧日本陸軍における最高の頭脳が、代々改訂していって完成度を高めたんだよ。荒木貞夫とか鈴木率道の英知が詰まってる」
☆梅本「ああそうですか」

★関谷「もとは19世紀にモルトケっていう偉大な元帥が『高級指揮官に与える訓令』という文書で軍の基本的な運用方法を定めたんだが、これが何十年にもわたってドイツ陸軍内部で改訂され続けてきた。ラーメン屋が何十年もスープを継ぎ足し継ぎ足し使っていくようにだな」
☆梅本「ああそうですか」

★関谷「それを大正時代にドイツへ留学した日本の軍人が書き写して持ち帰り、日本でも以後それを受け継いでいった。これが大正三年の『統帥綱領』でいわば軍の作戦上の最高機密だ」
☆梅本「ああそうですか」

★関谷「これは大正七年、大正十年と改訂されて行って、さっき言ったようにとりわけ昭和三年の版は当時のエリート軍人たちが心血を注ぎこんだ傑作として誉れが高い」
☆梅本「ああそうですか」

★関谷「しかし、これと並行して本場ドイツでもこの軍隊の基本命令は受け継がれていて、ヒトラーが政権をとった1933年に改訂された『作戦指揮』で頂点に達する」
☆梅本「ああそうですか」

★関谷「まあどこの軍隊でも似たようなものは持ってるんだけど最高機密だから通常表には出ない。日本とドイツのが表に出てるのは両方とも負けて一度滅んだ国だからだろう」
☆梅本「ああそうですか」

★関谷「さっきから、そうですかそうですかって、ちゃんと分かってるのかな?」
☆梅本「ごめんなさい全然興味が無くて。
    たしかラーメン屋が継ぎ足していってるスープに軍人が血を注ぎ込んだからオジャンになって、昔店員をやってたヒトラーの記憶でレシピを復活させたんですよね」

 

 

 

★関谷「ここらで、もうちょっと肩の凝らない分野に移ります。料理書なんかはどうかな?」
☆梅本「ちょうど最近管理人が料理書について調べてる最中なんですけど、驚いたのは、エスコフィエ以後の重要な料理人たちの大半はその著作(主にレシピ集)が日本で翻訳されていた事なんです。 エスコフィエ「フランス料理」「フランス料理の真髄」、プロスペル・モンタニェ「ラルース料理百科事典」、フェルナン・ポワン「現代フランス料理教本 F.POINT(私の料理)」、レイモン・オリヴェ「最新フランス料理全書」、ボキューズ「フランス料理」、トロワグロ兄弟「トロワグロの家庭料理―現代フランス料理の逸品」、ゲラール「新フランス料理グルメのための美食料理」、アラン・シャペル「新フランス料理 料理ルセットを超えるもの」、エーベルラン兄弟「エーベルラン兄弟のアルザス料理」、ジラルデ「新フランス料理 素直な料理」、ロブション「ジョエル・ロブションのすべて」、ブラス「ミシェル・ブラの世界―自然と生きる料理人」、ピエール・ガニェール「新フランス料理―湧き出でるオリジナリティ」、デュカス「アラン・デュカスのナチュールレシピ」、ヤニック・アレノ「5番テーブルに四季」・・・ 

    ないのはクロード・ペローとジルベールぐらいです。ニニョンはエスコフィエの著書に裏から参加してるし・・・ 
    管理人は以上挙げた中で三つだけ持ってるんだけど、もっぱらお腹がすいたときにページをめくって眺めてるそうです。とても素人が作れるもんじゃない。でもプロなりセミプロなりレシピ再現能力が高い人ならば、まさに僥倖でしょう。再現能力が高ければの話ですがね・・・」

★関谷「こういうのは柴田書店と辻調のおかげだろうね」
☆梅本「昔の料理人にはエスコフィエを読むためだけにフランス語を独学した人もいたそうですがまさに隔世の感があります。
 
    ところが、エスコフィエ以前のものになるとほとんど翻訳がありません。ユルバン・デュボアもないし、グーフェもない。それどころか、あのカレームですらないんです。これは、昔のレシピはかなり大雑把に書かれててあまり役に立たないからではないかと思われます」
★関谷「分量の表示もグーフェあたりが最初だろう?」
☆梅本「それでもこれだけ翻訳されてるなら、アントナン・カレームやタイユヴァンぐらいは一応訳した方がいいんじゃないでしょうか」
★関谷「フランス料理は分かった。イタリア料理なんかはどうだろう?」
☆梅本「最近アルトゥージの『イタリア料理大全』が訳されました。管理人はこの本全く知らなかったんですがなんでもイタリア料理ではバイブル的存在だそうです。エスコフィエですら一目置いてたって」
★関谷「じゃあ相当古い本だな。どうせ写真もなくて使いにくいだろう。」
☆梅本「ええ、実用にするなら、戦後に出たもう一つのバイブル本『銀のスプーン』の方がいいかもしれませんね。こちらは1950年代の初版で現在まで改訂されています。」

★関谷「古い料理本は今作ってみると変な味のレシピが多いから難があるという事だな。じゃあカクテルなんかはどうかな? 20世紀初頭のパリのリッツでヘッドバーテンダーを務めていたフランク・マイヤーに『混合酒の芸術性』って未訳の名著があるが・・・」
☆梅本「やっぱりそれも同じだと思います。そのマイヤーのライバルに、同時期のロンドンサヴォイホテルでヘッドバーテンダーをやってたハリー・クラドックって人がいるんだけど、彼の編纂した『サヴォイ・カクテルブック』(1930)は現在まで改訂を重ねてきた現役の書物です。邦訳も2度されてます。しかし管理人の持ってる1965年版の訳書の時点でクラドックの手になるレシピはかなり削除されていました。もう一方の1999年版の日本語版はなおさらだと思います。」
★関谷「レシピ本の場合、余程の好事家か研究者でもないかぎり古いものを読まなくていいと」
☆梅本「ええ さっきタイユヴァンの訳書が欲しいといったのも、すでに出版されているアピシウスの日本語訳と同じ様な意味合いで言っただけです。カクテルのレシピでも実用を念頭に置けば最近のコリン・ピーター・フィールドやデイル・デグロフの本を買ったほうがいいに決まってます。」

★関谷「料理人じゃなくて食通とか料理評論家の著述では?」
☆梅本「ミシュランの初代責任者で『食通の王』とも称されたキュルノンスキーにかなり膨大な著作があってフランスでは古典的な存在らしいけど、まあ要は食いしん坊のおしゃべりだから、そこまで日本語に訳さなくていいんじゃないでしょうか?

    それより料理と多少関係のある分野ですが、コンシェルジュのバイブルと言われる『ル・アール』(LE HALL)の方が重要だと思いますね。」 
★関谷「確かこの本には日本語訳があった筈だと思うけどな?」
☆梅本「これはもともとパークハイアット東京のコンシェルジュの池田里香子さんが自分のサイトであのLE HALLを翻訳して公開するぞ、って宣伝してたんです。ところが計画が変わって本として出版することになりました。それはいいんです。でも出来上がった本を見てみると、池田さんの解説の分量が多くて本文自体は抄訳です。これでは「LE HALLを読む」ぐらいの題にした方が適切でしょう。
    原著はパリのプラザアテネホテルで伝説的なコンシェルジュだったカシオラト氏の手になるもので、何十年もこの道の人に読み続けられてきた古典的価値のあるものです。現代からみて古すぎて適当でない面もあるのは分かりますが、接客業の模範を示す名著なので完訳が望まれます。」

★関谷「今までも『全部は訳されてないけど抄訳はある』ってパターンが多かった」
☆梅本「翻訳計画が進んでる話を聞いてて、ずっと楽しみにしてたら、出来上がったものが抄訳だった時、ガッカリしますよね」
★関谷「最近の例でいうと、レム・コールハースの『S,M,L,XL』だな。コールハースが向こうで迷宮の様な凄い大冊を出版した、ってニュースが伝わって日本でも翻訳が始まってるらしいと聞いてから、はや十何年。」
☆梅本「それだけ待って、出来上がったのは薄い文庫本でしたね。『S,M,L,XL』に掲載された論説の中から要点と思われるものを選んで構成されています。原著の一番のウリだった多くの写真は大半が省かれてしまってて、画竜点睛を欠いています。 

    ところでここは蔵書家をテーマにしたブログでしょう? そんないかにもインテリ気取りの人が好みそうな建築書なんかより、著名な蔵書家たちの書いた書誌学的な考証や、本に関するエッセイにも目を向けた方がいいじゃないですか?」

★関谷「そうだな・・・
    黄丕烈の書いた跋には昔から多くの賛辞が寄せられてきた。主要なものをまとめて訳してくれるとありがたいね。」
☆梅本「私はそれはちょっと好事家向きな気がします」

★関谷「有名なブリュネやハインの目録がもし日本語へ訳されてたら、もっと洋書コレクターは増えると思うんだよ」
☆梅本「ブリュネって、例の8巻もあるやつでしょう? 日本で言えば国書総目録にあたるような。
    それに目録の話題は泥沼になりますから・・・」

★関谷「ド・トゥや、ヒューバート・ホウ・バンクロフトはその博識を駆使した大部の歴史書を残しているそうなので前から興味がある。」
☆梅本「フランス近世史やメキシコの歴史で今そんな大部なものを訳してみても・・・」

★関谷「ラクロワの衣装本なんかはどうだ?」
☆梅本「一部だけ訳されてるみたいです。ラシネのは多いんですが」

★関谷「またポルノコレクターのマーク・ローテンバーグにはヴィンテージもののエロ古写真をふんだんに載せた『The Rotenberg Collection: Forbidden Erotica』という本があってだな・・・」
☆梅本「写真がメインなら邦訳版は不要でしょう?」
★関谷「そうとも言えない。例えば写真集でもウォーカー・エヴァンズの『Let Us Now Praise Famous Men』なんかはジェームズ・エイジーの文章とのコラボ作品として評価されてるんだから」

☆梅本「蔵書家ではないけど、ゲスナーあたりはいずれ誰かがなにか訳すでしょうね。とにかく書誌学者には未訳の大物が多いんです。せめてレオポルド・ドゥリールあたりはないと翻訳王国のメンツが立ちません。
    ちなみにここの管理人は、アンリ・ジャン・マルタンが17世紀フランスの200の個人蔵書を研究した本を訳して欲しいって言ってました」
★関谷「却下だ。定番ではないとかいう以前に、こういうブログを書くぐらいしか役に立たない」

 

★関谷「次は映画の本に移りましょう。著名な映画評論家とか映画史家でまだ翻訳のない人。」
☆梅本「最近岩波文庫がアンドレ・バザンの『映画とは何か』のダイジェスト版を出してちょっと話題になりましたが・・・」
★関谷「岩波書店は映画でもアカデミック志向が強い印象なので、それがカイエ派の総帥の本を出すとはじつに意外だった」
☆梅本「フランスのカイエ派では、バザンの次の世代を代表するジャン・ドゥーシェやセルジュ・ダネイも一応は翻訳は出てるんですよね。さらにその下の世代でも、シャルル・テッソンのはないけどアラン・ベルガラはあります。
    しかし、近年のアメリカのシネフィルになると、これはもうお寒い限りです・・・ 日本の批評家の本を出すのに手一杯でアメリカの人まで目が届かないのかな」

★関谷「要するに、ジョナサン・ローゼンバウムやアンドリュー・サリスのものがないわけか」
☆梅本「サリスにはアメリカの映画批評に革命をもたらしたと言われる『アメリカ映画』という名著があって、それぐらいはさすがに必要かと」
★関谷「ビリー・ワイルダーやスタンリー・キューブリックを糞味噌に貶した伝説の本か。 
    そういうシネフィル系の人じゃなくて、『星付け屋』系の人では、大御所中の大御所のロジャー・エバートですら翻訳は無いな。」
☆梅本「むしろそういう一般的なアメリカ人に近い感性を持ってる批評家の本が見当たりませんね。反対にスタンリー・カヴェルの映画論なんかはしっかり訳されてたりするんだけど」
★関谷「しかしポーリン・ケイルの翻訳は何冊もあるじゃないか」
☆梅本「確かに彼女もシネフィル系ではありませんが、エバートのように中庸・妥当・正当性って方向を行くのではなくて、このひと非常に癖のある評論で知られた一種の『意地悪ばあさん』でしょう? だから訳す価値があると見なされたのではないでしょうか?
    他に古典的なものとしては、エイジー・オン・フィルムの1巻あたりかしら?」

★関谷「アメリカの映画批評家がこの惨状なら、イギリスはもっとだろう」
☆梅本「ディリス・パウエルやデレク・マルコム、デヴィッド・トムソンあたりはないですね。だからどうせアレクキンダー・ウォーカーもないだろうと思ってたら『ガルボ』が訳されてた。

    ところでだいぶ前に、サイト&サウンドが批評家50人の投票で映画本のベストを決めた事があります。その時の1位はデヴィッド・トムソンの『The New Biographical Dictionary of Film』でした。これ欧米では定番の映画本らしいのでやはりほしい一冊ですね。
    ちなみに2位は、ブレッソン『シネマトグラフ覚書』(筑摩書房 松浦寿輝訳)と、トリュフォー『映画術』(晶文社 山田宏一,蓮實重彦訳)、上記のアンドリュー・サリス『アメリカ映画』、の三つが同率でした。続く5位はバザンの『映画とは何か』です」
    
★関谷「日本ではこういうのやらないの?」
☆梅本「あまり聞いたことがないですね。ただ大昔の60年代初頭にキネ旬の批評家たちで一度選んだ事があって、その時は1位がサドゥールの『世界映画史』、2位ベラ・バラージュ『映画の理論』、3位セインゼンシュテイン『映画の弁証法』というイカツイ順序でした」
★関谷「冒頭の岩波の話に戻るけど、まさに岩波好みのセレクトだよな」
☆梅本「岩崎昶が仕切ってた頃のキネ旬ですから」
★関谷「映画評壇って、必ずその時期の傾向を仕切ってる評論家集団がいて『この作品は名作だと言われてるが実は糞だ。本当にすごいのはこっちの作品で』とか始終やってるだろ。
    戦前の日本では、朝日新聞の映画評を主宰してた津村秀夫が『楽天的なアメリカ映画は薄っぺらい。デュヴィヴィエやフェデーのような人生の深みを描く作品こそが真の』って方向で誘導してた。
    それが戦後になると岩崎昶なんかを中心にモンタージュ&左翼全盛の時代に変わる。そして80年代以後では蓮實重彦とその門下によるシネフィル全盛時代になってそれが今も続いてる。」
☆梅本「津村秀夫の本なんて今は誰も読んでませんね。でも実際読んで色々発見があるのはそういう人の本なんですけど。自分と似た考えの人の書いた本読んでもあまり新しいことに出会わないから。
    そういう意味で最後に一人追加です。イタリアのルイジ・キアリーニ教授。共産党系の人で60年代イタリアではヴェネチア映画祭を中止に追い込むぐらい影響力のあった評論家です。」

 

★関谷「では次、ジャーナリストでは・・・」
☆梅本「Wリップマンの翻訳は日本は昔から多いです。しかしアメリカジャーナリズム界におけるもう一人の巨人であるジェームス・レストンのものは・・・ あるにはあるんですけど内容の薄い本ばかりで」
★関谷「政治評論家の本だから、基本的にコラム集になるの?」
☆梅本「そう、生粋のブンヤさんだからリップマンみたいな思索的な著作がないんですよね。コラムのベストヒット集であれば余程大部のものにしないと、なぜこの著者が報道の世界であそこまでの名声を勝ち得たのかが読んでてもピンときません。やっぱり彼と同時代に生きて、日々その記事を読んでなければ・・・
    そこはアーサー・クロックやウィリアム・サファイアの様な他の大物連中でも同様だと思います。」
★関谷「これは批評家にも言えるよね。戦後ドイツを代表する大批評家とされてるヨアヒム・カイザー(音楽)やラニツキ(文学)も著作は訳されてはいるんだけど、彼らの営為の全貌はなかなか分からない」
☆梅本「そもそもリップマンとかレストンって日本でいうと徳富蘇峰や大宅壮一のような人でしょう? 日本人でも蘇峰や大宅はもう誰も読んでませんよ。この分野はもういいかな・・・」
★関谷「哲学に行きましょう」

 

 

☆梅本「哲学に行く前に、百科事典とか辞書のようなレファレンスブックもみていきます」
★関谷「まさか『百科全書』や『ブリタニカ百科事典』の11版を訳せ、なんて言うんじゃないだろうな」
☆梅本「事典の翻訳は厳密性が要求される上に量が多いですからね。さすがにそこまで無理は言いませんよ」 

★関谷「でも『ジョンソン博士の英語辞書』の日本語版ぐらいはあってもいいんじゃないかな? 英和辞典として使えるだろう」
☆梅本「語釈も英語で読まないと勉強にならない、っていう人が出てくると思いますが、これはひねくれ者の書いた辞書です。なので昔からひねくれ者に人気があってずっと語り継がれてきた書物だから、翻訳したらそこそこ評判になるんじゃないでしょうか?。ブルーワーの『故事成語大辞典』も訳されたことだしね。 ただこれ『オックスフォード英語大辞典』が出る前のイギリスではメインの辞書だっただけにそれなりに量はあります。
★関谷「あるって言っても、グリムのドイツ語辞典とかリトレのフランス語辞典みたいなことはない。十分可能だと思うよ」
☆梅本「やっぱりこの分野では、分量がネックですね。そこで適当なものといえば・・・ 何と言っても『ジュダイカ』でしょう」

★関谷「いきなり量的に絶対不可能じゃないか。例の30巻近い事典だろう?」
☆梅本「これ中国では訳されてるんですよ。なのにユダヤ学の最強バイブルがなぜ日本で訳されないのか?」
★関谷「中国語に訳されてるからどうだとか、そういう話は・・・」
☆梅本「いや、なぜ中国人が読めて我々日本人が読めないのか・・・」

★関谷「要は出版界に体力があるからでしょう。日本の十倍研究者がいて日本の十倍読む人もいるんだから」
☆梅本「しかし翻訳王国としての日本の地位が中国に奪われるのをみすみす黙って・・・」
★関谷「そういう話はよそでやってください」
☆梅本「『ジュダイカ』は今の日本に絶対必要なんです!」

★関谷「その調子でどんどん無理を言っててください。」
☆梅本「総合的な百科事典で一押しなのは、スペインのエスパサ百科事典です。これは100巻ぐらいあって現役の百科事典としては最大級なんだけど、日本にとっては縁遠いラテン諸国の文化を理解する上では不可欠の文献です。
    あとイスラム学なら、ブリル社の『イスラーム事典』を欲しがってる人は多いと思いますよ。岩波のじゃ、専門家の役には立たないから。
    また西洋古典学なら『ポーリーの古典古代の真の百科事典』があれば、天下無敵でしょうね。でもこれも50巻ぐらいありますが・・・
    そして日本に一番欠けているのは何といってもオリエントの知識です。オックスフォード大学出版会が近年刊行した『古代オリエントの文明』はこの辺りを総括した決定版です。これもかなりの大冊ながらまだ四巻ぐらいと・・・」

★関谷「そろそろ落ち着いて話しましょう。

とにかく今より体力のあった時分の出版界ですら、『ニューグローヴ音楽事典』を訳したぐらいが精一杯だったんだから。」
☆梅本「あれは偉業でしたね。でも事典で一巻、二巻のものとなると候補を挙げにくいですよ。最高の権威を認められた事典って、たいてい何巻も何十巻もあるから。 せめてヴィジュアルでもあれば」

★関谷「そこで、キュヴィエの『動物界』だ」
☆梅本「これは古すぎて役に立たないでしょう。ビュフォンの『博物誌』と並ぶ19世紀を代表する二大図鑑なんだけど、今からみると間違いが多過ぎて、まだアリストテレスの『動物誌』の方が正しい部分がある、とか陰口叩かれてる
★関谷「この図鑑には当時最高水準の博物画家たちが参加した膨大な図版があるんだよ。それに量が多いって言っても、四巻ぐらいだからまだ何とかなる。」
☆梅本「たしかに荒俣宏好みの一品ではありますね。昔荒俣さんがビュフォンの博物誌を訳した時『膨大な図版は全部載せました』って宣伝して、その反面ビュフォンの本文はバッサバッサ割愛した伝説が残ってます」
★関谷「あの人は図版にしか興味はないからな」
☆梅本「西洋古図鑑コレクターのある意味典型ですよね」
★関谷「しかしキュヴィエの場合当時の生物学界の最高権威であり、19世紀の大ベストセラーであるこの図鑑における彼の見解も興味深いんだ。ダーウィンが登場する前夜のあの時代は、サンティレールとかラマルクとかが出て喧々諤々の論争を繰り広げていた。」
☆梅本「内容面でも興味深いのはわかるけど、仮に訳される事があったとしてもビュフォンみたいに図版目当てになるんじゃないでしょうか? 実は『百科全書』も図版だけなら訳されてるんです。」

★関谷「他に、今すぐ役立つわけではない古典的作品としては、ビザンツ時代の『スーダ辞書』とか、ヴァンサン・ド・ボーヴェの『鑑』三部作、ツウィンガーの『人生の劇場』あたり・・・」
☆梅本「プリニウスの『博物誌』も訳されたことですしね。 とにかく『ジョンソン博士の英語辞書』やゲスナーの『万有文庫』は、大昔の役に立たない辞書・目録ではなくて、そのジャンルにおいて分水嶺的な位置にある最重要の古典だと思います」

 

 

★関谷「次はいよいよ哲学です。」

☆梅本「強いて言うと、やはりデリダの『弔鐘(グラ)』あたりでしょうか。あれだけたくさんの著作が訳されてる人なのに、思想的な転回点に位置するこの重要作の完訳がないのはどう見ても変です。
    ただ、近世以降の哲学は重要なものはほとんど訳されてしまった感がしますよ。以前はいくらも候補もありましたが、ハイデガーの『哲学への寄与論考』もネグリの『マルクスを超えるマルクス』もみんな訳されちゃいました。だから今、定番なのに未訳のものを挙げろ、と言われても難しいです。」
★関谷「そんなことはない。」

☆梅本「本当ですよ。最近はかなりマニアックな著作まで訳されてます。『物質とは瞬間的な意識である』という名言のあるライプニッツの『自然学の新仮説』ですけど、私はこんな初期著作は日本語では永遠に読めないだろうなと思ってたんです。そしたら新しく出たライプニッツ著作集にちゃんと入ってます。こんなのまで訳されてるぐらいだから後はもう何もないですよ」
★関谷「そんなことはない。」

☆梅本「それどころか、メジャーなものになったら、何種類も訳が出てます。ヘーゲルの『精神現象学』は五種、ハイデガーの『存在と時間』はなんと九種でベルクソンの『物質と記憶』も確かそれぐらい。」
★関谷「これは訳してる人自身が哲学者だからでしょう。用語や意味のとり方で専門家の間にいろいろ意見の相違があるから『こんな訳じゃベルクソンが理解できてない、俺が自分で訳してやる』って感じで増えちゃうんだ」

☆梅本「哲学に関して言うと、たくさんの人たちが関心を持ってるところだから、そうでない分野に比べると恵まれてるとは思うんですがねえ・・・」
★関谷「ガッサンディやマルブランシュ、ゲーリングスはどうかな?」
☆梅本「このコーナーはエピゴーネンは省くという前提だった筈です。ここまで『バイブル』という言葉を五回も使ってますけど、各分野でそういう位置づけにある本で訳されてないものがあれば挙げていこうじゃないか、という趣旨なんです。例えば、材料力学におけるティモシェンコだとか、土質力学におけるテルツァギ・ベックにあたるような本です(両方とも邦訳されてますが)。
    だから、マルブランシュはともかくガッサンディまで挙げていいか・・・ 17世紀はまずデカルト・スピノザ・ライプニッツだけ抑えて置けば」 

★関谷「そういう今教えられてる哲学史は、基本的にクーノー・フィッシャーとかシューヴェグラーの世界観を日本がそのまま受け入れたもので、その推薦図書を買って読む伝統がいまだに続いている。
    最近、いい着眼点だなあと感じたのはスピノザ論争をめぐるヤコービの著述群がまとめて訳された事です。あの論争は本当はドイツ観念論の展開を理解するのに必要不可欠なもののわりに日本ではさほど重く見られていない。ヘーゲルやシェリングが無限や絶対に関してあれほど込み入った思索を重ねたのは、先行するカントやフィヒテをいくら読んでも理解できないだろう。この論争に関してはゲーテのファウストにも『尻に霊を見る人』とか言及がある。」
    それと向こうのアカデミズムにおける本流で、抜けてる人が多すぎる点だろう」
☆梅本「本流?」
★関谷「19世紀以降のアカデミズムは独創的体系家よりも学説史家が主流になってるじゃないか。『真理は何か』という問いもむしろ理系が担うようになって、証明なしにあれこれ語る哲学者は議論に入り込めない。
    デカルトとかライプニッツみたいな『数学の世界でも大物』って人たちが最後の哲学者だったんじゃないかな?。彼らがいなくなってからの哲学はもう古典研究・文献解釈の世界だよ」
☆梅本「要するにジルソンみたいな人たちの著作の紹介が少ないと?」
★関谷「ジルソン自身の翻訳はなぜか多いが、デーヴィッド・ロスやトレンデレンブルクのアリストテレス研究の翻訳は非常に少ないでしょう。
    ヘーゲルが死んだ直後、その講座の後継者だったトレンデレンブルクがヘーゲルの甘いアリストテレス解釈を徹底的に叩いて、一時期アカデミズムの世界では信頼を失い、彼の哲学は一度廃ってるわけです。」
☆梅本「まあ確かに何十年後か経って復興するまで、ヘーゲル哲学を奉じてたのはブルーノバウアーとかマルクスみたいな主にジャーナリズムで活躍する人たちでしたけど・・・
    つまり、18世紀以後の哲学で必要なのは国民国家のシンボルになるような大哲学者たちではなくして、分析哲学や言語哲学の様な半分理系の世界に入ってるものだとおっしゃりたいんでしょうか? フレーゲ以降の」
★関谷「カントからハイデガーまでの『国民哲学』の時代って、本が推奨されてるから、みんなそれ読んで哲学を極めたつもりになってるんだけど、そこで使用される概念は個人的な造語が多く相互の互換性はないし、みんなてんでバラバラに勝手な事を言ってるだけだと思う。案外役に立たないものが多い。
    もちろん、常に自然科学を意識した議論を行ってたベルクソンみたいな『読むに足る』例外もある。しかし読んで本当にためになるものは、厳密・公正な文献解釈か、あるいは理系に近い分野でしょう。」
☆梅本「分かりました。文献学の世界からはアウグスト・ベークやデーヴィッド・ロスを一応採っておけばご満足なわけなんですね? えーと、そして後は英米系の哲学を中心に探してみる、という事で・・・

 

    それでは、このへんでちょっと目先を変えて、その理系の本に移りたいんですが・・・
    昔『ガウスの整数論』を訳した足立恒雄さんが、だいぶ前ですけどニュートン著作集を翻訳する計画があるって聞きました。その後続報がないので多分頓挫したんでしょう。」
★関谷「『プリンキピア』や『光学』は昔から出てるけど・・・」
☆梅本「足立先生が訳すんだから数学の著作でしょう。おそらく微積分の形成にかかわるものだったのでは?」
★関谷「自然科学は歴史的に重要な著作や論文であっても、時代錯誤的な間違いを含むことが多いのであまり訳されないね。」
☆梅本「記述面でも今はもっと洗練されてるのに、回りくどい論法が多い、そういう難点があるんでしょうね。
    例えばシェリントン卿の『神経系の統合作用』はかつて”神経学のプリンキピア”とまで称された本ですが、あれを今訳しても・・・・・」

★関谷「ルカ・カヴァリ・スフォルツァの”The History and Geography of Human Genes”あたりはどうだろう?」
☆梅本「微妙なところですね。もう古いといえば古いし、まだ新しいといえば新しい。人類遺伝地図の集大成的な金字塔ですがあの世界は日進月歩なんで。とにかく下手に古いものを読んでその頭で研究されるとややこしくなります。
    スフォルツァは一般向けの概説も書いててそっちは訳されてるからそれで我慢してください。」

★関谷「しかし大昔のウィルヒョウ『細胞病理学』は訳されてるじゃないか。入門用には向かなくても、ひと通り学問を知ってる目から見ると色々発見があるんだよたぶん。
    遠山啓が書いてたけど、昔ラグランジュが『解析力学』で、『三次元空間の中を同時に移動する2つの点を、1つの方程式だけで記述する』って問題に『六次元空間の中で移動する1つの点』という形式に直して記述した話なんてのは、学問が洗練されきった今からみると、かえって目からウロコなんだよ」
☆梅本「朝永振一郎先生なんか原典主義で、学生には教科書より原典を読ませたって聞きます」
★関谷「ただやりすぎもよくない。日本はノイマンの作用環の論文が文庫で出てる変な国だけどあれを読める人間がどれぐらいいるか。」
   
    だいたい『すべてを日本語に』って発想自体がパラノイアじみてないか?」
☆梅本「とにかく日本はずっとそうやってきた国なんですから。
    もともと中国文化を摂取してきた千年以上の伝統があって、そこで培われたノウハウを西洋文化に対しても適用したという・・・」

 

★関谷「そこで今度は漢籍の話だ。」
☆梅本「いまさら漢籍ですか?」

★関谷「昔の日本人は漢籍が読めたから、非常に基本的なものでも翻訳なんかないケースが多いんだよ。」
☆梅本「確かに今の日本人の漢文読解力を考えると翻訳は必要でしょうね。」 
★関谷「まず顧炎武の『日知録』。」
☆梅本「ええ」
★関谷「次は銭大昕の『二十二史考異』。」
☆梅本「ええ」
★関谷「異論はないのか?」
☆梅本「だってどちらも清代考証学では基本の基本とも言える文献です。今までのノリならここで「王念孫も必要じゃないでしょうか?」とか言っちゃうんだけど、とにかく漢籍は二十四史ですら訳されてるのは『史記』と『漢書』の二つだけでしょ? それ以前の問題です。朱子ですら主著の『四書集注』の日本語訳ってありましたっけ?」 
★関谷「昔の日本人は漢籍の日本語訳なんか必要としなかったからな」
☆梅本「いまじゃ、返り点や訓点がついてても皆面倒臭がって読みませんよ」

★関谷「ただ二十四史は、これを読まずして中国正史は語れないような本だから全部訳しておくのが筋だろう。が、量が多いので最初に訳すとなると・・・」
☆梅本「内藤湖南の言うには、史記、漢書を別にすると特に完成度の高いのは『明史』とか『新五代史』あたりだそうです。だからせめてそこからでも」

★関谷「たしか『資治通鑑』なら、kindleで全訳を試行中の人がいたよね?」
☆梅本「あの物凄く長い歴史書でしょう?」
★関谷「あれだって二十四史の前半部分のダイジェスト版なんだぞ。勝海舟が蟄居中にその二十四史を全部読破したという伝説が残ってる。昔の日本人はえらかったな。」
☆梅本「偉かったというよりも、昔の日本では、そういう漢文の読みを教育される教養層(主に武家を中心とした)と、そうでない人たちの差がものすごくあった、そう捉えた方が適当ですね。
    今はみんながなんでも読めちゃう。でもみんな読もうとしない。」

★関谷「よく考えたら、翻訳は日本の昔の文献だって必要じゃないかな? 六国史ひとつとってみても、今あれを原文で読める人間がどれほどいる?」
☆梅本「六国史は、現代語訳はずっと『日本書紀』だけだったんです。最近になって、その後の『続日本紀』とか『日本後紀』が少しずつ訳されてる」
★関谷「自分の国の正史ですらきちんと読めない。それを読んだ人たちの言の葉に上った事の聞きかじりだけで、ってのが日本人の大半だったという事だな」
☆梅本「昔の日本では漢学の先生が幅を利かしていてみんな尊敬していました。それは当時の知識といえるものの大半が漢籍から流れ出してくるものだったからです。あの人たちはその蛇口の位置にいたんです。
    今はそうじゃない。専門研究者の層も随分薄くなってます。」

★関谷「和文だって昔になればなるほど難しくなるよ」
☆梅本「たしかにアメリカ人の日本文学研究者って、大体江戸どまりなんですよね。上代文学にはこれという人が見当たらない」 
★関谷「その江戸文学だって、今の若い人があの江戸の続け字を読みこなせるかという問題がある」
☆梅本「高校までの古典教育は、到底そういったものを自由に読みこなせるとこまではいきません」

 

★関谷「西洋でもラテン語ギリシア語は一応習うわけでしょ? 古いものは本来原語で読む、というのが筋なのではないか?」
☆梅本「五大院安然でもドンス=スコーツスでも、自在に原典を読み、かつ語れる人こそ、真の教養人だという事なんでしょうね。でも一応そういう正論を排したところにこのコーナーが成り立ってるわけです。」
★関谷「出版文化自体が下降線を描いてるのに大昔の名著なんて翻訳してる場合じゃないかもな」
☆梅本「そんなことはありませんよ。こういうのは逆に出版コストをかけない方法が可能な今の方がやり易いかも知れません。
    最近驚いたのは、ルネ・ゲノンの「量の支配と時の徴」がアマゾンのkindleで出てたことです。これはこれまで未訳でしたがkindleオリジナルで100円で読めるんです。」

 

 

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テーマの著者 Anders Norén

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