蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

ジャンル別蔵書家15 [地図 cartography]

[地図 cartography]

 

 欧州では16世紀ごろから新大陸やアジアへの関心が高まり、大部の地図帳が多く出版されました。
 当時の地図帳生産の中心地はイタリアのヴェネツィアでしたが、奇しくもこの世紀はちょうどそのヴェネツィアから、ベルギーのアントウェルペン、さらにはオランダのアムステルダムへと経済的な繁栄が移行した時期にあたり、同じ世紀のうちに地図製作の中心もまた移動します。

 オルテリウス「世界の舞台」(Theatrum Orbis Terrarum 1570)はアントウェルペンで発行された53枚組の地図で、この分野の嚆矢といえる存在です。
 これに続く17~8世紀には、ブラウ「アトラス」全6巻(1635)、ヤンソン「新アトラス」(1638)、シャトランの専門家向け「歴史地図」(1705)など、歴史に残る地図帳が次々に登場するのですが、これらは版も重ね、部数も多く出たはずなのに、不思議と完本は少ないです。

 宮崎市定の「東西交渉史論」によると、現在コレクターが好んで集めるこの時代の古地図は、そもそもは大部の地図帳として出版されたものが、そのままでは高価で買い手がつかないので、古書肆がバラして一枚ものにして店頭に並べた商品だとのこと。まあ文化破壊以外の何物でもないような出来事です。
 宮崎自身もパリ留学時代にはこの種の一枚物のアジア地図を多く集め、安かったので欲しいものはたいてい集まったそうです。しかし支障もありました。この時代の地図帳は何十回も版を重ねた上に新しいものが増補されたため、一枚ものだけを見ても出版時期が全く特定できないらしく、研究目的には利用できない代物だったからです。

 この時代は欧州に中央集権国家が成立する前夜にもあたり、為政者の統治のための道具として地図製作所が登場するのも16世紀の特徴です。 フェリペ二世がスペイン艦隊の遠征の準備のためにフランスの村の位置を確かめようと、オルテリウスの「地図帳」を開いたとたん、その世界に没頭してしまったのはよく知られたエピソードですが、彼は1560年代にイベリア半島の地図製作を奨励しています。
 次の17世紀には、フランスでリシュリューが三十枚の地図セットの制作を依頼し、これは1643年に完成しました。 続くコルベールも地図製作には熱心で、各地方に地図の提出を要求を行います。1679年には、コルベールのさらに精確な地図製作の提議をルイ14世が承認して、これは60年以上後の1744年になって完成しました。
 
 これらの結果、この時代には大部で豪華な地図帳が多く制作され、それらは現在稀覯書コレクターたちの収集対象となっています。今の段階でこのコーナーに載せているのはほとんどそういった方々です。(最後の今尾恵介氏だけがいわゆる「普通の地図」の収集家です)

 

 

 

≪アメリカ≫
 アメリカの6人のコレクターのうち、一人を除く5人はいずれも本編で項目を設けています。

 

□ ヘンリー・ラウプ・ワーグナー Henry Raup Wagner 1862–1957
 歴史家。生涯にわたって数万冊の本と原稿を蒐集している。
 グッゲンハイムの勤務で世界各地へ赴任し、当地で興味のあるテーマを見つけて数千冊を集め、すぐにそれを売るという繰り返しであった。収集対象は冶金学から始まり、ロンドン滞在時には経済学で6000冊のコレクションを作った。メキシコでもその歴史書を集め、チリではラテンアメリカ関係で7000冊を集めている。これらはエール大学やハンチントン図書館に売った。開拓史とメキシコに関する170もの著作を出しているが邦訳はない。
 著名な地図製作者でもあった彼は当然多くの地図も収集した。

 

□ トーマス・ウィンスロップ・ストリーター Thomas Winthrop Streeter 1883–1965
 弁護士。収集は引退後の1939年からである。20世紀中葉ではアメリカーナの最も重要なコレクター。
 アメリカーナと18世紀後半から19世紀初頭のテキサスの地図を収集した。テクサナに関する最大のコレクションの一つ。これらはイエール大学に売ったが息子もコレクターである。アメリカ書誌協会の会長も務めた。

 

□ ジェンキンス&バージニア・ギャレット Virginia and Jenkins Garrett 1914-2010
 夫ジェンキンスはフォートワースの弁護士で実業家。1974年にもテキサス大学アーリントン校に本、原稿、楽譜などを寄贈しているが、とりわけ夫妻が行った1990年と1997年の地図帳と地図のコレクションの寄付は重要でこれらをもとにバージニア・ギャレット地図作成歴史図書館が設立された。

 

  ノーマン・B・レーヴェンタール Norman B. Leventhal 1917–2015
 レーヴェンタールは成功した実業家、主に不動産開発で財を成した。厖大な古地図帳、古地図を収集し、晩年ボストン公共図書館へ寄贈。Norman B. Leventhal Map Center が設立された。
 しかし彼がディーラーに使っていたジェフリー・スマイリーが著名な図書館から地図を盗む大泥棒だったため、このマップセンターは多数の地図を返還している。アメリカでは稀覯書の寄贈は成功者のステイタスだが見事に台無しになった格好だ。

 

□ アーサー・ホルツハイマー Arthur Holzheimer 1932-2016
 近世初期に印刷された世界地図や新世界の地図の著名な蒐集家。投資家としてのキャリアの途上で古地図に魅了され以後多く集めた。
 そのコレクションの多くは世界的に著名な地図販売業者ケネス・ネベンザール(Kenneth Nebenzahl)を通じて購入されたものらしい。

 

□ デビッド・ラムジー David Rumsey 1966-
 ニューヨークの不動産業者で現代を代表する地図コレクター。イェール美術学校で美術講師も務めた、
 1980年代以後、北米、南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、太平洋、北極、南極などの地域の16世紀から21世紀までの15万枚以上の珍しい地図を収集した。地図コレクションをWeb公開し2002年にはWebby賞を受賞している。

 

 

 

≪英国≫
 R. V. Tooleyはどちらかというとディーラーに近い人物です。が、20世紀の古地図の話題では欠かせない人です。
 上で紹介した宮崎市定の話に、古地図は分厚い地図帳のままでは売れないので業者がバラして一枚物として売った、というのを覚えておられるかもしれません。このトゥーリーこそ、まさにその典型のような業者なんです。しかし一枚物にする事で購入者が増えて古地図が収集対象になったことでこの分野の価格高騰につながりました。この収集分野を確立した偉大な存在として晩年は名声に包まれまれています。

 

 ロナルド・V・トゥーリー Ronald V. Tooley 1898-1986
 古書店主には蒐集家とはっきり区別できないような人が多い。彼も戦前に自ら古書店を営んでいた事はあったがその店は1939年に閉めており、もっぱらディーラーに勤務する地図専門家として活躍した。しかし彼が半ば自室に収集していた古地図は当時世界最大のコレクションであった。
 トゥーリーは貴重な古地図帳をバラすだけではなく、サインペンで色づけさえ行っており、今日では毀誉褒貶半ばする人物かもしれない。もっとも彼が若かった頃のロンドンの古書店では古地図は包装紙として使用されることさえあったという。
 1949年に出版した入門書 Maps&Map-makers は多くのコレクターをこの分野に引き込んだ。1963年から刊行されているマップコレクターズシリーズ以後は、名実ともに古地図における第一人者の地位を確立した。
 邦訳のある「世界古地図 」チャールズ・ブリッカー (著), 矢守一彦 (翻訳),はトゥーリーの選択になる地図が使用されている。

 

 

 

≪欧州≫

 

 

 アドルフ・ノルデンショルド Nils Adolf Erik Nordenskiold 1832-1901
 わが国では、日本語文献の最初期の蒐集者として知られているフィンランドのノルデンショルドも、地図帳400冊、地図2万4000枚にわたる地図コレクションを築き上げている。
 世界中を回った探検家だが、専門は鉱物学であり、スウェーデンの王立科学アカデミーの教授も務めた。

 

 

 トマシュ・ニェボードニーチャンスキー Tomasz Niewodniczanski 1933-2010
 ポーランドの物理学者。戦後ヨーロッパで最も重要な蔵書家の1人でもあったが、とりわけ1968年から40年にわたって蒐集された地図、地図帳、地球儀などは、個人コレクションとしては現代では世界一と言われている。(彼の文学についての蒐集はとりあえずここでは省く)
 1967年に妻から地図を贈られた事からコレクター気質に火が付き、地図蒐集が始まった。生前に一部シレジアの地図などはポーランドの文化研究所へ寄贈しているが、没後にあらためて大半のコレクションがワルシャワの王宮博物館に寄付された(遺言による)。 これらは約2500の地図、40のポーランドの地図帳、約150の都市景観、900の古版画、約4700の歴史的および文学的サイン、著名な作家による署名入り本などが含まれており、コレクションの一部は家に残った。
 彼のコレクションは専門家に一億ユーロと査定されており、エリートとはいえ共産圏でそれだけの資金力は不思議に思える。収入と時間のすべてを蒐集に投資したとは言われているが、やはり鑑識眼なのだろうか。

 

 

 

≪日本≫

 

□ 東畑謙三 Tohata kenzo 1902-1998 清林文庫
 東畑氏は日本を代表する西洋古地図・地誌のコレクターであるというにとどまらず、戦後の西洋レアブック蒐集者としても代表的な一人といってよい。
 地図・地誌以外の蔵書にはやはり職業柄建築関係の稀覯本が多い。地誌でもナポレオンの「エジプト誌」や、レプシウスの「エジプトとエチオピアの記念建造物」など定番のものは漏れなく所有していた。
 戦前からの著名な建築家であり、1932年には東畑謙三建築事務所を設立している。親族には農業経済学の泰斗であった東畑精一や農林次官を務めた東畑四郎など世に知られた人も多かった。

 

 

  山下和正 Yamashita Kazumasa 1937-
 建築家。日建設計や海外建築事務所勤務を経て独立。日本建築学会賞も受賞している。日本古地図のコレクターであり、国際古地図収集家協会の日本代表も務めている。蒐集は岐阜県図書館に寄贈された(山下和正コレクション)。著書に『江戸時代 古地図をめぐる』

  ジェイソン・C・ハバード Jason C Hubbard 1944-
 日本人ではないが日本を対象にした西洋古地図のオーソリティ。国際古地図収集家協会員。1522年以来の古地図800点を収集。うち220点は18世紀以前のものである。その他写本のエフェメラなど150点を含め、価値は220万ドルに及んだ。邦訳著書に「世界の中の日本地図」

  今尾恵介 Imao Keisuke 1959-
 日本の著述家。特に専門分野である地図に関する著書が非常に多い。いわゆる古地図コレクターではなくて、国土地理院発行の地図一万枚とそれ以外の地図2千枚を所有している。

 

 

 

 古地図というのは間違っていれば間違っているほど高い値段が付く、といわれる妙な分野です。
 これは番外篇の「もう読めない本」に書いておくべきだったかもしれませんが、おそらく古今の古地図帳・古地図のうちで、もし発見されたら最も高い価格が付きそうなのは、プトレマイオスの地図帳「ゲオグラフィア」だと思われます。
 27枚の地図からなるこの地図帳には少なからぬテキストも付属しており、こっちの方は残っています。現在プトレマイオスの地図として我々が見る事の出来るのは、テキストの地名や位置関係から後世再現されたものであって、地図帳実物のオリジナルではありません。
 パピルスの寿命からして当時物が発見されることは絶対にありえないでしょうが、古代ヘレニズム社会の世界理解がどのようなものであったか目にしたいものです

 

 

 

 

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