蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

ジャンル別蔵書家16 [聖書 The Bible]

[Ⅰ 聖書 The Bible]

 
 アメリカにおける聖書コレクターを語る場合、まずメイザー家三代から始めるのが筋というものでしょう。彼らは、のちのエステル・ドヘニーやウィリアム・シェイデの様にグーテンベルク聖書などは持ってなかっただろうし、Wコズレットやスチューダー牧師の様に厖大な数に及ぶ版を揃えていたわけでもない。
 しかし聖書という書物が持つ重みを最も深く感じ取っていたのは、蒐集者のうちでは植民地時代のこの人たちではなかったかと思います。

 

 

  リチャード・メイザー Richard Mather 1596–1669
  インクリース・メイザー Increase Mather1639–1723
□ コットン・メイザー Cotton Mather 1663–1728

 メイザー家三代に関しては、孫のコットン・メイザーのみ、植民地時代を代表する蔵書家として本篇に項目を作ったが、父と祖父は省いてしまった。
 リチャード・メイザーはイギリスに生まれて新大陸に渡ってきた文字通りの初代で、マサチューセッツ州の清教徒の監督を務めた。その息子のインクリース・メイザーはハーバード大学の学長であり、サレムの魔女事件に関係した事から日本でも知ってる人はそれなりにいる。
 彼ら三人はいずれもキリスト教カルヴァン派に関係した職に就いており、初期アメリカ社会における宗教エリートと言える存在だった。三代目コットンの当時としては最大級の蔵書の内容も、その大半が宗教関係なのである。

 

 

 以下のお二人は本篇でも紹介した19世紀アメリカを代表する蔵書家です。聖書でも大コレクターでした。(解説は本篇のを転用してます)

 

□ ジョン・カーター・ブラウン John Carter Brown 1797-1874
 裕福だったため個人コレクションをそのまま購入することもあり、19世紀前半の時点ですでに欧州からも買っている。稀覯書が多い。内容は初期のアメリカーナで、紀行、探検ものなど。量は計5600タイトル7500冊ほど。
 ブラウン家は18世紀初頭から蔵書があり、JKブラウンの没後も夫人や息子によって収集は増えてゆき、1900年になってブラウン大学に売却した。このコレクションは大学所有になってからも拡大を続け、今日では名実ともにアメリカーナの最高のコレクションの一つと認められている。

 

□ ジェームス・レノックス James Lenox 1800-1880
 40歳で実業界を引退後、後半生の30年を愛書家として膨大なコレクションづくりに費やした。ヨーロッパまで出かけて貴重な書物を買ってきたアメリカ人の嚆矢である
 1870年自分のコレクションは個人が所有するには貴重過ぎると考え、ニューヨーク市へ寄贈した。それを納める建物も寄付している。レノックス図書館は現在ニューヨーク公共図書館の一部になっている。
 冊数はおよそ1万5千冊。全体的にはアメリカーナが中心で特に1750年以前のものに重点を置かれていた。しかし欧州からのグーテンベルク聖書やシェイクスピア関連などの英文学のために、評価額は当時100万ドルに及んだ。

 

 

  ジョージ・リバモア George Livermore 1809-1865
 歴史家で書誌学者。リバモアもやはり上のお二人同様この時期を代表する蔵書家だが、聖書への重点の置き方は彼ら以上で、その四分の一が聖書ないし聖書関連だった。かつてピウス六世が所有していたラテン語ウルガタ聖書など様々な珍しいものを多く収集している。

 

 

 

 20世紀の人として以下の二人を

 

  William Kurrelmeyer 1874-1957
 ドイツのオスナブリュック出身でアメリカに帰化した学者で大学ではドイツ文学を教えた。ルター以前のドイツ語聖書を研究し多く収集する。ジョン・ホプキンス大学に寄付した蔵書は25000巻に写本1800冊という大規模なもの。

 

  モンキュア・ビデル Moncure Biddle 1882–1956
 フィラデルフィアの名門ビデル家の一員で投資銀行家。書物や原稿の蒐集を第一の趣味とした。アメリカ文学の諸版なども多く集めたが有名なのはホラティウスのコレクションで850に上る版を蒐集している。
聖書では、バスカヴィル版の聖書(彼にはバスカヴィル版の見事なコレクションがあった)や、アメリカ最初期の英語版聖書として親しまれているaitkin bible(エートキン聖書)を所有していた。

 

 

 

[Ⅱ グーテンベルク聖書]

 「グーテンベルク聖書」は数多い刊本の稀覯書のうちでも、億万長者のブックコレクターがこぞって狙う一番の獲物と言ってもよく、モルガン、ハンチントンは勿論の事、レノックスも持っていたし、ドヘニー夫人、ウレムと名前を挙げて行くとキリがありません。とりわけ、これをつい最近まで個人で所有していたのがかのウィリアム・シェイデ氏なわけです。

 

 

  ジョン・ヒンスデール・シャイデ John Hinsdale Scheide 1875-1942
 シェイデ家三代は、本篇では三代目のウィリアムでアメリカ篇に項目を作ったが、聖書に関してはこの二代目のジョンが有名であり、その収集物にはパピルスのギリシア語聖書まであったという。
 ジョンは父や息子と同じくプリンストン大学出身で石油業界に入ったが、結核のためすぐに引退した。以後は一族の豊富な資金で父のコレクションへの追加を始める。
 ちなみにこのシャイデ家はグーテンベルク聖書に関してはすでに初代の時点で所有していた。ジョンはこれに1455年のグーテンベルク聖書、1462年のマインツ聖書などを加えたわけである。

 

 

□ エステル・ドへニー Carrie Estelle Doheny 1875-1958
 ドへニー夫人に関しては何度も書いてるので詳しくは アメリカの蔵書家たち 億万長者たち の項を参照していただくとして、やはり彼女も1950年にグーテンベルク聖書の完本を取得している。彼女のコレクションが1980代終わりにクリスティーズで競売にかけられた際、これ一冊だけで500万ドルの値が付いたそうだ。
 このグーテンベルク聖書を落札したのは日本の丸善古書部である。これは当時ギネスブックで最高の古書落札価格として載せられてた。この本は長らく丸善が所有していたが、のち慶応大学に売っている。

 

 

 

 20世紀にはグーテンベルク聖書のオークションはわすか七回しかありませんでした。今世紀はまだ一度もないです。
 現存する48(或いは49)冊のほとんどが博物館や図書館に入ってしまった現在では、よほどのことがない限り、市場に現れることはないと思います。
 1987年に丸善が獲得した時には、当時の印刷本落札価格のギネス記録になっています。(ちなみにそのおよそ十年後の1998年にはカクストン版のカンタベリー物語が記録を更新し(購入者はポール・ゲティJr)、さらにその後オーデュポンの「アメリカの鳥類」が更新し、 現在はベイ・サーム・ブックが1416万ドルで記録保持中です。 なお写本ではダ・ヴィンチのレスター手稿を1994年にビル・ゲイツが3080万2500ドルで購入した例があります。)

 グーテンベルク聖書の場合、どれか一冊を取ってみても、その歴代の所有者にはおなじみの名前が並びます。

 例えば、スイスのボドマー図書館にある本は、ペテルブルク帝室図書館(おそらくロマノフ王朝の蔵書)からマグスの仲介でボドマー氏の手に入ったものだそうです。

 また現在グーテンベルク博物館が所蔵しているある本は、ジョージ・シャックバラが欧州旅行の際に手に入れ、それをスクリプナー社ロンドン代表だった20世紀最大の書誌学者ジョン・カーターがアメリカへ運んで、アーサ・ホートンJrへ売却。これをHPクラウスが獲得してグーテンベルク博物館へ入れる、という経緯をたどりました。

 ハンチントン図書館にあるものはさらに逸話に富んでいます。アシュバーナム卿からバーナード・クウォーリチへ渡り、それをNYのロバート・ホーが獲得。そしてホー没後のオークションでSハンチントンが競り落とす、という経過をたどりました。この伝説的な競売では、ジョセフ・ワイドナーとハンチントンの代理人のジョージ・スミスが競り合い、それを会場にいたエドワード・ニュートンも手に汗握って観ています。ニュートンは20世紀前半のアメリカを代表する蔵書家ですが、億万長者ではないので買える本に限界があり、こういうのはさすがに手の届かない部類でした。観ていてどんな気持ちだったんでしょう。

 かつてグーテンベルク聖書を所有していた蔵書家には、マザラン公から、バルベリーニ枢機卿、二代スペンサー伯、グレンヴィル、ジョージ三世、JPモルガンに至るまで錚々たる名前が並んでいます。 が、これらすべてを聖書コレクターに数えるのはやや躊躇を覚えます。これはシェイクスピアのファースト・フォリオなどと同様の億万長者向け、ないしは博物館向きのアイテムだからです。
 ただ、事実上最初の印刷本とされる「マインツのグーテンベルク聖書」を四部も所蔵していたという点で、二代スペンサー伯、ジョージ三世、シャイデ家の三者はやはり別格と言えるでしょう。

 

 

 

[Ⅲ 聖書の諸版]

 

□ プレイライト
□ ウィリアム・C・プライム William C Prime 1825–1905

 

□ ウォルター・A・コズレット Walter Allen Coslet 1922-1996
 SF小説のコレクター、ファンジンを主催し、全米ファンタジーファン連盟の会長を務めた。収集は三十年代に遡る。
 当初トラック運転手として働いた後に労働省で事務員になる。1972年に35年間に渡って集めたSFの本や雑誌をコレクションをコレクターへ売却したがその後も蓄積し続けた。
 もう一つの顔として聖書の大コレクターでもあり、こちらも英訳聖書では世界最大級の個人コレクションとも称されている。

 

  ジェラルド・スチューダー Gerald Studer 1927-2013
 ペンシルヴァニア州やオハイオ州で長く牧師を務めた。聖書コレクター協会では二代目会長の任にあり、集めた聖書の数は5500冊に及ぶ。

 

 

 この項を書きながら、映画「ぺーパームーン」でライアン・オニールが豪華版聖書のセールスをやってたのを思い出してしまいましたが、アメリカでは昔から聖書コレクターが多く、上記のウォルター・コズレットも創設メンバーの一人である国際聖書コレクター協会という組織まで存在します。
 1964年にアーノルド・D・エーラート博士、フェルディナンド・J・ウィエンス、ウォルター・コズレット、ジェラルド・L・グーデン、ウィリアム・エバーリングらによってカリフォルニア州のビオラカレッジで創設されたこの協会は、聖書の翻訳のさまざまなバージョンの研究を行い、会誌「聖書コレクター」を発行、以後半世紀を数えます。
 初代会長はアーノルド・D・エーラート博士で、複数のキリスト教系の大学で司書を務めていた経歴の人です。以後、二代ジェラルド・スチューダー、三代カール・V・ジョンソンと続きます。協会ウェブサイト
 今回はほとんどアメリカ人のコレクターに片寄ってしまい、欧州からは一人も挙げていませんが、最後に日本から一人だけ紹介しておきましょう。

 

  浜島敏 Hamashima Bin 1937-
 浜島氏は四国学院大学教授。英語学・聖書研究が専門で、大英図書館やオックスフォード大学図書館、ロンドン大学、ヘブライ大学などでも研究。『聖書翻訳の歴史』をはじめとした聖書翻訳に関する著書があり、自身もおよそ800冊に上る聖書を収集した。2006年には日本聖書協会から聖書事業功労者として表彰されている。

 

 

 

 

 

 

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