★関谷「レコードやCDなどの音楽コレクターの次は、映画フィルムやビデオテープ・DVDなどの映像コレクターの話に移ります」
☆梅本「えーと、80年代はじめに家庭用ビデオデッキが普及するんですね。それで、今まではパンフレットやチラシを集めるので留飲を下げてきた映画ファンたちが、とうとう映画を所有できる時代になったぞって事で一気にビデオコレクターが増えます」
★関谷「でもあの時代は映画ビデオ一本が数万円とかだったから、ほとんどテレビの洋画劇場の録画オンリーだったよね」
☆梅本「VHSは画質が悪いし、劣化も早い。でもあの当時はみんなうれしそうでしたね」
★関谷「それ以前にも映画のフィルムを集めてる人はいたらしいけど、それはよっぽどのマニアで、一般人には無縁の世界だったからな」
☆梅本「そういう数少ない映画フィルムを集めてた人たちの中で最大の存在が、今からお話しする杉本五郎 (Sugimoto Goro 1924-1987)さんなんです。」
★関谷「この人は『マンガの蔵書家』のコーナーでも資本マンガコレクターとしてちょっとだけ触れたよね」
☆梅本「もとは貸本屋をやってた人で家三軒が埋まるぐらい持ってたけど、全部火事で焼けちゃったという・・・」
★関谷「しかし映画フィルムコレクターとしてはもっと有名で、所蔵数は国立近代美術館よりも多かったらしい。」
☆梅本「案の定フィルムの方も同様に何度か火災で焼けちゃってるという・・・ 特に戦前に一度全部焼けて、また一から集めてます」
★関谷「最終的な数は約5000本だったっけ? コレクションのうち特にアニメーション関係は充実してて世界最大規模だとも言われてた。」
☆梅本「でも結局今それらはみんな国立近代美術館にあるんですよね」
★関谷「一生独身で、今みたいに迫害される前の時代にロリ・コンを自称し、少女ヌードの写真集も出していたっけ」
☆梅本「遺稿集『映画をあつめて』は、管理人は以前安く買ってるんだけど、アマゾンで9000円ぐらいに高騰してます」
★関谷「関西の方にもう一人大物がいただろう」
☆梅本「安部善重(Abe Yoshishige ?-2005)っていう東大阪市在住の伝説的なフィルムコレクター・・・」
★関谷「ゴミ屋敷に住んでるって噂の・・・ 杉本さんはフィルムを貸し出したり手弁当で上映会を開いたりしてコレクションの公開には積極的だったけど、この爺さんは逆にほとんど誰にも見せない事で知られていた」
☆梅本「この人が有名なのは、すでにフィルムの消失したサイレント期の日本映画の名作を幾つも持ってるって豪語していたからです。それでいて他人には一切公開しない。でも81歳で亡くなった後に調べてみたらそんなのは見当たらなかったんだって」
★関谷「持ってると言ってた『アリラン』もやっぱり無かったらしいな」
☆梅本「しかしさすが名物コレクターだけあって変わった珍作がゴロゴロ見つかったそうです。結局これらも現在は国立近代美術館のフィルムライブラリーに収蔵されています」
★関谷「偏屈な爺さんだったからどこかに隠してるとか焼却したとかそういう可能性ないかな」
☆梅本「コレクターにはたまにそういう人もいますもんね」
★関谷「つまるところ杉本コレクションも安倍コレクションも今では近代美術館のフィルムセンターにあるわけか、ところでここは全部でどのぐらいあるの?」
☆梅本「最近 国立映画アーカイヴ という名前に変わりました。40000本ぐらいだそうです。
かなり前の資料ですが詳しい内訳が出ていて、平成13年度末で日本映画が21387本、外国映画が6833本。それぞれ「劇映画」「文化・記録映画」「ニュース映画」「アニメーション映画」「テレビ映画」などに分けられて保管されてます。ちなみに日本の劇映画に関しては、戦前13000作、戦後15000作のうち14%を保有しています。」
★関谷「少なすぎないか? ここはフィルムの保存では国会図書館にあたるような所だろ」
☆梅本「日本の劇映画の残存率自体が15,9%しかないんですよ。30年代だけなら10.7%、20年代は3.8%、10年代は0.2%・・・ 日本のサイレント映画は九割以上消えました。」
★関谷「そういえば、確かに戦前の日本映画の名作で今観れない映画はものすごく多い」
☆梅本「戦前のわずかな期間で、戦後の半世紀以上とさして変わらないぐらいの本数作ってるんです。映画って戦前は無数に作られてたんですよ。ここのところは番外篇の もう観れない映画 をご覧ください」
★関谷「戦前の溝口作品は8割が消えたというし、小津作品も半分が消えてしまった・・・」
☆梅本「まさにそういうサイレント映画を中心に収集した大コレクターに、小宮登美次郎(Komiya Torajiro 1897-1975)という方がいます。本日紹介する三人目の人です。
最大のコレクターが杉本五郎さんだったとすれば、これまでフィルムセンターへ寄贈された多くのコレクションの中で最も貴重だとされているのが、小宮さんのものなんです。この人は先に紹介したお二人より一世代前の人で、浅草の料理屋のご主人です。戦前からフランスのサイレント映画のフィルムを入手されてました」
★関谷「オリジナルのネガから焼いたものをアベル・ガンス経由で手に入れたとか・・・ いったいどういう伝手があったんだろう?」
☆梅本「さあ・・・ 戦時中は長野の戸隠へ可燃性フィルムを疎開させていたそうですよ。それでコレクションにはフランス本国でも散逸した作品が多く、コレクターとしては国際的にも知られています」
★関谷「この人の持ってたフィルムは状態がいい事でも有名で『世界の宝』という人もいる」
☆梅本「戦後は「床しき影の会」という上映会を主催されていました。他に初期の彩色映画の蒐集も定評があります」
★関谷「映画フィルムの蒐集とか、普通の人が全然考えてもいなかった時代にそういう人がいたんだね。」
☆梅本「業界人では、川喜多かしこ(Kawakita Kashiko 1908-1993)さんがメインの存在でしょう。本来ならこの人をまず最初に紹介するべきだったかもしれません。」
★関谷「東宝東和の代表で、会社が輸入されたものを保管してたっていう。確か彼女の寄贈がフィルムセンター発足時のコレクションの核になったんだよね」
☆梅本「フィルムセンター自体を立ち上げる運動を牽引したのも彼女です」
☆梅本「以上の四名が日本における代表的な存在なんでしょうが、その他にフィルムコレクターの団体「映画コレクター連盟」を主催していた人もいます。現代日本の蔵書家3万クラス でも紹介した紀田順一郎さんです。」
★関谷「紀田さんはかなりの映画マニアだったからね」
☆梅本「1970年代に8ミリや16ミリの映画フィルムを多数収集してたそうです。ただ、コレクションの量や内容はよくわかりません」
★関谷「フィルムなんて管理が大変だし、映写するにも技術がいる。だからフィルムのコレクションなんて日本では結局一部の人しかやらなかったよな」
☆梅本「海外ではもう少しいたようです。ただ、やはり業界人と言うか、映画関係者が多いですね。
伝説的なコレクターとしてはまずアメリカのレイモンド・ロウハウアー(Raymond Rohauer 1924-1987)の存在があります。
彼のサイレント喜劇の収集は大きな業績でしょう。特に交際のあったキートンの作品に関してはその再評価にも貢献しました。チャップリンとも面識があり、その膨大なNGフィルムを発掘したのはいいんですけど、調子に乗って、それで俺様版の『黄金狂時代』を再構成して告訴されています。その他RヴァレンティノやDフェアバンクスからヨーロッパ映画に至るまで、集めたフィルムはのべ12000本ぐらいです。
もう一人はウィリアム・K・エヴァーソン(William K Everson 1929-1996)で、 映画史家、アーキビスト。前述のロウハウアーのライバルです。
この人は発掘したご自慢の珍品の上映会をハフ協会で長らく主催してました。会員にはSソンタグとか著名人もいたらしいですよ。収集したフィルムの数は約5000本です。
でも、1959年のベン・ハー事件はその筋では伝説らしいです。MGMがベンハーを公開した当時、マスメディアの批評家達はみんなベタ褒めでした。ところが、エヴァーソンは1927年のサイレント版のフィルムを持ってたんですね。それで『1927年版はこんなもんじゃないぜ』って、協会での上映会にかけちゃった。」
★関谷「確かに1959年版のベン・ハーはアカデミー賞を十一部門も取った映画史上に残る名作だけど、サイレント時代に作られたベン・ハーは奇跡的な珍品で、アクションに関してはそれを上回る迫力だからな・・・」
☆梅本「しかも悪い事に、ワイラー版はコンテも戦前のニブロ版を踏襲してる部分が多いです。これ両方共MGM作品なんですよ。映画の著作権は映画会社にあるのでそこが許さない限り、公開での上映はできません。」
★関谷「今でこそ、昔の映画は映像ソフトやyoutubeでいつでも好きに観れるけど、昔は映画というものは見逃したら一生観れないようなもんだった。」
☆梅本「ええ、30年前のサイレント版なんて、1959年当時みんな忘れてます。批評家は覚えてるだろうけど、どれぐらい凄かったか、なんて記憶はおぼろげです」
★関谷「何度も観れる映画は、広く支持を集めた名画だけで、それすらリバイバルや名画座、テレビ放映など何年、何十年に一度あるかないかのチャンスを待って・・・」
☆梅本「だからみんなも好きな映画は観れる機会があると、逃しませんでした。例えば、日本では『ウェストサイド物語』は何度リバイバルしても大入りになりましたね。期待の新作がコケたら、急遽上映中止にして大昔のウェストサイド物語をリバイバルして損を回収する、ってのが一昔前の映画館の常套手段でした」
★関谷「映画会社が興行上の理由でサイレント版を闇に葬るのは会社の自由だからな。まして1959年のベン・ハーはMGMが社運をかけた超大作だ。批評家にも全部根回しして万全の体制だった筈だ。実はサイレント版の方が凄かったとか、そういう水を指すような話題はものすごく嫌がるに違いない」
☆梅本「ここの管理人は今時珍しいワイラーの信奉者なので『1959年版のドラマ部分はワイラーの演出でも最も様式化されてる』とか言って、優劣を認めたがらないんだけど、大勢の見方としては、戦車競走のシーンも、ガレー船の海戦シーンも、サイレント版の方が上です。恐らくMGM自身が誰よりもその事は分かってたんだと思います」
★関谷「結局この話はどうなるの?」
☆梅本「エヴァーソンがFBIにフィルムを没収されるんですよ」
★関谷「マジ?」
☆梅本「アメリカは司法機関が大企業のために動くケースが多いですから。
ちなみにエヴァーソンの上映会の事をFBIにチクったのは、彼のライバルだった前述のロウハウアーでした。」
★関谷「マジ?」
☆梅本「後味の悪い話でしょう?
でも、のほほんとした日本とは違って、アメリカのフィルムコレクターの歴史は、著作権者である映画会社との、ある意味闘争の歴史なんです。それは後に述べる1974年のFBIによるコレクター魔女狩り事件でも明らかです。では紹介を続けます。
三人目はケヴィン・ブラウンロー(Kevin Brownlow 1938-)。イギリスの映画史家、映画監督です。前のお二人はすでに鬼籍に入られましたがこの方は現役です。
やはりサイレント期のフィルムを収集し修復して本来の姿を再現する人。だから前のお二人もそうなんだけど、コレクターと言うよりアーキビストという言い方の方が正しいのかな。とりわけ有名なのはアベル・ガンスの『ナポレオン』への執念です」
★関谷「昔コッポラのプロデュースでリバイバルされてたよね」
☆梅本「あれをあそこまで再現したのもこの人なんですよ。」
★関谷「ゴダールと一緒にオスカーの名誉賞も受賞している」
☆梅本「だから偉い人なんですよ。映画修復者でオスカー受賞したのは彼だけなんだから。単に趣味で映画を集めてるコレクターじゃなくて、サイレント映画に関する研究書もあって・・・
このタイプでもう少し最近の人なら、フランスのセルジュ・ブロンベルグ (Serge Bromberg 1961-)が、国際的な映画十字軍とか呼ばれてます。彼のロブスターコレクション(Lobster collection)には100000リールも集まってるって」
★関谷「収集家として歴史に残るのは、こういうアーキビストタイプなんだろうけど、もっと普通に大きなコレクションを築いてるコレクターはいないの?」
☆梅本「量が多い人では、やはり『現代欧米の蔵書家』で触れたジョージ・ルーカス(George Lucas 1944-)監督が17000本も持ってましたね」
★関谷「本でもマンガでもCDでもDVDでも、溜め込む人間は何でも溜め込むんだね。でもルーカスは本職でしょ。そういう業界人まで含めたらきりがなくなるんじゃないかな?」
☆梅本「そういえばイングマル・ベルイマンも、引退した後、孤島の邸宅に自分専用の映画館を持ってて、新作なんかもそこで観てたって」
★関谷「へー。ヨーロッパの大監督は豪勢な生活してんだな。ベルイマンなんて代表作の大半が『ペルソナ』とか『叫びとささやき』みたいな登場人物数人の狭苦しい密室劇じゃないか。画面もアップアップで押しまくる。なのに本人は島で映画館付きの邸宅構えてたとは・・・・ 日本の黒澤明なんか、『影武者』とか『乱』の撮影現場じゃ戦争並みの人間を動かしてたのに、自分は案外こじんまりした普通の家に住んでたよ」
☆梅本「ヨーロッパでは他に、マリオ・ランフランキ(Mario Lanfranchi 1927-) っていうイタリアのTVディレクターが映画フィルム21000本を持っていたのが有名です。管理人が今把握してる個人ではこれが一番多いかな? 映画以外にも、絵画、彫刻、絵入りの稀覯本まで、総合的な大コレクターです。万年筆のコレクターでもありました。
この人はオペラ演出家としての顔もあって、その舞台映像は日本でも手に入ります。だからやっぱり業界人になりますね。」
★関谷「まあフィルムは市販されてないのが大多数だから、業界人中心になるのも仕方ないか」
☆梅本「監督や製作者ならフィルムは結構自由に出来るんですが、そこまでではない俳優にもフィルムコレクターは多いですね。
ロック・ハドソン(Rock Hudson 1925-1985)は暖炉の後ろに秘密のフィルム倉庫を作ってた程です。何でも、自分の出演作品ばかり集めてたって」
★関谷「まるで明石家さんまじゃないか・・・」
☆梅本「それだけならさんまさんと変わらないけどハドソンには悲しい理由もあるんです。GoogleでRock Hudsonの画像検索してみてください。全盛期と、エイズで亡くなる前の人相はまるで別人だから。多分若い頃の男前の自分を見ることが慰めになってたんでしょう」
★関谷「彼の話が出たから言うわけじゃないんだが、アメリカのフィルムコレクターにはなぜかゲイが多いらしいね」
☆梅本「俳優のロディ・マクドゥール(Roddy McDowall 1928-1998)もゲイの噂があったフィルムコレクターの一人です。
アメリカでは、1974年にFBIが著名なフィルムコレクターたちを一斉検挙した魔女狩り事件がありました。海賊版を所持してた事が理由です。その時に彼も捕まってるんです」
★関谷「フォードの『わが谷は緑なりき』の子役だよね』
☆梅本「ええ 可愛らしい男の子なので私もチェックしてたんですが、後で『猿の惑星』のコーネリアスだった事を知って相当なショックを受けました。
マクドゥールのコレクションはクラシック名画ばかりで、16mmフィルム160本、ビデオテープが1000本です。まだセルビデオがあまり出てなかった頃なので海賊版が横行してた時代です。彼はエロール・フリンの映画の市販フィルム購入して、それをビデオテープにテレシネしてたって事でお縄になりました。」
★関谷「ロック・ハドソンは若い頃の男前の自分の映画を集めてたが、こっちの男前は別の男前の映画を集めてたわけだな」
☆梅本「そういう下らないまとめ方ではなくて、このケースのポイントは『映画を所有したい』という映画マニアと、『所有させずに金を搾り取りたい』という映画会社の争いだと思うんですよ。
結果的に、80年代以後映画会社がソフトを売り出す事で、決着がつきました。コレクターはエアチェック以外にも映画を所有できる、映画会社も利益を得る。ソフトは当初はかなり高価だったけど、その後下がりました。映画会社にとっても、劇場での観客動員が往年ほどではないので、ソフト化の収益なくしては製作自体が成り立たない。双方に満足行く結果です。」
★関谷「でも日本ではセルビデオどころか、ビデオデッキ自体が80年はじめにやっと普及したのに、アメリカでは70年代前半からみんな持ってたんだね。」
☆梅本「あっちはもっと早いです。連邦最高裁長官だったアール・ウォーレンの回顧録を読んでたら、ちょうどケネディ暗殺の時にそのシーンをビデオで巻き戻して何度も見たとか書いてありました」
★関谷「1963年だな・・・ もっと早いかもしれないってか・・・」
☆梅本「そろそろページが限界なので、ビデオの話が出たついでに、そっちのコレクターの話題へ移りたいと思います。
もともとここの管理人はこの分野のコレクターはあまり知らないんですよ。フィルムコレクター自体の数が少ないってのもあるけど。 もう少し詳しくなってからこのページは根本的に書き直します。フィルムの話はここまです」
★関谷「ビデオ、LD、DVD、ブルーレイのコレクターになると、これは数がものすごく多くなると思うんだけど・・・」
☆梅本「とくにアニメなんて今はマンガ本より持ってる人が多そうですもんね。
一般的にはこういう事がいえると思うんです。
フィルムコレクターというのは、映画会社が映像の個人所有を推奨していなかった時代の映像コレクターであって、その分、収集も困難で、数も少なく業界人中心になった。一方、ビデオやDVDなど映像ソフトのコレクターは、映画会社が戦略を転換して、映像所有を大衆化した以後のコレクターだから、数はものすごく多くなって、もうこの一ページでは到底書ききれない規模になってくる」
★関谷「映像所有が大衆化されるに至った過程には、上に述べたようにファンと映画会社の闘争があったという事だな。」
☆梅本「ええ 1974年のコレクター魔女狩り事件の際には、逮捕されたコレクターたちの側からも訴訟が提起されて、ジョゼ・ジョセフっていう大物コレクター1人を除き、みなさん立件はされませんでした。また、ファンの間で尊敬されていた前述のウィリアム・K・エヴァーソンなんかは最初から捜索の対象外です。」
★関谷「日本で大々的にビデオデッキが売り出されてエアチェックができるようになったのは、将来の映像ソフト需要を見込んでの事であり、その背景には、そういうアメリカ本国での事情もあったということか。」
☆梅本「日本人は、そういう外国での闘争の成果を受け取っただけ、という事も言えるかもしれません」
★関谷「ん、これは一体何が言いたいのかな・・・
紹介できるフィルムコレクターの数が少ないのは、フィルムコレクター自身が少ないからだ。紹介できるビデオ・DVDのコレクターが少ないのは、所有が大衆化されたために逆に数が多すぎて掴みどころがないからだ・・・」
☆梅本「管理人が言いたいのはそういう事のようです」
★関谷「じゃあ、手近なところからはじめてみるか。
昔、宮崎勉(Miyazaki Tsutomu 1962-2008)が捕まった時にさ、部屋に踏み込んだ捜査官が・・・」
☆梅本「そういう話は控えてください。『現代欧米の蔵書家 プロローグ』での福田和子の話の繰り返しになりますから」
★関谷「宮崎勉の所蔵ビデオテープ5700本という数は上のコレクターたちに較べても全く遜色ないんだが・・・ じゃあ『週に100時間アニメを観る男 杉作J太郎』に関して・・・」
☆梅本「そういう話も控えてください。対談はおふざけ調でも、紹介してゆくコレクターはあくまでその分野におけるオーソドックスな存在中心に絞ってゆくスタンスなんだから」
★関谷「膨大な人数のいるこの分野で・・・ オーソドックスな存在って・・・ 一体わかるの?」
☆梅本「星の数ほどいるDVDのコレクターのうちで、最大級の人を一人あげるとすると、高井英幸(Takai Hideyuki 1941-)さんじゃないでしょうか。少なくとも日本ではそうなりますね」
★関谷「この人の書いた本読んだことがある。たしか東宝の社長で・・・」
☆梅本「ええ、少年時代の映画好きが高じて東宝に就職。劇場勤務から始めて社長に上り詰めた人です。三谷幸喜が言うには、そのDVD庫はディスクユニオンの映像コーナーより凄いって。市販されたものは、アダルトを別にするとほとんど揃ってるとの事です」
★関谷「アダルト以外は全部あるという事は・・・ 『アカシさんと飲もう』みたいなのも持ってるのかな?」
☆梅本「さあ・・・そこまでは・・・」
★関谷「東宝の社長だから、また業界人かよって感じもするんだが・・・ でもこの人が書いた『映画館へは麻布十番から都電に乗って』って本を読むと、全然マニアックな内容じゃないんだよ。多分持ってる知識自体はすごいんだろうけど。一般の人にも広く知られた名作ばかりを丁寧に語っている。隠れた好著ですよこれ
戦後すぐの頃に日本に入ってきた名作の数々を少年時代に楽しみ、60年代には70ミリ大作群に驚愕したり、アントニオーニやフェリーニに煙に巻かれたりして、今現在ではほとんどの映画を自宅でいつでも自由に鑑賞できる環境にある・・・ 『映画を最も楽しんだ人』って、こういう人なんじゃなかろうか?」
☆梅本「映画って封切られた時期に観てないと、本当の価値はわからないですよね。総天然色70ミリの大作なんてそれが登場した時に観客が感じた衝撃は今の映画ファンは決して味わう事はできないと思います」
以下素材置き場です まだ読まないでください
☆梅本「最近アメリカで、A Thousand Cuts: The Bizarre Underground World of Collectors and Dealers Who Saved the Moviesって本が出て、これまでの主要なフィルムコレクターの話を扱っています。『ロウハウアーやエヴァーソンの話がないじゃないか!』って批判レビューもありますが、まあこの分野の基本文献でしょう。ここの管理人もe-bookを買おうかなと思ったんだけど、今月のお小遣いの図書分を越えるので、留保にしました。興味を持たれたお友達はぜひ読んでみてください。
映画製作者のジョーダンテとジョンデイヴィソンのこの共同コレクションは、長編映画、プリプロダクションエレメント、印象的な数の劇場用トレーラーリールなど、500を超えるアイテムを代表しています。 コレクションは1990年代後半からアカデミーフィルムアーカイブに常駐し、拡大を続けています。 ダンテとデイヴィソンによって作られた映画の正典に加えて–「グレムリン」(1984)、「ロックンロール高校」(1979)、「スターシップトルーパーズ」(1997)、「飛行機!」 (1980)など–コレクションには、「Edward Scissorhands」(1990)、「Deliverance」(1972)、「不思議の国のアリス」の名高い1932年版など、さまざまなタイトルとジャンルが含まれます。
多くはコレクター世界の中でのみの有名人である。育った環境はさまざまで、親が大学教授や宇宙科学技師というインテリもいれば、警官や工員という慎ましい環境の出身者もいる。しかし、多くが幼くして父や母を亡くして孤独を早い時期に覚え、映画を見るようになっている。収集の対象は16mm、35mm、70mm、果ては3Dまで、フォーマットによって住み分け、またサイレント映画、モノクロ映画、ミュージカル、SF、ホラー、ポルノなどのジャンルの専門化がされている場合が多い。
https://www.oscars.org/film-archive/collections/joe-dante-and-jon-davison-collection
ジョージ・イーストマン博物館は、主流から前衛まで、あらゆる形で映画の芸術を保存し、促進しています。博物館初の映画キュレーターであるジェームズ・カード(1915-2000)によって創立されたこのコレクションは、トーマス・エジソンとルミエール兄弟の初期の実験から現在まで、国際映画の歴史全体に及ぶ28,000以上のタイトルで構成されています。
サイレント時代の映画の世界で最も優れたコレクションの一つに加えて、イーストマン博物館は、風と共に去りぬとオズの魔法使いのものを含むオリジナルのテクニカラーネガの最大のコーパスを保持しています。キャサリン・ビゲロウ、ケン・バーンズ、セシル・B・デミル、ノーマン・ジュイソン、スパイク・リー、マーティン・スコセッシなどの映画監督の個人的なコレクション。400万以上のフィルムの静止画、ポスター、および映画関連の文書。