蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[308] 閲覧者様のご要望を 企画①

☆梅本「鏡像フーガ その5 明治大正の蔵書家たちの徳富蘇峰のくだりでもちょっと触れてたんですけど、幕末を舞台にしたほとんどの小説や映画は、蘇峰の『近世日本国民史』からある一部分だけを切り取ってきて、ちょっと手を加えて、みたいな話。
    そういう『種本』って結構あるんですよ。一般の人には知らせないけど、著述家がアンチョコにしてる本。
    たとえばアラン・ブロックの「ヒトラー」がそれなんです。
    よく、その人物について書かれた本で一番多いのはキリストで、二位がナポレオン、三位がワーグナーだとか言われてるけど、私の感覚ではキリストを別にすると、今はもうヒトラーをタイトルに入れた本が一番多いんじゃないと思います。相当な数に上るそうしたヒトラーの伝記の多くが種本にしていたのがこのアランブロック著「ヒトラー」なんです。
    アラン・ブロックっていう人はオックスフォードの現代史の教授でのちには総長も務めています。さすがに現在は独自調査によるものが主流になってますけど、ある時期までのヒトラー本は、情報ソースの面でも視点の面でも確実にブロックの射程範囲内で動いていた。」 


★関谷「ブライアン・カーニハンの『プログラミング言語C』みたいなもんかな?」

☆梅本「あれはC言語を作った側がマニュアルとして出したものをみんなが教科書として使っちゃったっていう・・・ 確かに巷にあふれるC言語の教科書はあれをやさしくしたり、要点を絞って力説したりして、全部あそこから出たわけですけど」

★関谷「教科書といえばあれだな。俺もともと歴史は好きなんだけど、高校の時、学校では薄い簡単な教科書を使って、先生が解説してそれをノートにとるという・・・ だからちゃんと授業を聞いてないと点数が取れない」

☆梅本「ところがアメリカの高校生はそうじゃない。彼らはたいていバックに分厚い歴史の本を一冊入れてるんです。サミュエル・モリスンとかアメリカを代表する歴史家が書いた本で、三年かけてそれを何度も読み返して学びを深める。」

★関谷「日本は何でそうしないんだろ。薄い本だから全部覚えても大学入試では満点をとれないだろ。また教科書自体も20種類ぐらい出てて、この教科書に載っててもあの教科書に載ってなくて、あの教科書に載っててもこの教科書には載ってないとか・・・ 山川から出た歴史用語集をみると、用語ごとに⑦とか⑬とか、全部の教科書のうちで何冊に載ってるのかが表示してあるんだな。きっちり全部おぼえても外の試験で満点取れない教科書なんて何の役に立つ?

☆梅本「実はそれにも種本があるんです。そういう複数ある日本史の教科書は、みんな辻善之助著「日本文化史」全七巻を種本にしていたんです。
    辻善之助というのは戦前の恩賜賞学者で、東京大学教授・史料編纂所長・学士院会員などを歴任した、そうですね戦後でいえば坂本太郎みたいな存在かしら。つまり日本史学界のドンです。文化勲章も受賞してます。
    で、これかなり古い本なんですが、時代区分とか問題設定は全部これに従ってて、用語・事項もこの本の言及範囲の中で、日本史の教科書は書かれていました。ある時期までですけどね」

★関谷「なんだ、そんないい本があるのなら、三年間それだけ読んでみっちり歴史を身に着けたのに。俺が学生時代勉強しなくて給食屋になったのは、教師がちびりちびり教えるような事をやってて呆れ返ったからだよ」

☆梅本「まあ日本は何かにつけてこういうやり方をしますね。でも、この本はかなり量がありますからとてもバックには入りません。サミュエル・モリソンのアメリカ史なら文庫全5巻で翻訳されてるので、ここでリンク貼っちゃいます。
    とにかく、ちょっとぐらい利口な人はそこらに履いて捨てるほどいるんだけど、『本当に賢い人』は世の中に案外少ないんです。種本を知ると、それがわかります」


★関谷「種本って、教科書に多いのか?」

☆梅本「多いんですけど、あんまり種本明かしやっちゃうと嫌われるんです。一昔前の日本の学者はスタンダードとなるような教科書の出版で名を成した人が多く、それがじつは外国の本を種本にしてる場合が往々にして・・・
    例えば高木貞治の『解析概論』だったら、グルサが種本ですね。日本でグルサの解析学を翻訳するって話が出たとき、翻訳するぐらいなら俺が教科書書いてやるって高木貞治が言い出して、まあその心意気は立派なんですけどやっぱりグルサを種本にしちゃった。違うとこはいっぱいあるんだけど
    京大総長の浜田耕作の『考古学通論』はビートリーだったかしら? 浜田耕作っていったら戦前を代表する大考古学者でしょう? それで『浜田先生の考古学通論』っていったら権威があってすっごい有難がられてたわけですよ。なのに・・・」

★関谷「ビートリーはもともと浜田耕作の留学時代の恩師じゃないか。自分の先生の本を真似してるっていうより、恩師の学問体系に忠実にっていう方が適当じゃないのか? そもそも教科書の場合はオリジナリティとか独創性とかより、スタンダードで中庸な記述内容こそが・・・」

☆梅本「まあこういう風に、種本の話をすると機嫌の悪くなる人が出てきちゃうんですよ。日本は昔から海外文化を模倣してきた国だから」

★関谷「そりゃ確かに日本って国は、今は欧米の模倣で、昔は中国の・・・」

☆梅本「日本で最初の個人著作らしい個人著作は、聖徳太子が書いた『法華義疏』という法華経の注釈書なんです。これは万葉集や古事記より古いです。
    これ読んだ小林秀雄が『無常といふ事』の中で『一体あのような未開な時代に、このような高度な思想をどのように位置づけたらいいか』とか書いてるんですが、これは当たり前の話ですね。種本があるんだから。
    ちなみに『無常といふ事』の引用部分は管理人が自宅の本を利用できない環境にいるので不正確だと思います」

★関谷「聖徳太子が人の本パクるわけないだろ!」

☆梅本「法華経っていうのはお経の中でも一番メジャーなお経だから、昔から吉蔵とか智顗とかそういう中国の高僧達がたくさん注釈書を書いてるんです。決定版とされてるのは今岩波文庫にもなってる天台智顗の『法華玄義』あたりですが、比較的古い時期の注釈書に梁の法雲って人が書いたものがあります。太子がパクったのは多分それです。本文の七割が共通してるんだから。言い逃れしようがないですね」

★関谷「だからその法雲って奴がだな、先に太子の『法華義疏』を読んでだな・・・」

☆梅本「法雲は太子が『法華義疏』を書く80年前に死んでます。
    小林秀雄が首かしげるのも当たり前ですね。それまで文字を知らなかった日本人が初めてものを書いてみたらプリミティブな段階を経ずにいきなり高度に思弁的な内容が出現するんだから。パブアニューギニアの未開部族の少年がドイツ人宣教師から言葉と文字を習ってすぐ独力でヘーゲルの「精神現象学」みたいな本を書くとかありえないでしょう?」

★関谷「いや、むしろ俺はこれは凄い事だと思うね。
    仮に七割引き写しであるにせよ、後の部分は自分で考えて本文に付け加えたり、削ったりしたんだからね。 ものを書くという習慣がまったくなかった国の人間がだな、難解な仏典を理解して咀嚼してだな、自分でその内容を取捨選択して・・・」

☆梅本「私は別に聖徳太子がえらいことは否定してませんよ」

★関谷「うーん・・・ 中公の「日本の名著」シリーズの第二巻にこの『法華義疏』を収録してあるのは、やっぱりちょっとキツイかもしれないね」

☆梅本「逆に英断じゃないかな? あとに続く日本人著述家達すべての体質を象徴しているわけだから。福沢諭吉の『学問ノススメ』にも欧米に種本があるのは今ではみんな知ってるし。」

★関谷「また、すぐそういう事を・・・・」

☆梅本「とにかく、小林秀雄さんはあの頃40ぐらいだったからまだ若くて、仏典の注釈書の系譜などには不案内だったんだと思いますね」

★関谷「そう言えば、小林秀雄本人も昔から、種本がどうのって云々されることの多い人だよな」

☆梅本「ええ、彼の『本居宣長』は、村岡典嗣の『本居宣長』が種本ですね」

★関谷「ちょっと待ってくれ!」

☆梅本「『ドストエフスキイの生活』は、EHカーの『ドストエフスキー』が種本で・・・」

★関谷「ちょっと待ってくれ!」

☆梅本「あと『モオツアルト』は何だったかな・・・
    小林秀雄の後半の著作って、データ的にはみんな先行研究に乗っかってて、そこに自らの独断を加えて、さらに要所要所で人の目を晦ます警句をキメてみせて・・・」

★関谷「ちょっと待ってくれって! 言ってる事がなんかおかしくないか?、小林秀雄はそもそも研究者じゃなくて批評家だろ?」

☆梅本「まあ、御本人も『批評とは他人をだしに己を語ることである』と言ってますね。」

★関谷「村岡典嗣の『本居宣長』にしても、あれは宣長研究の基本書じゃないか? 何か書く場合、その分野における基本的な研究をデータ的に参照するのはあたりまえでしょう? 結果的にその影響はデータにとどまらず、問題設定や個々の解釈は勿論、叙述の構成にも及ぶはずであって・・・」

☆梅本「まあ落ち着いてくださいな。種本のテーマの枠を外れそうだから、そういう話なら こちら でやりましょう。
    この企画もなんか一般受けしそうにないですね・・・ でもこれがいいって人は こちら に」

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テーマの著者 Anders Norén

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