はじめに
蔵書家たちの黄昏 古代篇です。扱ってるのは主にヨーロッパや中近東なので、中国なんかはそっちの章を参照してください。
紀元前三千年紀から3~4世紀までと長大な時間を対象としています。当然、本というものの外見も大きく変わり、遺跡から発掘されるような「粘土板タブレット」の時代から、エジプトでパピルスが生まれて「巻物」の時代になり、そして古代末期には獣皮を使用した「冊子」の誕生に至る、まあそれぐらい長い期間です。製紙法が普及していた東洋とは違って、あちらではこの後のルネサンス期に登場する活版印刷がまさしくそうなんですが、こうした本の形態上の変化によって各時代の蔵書の量や質が大きく変動します。
それと、古代は蔵書家といえる人が少なく、記録に残る例はさらに少ない。このサイトは基本的に個人の蔵書を扱ってるんですが、同様の事情を抱える中世篇同様に、この章では政府・図書館などへの言及が多くなります。以下個人蔵書は◇で、団体の蔵書は◆で区別していきます。
〔1〕オリエント時代
§ メソポタミア
Ⅰ シュメール期
歴史はシュメールに始まるといいます。これは確かシュメール学者のクレーマーの言葉でした。
エラムとどちらが早かったか、或いはインダスやトルコにもっと早い文明があったのでは?など、この説は後々変更される可能性もありますが、総合的なかたちで明らかになった文明は現時点ではシュメールが最初だという通念が浸透してるので、ここから話を始めることにします。
シュメールは都市国家群であり、代表的なものはウル(Ur),ウルク(Uruk),ウンマ (Umma),ラガシュ(Lagash),ニップル(Nippur),ラルサ(Larsa),エリドゥ(Eridu),キシュ(Kish),シッパル(Sippar),シュルッパク(Shuruppak)などです。
以下、考古学上の知見から、シュメール文明の書物収集(主に粘土板)の痕跡を抜き出してみましょう。シュメール人がメソポタミアの地に文字の痕跡を残した紀元前33世紀頃から、彼らがセム系民族に滅ぼされて姿を消す紀元前20世紀まで、時代を下ってゆきます。ちなみに最古の粘土板は中国や日本と同じ縦書きです。
◆ ウルクで、守護神イナンナを祭ったエアンナ聖域(ウルク第四層)から、BC3200年頃の粘土板が大量に発掘されている。
ウルク第四層(BC3300-BC3200)と第三層(BC3100-BC2900)の地層からは粘土板の出土が多く、ここから最初の図書施設も見つかった。木製の棚に粘土板が置かれており、内容は、行政上の文書や、語彙や動植物・鉱物の名称が刻まれたものだった。
◆ ウルとアダブからは、BC2800-BC2700年頃の二つの図書施設が出土した。
◆ BC2600-BC2500年の地層からは、ファラ、アブ・サラビク、キシュなどで図書施設が出土した。内容はウルクでのものに、詩や魔術書、金言集などが加わり、一般的な書物に近づいている。
BC2200年代にシュメールはアッカドのサルゴンに一度征服されます。
◆ BC2200年頃のラガシュの地層からは同都市のグデア王に関係した図書施設が発掘された。
内容は、BC2500年頃に遡る歴史書、アッカド王サルゴンの娘エンヘドゥアンナの詩など。最古の戦争記録史料であるエアンナトゥム王戦勝記念碑も同時に出土している
◆ BC2100年以前と推定されるニップルの図書施設からは、シュメール語の粘土板タブレット(およそ2千)が出土した。
BC2100年以降ウル第三王朝が建国され、久々にシュメール人国家が復活しますが、BC2004年以降消滅します。これはエラムによる征服だといわれますが、この時を最後にシュメール人は姿を消します。シュメール滅亡で破壊された文書はおよそ10万とフェルンナンド・バエスは推測していました。
Ⅱ バビロニア期
これ以後はアムル人の建国したバビロニア王国時代です。このBC2000年からBC1000年の間では以下の発掘例がありました。
◇ イシン、ウルで王宮図書館が出土。
◇ ウルではエラム征服期のカブナクやアンシャンの王宮文庫も発見。
◆ ニップル市では四万点もの大量の粘土板が出土した。これらは宮殿ではなくて神殿の図書施設である。
アッカド語の初期のものも混じり、注目すべきは最初の図書目録、王朝表 書簡などがこの時始めて登場した事である。
ニッブルでは書記学校の図書館も発見された。カッシート朝の文書もあった
◆ シャドゥプムとシッパルの二か所でも図書施設の遺構が発掘されている。
シッバルの図書施設は、ネブカドネザル二世当時の神殿付近にあり、4×2,7mほどの大きさ。
800枚ほどの粘土板が置かれ、内容はアッカド語・シュメール語による行政文書・文学・宗教 数学などである。「ギルガメシュ叙事詩」「ルガルバンダ叙事詩」「エヌマ・エリシュ」など、多くのメソポタミア図書館が所蔵していた定番の古典を保有していた。
◆ ヌジ遺跡
これだけはセム系民族のものではない。フルリ人の代表的遺構である。フルリ人は勢力域がこれ以降の諸国家とはほとんど重ならない奇妙な領域に存続してきた民族でその重要さに比して注目している人は少ない。紀元前15世紀頃とみられ粘土板4000枚が出土した。ほとんどが文書である。
Ⅲ アッシリア期
◇ アッシリア サルゴン二世(Sargon II 762BC-705BC) コルサバード図書館
アッシリアは下記のアッシュールバニパルによる図書館が有名だが、曾祖父サルゴン二世の宮廷図書施設もコルサバードで発見されている。発掘当初はここがニネヴェだと誤認されていたのでフランス考古学隊はこちらをアッシュールバニパルの図書館だとしていた。何百という粘土板が出土している。
◇ アッシリア アッシュールバニパル(Ashurbanipal 685BC-631BC)の図書館
アッシリアのニネヴェの王宮からは現在までに三万を越える粘土板が発掘された。粘土板の書庫としてはおそらく最大級の出土だろう。
書庫は2室に分かれていて、定まった主題ごとに粘土板が置かれていた。また他の部屋との位置関係からみると、この二つの部屋は一般公開されていた形跡がある。アッシュールバニパル自身、記念に粘土板を閲覧できるように書かせ、改訂させ、王宮に展示させた、という。
「粘土板に文字を写す完全な技術は私の前任者が誰一人として得られなかったものだがあらゆる書記の神ナブーは私にその叡智を与えた。私は文字を粘土板に記し、書物を編纂して、内容ごとに整理して並べ、自分の瞑想と読書のために、宮殿に置いた」
王の家来は、国の内外に私蔵された文書を取得するか、コピーを取るよう命ぜられていた。出土した粘土板の多くが非アッシリア語圏からのコピーや翻訳からなっており、書記も翻訳のためにシュメール語やアッカド語の教育を受けていた。
シャダヌという役人への書簡には「アッシリアに写しがない粘土板を探し出し余の下に持ってまいれ、汝シャダヌが汝の文庫で保管せよ、何人も粘土板を差し出すことを拒んではならぬ」とあった。また神官長やボルシッパの市町も同様の命令を受けていたという。
数百年後のアレクサンドリア図書館もこれと同様の事をしている。フランソワ一世治下のフランス王室以来広く行われている献本制度のはしりとも言えるような行為が、これほど大昔から存在していた事は驚くべきである。
粘土板の内容は主に、王室の記録、年代記、神話、宗教文書、契約書、法令、手紙、行政文書などで、図書館というよりも国家の記録庫といった印象。少なくとも文書館や尚書局との境界は曖昧である。ちなみにアッシュルバニパルの図書館についてはアッシリア学者のヨアヒム・ムナンが基本的な図書分類を再現しているがシャムーリンは信頼性に疑義を表している。発掘したのが、かのレイヤード卿だった事から、現在その多くが大英博物館に所蔵され、他ルーブルにもある。
この図書館は古来多く論議の対象になってきた。まず設立者についてアッシュルバニパルの創建とする説と、祖父のセンケナリブが作ったものを彼が拡張したとする説がある。
また、国家の文書庫に過ぎないのか、それとも王の図書館と言えるのかでも意見はまちまちである。ドイツ国立図書館の館長だったゴットフリート・ロストは王の図書館だという見方であるが、和田万吉は「記録の収蔵所であって図書館には遠い」としていた。
もちろん、上にあげた文書群に加えて、文学・魔術・医学・哲学・天文・数学・言語学などもあり、定番なものだけでも「ハンムラビ法典」「エヌマ・エリシュ」「ギルガメシュ叙事詩」「エヌマ・アヌ・エンリル」70枚(最古の占星術文献)、と一通りは揃っている。
ベネズエラ国立図書館長だったフェルナンド・バエスが言うには、粘土板三万枚のうち奥書付きの文学作品は五千枚ほどだそうで、これをどう見るか、という事になりそうである。
五千でもかなりの数なので、ここでは一応◇印をつけて個人蔵書とした。ただ、問題点もある。それは粘土板群の製作時期がかなり広い事である。
粘土板が大英帝国に引き渡された時には、BC2100年頃にさかのぼる出土品もあったといわれる。これらの「書物」がどういう来歴をたどってきたのかはよくわからない。
かりに図書館自体の創建が、アッシュールバニパルないしセンケナリブであったとしても、その蔵書は王家累代のものを引き継いでいたという事も考えられる。事実、中アッシリア時代のティグラト・ピレセル1世(Tiglath Pileser、在位紀元前1115年-紀元前1077年)も文書を多く収集していた事が知られていた。
またこれとは逆に、BC164年とAD87年のハレー彗星の記述がある粘土板も存在することから、アッシリアが滅亡した遥か後のローマ時代に至ってもこの書庫が現役だった可能性すらある(中世にハレー彗星の出現で起こった混乱はこの粘土板を読んでいれば避けられただろう、とGロスト)。
そうなってくると、アッシリア王家以外の蒐集も含んでいるわけで、世に「アッシュールバニパルの図書館」と称せられてはいても、所蔵物のどこまでが彼に帰せられるのかはっきりしないのである。
ちなみにニネヴェには他にも、センケナリブの創建にかかる図書館と、ナブー神殿の図書館の二つがあった
現在の考古学の知見からは、BC1500年からBC300年の間には近東には233もの文書庫ないしは書庫があった事がわかっています。(そのうち178が文書庫で55が書庫)
かのアーチーボルト・セイスによると、アッシリアやバビロニアにはいたるところに図書館があり、いずれも数千の蔵書をもっていた、との事です。
Ⅳ シリア
シュメール、バビロニア、アッシリアと、時代を追ってみてきましたが、シュメールと並行して存在していた北の都市国家群にも目を移してみましょう。
チグリス・ユーフラテス川上流のこの辺りはシュメールに負けず劣らず歴史の古い地域なので、シュメールがまだサルゴンに蹂躙されていなかったBC2500年頃まで時代をバックします。
◆ エブラの宮殿跡(BC2500年からBC2000年と推定)からは王宮書庫は見つかっていないが行政上の文書庫が発掘されている。
ⅡB1層(BC2400-BC2350)から見つかったこの文書庫は、5×3,5mという小さな部屋で三方に書棚が添えつけられている。隣接した部屋は写字室だった。
粘土板タブレットは一万五千枚もあり、中でも注目すべきは現時点で最古の辞書と思われるシュメール語とエブラ語の対応表であろう。火災で破壊された痕跡が残っており、アッカドのサルゴン、もしくは孫のナラムシンによるものと推定される。
◆ マリでも、ジムリ・リム王の王宮内に文書庫が見つかる。やはり行政文書が主で書簡などはごく一部。
◇ 最後にさらに北に向かい、シリアでも地中海沿岸のウガリトに目を移す。(時代もさらに下って、もうバビロニア時代である)
ウガリト末期のBC1200年頃の遺跡では、王宮と神殿から文書設備が発掘された。
重要なのは、個人用のものも2件見つかっている事である。うち一つはラパヌ Rapanu という外交官のものだった。このサイトで紹介する王朝以外の最古の蔵書家になるようだ。(あと一つは大神官のもの)
諸文明の交差点として名高い都市だけに、ここからの出土品にはシュメール語、アッカド語、フルリ語、ウガリト語の四か国語対象語彙表もあった。
アッシュールバニパルの図書館以外にメソポタミアでの有名どころといえば、シュメール末期からバビロニア時代にかけてのニップル、シリアのエブラ及びウガリトぐらいでしょうか。このページは以前に比べてかなり増補していますが、最初載せていたのもこの四つだけです。
粘土板タブレットに共通して言えることは、行政上の文書が多く文学作品もないではないけど総じて少なめです。
§ エジプト
エジプトは歴史の古さではメソポタミアに引けを取りませんが、書物収集の面でのこの二つの文化圏の一番大きな違いは、エジプトが途中からパピルスを使用した事でしょう。それも相当早くから使用しています。
これはある意味エジプトの文化的先進性を示すものかもしません。しかしパピルスというのは数百年しか持たず、現在の時点からの発掘作業では非常な困難を伴います。一方、粘土に刻んで焼くだけの粘土板は原始的かもしれないが極めて頑強なわけです。粘土板の発掘記録が豊かなメソポタミアと比較して、同じ様に五千年に渡る歴史を持つエジプトの記述が少なくなったのは、これも原因の一つでしょう。(ただ以下で述べるようにアメンホテップ4世のアマルナ図書館は例外的に粘土板を使用していた)
さて、エジプトでも王宮や神殿には図書館が付設されていました。ともに宗教文書ないしは公文書が主で個人的色彩は薄いです。
遺跡としては、時期的に中王国(紀元前2040年頃-紀元前18世紀頃)、新王国(紀元前1570年頃 – 紀元前1070年頃)にさかのぼり、中王国で大体20冊ほどの規模だったと言われます。
エジプト歴代王朝では5王朝(紀元前2498年頃 – 紀元前2345年頃)や、6王朝(紀元前2345年頃 – 紀元前2185年頃)には、ピラミッドに直接刻まれた「ピラミッド本」も存在していました。
◇ クフ王(Khufu 2589 BC – 2566 BC)
◇ カフラ王(Khafra -2570 BC)
共に伝承上のもの。クフ王の図書館に言及した記述があり、子のカフラ王の文庫に関する碑文も残っている。
◇ アメンホテプ4世 Amenhotep IV 1362 BC – 1333 BC
パピルス主体のエジプトにしては珍しくテルエルアマルナの宮殿図書館の遺跡から粘土板が発掘されている(本来はパピルスもあったかもしれない)。
アメンホテプ4世は宗教的改革者であり、アマルナへ遷都した事でも知られる。粘土板使用もそれらに何らかの関係があるのかもしれない。粘土板コレクションは主に父アメンホテップ三世と小アジアの支配者たちとの通信文からなっている。
この時期には図書施設の遺構の発掘例は多く、他にメンフィス、エデフ、フィレにも宮殿図書館があった。
◇ ラムセス2世(Ramesses II 1314 BC – 1224 BC) ラムセウム
プトレマイオス朝のアレクサンドリア図書館以前では、エジプトで最も有名な文庫である。ここも古来シャンポリオンやドイツ国立図書館長のフリッツ・ミルカウなど、多くの学者たちに論議されてきた。
神殿の内部にあったといわれるが、やはり伝承上のものであってこれまで発見はされてはいない。場所はテーベのラムスセイムに比定されている。時期的には紀元前14世紀から紀元前13世紀の頃のものなので、古王国時代のクフ王の文庫などに比べて規模の拡大を推測する人は多い。
ディオドロスによると、この文庫は「精神の施薬院」と銘していた。また書物が学芸の神である月神の保護を受けることになっていた事情から、文庫にもこの神の像が設置されていた。
最後はアッシリアやペルシア人の略奪で消滅したという。
◆ エルドゥフ神殿 Temple of Edfu 紀元前3世紀
古代エジプトの神殿にはたいてい図書施設があったが、今有名なのはこのエルドゥフにあるホルス神殿だろう。この文庫の壁に刻まれていたのが、世界最古の書籍目録だとされているからである。
東部の小さい図書室の壁には二つの目録が記され、ここに保管されていた全蔵書の表題がリストアップされていた。そこからは、儀式を行うための書物、神殿管理の巻物、太陽と月の運行や惑星・恒星などの軌道周期に関する資料などが目につく
エジプトの神殿としてはかなり新しい方なので保存状態が良い反面で、一つ難があるのは、創建がすでに紀元前三世紀だという事である。同時期のアレクサンドリア大図書館はヘレニズム文化の産物なので、二つ後の「ヘレニズム」のページに置いている。しかしこちらは、ギリシア系プトレマイオス朝による創建とはいえ、エジプト文化の産物なのでエジプトのコーナーに置く。
エジプトでは粘土板、石に刻むやり方、パピルスの三つが併用されてきました。とりわけエジプトにおける書物を特徴づけるパピルスは、大雑把に言うと 植物を束ね髄を十字に重ねて叩く、という単純な製造法ながら長らくエジプトの知的武器として機能しました。
パピルスは粘土板にさほど引けを取らないぐらいに古く、首都メンフィスの埋葬地にある役人の墓からは紀元前3035年頃と推定されるものも発見されています。
ただ、これは文字が書かれていないもので、書かれた書物としてはいわゆるアブシールパピルスが最古でしょう。古王国第5王朝第三代ネフィリルカラー・カカイ王(Neferirkare Kakai 在位2477-2467)に関する文書で、アブシールから発見されました。
ビブリオテークナショナルが所蔵しているプリス・パピルスも昔から古いパピルスの代表格とされています。こちらは中王国12王朝時代のものでした(紀元前2200-2100)。
パピルスは長期保存に弱点があるのであまり古くからは見つかりません。エジプトの文化を研究する上でこれが大きなネックになっています。その交易圏にあり、同様にパピルスを使用していたギリシアも、同じ難点を抱えています。
§ 小アジア
トルコにはエジプト帝国とも覇権を争ったヒッタイト帝国があり、まずその首都ハットウィシャの遺跡が注目されます。
小アジアでは他にタッビガの行政文書庫や、サビヌワとサリッサの書庫がありました。
◆ ヒッタイト ボカスキョイ 遺跡紀元前14世紀
ヒッタイトの首都ハットゥイシャに比定されているボカスキョイ遺跡から出土した粘土板タブレットの文庫。
文書報告、契約書などの資料のほかに神話のテクストもあったが、注目すべきは文書の編集面に工夫が凝らされてたことである。粘土板は記録分が長大にわたるものに関しては複数枚からなる本のかたちにまとめられ、前の粘土板には、後の粘土板の最初の行と、シリーズ番号、シリーズ名称などが刻まれていた。また、不完全なコピーには原文の欠損箇所が挙げられている。著者の名前、職業住所も記載されてた。
ハットウィシャ全体からは三万枚の粘土板が発掘されたというが、当時の国際商業語のアッカド語の文書が主体である。ビュック・カレの書庫にはヒッタイト語を楔形文字で記した粘土板が一万枚以上あった。内容は「ヒッタイト法典」以下、「ギルガメシュ叙事詩」の様々な言語のバージョン。魔除けやインポテンツ対策の祈祷書などがあって面白い。
ヘロドトスによれば、古代の小アジアですでに書籍に皮が使われた例もあったと言う話です。
§ エーゲ海
◆ クレタ島のクノッソス宮殿の文書庫がアーサー・エヴァンズにより発掘される。
形式は粘土板タブレット。線状B文字で刻まれている。 枚数は三千枚ほどで、時期は紀元前14世紀以降のもの。内容は名簿、商業・財産関係文書(商品目録・物品帳簿・家畜リスト・収穫物の明細)・軍事文書などなのでこれも蔵書ではなくて文書庫だろう。
クレタ文明は下記のミケーネに先行する文明なのでクノッソス宮殿からは未解読の線状A文字の粘土板も発掘されているが、こちらの時期は紀元前19世紀に遡る。
◆ ミケーネのピュロス王宮がカール・ブレーゲンにより発掘される。
やはり形式は粘土板タブレット。線状B文字で刻まれている。300枚ほど。内容はクノッソスと同様で蔵書と言えるものではない。 12世紀初頭に海の民の攻撃を受けて滅び、以後ギリシアは暗黒時代に入る。
§ イラン
メソポタミア、エジプト、小アジア、エーゲ海とだんだん西に来ましたが、最後にメソポタミアの東隣のイランへと目を移してみましょう。
メソポタミアのように紀元前3000年以上前から書籍蒐集(書庫)の経緯を追ってこれる能力は管理人にはないので、エラムやメディアは留保していきなりギリシア盛時と同じ時期のアケメネス朝へ飛びます。ただしエラムは数学文書が興味深いです
◇ アケネメネス朝ペルシア
ダレイオス1世(Darius I 550 BC – 486 BC)の建設にかかる首都ペルセポリスだが、ここはアレクサンダー大王の軍によって徹底的に破壊された。
殿跡からは大量の粘土板が発掘されている。火災での損傷の激しい砦の地区ではエラム語の文書が粘土板にして3万枚も見つかった。
アケメネス王家はアヴェスターの写本を二部作り、ササビガンとペルセポリスの二つの文書庫に収められたといわれるが、ペルセポリスのものに関してはやはりアレクサンダーによって焼失したらしく、現在残るアヴェスターは、3世紀にササン朝ペルシアの王アルダシール一世の命令で口承で伝えられていたものを文字に落として復元したものである。数百年たっているので原典の面影をどの程度とどめてるかは心もとない。
また、クセルクセス1世(Xerxes I 在位 486 BC ‐ 465 BC)の宝物庫からは、のちに753枚の粘土板と何千もの断片が見つかっている。
総目次
◇まずお読みください
◇主題 反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4
◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya
◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》
◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》
フランス イギリス ドイツ イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀 16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀 17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀 18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀 19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀 20世紀概観
仏概史 英概史 独概史 伊概史
◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元 明 清 中華・中共 附
◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ
◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期
◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC
◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 2
◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀① ② ③ 19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③
Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
◇終曲 漫画の蔵書家たち 1 2
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]
§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
Θ カーテンコール
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④
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