蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[204] 古代の蔵書家 ローマ

〔4〕ローマ時代

 

 

 

 

 

Ⅰ 初期 泥棒たち


都市国家として出発したローマが、最後までそれにとどまったギリシア諸ポリスとは違って巨大な領域国家を形成するに至った理由として、デュメジルはある比較神話学の論文の中でローマのある時期からの倫理上の変化をあげており、それは古代国家の通例としてジェノサイドで戦争を終結させるのではなく、むしろ奴隷として服従させることで支配領域を拡大していったとする趣旨だったと記憶している(つまりそこでは奴隷制を人類の倫理上の進歩の一段階に位置づけていた)。
この見方が正しいかどうかはともかく、イタリア半島統一から対カルタゴ戦を経て、ローマが積極的に領域を拡大してゆく時期になって、やっとそれなりの規模の蔵書家が誕生しているのは興味深い。それらはいずれも戦争で敵国の蔵書を没収して私物化した将軍たちによる文庫だったからである。

 

 

 

◇ ルキウス・アエミリウス・パウルス Lucius Aemilius Paullus 229 BC – 160 BC & 小スキピオ
 父の将軍パウルスがマケドニア王家の王室図書館から没収したものを息子の小スキピオが受け継ぐ。将軍パウルスは学者でもあり、部下が宮殿で金目の物を漁り回っていた時もそういうものには目もくれず図書だけを得ようとしている。

 

 


◇ ルキウス・コルネリウス・スッラ Lucius Cornelius Sulla 138 BC – 78 BC 
 ご存じパトリキの領袖スッラだが、彼の文庫もアテネの著名な蔵書家から奪った戦利品であり、息子ファウストゥス・スッラが受け継いだ。アリストテレス、テオフラストス元本を含む貴重な文献は競売で散逸したという説と、さらに所有者を変えてゆき最後はカラカラ帝が焼いたと言う説に分かれる。ちなみスッラはギリシア文学を好んでいたらしい。

 

 


◇ ルクルス Lucius Licinius Lucullus 118 BC – 56 BC
 こうした戦利品タイプの蔵書家のうちで最も重要なのが、上記スッラの副官であったルクルスであり、彼の場合はポントス王ミトリダテスからの没収品である。没収品は書籍に限られず美術品をはじめすべてに渡っていた。
 植物学者でもあり当代を代表する文化人でもあったルクルスは、美食家としても古来その代名詞的存在であり伝説に事欠かない。その文庫を私設図書館として公衆に公開したことは、後の皇帝による公共図書館の先駆けといえる。

 

 


マケドニア王家、テオスのアペリコン、ポントス王ミトリダテスなどの著名なコレクションを奪ってきた将軍たちの蔵書家をまず最初に並べてみたが、この他にもギリシア語圏からの戦利品は多い。
下の「地方の蔵書家」の項で触れるヘルネクライムの1800巻の発掘品もすべてがギリシア書で拉書中心とみられるし、ポリオによるローマ最初の公共図書館も内容はマケドニアのイリュリア国から奪ってきたものであった。

 

 

 

 

 

Ⅱ 盛期ローマ


盛期ローマにおいて三大蔵書家と呼ばれたのが以下の三人。

 

 


◇ キケロ   Marcus Tullius Cicero 106 BC – 46 BC
 ご存じラテン語散文の華

 


◇ ヴェルギリウス Publius Vergilius 70 BC -19 BC
 ご存じラテン語韻文の華

 


◇ ウァロ   Marcus Terentius Varro 116 BC – 27 BC
 当代で最も博識とされた人

 

 

 

 

他に有名なのが以下の四人でこちらはおおよその数も伝わっている。

 

 

◇ ティトゥス・ポンポニウス・アッティクス Titus Pomponius Atticus 109 BC – 32
 2万巻 アッティクスはキケロやヴェルギリウスの友人で、アテネに移り住み、この時期の代表的な出版業者となった。とくにキケロの著作は彼が独占的に出版している。

 

 

 


◇ テュラニオン Tyrannion of Amisus 1C
 3万巻。この所蔵数はスーダ辞典の記述らしい。小アジアに生まれた紀元前一世紀の文法学者である。ルクルスによる征服時に戦争捕虜となり、奴隷としてローマに連れてこられ、のち解放された。
 スッラがアペリコンの蔵書を略奪してくると、司書としてその管理を任された。むしろテュラユニオンはアリストテレスとテオフラストスの著作を解読するために連れてこられたと言っていい。アペリコンが粗悪な写本を作り出したが、彼やアンドロニコスの努力によってアリストテレスの原稿の学問的な整理・編纂が行われ。またこの時アリストテレスの原稿の一部がテュラユニオンの蔵書に入ったという見方もある。
 テュラユニオンは他にキケロの蔵書も管理していた。人物評の厳しいキケロもテュラユニオンの能力はたいへん高く評価している。アッティクスとも交わり、ローマの賢人たちに広く尊敬を受けた。

 

 

 


◇ マルクス・メティウス・エパフロディトス Marcus Mettius Epaphroditus of Chaeronei 1C
 3万巻。文献学者。もとはエジプト属州知事の奴隷であったが、解放されローマに移った。のちネロの大臣にまで栄転している。そのコレクションには貴重なものが多かった。ホメロスやピンダロスの概説を残したらしい。

 

 

 


◇ クィントス・セレヌス・サモニクス Q Serenus Samonicus -212
 6万数千巻。これらは父親からの遺贈だったとする説がある。この項ではサモニクスだけが少し時代を下るかもしれない。彼は本業は医師であり、カラカラやゲダの家庭教師も務めた。カラカラ帝にはその熱病に際してアブラカタブラの呪文を処方している。この呪文は中世に多く使われたらしい。彼の詩作、医書などは現在では断片のみが残っているだけで、結局今ではこの呪文によって知られる存在である。
 数の伝わっている古代の個人蔵書家で最も規模の大きいのがこのサモニクスで、写本の数は6万8千、あるいは6万5千、6万2千など諸説ある。古代で最も本を読んだといわれたのが、サモニクスである。
 その膨大な蔵書の行方にも色々なことが言われている。門人ゴルディアヌスに6万2千巻を生前贈与したというもの、本人が晩餐の席でカラカラに殺害され奪われたというもの、散逸しパンテオンや五大法学者の一人であるウルピアヌスの蔵書に入ったというもの、などなど 

 

 

 

◇ ゴルディアヌス3世 Gordianus III 225-244
 上記サモニクスの巨大な蔵書を受け継いだとされるのが皇帝ゴルディアヌス三世である。19歳で早世したが、ギボンによると6万2千の書物と22人の側室を持っていたとされる。

 

 

 

 

 

他に蔵書で知られていたこの時代の著名人を追加しておくと

 

◇ シリウス・イタリクス Silius Italicus 28-103
 執政官もつとめた政治家。叙事詩人としては長大な「ポエニ戦記」があるが現在ではほとんど忘れられている。彼は著作が当たって金持ちになったのでコレクションは巨大だったと、小プリニウスがのべている


◇ ペルシウス persius -34
 詩人。28歳で亡くなり700巻の蔵書を残した。ローマ時代ではさほど大きなものではないが、これは遺言で友人のコルヌテウス(セネカの家の解放奴隷とされる)に譲られた。

 

◇ 小プリニウス Gaius Plinius Caecilius Secundus 61-112
 郷里のココムに自らの文庫を建て、ミラノのある文庫へも援助をしていた。

 

 

◇ ヒュムヌス・アウレリアヌス Hymnus Aurelianus
 もとは国家奴隷でポルティコのオクタヴィア図書館のラテン部門の主任司書だった。オヴィディウスとも交際し、ヴェルギリウスの注釈書など著述は多い

 

◇ リヴィウス・ラレンシス livius larensis
 聖職者。マルクス・アウレリウス帝の時代に神学的著作で有名な文庫を持っていた。アテナイオスの「食卓の賢人たち」でもホストとして登場するおなじみの人物でもある。

 

 

◇ ガレノス Galenus 129–200
 医聖ガレノスに関しては最近ギリシアの修道院で発見された彼の手稿「悲しみからの慰めについて」から蔵書焼失の全貌が明らかにされた。
 192年に平和神殿、パラティーノ丘の公共図書館を焼いた大火では彼のライブラリーも被害に遭い治療器具・医薬品なども失われたらしい。ガレノス自身の手になる著述・資料だけで600~700巻が想定され、彼に至る古代医学の最大の蒐集だったのではないかと推測する向きもある。

 

 

 

 

 以上、ローマを代表する著名な蔵書家たちを紹介した。
 フォルシュティウスやゴットフリート・ロストの様なドイツ系司書は、ローマの個人蔵書で最も重要なものはキケロないしはその周辺の文庫だとみているようだ。

 マルクス・トゥリウス・キケロは本宅以外に7つもの別荘を所有しており、書はそれらに別々に置いていたと言われる(シャムーリンによるとキケロの蔵書量は6万2千点との事だが、年代を紀元前200年頃としているので誤記の可能性もある)。 彼の場合、崇拝者たちからの大きな遺贈もあった。キケロは自身の図書館について我が家の魂と呼び、アッティクスに「あなたが死んだら文庫を自分に譲ってほしいので他の人に譲る約束をしないでくれ」と手紙にしたためている。この後、ローマの公共図書館の項で述べることになるが、蔵書をギリシア語とラテン語に分けて整理するやり方も、キケロに遡るらしい。大蔵書家として名高いテュラユニオンも一時彼の司書をつとめ、その蔵書目録を作成している。
 マルクス・テレンティウス・ウァロは自身の蒐集のみではなく、カエサルによるローマ国立図書館のための本集めも行っていたし、現存はしないが図書館に関する論文も著している。しかし彼自身の蔵書は紀元前43年に追放された時に没収された。他に、ガブリエル・ノーデの「図書館設立のための助言」には彼がアウグストゥスのパラティナ図書館にも関係がある様な記述もみられる(彼の蔵書がそこへ流れたか?)。

 この他にローマ時代で伝えられている蔵書家の名前としては、ヴォピスクス(vopiscus)、大プリニウス(Gaius Plinius Secundus 23–79)、ヘレニウス・セウェレス(Herennius Severus 少プリニウスの書簡に学者として登場)、プルタルコス(Plutarch 46–119)、ステルティニウス・アウィトスなどをあげておく。
 ローマ時代には本がありそうな人はいくらでもいる。スカエウォラ家や、多くの文人のパトロンだったマエケナス、大教養人のマルクス・アウレリウス帝などなど。白銀期に目をやっても、セネカは書物を蓄える事は嫌いだったかもしれないが、ペトロニウスなどはどうだろうか。しかしこの時期は蔵書に関する記録などわずかしか残らない。

 次項ではそうした著名人ではなく、もう少し小さな規模まで視野に入れ、主に地方へと視点を移してみる

 

 

 

 

 

 

Ⅲ ローマの地方蔵書家


ローマ世界では上のような大蔵書家以外にも、中小規模の個人蔵書は広く存在した。場所もイタリア半島、ギリシア、小アジア、キプロス、アフリカと帝国領内の隅々に渡っている。
発掘例でいくとスミルナ、パトラエ、ティブルがあり、近年にはアルジェリアのティムガッドでも発見された。

 

 

◇ ある一私人によるヘルクラネウムの文庫 
 19世紀初めの発掘であるが、ほとんど無傷の個人の書庫がまるまる出たのは珍しい。ヴィンケルマンがザクセン王の侍医にあてた手紙だと、この書庫は大人が二人手を広げて並んだほどの広さで四囲が書棚だったという。
 古代の巻物が大量に出土し、崩れ落ちそうなパピルスを苦心して中身を確かめたところによると、内容は主に哲学・修辞学でエピクロス、フィロデモス、デメトリウス、カルネアデスなど計1756部。すべてギリシア語書物で多くが拉書とみられる。カエサルの義父のルキウス・ピソの別荘であるという説も以前はあった。

 

◆ ロガティアヌス(rogatianus)によるティムガッドの図書館
 ティムガッドの遺跡は長期間砂に埋もれて保存状態が良くアフリカのポンペイとも称せられる。辺境に計画的に建設された植民都市で人口は多く繁栄していた。
 図書施設はカエサルの頃に活躍したロガティアヌスという政治家の設立にかかるものだが、公共性が強くこれは個人蔵書というより図書館であろう。

 

 

 

 

 

 

Ⅳ ローマの大図書館

 


◆ 幻のローマ国家図書館 紀元前一世紀計画 Rome of library(Plan)
 「ローマにもムセイオンのように巨大な公共図書館を」というカエサルによる計画が存在し、館長に予定されていたウァロがそのための書を蒐集していた。こうした企てはそれ以前にもあったらしく、かつてカトーはベルガモン図書館館長のタルススのアセノドロスを招き、図書館設立の助言を乞うている。
 ご存じのように、このカエサルの遠大な計画も、彼の暗殺により、結局は挫折した。
 代わりに、ポリオ(ヴェルギリウスやホラティウスの友人)が規模の小さな図書館を作る事になった。マケドニアのイリュリア国からの収奪品に、ウァロやスラの文庫の一部が加わった内容である。
 ローマでは年代記を保管する文書館はかなり早くからあり、他に官庁文庫、長官図書などに役人の姓名や活動が記されていたが、文学から哲学・歴史まで広く書物を収集した公開の図書館はこれが初めてである。あの大ローマにしてそうなのかと、つい思ってしまいがちだが、そもそもギリシア語圏からの収奪によって、ようやく規模の大きな蔵書家が登場したようなお国柄なのである。
 この後ローマではムセイオンのような巨大図書館は作らず、小さな図書館が数多く作られる傾向になったようだ。
 この次作られたのが、アウグストゥスの、双子のアポロン神殿図書館で、一方はラテン文献を、他方はギリシア文献を収めた。ラテン文献の量がこの時期にはギリシア文献に十分拮抗する量になっている点にケニオンは注目しているが、それは前述のようにそもそもローマの蔵書はギリシア・ヘレニズム文化圏からの拉書が多かったためである(この双子形式はのちの皇帝たちによる公共図書館にも継承された)。
 そしてこれに続き、皇帝たちの宮殿に30近い図書館が作られる。ネロのドムスアウレアの図書館などは有名だが、これらの中ではトラヤヌス帝の創建によるものが最大だった(ウルピア図書館。設立当初の蔵書は3万巻)。一方、アテネに作ったハドリアヌス帝の図書館に関しては、巻物で1500巻という所蔵量の推測がある。また、71年にウェスパシアヌス帝が作った図書館はエルサレムからの戦利品からなる蔵書内容で、この時期になってもまだ拉書かと思ってしまう。
 こうした皇帝治下のローマにおける多数の図書館はProcurator bibliothecarumの下に運営されていた。これはさだめしローマの総図書館長といったポストであろうか(各図書館の館長はその下にいた)。ちなみに、アレクサンドリアの修辞学者ディオニュシオスが、ネロからトラヤヌスにかけての時代にこの地位に在任している。ハドリアヌスの治世ではC・ユリウス・ヴェシヌス(julius vesinus)だった。
 さて、こうした図書館設立ブームは一般人にも飛び火し、多くの個人蔵書も生まれることになる。セネカやルキアノスなどはこれに警鐘を鳴らしていた。
 アウグストゥスの双子の図書館は64年,200年,363年の三度の大火を経て焼失した。トラヤヌス帝のものは五世紀の火事である。

 

 

 

◆ セルシウス図書館 二世紀創立 Library of Celsus in Ephesus
 177年小アジアのエフェソスでローマの属州知事セルシウスの息子たちが建設する。蔵書は1万2千。ヘレニズム期以来存続していたアレクサンドリア、ぺルガモンとともに世界の三大図書館と呼ばれていた。262年地震による火災で消滅する。

 

 


◆ コンスタンティノープル図書館 四世紀創立 Library of Constantinople
 で、そのローマ帝国が作った最大の図書館はどこだったのかと言うと、副首都格のコンスタンティノープルにあり、5世紀には蔵書数12万巻を誇っている(のち火事により四万五千に)。ただ、コンスタンティヌス帝がキリスト教公認後の4世紀に作った図書館だけに蔵書内容は主にキリスト教関係が中心だったといわれ、当初ギリシア・ローマの古典をどの程度保存していたかは心もとない。アレクサンドリア、ぺルガモン、セルシウスといった異教系大図書館が消滅したのちも、キリスト教世界で長く存続できたのもそのためだろう。
 とはいいながら、古代末期から13世紀にオスマン帝国に破壊されるまで900年に及ぶ長大な歴史を持ち、その間、書物面で飢餓状態に近かった西欧とは対称をなしている。特に9世紀に図書館で起こった「第二のヘレニズム」と呼ばれるギリシア古典の復興は重要であり、以後、異本の収集・校訂・定本の出版などを行っている。ここで作られた写本による寄与がなければ(つまり修道院が伝えてきた書物のみでは)、近代ヨーロッパのルネサンスもありえなかったとする見方もある。

 

 

 


前頁のヘレニズム篇及びこのローマ篇では古代の大図書館の記述が多くなった。アレクサンドリア図書館、ぺルガモン神殿図書館、アンティオキア図書館、セルシウス図書館、アウグストゥス図書館、トラヤヌス図書館、コンスタンティノープル図書館と、多くが地中海に面するか近辺にあり、古代のこの海が「本の海」「情報の海」だったことを伺わせる。前にあげたエピソードに、ベルガモンがつかまされた贋作が、時期を置かずアレクサンドリアでコピーされていたなどという話があったから、この海を行き交う船は物品のみならず大量の情報を運んでいて、またその船の動きが古代の情報の流れだったのかもしれない。
ところで、やはり地中海に面していて、これらに伍する古代有数の大図書館でありながら、あまり語られないものにカルタゴ図書館がある。本来はオリエント篇に置くべきだが時期があまりにも下りすぎる。ギリシア・ローマでもなしヘレニズムでもないヨーロッパの伝統とは異質の文化圏の図書館で、史料もあまりない。滅ぼしたローマに責任を取ってもらう意味でここに置いた。

 

◆ カルタゴ図書館 ? ~ BC146年 Library of Carthage
 一言で言って「謎の図書館」。
 末期にはかなり規模が大きかったと伝えられ、設立もおそらくアレクサンドリア図書館とさして変わらないかもしれない。そしてローマによってカルタゴが滅ぼされたのと同時に地上から消滅している。征服地からの書の収奪を常とするローマであったが、そのフェニキア語が何を書いてるのか皆目理解できなかったためか、ギリシア文化圏にあった図書館のように拉書の対象とはならなかったという。図書はアフリカの沿岸諸王国などへ分散された。
 この時代以前のフェニキア語・カルタゴ語の文献の少なさは語り草になっているが、数ある「図書館の破壊」による「書の散逸」のうちで最も致命的な結果をもたらしたのがこれではないだろうか。残存するカルタゴ文献は有名な「マゴの農業書」の外はあまり聞かない。ただ、この書は奴隷制帝国としてはローマの先を行っていたカルタゴによる奴隷労働のマニュアルであり、ローマ社会でも重宝された。
 従来フェニキアやカルタゴが古代地中海の不気味な民族としてとらえられてきたのは、それなりの理由のあることとはいえ、自国の文献から語る記録がほとんど存在せず、ギリシアやローマなど敵対勢力の目から見た証言しか残っていない事も大きいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

Ⅴ 末期 キリスト者たち


 ティルトリアヌス、クレメンス、オリゲネス、アウグスティヌスなど「大冊をものするタイプ」の神学者たちの場合、その著作の保存のため自らの居住地に自作専門の文庫ができた。これらは彼らの自身の作品のみならずキリスト教文献全般の収集へと発展し、写本制作など出版機能を備えたものすらあった。特に規模が大きく有名だったのがオリゲネスによるものである。
 執筆から収蔵・出版まで一つの場所で行っているのはキリスト教が非公認だった時代の名残であろう。これに拡散・宣伝の機能が加われば現代の活動家と変わらない。オリゲネスは晩年を獄中で過ごしたし、弟子のパンフィロスぐらいまでは殉教世代に入る。孫弟子のエウセビオスぐらいになって漸く初期キリスト教の歴史書を著して皇帝からお褒めの言葉を頂戴できるのである。
 キリスト教は古代異教と違い教会にはあまり本は置かないが(むしろ修道院に置いた)、この時期には書庫を作ることも多かった。エルサレム、アルジェリア、コンスタンティノープル ローマなどにできたが最も規模が大きかったのはカイサリアにあり、上記のオリゲネスの蔵書が発展したものである。この様なキリスト教図書館はキリスト教文献専門で数百年間は異教文献は入り込めなかった。
 また個人のものとしては、カイロ近辺の個人文庫からでたオクシリンクス・パピルス(パピルス200枚に羊皮紙30枚。紀元200年以降のもの)が有名である。

 

 


◇ オリゲネス Origenes Adamantius, 185-254
 オリゲネスの場合、弟子のパンフィロスが目録に取っただけでも2000点に及ぶ著述があり、一説によると6000点という話だから(これはさすがに誇張だろうとされている)、自分の書いたものだけで小さな図書館ぐらいならできるわけである。
 オリゲネスの収集物はパンフィロスの下に行き、カイサリア図書館の蔵書の核となった。

 


 
◆ カエサリア図書館 Theological Library of Caesarea Maritima 3C~7C
 オリゲネスの文庫を引き継いだ聖パンフィロス(Saint Pamphilus 3C–309)が収集活動を継続して規模を拡大してゆく。ヒエロムニスによれば、パンフィロスはデメトリオス・パレレオス、ペイシストラトスと同列の文庫を作ろうとしていたという。(デメトリオスはアレクサンドリアの初期の収集担当)。
 現にのちには初期キリスト教の一大情報センターとなっている。パンフィロスの弟子にあたるエウセビオスが有名な「教会史」を執筆した際にもここの司書たちの助けを借りているし、ヒエロムニスやナツィアンズのグレゴリウスも当地で学んだ。またヒエロムニスからの引用だが、コンスタンティヌス一世がこの図書館へ聖書の冊子本50部を注文した事もあったらしい。
 末期の630年には蔵書は3万巻に達した(この数はイシドルスの記述による) 。しかしキリスト教文献専門図書館でオリゲネス著作専門文庫から発展してきたというのに、そのオリゲネス写本コレクションでもアレクサンドリア図書館には及ばなかったというから、アレクサンドリアはさすがである。カエサリアが638年にイスラムに落とされた時がおそらくこの図書館の最後だろう。
 このブログは個人蔵書専門なのでオリゲネスの蔵書と、聖パンフィロス以後のそれを分けて記述しているが、実質は同じ蒐集の流れであり、こんなくどい事をしてるのは多分ここだけだろう。

 

 

◆ エルサレム キリスト教図書館 250年
 オリゲネスと同時期に、エルサレムのアレキサンダー司教が作っていた文庫がキリスト教系図書館としてはそれと並ぶ存在である。

 

 

 

 

 

 ラテン語は元来ローマを中心としたラティウム地方の方言で、帝国の拡大とともにその西半分に普及した。東半分はギリシア語圏だった。ギリシアからの拉書という形で始まったローマの図書収集は、当初はギリシア語からラテン語への文化移転そのものの姿を取った

 

 

 

 然しローマでは何もかもがギリシアより規模が大きかった。ギリシアでは書籍商の記述が散見される程度だが、ローマには稀覯本専門の書籍商すらいた。この時期リヨンはすでに書籍産業では知られた都市である。
 1000部という部数での出版すらあった。著名な出版業者は多くの写字生を使用し、ホラティウスを出版したソシイ兄弟、キケロを出版したアッティクスなど今に残る名前もある。

 

 

 

 ローマには紀元前207年に写字生の組合がすでにあった。属州を拡大してゆくにつれて奴隷が増えこの仕事は徐々に奴隷が担うようになる。

 

 

 

 書物の価格はプロの仕事から奴隷労働にかわるにつれてむしろ高くなった。しかしそれで作家が豊かになるわけではなかった。この時代著作権は存在しなかった

 

 

 

 作家たちは貴顕の士に作品を捧げることで、それで与えられた金によって生活していた。今日「この作品を誰々に捧げる」とよくやられているのは、その名残である

 

 

 

 ローマでは図書館の運営管理・分類や購入には学者があたったが、複写や修復・運搬は文庫奴隷が担い、これが今日の司書の起源である。マルクスアウレリウスの144年の手紙の中に初めて司書という言葉が登場する。

 

 

 

 上にあげたローマの著名な蔵書家たちに、解放された元奴隷が幾人かいる理由もこのためである。領土を拡大し続けたローマの場合戦争捕虜が多く、また当時は債務奴隷が主体だったために、他の文化圏の様に人種や民族で階級的に固定されている奴隷だけではなかった。

 

 

 

 ギリシア、ヘレニズム、ローマに共通してみられる蔵書を神殿内に置く慣習は、古代エジプトのそれを受けたものだが、ローマ帝国の皇帝たちはこれに若干変化を持たせ、遥かなる神ではなくて、支配者たる自らの崇拝に関係づけようとした。
 これは皇帝図書館に限られず、例えばストア学派の図書館などでも閲覧室の前の中庭には支配者の像が置かれた。同様の発想は戦後の民主主義的な図書館建築にもみられる。

 

 

 

 歴史を遡ると全く記録の残らない暗黒時代に突き当たるギリシアとは違い、ローマには創生の頃より伝わる多くの書や文書が元来残っていた。しかしこれらは中世に入る前にほとんどがその姿を消す。
 建国当初の行政に関する青銅文書三千枚がネロの治世のローマ大火で焼けこのため当時の様子が分からなくなる。2代王ヌマ・ポンピリウスが残した『秘儀書』は元老院議決により焼却された。巫女による神託を集めた『シュピラの書』も古代末期に兵士に焼かれている。特に西ローマ帝国の崩壊時の混乱でローマでは多くのパピルスが焼失した。

 

 

 

 ケニオンはパピルス巻物の凋落が始まったのは四世紀頃とし、冊子本と量が逆転したのは五世紀あたりなので、ちょうど古代と中世を画する時期が書物でも分水嶺になっている事がわかる。もちろんパピルスはその後も使用され続けたし、1022年の教皇勅書あたりまでは現役だった。

 

 

 

&

総目次
 
まずお読みください

◇主題  反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4

◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ 
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
 

◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya

◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》

◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》

フランス イギリス ドイツ  イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀  16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀  17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀  18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀  19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀  20世紀概観
仏概史  英概史  独概史  伊概史

◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元   中華・中共    

◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
 
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ

◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期

◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
 
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC

◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 

◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀①   19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③

 

 

Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
 
◇終曲   漫画の蔵書家たち 1 
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
 

§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]

§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
 
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
 
Θ カーテンコール 
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④


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  1. 総目次 2019/5/9更新 – 蔵書家たちの黄昏
  2. [116] Twilight of the Book Collectors – 蔵書家たちの黄昏
  3. 総目次  11/25更新 – 蔵書家たちの黄昏
  4. [8] 鏡像フーガ3 大名たち – 蔵書家たちの黄昏
  5. [113] 現代日本の蔵書家11 十五万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  6. [209] イスラムの蔵書家たち 前史ペルシア – 蔵書家たちの黄昏
  7. [213] イスラムの蔵書家たち 十字軍以降 – 蔵書家たちの黄昏
  8. [13] 鏡像フーガ8 昭和期の蔵書家 (1970年頃まで) – 蔵書家たちの黄昏
  9. [10] 鏡像フーガ5 明治大正期の蔵書家 – 蔵書家たちの黄昏
  10. [101] 現代日本の蔵書家たち 本棚はいくつありますか? – 蔵書家たちの黄昏
  11. [105] 現代日本の蔵書家3 三万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  12. [109] 現代日本の蔵書家7 七万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  13. [117] 現代欧米の蔵書家たち プロローグ – 蔵書家たちの黄昏
  14. [119] 現代欧米の蔵書家たち 20000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  15. [121] 現代欧米の蔵書家たち 70000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  16. [299] 漫画の蔵書家たち2 – 蔵書家たちの黄昏
  17. [3] 反町茂雄によるテーマ その2 – 蔵書家たちの黄昏
  18. [5] 反町茂雄によるテーマ その4  – 蔵書家たちの黄昏
  19. [122] 現代欧米の蔵書家たち 100000越え.150000越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  20. [7] 鏡像フーガ2 蒐集のはじめ – 蔵書家たちの黄昏
  21. [206] 中世の蔵書家たち 9, 10c – 蔵書家たちの黄昏
  22. [207]中世の蔵書家たち 11 12c – 蔵書家たちの黄昏
  23. [108] 現代日本の蔵書家6 六万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  24. [115] 現代日本の蔵書家∞ エピローグ – 蔵書家たちの黄昏
  25. [12] 鏡像フーガ7 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する – 蔵書家たちの黄昏
  26. [103] 現代日本の蔵書家たち1 一万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  27. [201] 古代の蔵書家 オリエント – 蔵書家たちの黄昏
  28. Grolier, De Thou, Mazarin, Colbert – 蔵書家たちの黄昏
  29. [202] 古代の蔵書家 ギリシア – 蔵書家たちの黄昏
  30. [104] 現代日本の蔵書家たち2 二万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  31. [211] イスラムの蔵書家たち カイロ – 蔵書家たちの黄昏
  32. [210] イスラムの蔵書家たち バグダッド – 蔵書家たちの黄昏
  33. [208]中世の蔵書家たち 13,14c – 蔵書家たちの黄昏
  34. 総目次 4/15更新 – 蔵書家たちの黄昏

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テーマの著者 Anders Norén

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