はじめに
蔵書家たちの黄昏中世篇です。古代編ではなんだかんだいって40人以上の蔵書家をご紹介できたんですけど、中世篇では中世篇では冊数が判明してる人で10人程度しかいません。
理由は中世では個人の蔵書は修道院や司教座聖堂のように蔵書目録が作られることは少ないのでほとんど記録に残らないためです(例外は修道院や聖堂に寄贈されるような場合でした)。また仮に判明していたにしても微々たるもので、これは修道院や大学の蔵書の規模からみても明らかです。サイトの趣旨からは外れるんですが、中世篇では古代編以上に公共機関の蔵書に関する記述が多くなります。
これらの原因は、西洋中世が書物面では異常なまでの飢餓状態にあったことで、このことは近世篇の冒頭で長々と説明しました。
〔1〕5世紀から8世紀まで
4世紀にキリスト教が公認され、のち国教化される。そしてこの世紀の終わりから5世紀前半にかけて、ヨーロッパでは一斉にそれまでの書物が消えてゆく。
よくアウグスティヌス(354~430)と、200年後のグレゴリウス一世(~604)の文体を比較して、後者のラテン語が幼稚とは言えないまでもかなり素朴なものになっていることが語られるが、古代世界の最後の灯の中で生きたアウグスティヌスに比べ、ローマの名門の生まれながらその生涯が完全に中世の中に入ってしまってるグレゴリウス大法皇は教養面で格段の差がみとめられた。
アウグスティヌスはキリスト教国教化の後の生まれなので、いわゆる殉教世代ではない。それでも若い頃マニ教を信奉していたことからも見て取れるように、けっしてキリスト教一色の世界には生きていなかった。その壮年期にはアレクサンドリア図書館もいまだ健在だった。
4大教父のうち、アンプロシウス、ヒエロムニス、アウグスティヌスまでは確かに同じ時代に生きていたといえるが、最後のグレゴリウスは明らかにそれとは違う世界の人物である。
アウグスティヌスの同時代人だった軍人・史家のアンミアヌス・マルケリヌス(Ammianus Marcellinus) による図書館の墓碑銘「もろもろの図書館は墓のように閉ざされた」(378年)の言葉の通り、5世紀の初めまでには写本工場、図書館、個人文庫が次々に閉鎖されていった。東ローマでは600年前から存在してきたアレクサンドリアの大図書館も破壊される。
ただ、同じキリスト教支配地域でもギリシア語圏の東ローマでは、やはり同様の動きが起こったとはいえ、古くからの豊かな文化的土壌があり、西側に比べては緩慢だった。5世紀終わりから6世紀前半にかけては皇帝によって古典的な教養を教える学校が軒並み閉鎖されたが、それらは西側で図書館が閉鎖された時期の100年後である。社会の隅々にギリシアローマの文物がどれだけ残ったかという点でも、西側とは比べものにならなかったと思われる。
ローマ帝国東半分のギリシア語地域にくらべて後進地域だった西側ラテン語圏では、そこにゲルマン族侵入による破壊の影響も加わり、暗黒化により拍車がかかる。やがてゲルマン諸族はラテン語住民に同化されて文明化されてゆくが、そこで言う文明とはすでに「キリスト教」に他ならなかった。(それと若干のローマ法も)
で、5世紀から8世紀までの400年近くの間の西欧には、ほとんど蔵書家らしい蔵書家の名前が伝わらない。
ピレンヌは遺著でこの間でも古代との連続性があることを説いているのだが、蔵書という方面で残る史料に関しては乏しい限りである。
8世紀終わりからのカロリングルネサンスでは、カール大帝の宮廷にギリシアローマの古典が再び集められるので(そしてそれは東ローマ圏からのものではないので)、この間にもどこかでは保存されていたに違いない。しかしキリスト教がいまだ公会議を重ねているような教義の形成過程にあり、異端に神経をとがらせていたこの時期にあっては、その温床とされていた古代の思想が書かれた書物の所有が誇らしげに記録に残るようなことは少なかったのは当然であろう。
それでもあえて挙げるとすれば、カッシオドルスとイシドルスぐらいだろうか。(このページでは二人だけ)。
◇ フラウィウス・マグヌス・アウレリウス・カッシオドルス Flavius Magnus Aurelius Cassiodorus 485-585
一言でいうと、ゲルマン系蛮族の王に仕えたローマ出身の官僚・政治家。キリスト教徒であり、かつラテン系教養人でもあった彼は引退後、自らの私財を投じてウィウィリアムの修道院にキリスト教関係だけでなくラテン語やギリシア語の古典作品も蒐集していた。
写本室も作り、これは中世で最初期の写本室だといわれている(修道院における書写活動自体は古代でも四世紀のエジプトやガリアで行われていた)。
ただ、この収集がカロリングルネサンスにどの程度影響したのか定かでない。また7世紀以後になると活動の痕跡もみられなくなった。ここの蔵書がラテラノやボッビオへ行ったとする説もあるが信憑性はほとんど無い。
◇ セヴィリアのイシドルス sidore of Seville 560-636
セヴィリア大司教。ゴート人の席巻によって失われていく古典文明の最後の灯のような存在である。著述は多く、とりわけ膨大な大著「語源」は中世の百科事典として後世に重宝された。
イシドルスの蔵書は十四の本箱に入っていたことから数百冊と推定される。うち7つの箱はアウグスティヌス、アンプロシウス、ヒエロムニスなどの教父著作を中心としたキリスト教関係、他は文学・歴史・カノン法。また彼の宰領する司教座聖堂でも写本の筆写は行われていたらしい。
カッシオドルスはこの時期の集書を語る際には必ず登場する人物だが、量などは全くわかっていない。おそらく多くても数百冊といったところで、数十冊の可能性すらある。一方、イシドルスは「語源」ひとつをとってもその知識量は生半ではなく、たった14箱の蔵書だけでそれが可能なのかと訝しがる向きは昔からあったようだ。だから、この時期までは百科全書的なヴァロの著作がまだ残っていて実はイシドルスはそれを種本にしていただけ、という説も存在する。
いまひとつ、カッシオドルスの蒐集に関して重要な事を付け加えると、そのウィウィリアム修道院での活動が、古代の書写奴隷の工房による写本制作から、中世の修道僧による写本製作への転機をなしていた点である。ウィウィリアムでの活動はそういった分岐点の象徴として捉えられているようだ。またこれとほぼ同時期にはベネディクト派の修道院でも書写活動があった。
ローマ篇の最後で少し触れたように、奴隷制社会のローマでは、当初プロの職人の仕事であった写本制作が、徐々に奴隷労働にとって替わられていった。中世初期に書物が極端に枯渇した理由は、勿論キリスト教勢力による排撃が第一である点には異存はないが、生産面に置いても、これをそれまで担ってきた奴隷の多くが解放された事もおそらく無関係ではあるまい。
古代世界の奴隷と、中世の農奴が連続性を持つかどうかは古来論争の的であり、当方には立ち入る能力もない。しかし、あれだけ多かった書写奴隷がこの時期急に姿を消したことだけは確かなのである。(そうは言っても、トゥールのグレゴリウスによると、ガリアあたりではまだ書写奴隷を所有する貴族も残っていたらしい)
さて次は、個人蔵書以外でも、量の面では心もとないながら、めぼしい機関蔵書もみていく事にしよう。重要なのは以下の六つぐらいだろう。
◆ ローマ教皇庁 ラテラノ図書館
ヴァチカン図書館の創立以前、教皇庁の図書館は各地を変遷したが、長期間あったのがこのラテラノである。古すぎてその始原がよくわからない。グレゴリウス大法王の創建とも言われるが、それは改築ではなかったか。四世紀のユリウス一世やダマスス一世に関連付けられた記録が残るからだ。またこれらが同じ一つの図書館の記録なのかもよく分からない。蔵書は13世紀に焼失しておりヴァチカンとの連続性もない。
上記のウィウィリアムの蔵書がここに入ったという説もあるが根拠は乏しい。ただ佐藤彰一はカール大帝の宮廷文庫以前では、西欧最大の教父著作のコレクションを有していたと推定している。
◆ カンタベリー大司教座 文庫
大司教だったタルソスのテオドルス(Theodorus of Tarsus 602-690)が七世紀にローマから多数の書物を取り寄せて司教座に納めている。
◆ ウィアマス&ジャロウ修道院
双子の修道院である。創立者である院長ビスコプ(Benedict Biscop 628-689)がローマとイングランドを六回も往復してその度に写本をもたらした。上記カッシオドルス所蔵の「コーディクス・グランディオール」もそのうちの一つ。つまりウィウィリアムの書はむしろこちらに入っていた事になる。
この修道院が重要なのは、ビスコプの門下に、中世初期イギリスにおける最大の知的存在であるべーダがおり、その下でノーサンブリアルネサンスが花開いたからである。諸芸に通じたベーダの博識はこの時期にあっては異彩を放つがそれには師の集めた蔵書が与っていたわけである。そしてベーダの愛弟子であったエグバートが下記のヨークで大司教に就任した。
◆ ヨーク司教座 文庫
上記の修道院で学んだエグバート大司教(Egber -766)がノーサンブリアルネサンスの伝統を当地へもたらし、このヨークにおいても後世まで続く文庫を作った。
そしてそのエグバートの下で学んだのがアルクインである。彼はこの後大陸へ渡り、ヨーロッパの修道院蔵書の基礎となったカール大帝による集書をけん引することになる。
◆ リヨン司教座 文庫
この時期の西欧における写本活動は量的にみるとわずかだが、その中で代表的なのがこのリヨンの司教座。ここで書写されたと推定される写本が現在でも残っている。
◆ ボッビオ修道院
パリンプセストの写本を多く収蔵している。パリンプセストというのはすでに文字の書かれた羊皮紙の表面を削って新たに別のテクストを上から書いた写本の再利用のこと。キケロなどのラテン古典を削った上にキリスト教著作が書かれており、没収された古代の著作がどうなったかを偲ばせる事例ではある。この修道院については次のページで改めて紹介する
カロリング・ルネサンスへの影響を過大評価することは禁物だが、カッシオドルスのウィウィリアムの蔵書が僅かでもウィアマス・ジャロウへ行っていた事は興味深い。この修道院の院長だったビスコプからは、ベーダ、エグバート、アルクインと、師弟関係(それも特に伝承のないベーダをのぞけば、いずれも名だたる書籍蒐集者である)が辿れるからである。またカロリング・ルネサンスの興隆に最も功績があったのが、イギリスやアイルランドの修道士たちであった事は今日では周知である。
他に記録に残る機関蔵書としては、6世紀の聖セヴェリヌス修道院(内容は不明)や、8世紀前半にボニファチウスが建てたフルダ、ハイデンハイム、フリッツラーなどの修道院に図書室があった事だろうか
この時期は書籍蒐集という点では、記録に残る個人が極めて少ない。
初期キリスト教や、初期のプロテスタントでは「ただ信じよ」「読まなくていい」「考えなくていい」「知らなくていい」という傾向が強い。日本の江戸期でも蔵書家はどちらかというと国学者に多く出て(小山田・屋代・狩谷など)、ガチガチの朱子学者には少なかったように思う。がんらい理念的な部分での主張が強い思想は(特にそれが倫理的要素が強いものならなおさら)、広範囲な知識の探索を好まない傾向を持つ。そのことは自分自身に関しても、教え導く対象のそれに関しても言える。
では、例えば逆に、法学者などには大きな蔵書家はいなかったのか?。上で少し仄めかしたように、ローマ法はキリスト教と共に中世初期から蛮族地域にもその適用が拡大されてきた。よく考えれてみれば、異教系古典の中では唯一中世を通して奨励された分野が「ローマ法」なのかもしれない。
しかし豈はからんや、蔵書家はここにもいない。なぜなら中世ヨーロッパにおいてローマ法の継受のされ様が著しく地域的色彩を帯びて各地で千差万別だったのは、統一した判例集を共有していなかったからであり、「ローマ法大全」のような基本文献ですら11世紀になって写本がようやく発見される始末だった。また法律家を養成する教育面でも、ローマ法はキリスト教学校で教えられていたし、そして法実務と法学とをはっきり分離したのも11世紀のイルネリウスからだったので、今日の意味での法学者自体が中世初期にいたかどうかがそもそも怪しいものだった。
結局このページで挙げられた蔵書家は400年という期間にもかかわらず僅か二人、それもこの時期にしては珍しく本を集めていた伝承が残ってるという程度の人である。管理人のおしゃべりだけでページを終わらせないために目配りしてみたが、中世初期はどこまで行っても暗黒なようだ。
《トピック》
もうひとつアウグスティヌスに関して興味深い有名なエピソードがあって、それは「アウグスティヌスの黙読」である。
これは彼の周囲で「アウグスティヌスは声を出さずに本を読んでいる」と噂になっていたことから分かるように、当時は哲学書であれ歴史書であれ「音読」が通常だった。
音読は詩などであれば普通にみられるし、プラトンの対話篇でも「饗宴」ぐらいならまだ分からぬこともないが、「パルメニデス」や「ティマイオス」あたりになってくると、それを巻物を開きながら音読している姿は現代では異様に映る。
こうした音読という古代の読書法は東ローマではかなり後期まで残っていたが、西欧では中世の修道院生活の中で徐々に消滅してゆく(隣の修道士の迷惑になるから?)。すでに黙読を実行していたアウグスティヌスという人はいろんな意味で古代と中世の境目にいるようだ。
総目次
◇まずお読みください
◇主題 反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4
◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya
◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》
◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》
フランス イギリス ドイツ イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀 16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀 17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀 18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀 19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀 20世紀概観
仏概史 英概史 独概史 伊概史
◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元 明 清 中華・中共 附
◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ
◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期
◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC
◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 2
◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀① ② ③ 19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③
Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
◇終曲 漫画の蔵書家たち 1 2
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]
§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
Θ カーテンコール
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