蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[206] 中世の蔵書家たち 9, 10c

 手持ちのマビヨン「古文書学論」を開いてみるとカール大帝の書体なるものが載ってるんですが、今日的な目線ではその特徴ある字体はおそらく書記によるものであり、これはもちろん当時のマビヨン自身もわかったうえでの事でしょう
 中世ヨーロッパの王たちは13世紀以前には基本的に字が読めません。カール大帝は文盲です。

 ことにカールへ至るフランク王国、つまりメロヴィング王朝では政治は宮幸のカロリング家が代々牛耳り、歴代の国王たちは享楽の中に実権のない無為な生活を送りました。彼らは子供時分から後宮に入りびたり、自堕落な生活を続け、やがて12、3歳で父となり、そのまま大人になって無知なまま老いてゆきました。
 「国王の唯一の能力は生殖能力である」と書いたのは初期のマルクスだったと思いますが(「ヘーゲル国法論の批判」だったっけ?)、彼の言う如く「代々の国王が王冠を相続してゆくのではなく、むしろ王冠が代々の国王を相続してゆく」ような退廃はこの時期のメロヴィング朝ならではの姿です。問題なのは、これほど無為な姿ではなくとも、教養のなさという一点では、それなりに大きな業績を残した有為な君主たちもそれと大差なかったことです。

 前頁に記したように、5世紀以降のキリスト教社会はギリシア・ローマの古典を徹底して消滅させました。
 「消滅」と書いたのは、ローマ市内だけで30近くの公共図書館がありちょっとした貴族でも数千巻を保有していたのに、それらの膨大な蔵書がいったいどのようにしてこの世から消えてしまったのか、殆ど記録には残っていないためです。(アレクサンドリア大図書館のように「破壊」が記録に残ってるケースはまだいい方なんです)
 「消滅」は旧ローマ帝国領の東西で同じように起こりましたが、どちらかというと西の方が徹底的です。理由は、まず東のギリシア語圏の方が文化的先進地であり古典古代の文明が社会によく根付いていたこと、それと西のラテン語圏はゲルマン民族の侵入を受けて社会秩序が混乱を極めたことにあります。
 しかし蛮族が同化して社会に定着した以降も、西欧社会には本は増えませんでした。当時のキリスト教が異教や世俗的な書物に関してきわめて非寛容であったことがその原因としてあげられますが、この時期はパピルスと羊皮紙の入れ替わりとも重なったために書物のコストが上がり、キリスト教の書物といえど極めて少なくしか生産されないようになったからでもあります。
 必然的に中世初期は、五世紀、六世紀、七世紀、八世紀と時代が進むにつれて識字率がどんどん低下してゆく過程にあり、王侯貴族ですら文字が読めないのは当たり前になってきます。
 騎士は開き直って逆に文盲を誇りとするし、社会からは自然科学に由来する情報そのものが消えてゆく。天文学・暦の基礎的知識すらなくなって、世の人々は今日現在の月日さえあやふやになって、古代以前の原始時代へと回帰してゆきます。
 もう少し後になると、無学・無節操な村の司祭が説教壇にバネ仕掛けのキリスト像を置き、下のペダルと連結して、説教の最中ここぞというタイミングでペダルを踏んで像の目玉や舌を動かし無知な民衆を驚かせているような有様でした(このキリスト像は現在も博物館に残っています)。民衆もまたそれで驚嘆しているような素朴な民衆であって、これが今日のクレバーな西洋人と遺伝的にほとんど変わらない人々だとは到底思えません。
 このような状況の中で、8世紀も終わり近くになってカール大帝が自らの宮廷に欧州各地から知識人を集め、その時点で残存していたギリシア・ローマ古典をはじめとして書を蒐集することになります。これをカロリング・ルネサンスと言います。

 

 


〔2〕九世紀 カロリング・ルネサンス
 八世紀末から九世紀にかけてのフランク帝国の期間は、西洋中世の蔵書の歴史において非常に重要な意義を持っています。
 なぜならラテン古典のほとんどは直接間接にカロリング朝での筆写を通じて現代に伝えられているからです。アルクインやピサのペトルスといった知識人をアーヘンの宮廷に招聘し、それに加えて当時残存していた古典古代の書物も蒐集・筆写したこの短い時代がなければ今日の古代への理解は全く違ったものになったことでしょう。
 ただ、九世紀のカロリングルネサンスは、宮廷と宮廷付属学校を中心としていただけに、世紀後半のフランク帝国の解体と共に終焉します。しかしカール大帝が修道院や司教座聖堂に学校を作ることに力を入れていたので、特にアーヘンにかかわりを持った修道院を中心に知的な運動がさかんになり、それが水脈のようにやがて各地の修道院における筆写活動につながっていきました。

 


 ◇ カール大帝(Charlemagne 742–814)  アーヘン宮廷文庫
 冒頭に文盲であると述べておいて、この時代最大の蔵書家として(それも長い中世で最も重要な意味を持つ蔵書家として)カールの名前を挙げるのは自分でもちょっとおかしいと思いますが、アーヘン宮廷の文庫が彼の所有であった事に鑑みればそうするより他ないんですね。
 ものの本はどれをみてもほとんどが(文盲の)カールの積極的イニシアティブによって学者を招聘し学校を作り書物を蒐集させたとなってはいるんですが、私は単に大帝にそういう働きかけを行った人物の記録が消え去っただけではないかと考えています。いわゆる「アーヘンの宮廷学校」にしてみても、これは多分王家の子弟の教育機関だと思われる方がいるかと思いますが、王家の大半が文盲であるこの時代にあっては、宮廷の尚書局の書記が学ぶためのものという色彩が強いわけです(例外はあるかもしれませんが)。その意味では、アーヘンの宮廷学校は学者たちが自分たちの目的意識と関心のために研究を行った組織として、案外今日のそれに近かったかもしれません。
 じゃあカールは全く書物に関心がなかったのかというと、そういうわけでもないらしく、例えば世俗的な歌物語などを多く収集させたエピソードは最後まで庶民感覚を失わなかった彼の人物像を偲ばせるし、そこはキリスト教一辺倒でそれらを焼き捨てさせた次代のルードヴィッヒ敬虔帝とは随分異なった個性が垣間見えてきます。死にあたって、書物を売却させその金で貧しい人々に施しをするよう遺言したのも、逆にみれば彼がこれらの書物に関心を失っていたわけではなかった事の証拠でしょう。ムガール帝国の皇帝アクバルも2万4千冊もの蔵書を持っていながら文盲でした。それでも毎日好きに選んだ本を召使に読ませることを日課にしています。カール大帝も恐らくそうではなかったかと思います。
 ちなみにアーヘンの他にも、リヨンのイエス・バルブ(Isle-baube)にカールの文庫は存在しました。それと、より重要なのが、カールがコンスタンティノープルと書物の交換をしていた事で、これは彼の収集した地域が西欧圏だけではなかった事を意味します。 
 カールを継いだルードヴィッヒ敬虔帝の時代も文庫は健在だったようですが(前記遺言は完全には実行されなかった模様)、信仰心の篤かったこの帝の時代に内乱が起こり、その際蔵書も散逸したといわれます。なおカロリング・ルネサンス自体は敬虔帝の息子シャルル2世のもとで続き、そこではアイルランドからあのエリウゲナが招聘されています。

 

 あと、いくつか項目に分けてアーヘンの宮廷文庫とカロリング・ルネサンスに関して気になることを書き出してみます。


§ 集められた書物の内容は? → 古典古代の書物も蒐集対象になっていた事が、この宮廷における蒐集が後世から注目される最大の原因でしょうが、おそらく蔵書内容のメインは古代教父の著作をはじめとしたキリスト教関係だろうと推定されます。(これはアーヘンの影響下で収集・写本制作に努めた修道院の目録から伺える)
§ 冊数はどのぐらい? → 冊数などもわかっていませんが、これ以後の欧州各地の修道院で書写されたラテン古典のほとんどがここから発してる点からもかなりの規模だったようです。
§ 西洋中世は暗黒の筈だったのにどこにこんな学者達が残ってたの? → 欧州全域から集められてはいるんですが、目立つのはイングランドやアイルランドなどの辺境です。この地域はローマの支配下になるのも遅く、逆に言うとその後にキリスト教化されるのも遅れました。そのため他では潰えた古典文化が多少残存していたのではないかと思われます。学者たちのリーダーのアルクインはイングランドの出身だし、同地域では675年ごろマームズベリー修道院長アルドヘルムが、キケロ、セネカ、プリニウス、サッルスティウス、ヴェルギリウス、スエトニウスなどを読んでいたという記録が残っています。のちアイルランドからやってきたエリウゲナも、そのギリシア語の能力は同時代的な水準を大きく抜いていました。ビショップによる「研究のための均整の取れた蔵書構成をカロリング朝に伝えたのはアングロサクソン人であった」という言葉は至当でしょう。
§ 同時代に他に蔵書家はいなかったの? → ”フェリエールのルプス”は未読の写本の探索に熱中していたし、カール大帝の伝記作者だったアインハルドゥスの蔵書のことについても伝承はありますが、おそらく数十冊程度の規模だと思われるのでカテは特に設けませんでした。
§ 書物蒐集と写本制作以外に、あと一つこのカロリング宮廷で行われた重要事は、書体の変革です。ベルンハルト・ビショップ「西洋写本学」によるとラテン語の書体は、キャピタル書体からアンシアル書体(4世紀)、半アンシアル書体(6世紀)を経て 9世紀にこの宮廷で生まれたカロリング小文字書体へと到達したとされ、これがゴシック体をはじめとするそれ以後の様々な書体の基礎になりました。欧州に伝来した様々な書物がいったんここに集まってまた方々へ流れていったように、書体の面でも分水嶺になっていたわけです。

 

 

 

 

 アーヘン宮廷の流れを受けて写本の制作に励み、(あくまで西洋中世としては)大きな蔵書を有していたのは、下のようなアーヘンと縁故ある修道院です。基本的にフランク王国領内の仏・独・伊が中心で、英国などはありません。
 熱心だったのはベネディクト系で、聖ベディクトは同派修道院には必ず文庫を作らせたといいます。伊のモンテカッシーノをはじめ、仏のフルーリ 独のメルク、瑞のザンクトガレンなど同派にはカロリング王朝にゆかりのある修道院が多かったのかもしれません。
 写本制作も大がかりです。モンテカッシーノは数十~百人の書写生を置いて複写させていたというし、独のフルダはそれが一時400人に上ったそうです。 ボッビオのパリンプセストはもう悪名高いですね。書の大量生産でもありますがより貴重な書の大量廃棄ですから。 

 まず、フランスの修道院から紹介してゆきますが、多くは同じ九世紀にヴァイキングに襲われているので蔵書数に関する情報は少ないです。

 

 ◆ サン・ドニ修道院(Saint-Denis)
仏パリ。カロリング家の家修道院として宮廷と最も近しい修道院だった。然しヴァイキングによる度重なる身代金の要求で資産が疲弊した。

 

 ◆ サン・マルタン修道院(Saint-Martin)
仏トゥール。アーヘン宮廷学校の長であったアルクインが辞任後にここで学校をつくった。然し853年以来五度にわたるヴァイキングの略奪に遭い厖大な文書類は消滅している。

 

 ◆ フルーリー修道院(Fleury)
仏。カールが宮廷に招いたテオドルフによって広範囲にわたった蔵書が集められた。然し865年ヴァイキングの略奪と放火を受けた。

 

 ◆ コルビー修道院(Corbie)
仏。カールの従弟アダベルトが院長を務めた王立修道院。特に旺盛な写本活動を行っている。然し881年のヴァイキングの襲撃で写本が焼失した

 

 

 イタリアでは次の二つ。

 ◆ モンテ・カッシーノ修道院(Monte Cassino)
伊。カールはパウルス・ディアコヌスをここから招いた。ベネディクト派では最古かつ最重要の修道院。九世紀には大きな蔵書を誇ったはずだが883年にサラセン人に破壊された。11世紀に写本工場が復活するものの、つづく12世紀に作られた目録には70冊しかない。

 

 ◆ ボッピオ修道院(Bobbio)
伊。カールの従弟ヴァラが院長を務める。この修道院は前頁でも記述している。現代イタリアを代表する蔵書家のウンベルト・エーコが「薔薇の名前」でここを舞台にした様にこの時期の西欧では知の集積地といえる存在だった。九世紀後半作成の目録ではこの時期最大の700冊が記載されている(これはこの次の時代に西欧最大の修道院として君臨するクリュニーのそれより多い)。しかし15世紀に蔵書は散逸。

 

 

 スイスではこちら。

 ◆ ザンクト・ガレン修道院(St.Gallen)
瑞。 やはりカールマルテルの時代からカロリング家とかかわりが深い。9世紀後半に作られた目録に、同時代の収書を加え428冊の所有が確認される。ここは後の世になってさらに蔵書で名を馳せた。

 

 

 ドイツとスイスはヴァイキングやイスラムによる被害は少なかったので目録の残るところが多い。

 ◆ ライヘナウ修道院(Reichenau)
独。カールの祖父カールマルテルが寄進をもって創建を助けた。9世紀前半の目録にあるだけで415冊ほど。

 

 ◆ ロルシュ修道院 (Lorsch)
独。フランク王国最重要の拠点たるライン中流域にあり歴代国王の庇護を受けた。9世紀中頃の蔵書目録には590冊もあった。

 

 ◆ フルダ修道院(Fulda)
独。ボニファチウスがゲルマンへの布教拠点に設立。フラバヌス・マウルスの下でヨーロッパ全域にその学問の影響を及ぼした

 

 ◆ ザンクト・エンメラム修道院(St.Emmeram)
独レーゲンスブルク。東フランクに保護され力ロリングルネサンスの終り頃には最も活発な写本の生産拠点である。10世紀末の目録になってしまうが、古典作品を除いても513冊もあった。

 

 

 アーヘンの宮廷文庫自体も散逸しており、そこで制作された写本はほとんど残ってませんが、これらの修道院も当時の蔵書を無傷のままで今日まで伝えるところはありません。九世紀はヴァイキング、イスラム、マジャール人の侵入を受けた時代でした。
 まずフランスのサン・マルタン、サン・ドニは略奪にあっており、フルーリー、コルビーも被害に遭遇しています。
 イタリアではモンテ・カッシノの11世紀の目録にはわずか70しか残ってないし、この時期にはなんとか持ちこたえたボッピオの蔵書は15世紀に散逸し、主にミラノのアンプロシアーナ図書館やヴァチカンに入ってます。
 ドイツのフルダも十六世紀まで持ちこたえましたが宗教改革期には散逸していたとのこと(その旧蔵書は今でも欧州各地の伝統ある図書館にみつかります)。ドイツの場合、バイキングやイスラムからの被害は少なかったわけですが、その後の宗教改革と三十年戦争でやられてます。フルダとライヘナウの終焉は三十年戦争です。
 案外、大昔にイスラムに破壊されているモンテカッシーノが、その後もちまちまと続いてきて、ナポレオン戦争でもかなり破壊され、最終的には第二次大戦時の連合軍の空爆でやっと終了したなんて話もあります。
 唯一近世篇でもカテを作る予定にしてるのは、比較的被害の少ないスイスのザンクトガレンです。マジャール人、宗教改革、フランス革命と荒波を潜り抜けてきました。

 文化史的には、カロリングルネサンスというのは非常に大きな意義を持つんですが、過大評価は禁物です。あくまでこれはアーヘンの宮廷内で行われた「点」の文化に過ぎず、言葉の由来となったイタリアルネサンスのように広い領域にわたって行われた「面」の文化とは異なります。そのアーヘンの宮廷は今復元図を見ると日本の高校か中学ぐらいの建物です。それを受けて写本制作を行ったこれらの修道院にしても数はわずかで、よくいって「線」の文化でしょう。

 さて、カロリング・ルネサンスの伝統や蔵書を受けついた修道院は主に大陸側の仏・独・伊でした。対岸の英国はむしろカロリングルネサンスの生誕へ影響を与えた側ですが、そちらの修道院の災難についてもお話ししておきましょう。地理的に一番バイキングに狙われやすい場所ですから。
 前ページに記載したウェアマウスの文庫は867年デーン人に破壊され、ヨークの文庫やピーターバラの文庫もバイキングに焼かれています。
 しかしおそらくバイキング被害を最も被ったのは、ケルト文化を保存してきたアイルランドを中心とする写本活動で、リンディスファーン島、クロウランド、グレンダーロッホ、クロンファート、クロンマクノイズ、イニッシュ・ムーリー、バンガー、キルデア、モビルの修道院が消滅しました。

 

 

 

 

〔3〕十世紀 オットー朝ルネサンス


 本家の「イタリア・ルネサンス」以外にも、「カロリング・ルネサンス」、ハスキンスの「12世紀ルネサンス」などと、西洋人はルネサンスが好きだなあと思われるかもしれませんね。
 この「オットー朝ルネサンス」も、カロリングルネサンスから流れる水脈のひとつでその遺産も受け継いだ文化振興です。共に文化史的にはビザンツの影響があったとされている点でも共通しています。またカロリングと同様、面ではなく点の文化振興のきらいもあります。

 「オットー朝ルネサンス」は、オットー大帝(オットー一世 Otto I.912-973)による神聖ローマ帝国の建国以後に興ったもので期間は大体孫のオットー三世の治世ぐらいまで。「オットー朝美術」と、主に美術の側面で言われることが多いんですが、書籍蒐集や写本活動の面でも語るべきことはあります。
 美術面ではオットー二世のビザンツ皇女との結婚によってビザンツの影響が強いのに対し、絵入り写本に関してはむしろカロリングルネサンスのそれを強く受けています。
 下記のオットー三世は多少の書物のコレクションがあったようですが、彼の祖父のオットー一世には、コルヴのジョンをコルドバへ派遣してアラビア語を学ばせ、革袋いっぱいにアラビア写本を詰めて帰国させたという逸話があり、その蒐集も受け継いでいたのかもしれません。
 欧州におけるイスラムからの書物の受容は、13世紀のフリードリヒ二世やアルフォンソ五世などのものが歴史的に大きな意味を与えられています。ただ、それに先立って暗黒期といっていい10世紀の段階でオットー大帝がコルドバからも書を得ていた事実はもう少し注目されるべきでしょう。この大帝にはザンクト・ガレン修道院の文献の整理を奨励していたなんていう話も残ってました。

 


 ◇ オットー三世(Otto III 980-1002)
 ハスキンスによると十世紀の末頃、イタリアにオロシウス、ペルシウス、リウィウス、フルゲンティウス、イシドルス、ポエティウスなどの写本を持っていたとされる。なお次のハインリヒ二世も多くの写本を北方のバンベルグにある彼の司教座聖堂に運んだという記録が残る。
 前頁では◇印のカテを作って紹介した蔵書家は二人だけだったが、この頁ではそれが3人に増えた(カール大帝、オットー三世、ジルベール)。いずれも冊数はわからない。蔵書目録は主に修道院や司教座聖堂において作られ、個人や王室の蔵書の場合に作成されるのはごくごく例外的なケースだったからである。(例えばこの十世紀であればパソーの司教某が56冊保有してたという記録が残っている) 

 

 

 ◇ ジルベール・ド・オーリャック(Gerbert d’Aurillac 950-1003)
 十世紀の西欧において最大の蔵書家と目されているのが、上記オットー三世の師であったジルベール・オーリャックである。
 ジルベールは昔から「黒魔術師」だの「紀元千年の魔術師教皇」だのと言われてきたが、それはこの暗黒時代にあって広範囲に知識がありすぎたためでもあろう。古代ローマ期の古典哲学に造詣が深く、数学者でもあり、時計から天球儀・オルガンにまで至る精密機械工作も自らこなしたそのフィールドの広さは他の教皇経験者とは明らかに異質である。こうした万能ぶりに加え、宗教制度上で頂点の地位にありながら、民間伝承にも登場してくるようなカリスマ性をもち、むしろ我が国の空海や良源を思わせる存在である。

 といって、ジルベールに異教的な雰囲気が強いことも否めない。イスラム圏だったコルドバへの留学は事実でなくとも、スペインに長期滞在したことは確かであり、当時の世界最大の情報の集積地だったコルドバの「イスラムの知」から何ら影響を受けていないとは考えにくいからだ。
 ジルベールは生涯にわたり自ら対価を払って古代ローマ期の著作を収集していたといわれ、ランス時代における彼の授業はそうした古典をテキストに進められたという。(アリストテレスの「オルガノン」をはじめとして、スエトニウス ホラティウス デモステネス、キケロ、ポルフュリオスなど。)彼の教えを受けた中にはオットー三世やフランス国王ロベール2世がおり、特に前者との関係はそのキリスト教帝国復活の理想に彼の後半生をもって尽くすことになった。999年に教皇シルヴェステル2世として即位するが、3年後に亡くなる。
 アラビアからアリストテレスが流入する以前の中世ヨーロッパで彼に匹敵しうる知的存在はおそらく九世紀のエリウゲナのみであり、この二人だけが明けの明星のように輝いている。エリウゲナという特異な人物の誕生は、上に指摘したように英国近辺の辺境出身という生まれが、その地に残存していた古典文化を吸収せしめたことにあった。しかしフランスの庶民階級出身であったジルベールの場合、バックグラウンドは複雑である。まずオットー三世との関係からオットー朝ルネサンスを彩る人物の一人に挙げられる。そして上に記載したイタリア最大の書籍集積地ボッピオ修道院の院長も務めた事があり、その意味でカロリングルネサンス直系の存在ともいえる。が、同時に修業時代にイスラムの影響も伺わせていて、資料の乏しいこの時代にあってはなかなかその全体像が掴みにくい人である。

 

 

 

 


【最後に】
 カロリング・ルネサンスからオットー朝ルネサンスに至る100年の間に全西欧で生み出された写本の数は7000冊ほどに過ぎない。この程度の量なら17世紀以後の西洋では一人で所有してる蔵書家はざらにいた筈である。しかしそれ以前の400年間ではわずか1800冊だったことを考えてみれば、この期間がのちの社会に与えた影響は果てしなく大きく、ここで作成された写本がのちの世に移し替えられてゆく。
 ひとつ不思議なのは、アーヘン文庫の流れを受けたいくつかの修道院の蔵書数は、その次の時代の11、2世紀に最大を誇ったクリュニーやダラム大聖堂のそれすら数に置いて上回っていたことだが、それはまた次頁に。

 

 

 

 

総目次
 
まずお読みください

◇主題  反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4

◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ 
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
 

◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya

◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》

◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》

フランス イギリス ドイツ  イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀  16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀  17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀  18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀  19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀  20世紀概観
仏概史  英概史  独概史  伊概史

◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元   中華・中共    

◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
 
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ

◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期

◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
 
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC

◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 

◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀①   19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③

 

 

Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
 
◇終曲   漫画の蔵書家たち 1 
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
 

§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]

§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
 
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
 
Θ カーテンコール 
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④


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  1. 総目次  2019/5/24更新 – 蔵書家たちの黄昏
  2. [116] Twilight of the Book Collectors – 蔵書家たちの黄昏
  3. [113] 現代日本の蔵書家11 十五万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  4. [114] 現代日本の蔵書家12 二十万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  5. [10] 鏡像フーガ5 明治大正期の蔵書家 – 蔵書家たちの黄昏
  6. [6] 鏡像フーガ1 プロローグ – 蔵書家たちの黄昏
  7. [15] 鏡像フーガ10 すべては図書館の中へ – 蔵書家たちの黄昏
  8. [201] 古代の蔵書家 オリエント – 蔵書家たちの黄昏
  9. [202] 古代の蔵書家 ギリシア – 蔵書家たちの黄昏
  10. [204] 古代の蔵書家 ローマ – 蔵書家たちの黄昏
  11. [211] イスラムの蔵書家たち カイロ – 蔵書家たちの黄昏
  12. [212] イスラムの蔵書家たち コルドバ – 蔵書家たちの黄昏
  13. [213] イスラムの蔵書家たち 十字軍以降 – 蔵書家たちの黄昏
  14. [8] 鏡像フーガ3 大名たち – 蔵書家たちの黄昏
  15. [9] 鏡像フーガ4 江戸の蔵書家  蔵書家たちが交流をはじめる – 蔵書家たちの黄昏
  16. [118] 現代欧米の蔵書家たち 10000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  17. [205] 中世の蔵書家 5, 6, 7, 8c – 蔵書家たちの黄昏
  18. [208]中世の蔵書家たち 13,14c – 蔵書家たちの黄昏
  19. [7] 鏡像フーガ2 蒐集のはじめ – 蔵書家たちの黄昏
  20. [112] 現代日本の蔵書家10 十万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  21. [111] 現代日本の蔵書家9 九万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  22. [115] 現代日本の蔵書家∞ エピローグ – 蔵書家たちの黄昏
  23. [120] 現代欧米の蔵書家たち 30000クラス,40000クラス,50000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  24. [13] 鏡像フーガ8 昭和期の蔵書家 (1970年頃まで) – 蔵書家たちの黄昏
  25. [102] 現代日本の蔵書家たち0 プロローグ – 蔵書家たちの黄昏
  26. [105] 現代日本の蔵書家3 三万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  27. [104] 現代日本の蔵書家たち2 二万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  28. [203] 古代の蔵書家 ヘレニズム – 蔵書家たちの黄昏
  29. [207]中世の蔵書家たち 11 12c – 蔵書家たちの黄昏
  30. ワイタムの森 – 蔵書家たちの黄昏
  31. [103] 現代日本の蔵書家たち1 一万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  32. [300] 主題回帰 反町茂雄によるテーマ – 蔵書家たちの黄昏
  33. 総目次  4/15更新 – 蔵書家たちの黄昏

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