《2 イスラム成立 バグダッド》
マホメットとその配下による征服のスピードの異常さはよく語られますが、ペルシアからスペインにわたる長大な帝国をあっという間に築き上げてます。
ダマスクスを首都に定めたウマイヤ朝がその地で宮廷図書館を作った後、これに代わったアッバース朝がバグダッドで有名な「知恵の館」を開くことになります。
◇ ウマイヤ朝 王室図書館 ٱلْخِلَافَة ٱلْأُمَوِيَّة Banu Umayya
ウマイヤ朝の5代カリフ、アブドゥルマリク(عبد الملك بن مروان、Abd al-Malik ibn Marwan 646-705)が690年首都ダマスクスに設立。この図書館は国家の文書館機能を持つ部分と、宗教著作などを所蔵した宮殿図書館に分かれていて、後者が王家の蒐集ないしは図書館といえるものである。これは学者や学生などに公開されていた。ウマイヤ朝滅亡と同時に消滅する(750年)。
歴代のうちでは10代カリフ、ヒシャーム(هشام بن عبد الملك, Hisham ibn Abd al-Malik 691–743)がペルシア史関係の書物の蒐集で知られた。
750年に上記ウマイヤ朝を滅ぼしたアッバス朝が、首都をバグダッドに移転して新たに蔵書を蓄えることになります。
751年 唐とのタラスの戦いで勝利したことからイスラム文化圏に紙がもたらされた話はよく知られていますが、もっともイスラム圏ではそれ以前から普及していたらしく、8世紀後半のバグダッドでは紙は普通に使用されていたようです。サマルカンドやバグダッドには製紙工場がありました。とにかく、中世西欧が羊皮紙を使用していたため修道院で細々と写本を生産する他なかったのに対し、中国伝来の製紙技術をさらに改良させたイスラムでは低コストでの写本生産ができたわけです。
こうした技術面での好条件に「知を求めよ」というコーランの句にも端的に表れているムスリムの知識欲が合わさって、これはかなり大規模な蔵書になりました。
◇ アッバス朝 الدولة العباسية Abbasid Caliphate
「知恵の館」 بيت الحكمة Bayt al-Ḥikma
5代ハールーン・アッラシード(هارون الرشيد Hārūn al-Rashīd 763-809 在位786-809)によって「知恵の宝庫」が設立される。初代館長のナウバフトは、自ら君主のために天文学と占星術のペルシア語文献をアラビア語に翻訳していた。
7代マムーン(أبو العباس عبد اﷲ المأمون ابن هارون الرشيد Abū al-ʿAbbās ʿAbd Allāh Al-Mā’mūn ibn Hārūn al-Rashīd 786-833 在位813-833)が後にこれを「知恵の館」と改称する。これも当初はペルシア語文献を蒐集して保存することを主目的とした宮廷図書館だった。そもそもアッバス朝は、サラセン帝国内でもペルシアのメルヴを中心に力を蓄えてきたペルシアの影響が強い一族であり、政権奪取にはペルシアのシーア派の援助も受けている。とくに7代マムーンは弟との内戦の間メルヴを本拠とし、バグダッドにはかなり遅く入ってきた。
以上のように、当初の「知恵の館」はアラビアにとって先進文化地域であるペルシア文化を吸収・保存するための施設という色彩が強かった。ただ、前述のようにマムーン統治期のペルシアはすでにホスロー一世時代に学術的にはギリシア化されていたので、ギリシア語文献をペルシア語を介してアラビア語へ翻訳する事が常となる。そしてこれがのちには直接ギリシア語文献をアラビア語に翻訳するように変わってゆく。(すでにラシッドの「知恵の宝庫」時代にも直接ギリシア語をアラビア語に翻訳していたケースはあった)。これらに携わっていたのはやはり以前ペルシアにギリシア文化をもたらしたシリア系ネストリウス派キリスト教徒であり、彼らはバグダッドやダマスカスへ移ってきていた。初代館長こそペルシア人だったが、2代目以後はいずれもキリスト教徒である。
全盛期の知恵の館の蔵書は数十万といわれ、翻訳センター、研究センター、学校、天体観測所も兼ね備えて中世イスラム文化の中心地として君臨した。数学者のフワーリーズミーなどもフルタイムで勤務している。
10世紀後半になるとカイロやコルドバに立てられた王朝の蔵書がここを上回る規模に達し、それらとともに東西のイスラムをつなぐ情報ネットワークの一環として機能する。最後は、1258年モンゴル帝国によって完膚なきまでに破壊されて終焉を迎えた。
古代篇・中世篇からこのイスラム篇までの流れをみてきて、ものすごく大雑把に言うとすれば、ギリシア・ローマの学問・芸術の諸文献は、5世紀まではアレクサンドリア大図書館で保存され、それ以降8世紀まではペルシアの「知恵の館」で、そして12世紀まではアラビアで保存され、このアラビア語訳アリストテレスの導入によって中世西欧に初めて科学が芽生えたという事になるのではあるまいか。(ちなみにアリストテレス自体はシリア人が持ち込んだ)
◆ イル・ハン国 マラガ天文台付設図書館 Maragheh observatory رصدخانه مراغه
アッバス朝滅亡後カリフの図書40万冊を没収したフラグ汗が、ペルシア人のアッディン・ツーシを館長にイランのマラガに設立した。
[個人蔵書家たち]
で、やっとここから君主以外の蔵書家の話に移れます。
まずウマイヤ朝ダマスクスで最も重要な存在はシアブ・アル・ズーリでしょう。
◇ シハブ・アル・ズーリ Muhammad ibn Muslim ibn Ubaydullah ibn Shihab al-Zuhri ابن شهاب الزهري 671–742
マホメットの伝記や言行録の蒐集家。九世紀に多数編纂されたハディースは主に彼の蔵書がもとになっている。
◇ アブ・クラバ
◇ アブ・ウムラオ・ビン・アウ・アラ
◇ クレブ・ビン・ムスリム
などの個人蔵書の記録があるがウマイヤ朝滅亡時に王宮図書館と共にこれらの蔵書も破壊されているので何も残っていない。錬金術書が多く消えたといわれる
これより下が、アッバス朝バグダッドの蔵書家たちになります。
アッバス朝の知恵の館は、一部学者を除いて一般人には解放されない宮廷蔵書というカテゴリーに入りますが、891年頃のバグダッドには100以上の書店があって、当然市井にも個人による書籍蒐集は多くみられました。(但しコーランは手で書くものだとされていたので19cまで写本のみ)
とくに、学者や金持ちには私設の文庫を構えるような規模の大きな蔵書家が多く、彼らの多くは個人で写本師を雇っています。西洋の場合13世紀以前は君主でさえほとんどが読み書きができないわけで、まさに雲泥の差がありますね。
下の蔵書家たちの中には、バルマキやイブン・カーカーンのようなアラビアンナイトでお馴染みの名前も見当たります。
◇ アル・ワキーディ أبو عبد الله محمد بن عمر بن واقد الاسلمي Abu Abd Abdullah Muhammad Ibn Omar Ibn Waqid al-Aslami 747-822
歴史学者で初期には法官も務めた。5代ハールーン・アッラシードに仕える。マホメットの伝記学者であり、そこから征服時代にかけてのイスラム史の初期の記述をおおむね決定した存在である。ラクダ600箱分の蔵書を残す。その弟子たちにも個人文庫を所有するものが多かった。
◇ ジャアファル・アル・バルマキー جعفر بن يحيى, Jafar al-Barmaki 767–803
神学書を多く揃えていた。バルマク家は代々高官を輩出したペルシア系の名門だったが、ラシードによる粛清に遭い一族1200人が虐殺され、彼もその時処刑されている。
◇ ヤフヤ Yahya ibn Ma’in يحيى بن معين 775–847
ペルシア系のハディース学者。下記のハンバルの親しい友人でも会った。所有した本は量にして114箱分である。
◇ アフマド・イブン・ハンバル أبو عبد الله أحمد بن محمد بن حنبل الشيباني Aḥmad ibn Hanbal 780-855
ハンバルといえば、まずアブ・ハニーファ、マリーク・イブン・アナス、シャーフィイーと並ぶイスラム四大法学者の一人として日本でもよく知られている。ハディース学者として9世紀を代表する存在だった。ハディースの蒐集を行ってその成果を「ムスナド」にまとめた。厳格なハディース解釈を主張してイスラム神秘主義的な考え方を批判する。またマームーンが採用したムウタズィラ派神学を否定したことから投獄もされたという。所有する本の移送には13頭のラクダを要した。
◇ ハッサン・アルジャーディ ~858
◇ アリー・ヤフヤ Ali ibn Yahya 9世紀
7代カリフのマムーンに仕えていた天文学者。その個人文庫は大きさと壮麗さから「知の宝庫」と呼ばれる。自らの蔵書からの書写本を用意するなど他の学者・文化人のための文庫設立も援助していた。
◇ アブドゥル・マリク・ジヤト 九代カリフに仕えた。膨大な天文学書
◇ アル・フィタ・イブン・カーカーン الفتح بن خاقان Al-Fatḥ ibn Khāqān 817–861
10代カリフのムタワッキルの養子。カリフの顧問であり、過去にもエジプト知事など要職を歴任したが最後は共に暗殺されている。しかし多くの文学者のパトロンであり、自らの著述も残した。
サマラの宮殿に建設されたその個人図書館は、多くの学者が利用したことからわかるように量的にも質的にも前例のないほどのものと言われた。特に天文学書は膨大であった。ヒュー・ケネディはこの当時の最大の蔵書家だとしている。ちなみに蒐集を担当したのは上記のアリー・ヤフヤである。
◇ アル・ジャーヒズ أبو عثمان عمرو بن بحر الكناني البصري Abū ʿUthman ʿAmr ibn Baḥr al-Kinānī al-Baṣrī 776-869
神学者で文学者である。長い生涯には200もの著述をしたと言われる(現存するのは30ほど)。上記のカーカーンに後援された。亡くなった原因は自宅図書館の本の山が崩れたことである
◇ イブン・イスハーク 法官
◇ アル・ザッジャーリ ~923
◇ ムハンマド・ブン・フサイン 10世紀前半
書籍商のナディームはその著で、この文庫ほど規模の大きなものを見たことがないと記述している。内容はアラビア語文法書、文献学、文芸書、古代の古典など多岐にわたる。
◇ サイド・アル・サミリ Said al-Samiri ~1251 1万冊。
◇ イブン・アル・アルカミ ibn al alkami 1195-1258
1万冊の蔵書を持っていたバグダッドの高官。モンゴルによってこの都が陥落・略奪された際に亡くなっている。黄金期のバグダッドの末尾を飾る蔵書家であろう
以下はシーア派です。ブワイフ朝のバグダッド占領時代の人が多いです。
◇ イブン・ウクダ Ibn Uqda ~944 量にしてほぼ600荷
◇ アブドゥル・カセム・イスマイル・イブン・ハッサン・アバッド Abu’l-Qāsim Ismāʿīl ibn ʿAbbād ibn al-ʿAbbās ابوالقاسم اسماعیل بن عباد بن عباس 938-995
おそらくイスラムの蔵書家の中ではもっとも有名な人物。ブワイフ朝の首長で宰相も務めたが、同時に詩人にして学者だった。蔵書は20万6千冊。目録だけで10巻に及ぶ。運搬に400から700のラクダを必要とした(ラクダの数と合わないので蔵書数の信憑性には疑問があると原田氏。一方11万7千冊という説もある。いずれにせよ巨大な蔵書である)。本の目録通りの順序がバラバラになってしまわないように、アルファベット順に並んで歩くようにラクダを訓練したといわれる。また自身が砂漠を移動する時には本を積んだラクダ30頭をともない、後にナポレオンが夢見て諦めた個人用移動図書館を実現させていた。
◇ バハー・アル・ダウラ Baha al-Dawla بهاء الدوله, 988–1012
ブワイフ朝5代君主。1万冊
◇ サブル・ベン・アルデシャイール Sabur bn Ardashir شاپور بن اردشیر ~1025
シャプールの族長。上記バハー・アル・ダウラの相談役である。ブワイフ朝がバグダッドを占拠していた時期にその大臣を務めている。991年シーア派の研究機関を建設し10万冊を置く。バグダッドには公開の図書館は彼が建てるまではなかったらしい。
◇ ムルタダ 965-1044 Abū al-Qāsim‘Alī ibn Ḥusayn al-Sharīf al-Murtadā أبو القاسم علي بن الحسين الشريف المرتضى
シーア派を代表する法学者。蔵書8万冊
他の地域、ペルシアとシリアも見て置きます。
8世紀から9世紀にかけてアッバース朝の下、バグダッドでイスラム文化が繁栄している時期、イラン系のサーマーン王朝統治下のブハラにサーマーニー一族の図書館がありました。シーラーズ、イスファハーン レイなどにも図書館。
10世紀半ばにバグダッドに入城して同地を支配したブワイフ朝もイスファハーンの王宮に文庫を作っています。
◇ ブハラ サーマーン朝 王宮図書館 سامانيان Sāmāniyān,
総督の治療をした医聖イブン・シーナーがここで学ぶのを許されている。
◇ イスファハーン ブワイフ朝 王宮図書館 آل بویه Buyid dynasty
この王宮図書館サイバン・ウル・ヒクメには王子たちの蔵書を収めていた。しかしガズナ朝に征服されたときガズナへ持ち去られ、のちにゴール朝がガズナを陥落させたときに蔵書の一部が焼失した。その中にイブン・シーナーの「東洋哲学」があったといわれる
◇ イブン・アミッド Ibn al-Amid ~970
レイ在住の宮廷の高官。建築手法と都市計画を論じた「建築都市」の著書もある。蔵書は移動に100頭以上のラクダ.
在シリアでは
◇ バイサーニ al-Baysani ~1200 族長。7万冊
このページの記述は多くが「中世イスラムの図書館と西洋」(原田安啓)、Medieval Islamic Civilization [Josef W. Meri] に負っていますが、個人蔵書の部分はナディームの著述 Fihrist がもともとの種本らしく、本の分量を表現するのに何箱とか、ラクダ何頭とかそういう表現が多いです。
≪トピック1 盛期イスラムの書物世界 ナディームの目録より ≫
ではこの時期のバグダッドの書物の世界が一体どのようなものだったか、ご参考になるものとして、書籍商イブン・ナディームが作成した書籍目録の概要(目次)を下に記しておきます。この目録は当時のイスラムの書物の全てを網羅する意図のもとに書かれたものです。 by 清水和裕「イブン・ナディームの『目録』より」
Ⅰ 諸啓典
① 言語と書体
② 旧約聖書、新約聖書などの諸啓典
③ クルアーン
Ⅱ 文法学
① バスク学派文法学者とその著作
② クーファ学派文法学者とその著作
③ 両派に所属した文法学者とその著作
Ⅲ 歴史情報 教養書 偉人伝 系譜
① ハバル(歴史情報)や故事の徒と系譜学者とその著作
② 諸王 書記官僚 文書作成者 徴税官とその著作
③ 君主の飲み友達 お相手役 歌手 道化とその著作
Ⅳ 詩人とその詩
① 前イスラーム時代と初期イスラーム時代の詩人とその詩集
② イスラーム時代と最近の詩人
Ⅴ 神学と神学者
① 神学派のはじまりとムウタズィラ学派、ムルジア派とその著作
② シーア派、過激シーア派神学者とその著作
③ ムジュヒル派、スンナ派神学者とその著作
④ ハワーリジュ派神学者とその著作
⑤ 禁欲派 スーフィズム系の人々とその著作
Ⅵ 法学派 法学者とハディース学者
① マーリクやマーリク学派とその著作
② アブー・ハニーファやハナウィー学派とその著作
③ シャーフィイーやシャーフィイー学派とその著作
④ ダーウードやダーウード学派とその著作
⑤ シーア派法学者とその著作
⑥ ハディースの徒とその著作
⑦ アブー・ジャアファル・タバリーやジャアファリー学派とその著作
⑧ ハワーリジュ派法学者とその著作
Ⅶ 哲学と古の知識
① 哲学者、自然科学者、論理学者とその著作、翻訳書、解説書、(現存するもの 名のみ伝わるもの、失われたもの)
② 教育者 幾何学者 数学者 音楽家 天文学者 工芸家 工学者
③ 医学の始まり 新旧医学者とその著作、翻訳書、解説書
Ⅷ 夜物語 おとぎ話 魔物払い 魔法 奇術
① 夜物語、おとぎ話、絵物語の作者とその著作である夜物語や寓話
② 魔物払い 奇術師、魔法使いとその著作
③ 編纂者も著作者もわからない多彩な内容の著作
Ⅸ 宗派や信仰
① 現在サービア教として知られるハッラーンのカルデア教、マニ教、ダイサージ教、ホッラム教、マルキオン派、マズダク教、その他二次的な教団とその著作
② インド、中国その他の国々のような変わった宗派の記述
Ⅹ 新旧哲学者のうち化学者 錬金術師
だいたいこのナディームという人がいなければ、この時代の書物のタイトル・内容にせよ、蔵書家の事にせよ、今日の我々はほとんど何もわからなかったわけです。その意味で、我が国昭和期における反町茂雄を彷彿とさせる人物です。
イブン・アル・ナディーム(Ibn al-Nadīm 932?-990)は、本名がアブー・ファランジュ・ムハンマド・イブン・イスハーク・ワッラーク。多くの筆耕を抱えた書籍商で、客からの注文を受けて写本の形式で書籍を販売していました。シーア派であったと推定されており、目録の名称「フィフリスト」自体がペルシア語であるため、ペルシア人説も有力です。
彼はアラビア語で書かれた書物の完全な文献目録の最初の試みである「目録の書」(フィフリスト Kitāb al-Fihrist)を出版しました。これには3500人以上の著者の全著作6600部が載せられており、その量と内容はこの時代の出版文化の隆盛を伺わせるに十分なものです。
目録はアル・ファーラビーによる学問分野の区分に基づいて主題ごとに10のセクションに分けられています。簡単な解説やナディーム自身の意見が書き込まれたケースもあり、史料の少ないこの時代にあっては非常に貴重な情報です。その一方で、アン・ブレアはナディームがビザンツにおける書誌学的な試みも知っていたのでは?と推測していました。
なお、この数百年後の17世紀にハジ・ハリファがアラビア語文献の完全な目録「書誌総覧」(フィフリスト Kitāb al-Fihrist)を完成させてナディームの業績を更新します。こちらはアルファベット順で一万五千項目に上りました。
「ナディームのあげた千冊のうち一冊も現存していない」とかつてエルマー・ジョンソンは書いていましたが、確かに彼の目録にあるイスラム書物はコーランなどを除くとほとんどがこの世から消滅しています。
また、(最盛期の)イスラムの知という場合、決してこれだけに限られないことにも注意しておくべきでしょう。
上記のナディームの「目録」はアラビア語書物のみです。しかし、イスラム圏の図書館による膨大な集書は世界各国に渡っていて、例えば「知恵の館」ひとつ例にとっても、当時のイスラム商業のネットワークを駆使してスペインからインドまでの図書館が渉猟されていました。
イスラムの大図書館は残念ながらほとんど散逸してしまっていますが、現在残ってる目録をみると、ギリシア・ラテンの古典、サンスクリットの哲学、エジプト史、ヒンズー教の叙事詩、中世フランスの恋愛詩 あらゆる時代の科学・伝記など、主題領域が広範囲で言語も多様な事が分かります。リヴィウスもあればガレノスもあり、ユスティニアヌス法典もあればアリストテレス全典の完全なコレクションもありました。
総目次
◇まずお読みください
◇主題 反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4
◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya
◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》
◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》
フランス イギリス ドイツ イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀 16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀 17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀 18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀 19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀 20世紀概観
仏概史 英概史 独概史 伊概史
◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元 明 清 中華・中共 附
◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ
◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期
◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC
◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 2
◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀① ② ③ 19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③
Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
◇終曲 漫画の蔵書家たち 1 2
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]
§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
Θ カーテンコール
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④
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