蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[215] ロシアの蔵書家たち 16世紀

前項に引き続き、このページではロシアに国家としてのまとまりをもたらしたイワン雷帝の蔵書について語ります。

中央集権国家としてのロシアの礎を築いたのがこのイワン四世であり、管理人はジャラジャラ流れる金貨を頭で受けていたエイゼンシュタインの映画のイメージが強すぎてそれが頭から離れません。

 

 

 


〔16世紀〕

 

 ◇ イワン雷帝
(イヴァン四世 / Иван IV Васильевич Ivan / IV Vasil’evich 1530-1584)
彼の蔵書は推定されるところではおよそ900冊に上っていて、当時のロシアでは他とは隔絶した異例の規模を誇るが、むしろ従来これらが注目されてきたのはその「来歴」による。
1453年にビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都コンスタンティノープルがオスマントルコにより陥落し、二十数世紀間にも渡って存在し続けた「偉大なるローマ」が消滅した。その際亡命した皇弟ソマス・パレオロゴスが皇室の蔵書をヨーロッパへもたらしたという。800冊の書物から成るコレクションは娘のソフィヤに受け継がれ、のち彼女はモスクワ公国のイヴァン三世へ嫁す事となるがこの時に件の蔵書も持参していて、孫のイヴァン四世の蔵書はこれらの貴重な写本を主体としていたという説が存在する。
これが事実なら、ビザンツで営々と蒐集されてきた写本には、当然カロリング・ルネサンス以来欧州で伝来したものには見当たらない貴重な書物が多数含まれているわけで西洋の人文科学にとってはまさに大問題である。十九世紀の史家ダベロフが蔵書のフォリオ本のリストを見たと主張しており、その言によれば、リウィウス『ローマ建国史』全142巻(現在残るのは35巻)やキケロ『国家論』の完全版(断片のみ残る)、ヴェルギリウスの未知の詩などがあったという。またイヴァン自身も新たに欧州へ人を遣って写本や珍しいフォリオ本を収集しコレクションを拡充していた。
ただ、雷帝の死後これらの書物は公の記録から消え、行方が謎のまま今日まで来てしまう。現在でもクレムリン内部に隠されているという見方は有力で、ロマノフ朝の皇帝たちやスターリンが学者をクレムリンに入れて探させたこともある。
一方で蔵書自体の存在を疑う向きも多く、これに言及した多くの年代記の記述が明確な証拠を欠いている点や、ダベロフがリストを見せなかったことなどが理由として主張されている(リウィウスのローマ史やキケロの主著を挙げるところが「いかにも」という感じがするので管理人もダベロフ証言は眉唾だと思う。しかし、イワン雷帝の蔵書に関する文献らしい文献は1820年代にユリエフ大学のダベロフ教授が公刊した「帝が東方からもたらした本」という著者不明の本以外にない。ベロターロフはこれが偽書だとしていた。)
仮にこの蔵書が実在していたにしても、モスクワは1626年に大火にあっているため灰燼に帰した可能性も強い。また1610年代にポーランドの侵略をうけたときに、モスクワで包囲されたポーランド人がチュードフ修道院の蔵書の羊皮紙を食べた記述が残っているので、「イワン雷帝の写本もこの時食べられたのでは?」などと言う人もいるようだ。

 

 

 ◇ ストロガノフ家(Строгановы Stroganov)
16世紀の段階における民間の蔵書としては、大商人ストロガノフ家が知られている。ビーフストロガノフの由来にもなったロシアきっての名家で、この世紀に製塩事業で家を拡大し、後代には伯爵位も授けられ、ロシア革命の頃まで続いた。
この名家については以降のページでも項目を設ける事になる。

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