蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[217] ロシアの蔵書家たち 十八世紀①

〔18世紀 1701~1725〕
ピョートル大帝のイニシアティブによるロシアの近代化で学術面での振興が図られて個人蔵書も17世紀に比べて格段に規模が大きくなっている。ピョートル自身もこの時代有数の蔵書家であった。

 

 


 ◇ ピョートル大帝
(ピョートル一世 Пётр I Алексеевич Pyotr I Alekseevich 1672-1725)
蔵書目録には1663冊がある(他にもっとあったという推定は多く、2000冊近かったとも言われている)。ただこれには家族のものなども含まれる。
ピョートルの蔵書は死後にペテルブルクアカデミーに移されたが、その時点で目録が作成されず他と分離して管理もされなかったので長らく研究困難だった。これはもともと科学アカデミー図書館のそれ以前の蔵書自体が、モスクワの帝室文庫を中心としたものだったためか。アカデミーへ移管される際には、1725年のエカテリーナ一世の勅令で先に204冊だけが移されたが、あちこちに分散されていたため全部が収まるには結局5年近くを要したという。蔵書の内容に関しては前記の論文が詳しいが建築関係に価値の高いものが多く、中にはイワン雷帝の旧蔵書とみられるものもあったとのこと。

 

 

 以下の三名はピョートル大帝を越える蔵書を持っていた。

 ◇ アレクサンドル・ダニーロヴィチ・メーンシコフ
(Алекса́ндр Дани́лович Ме́ншиков Aleksandr Danilovich Menshikov 1673-1729)
3000冊。18世紀ロシアの第一四半期では最大の蔵書家。約1万3000冊という説もあり正確な冊数は分からず。1987年の目録の発見で研究が進行中。
馬丁の子からピョートル一世の従卒になり、数々の戦功によって大元帥へのぼりつめた。ピョートルの死後は政局にも関与し、皇后を皇帝に擁立してエカテリーナ一世として即位させ自らも権勢をふるう。エカテリーナの死後に失脚し財産も没収された。

 

 ◇ ドミトリー・ミハイロヴィチ・ゴリツィン公爵
(Дмитрий Михайлович Голицын Dmitry Mikhailovich Golitsyn 1665-1737)
2765冊。政治家・外交官。こちらも6000冊という説もあるが、ルッポフの研究によると2765冊とみなされている。ロシア語以外にもフランス語・ラテン語・ドイツ語・英語・オランダ語・スペイン語・ポーランド語・スウェーデン語・ギリシア語など多言語にわたり持主の教養を偲ばせる。
ゴリツィンは上記のメンシコフと同様に、ピョートル大帝の下でスウェーデンとの戦いで軍功がおさめたが、こちらは名門に生まれた保守派の代表で、メンシコフ失脚後のピョートル二世の治世で権力を握る。次代アンナが即位した後失脚した。

 

 ◇ P.K.アレスキン
2527冊。ピョートルの侍医で、医薬庁,医薬庁文庫,科学アカデミー図書館などを管理した経歴の持ち主だけに,医学及び生物学を主体にした蔵書内容とのこと。

 

 


 

十八世紀第一四半期のロシアで冊数が判明している個人蔵書を100冊以上のものに限り書き出してみると下記の通り。


1 メーンシコフ 3000冊?
2 ゴリーツィン 2765冊
3 P.K.アレスキン 2527冊
4 ピョートル大帝 1663冊~2000冊?
5 ピトカーン 1906冊 1522点
6 B.ブリユース 1576冊or1631冊
7 外交官 A.マトヴェーエフ 1301冊
8 府主教ステファン・ヤロフスキイ 609冊
9 ポリカルホフ 581冊
10 掌院フェオフィル・クローリク 503冊
11 商業参議会長官シャフィーロフ蔵書 484冊 265点
12 府主教イオフ 435冊
13 大主教フェオドーシイ・ヤノーフスキイ 408冊
14 A,A.ヴィニウス 375冊
15 主教ガブリイル・ブジンスキイ 365冊
16 皇太子アレクセイ・ペトローヴィチ 360冊
17 学主教ワルラアム 354冊
18 A.n.ガンニバル(プーシキンの曽祖父) 347冊
19 A.ファルヴァルソ 300冊
20 府主教ドミトリイ・ ロストフスキイ 288冊
21 皇女ナターリヤ・アレクセーエヴナ 284冊
22 宮廷侍医エリック・ポリコーラ蔵書より 142冊 121点
23 パリムストリク 123冊 120点
24 長老修道士セルギィ 112冊
25 修道司祭イオフ 105冊

 


 ピョートルによる学術振興と西欧科学の導入の影響で、大幅にその方面での蔵書が増加している。6位のブリユースの内容は数学,物理,光学,力学,工学,天文学など自然科学の全分野にわたるコレクションだったという。
 ちなみにこの当時の西欧と比較すると、フランスの王室蔵書などは8万冊にのぼり写本だけでも1万7千もあった。
 さて、ピョートル治世にロシア国内の主要な機関が保有していた蔵書数も下に書き出してみる。これらは当時のロシアではそれぞれの分野で最大の集書である。

 

〇 科学アカデミー図書館(1722) 約10000冊
〇 モスクワ印刷所(1727) 3245冊
〇 宗務院(1725) 約2800冊
〇 トロイッェ・セルギエフ修道院(1723) 1677冊
〇 ペテルブルグ兵器廠(1723) 1048冊
〇 スラヴ・ギリシャ・ラテンアカデミー(1739) 696冊
〇 使節庁(1720) 350冊以上

 

 

 最後に一つ付け加えておくと、上の個人の所蔵数順位表はほぼ岩田行雄「『ピョートル大帝蔵書』とロシアの書籍文化」に従っている。が、これにはシャムーリンの記述とは大幅に異なる場合がみられる。
 この十八世紀① [1701~1725]のページでは、1位のメーンシコフが3000冊、2位のゴリーツィンが2765冊となっているのに対し、シャムーリンではADメンシコフ13000冊、DMゴリツィンが6000冊となっている。
 またシャムーリンで25000冊とされているBPシェレメーテフの蔵書は、順位表では孫のニコライの代でも(次次項の十八世紀③ [1740年以後]に掲載)10000冊になっている。

次へ 投稿

前へ 投稿

© 2021 蔵書家たちの黄昏

テーマの著者 Anders Norén

Translate »