蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[218] ロシアの蔵書家たち 十八世紀②

〔18世紀 1725~1740年頃〕
ピョートルの没後から、識字率の向上もあって蔵書を蓄える階層は貴族や聖職者以外にも広がりを見せ始める。商人も100冊未満のところでは多く名前が出てくる。

 

 


 ◇フェオファン・プロコポーヴィチ
(Архиепископ Феофа́н Feofan Theophan Prokopovich 1681—1736)
この時期における最大の蔵書家は(1681-1736)はピョートルの宗教改革を担ったプロコポーヴィチである。実際には4000冊あったとも言われるが詳しい数字は不明。記録に残ったものでいうと、ノヴゴロド神学校に寄付された刊本3192冊と写本13冊の計3205冊。
プロコポーヴィチは宗教者とはいえ詩才もあり、政治的な活動も盛んに行って、上記メンシコフ、ゴリツィン同様にピョートルの軍征にも同行した。大帝の晩年にはその側近として総主教制度の廃止など宗教上の諸改革に携わっている。1726年宗務院副院長に就任。
彼には隠れプロテスタント説もあり、それで苦境に陥ったこともあるが、失脚はせずに最後まで権勢を維持し続けた。


 ◇ アンドレイ・オステルマン
(Андрей Иванович Остерман Andrey Ivanovich Osterman 1686–1747)
政治家。約2300冊。ドイツ出身ながらピョートル大帝時代に頭角を現し男爵位を授けられる。続くエカテリーナ二世、ピョートル二世、アンナの時代に権勢をますます拡大するがエリザベータ・ペトロヴナ帝を擁立した宮廷クーデターの際に失脚しシベリアへ追放された。


 ◇ ワシリ・タチーシチェフ
(Васи́лийНикитичТатищев Vasilii Nikitich Tatishchev 1686-1750)
1300冊。やはりピョートル時代に登用された官僚で、「古代からのロシア史」全5巻を著し、近代的なロシア史学の祖となった。

 

 

 

 

1725年のピョートルの死から1740年頃までのロシアで数が判明している個人蔵書を100冊以上のものに限り書き出してみると下記の通り。


1 フェオフアン・プロコポーヴィチ 3205冊
2 オステルマン 約2300冊
3 フェオフィラクト・ロパテンスキイ 1416冊
4 歴史学者・官僚タチーシチェフ 1300冊
5 アファナーシイ・コンドイジン 930冊
6 A.Φ.フルシチョフ 602冊
7 大主教アンヴロシイ 601冊
8 ヴォルインスキイ 545冊
9 アカデミー研究員パシケ 537冊
10 アカデミー教授 植物学者・医師J.アマン 451冊
11 ラヴレンチィ・ゴルカ 355冊
12 エロプキン 319冊
13 共同統治者アンナ・レオポリドヴナ 290冊
14 アレクセイ 269冊
15 翻訳官パウゼ 220冊
16 ゴローフキン 217冊
17 エフフイーミィ・コレッテイ 200冊
18 シベリア探検家D.G.メッサーシュミット 170冊
19 伯爵・陸軍元帥・政治家ミニフ 157冊
20 メングデン 136冊
21 ニージニィ・ノヴゴロド主教ビティリム 121冊
22 ロストフ主教ゲオルギィ・ダーシコフ 100冊

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テーマの著者 Anders Norén

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