蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[219] ロシアの蔵書家たち 十八世紀③

〔18世紀 1740年以後〕
1740年以後の個人蔵書をそれ以前と比較してみると,最も顕著な特徴は学者の蔵書の増大である。

 

 


 ◇ コルフ
(Барон Иога́нн А́льбрехт фон Корф Johann Albrecht von Korff 1697–1766)
冊数は最大で3万6千冊とも言われ、18世紀ロシア全体を通じて最大の個人蔵書家とされている。これは当時のロシアにおける機関蔵書で最も多かった科学アカデミー図書館の4万冊に匹敵する量であり、モスクワ大学図書館の1万冊を大きく上回っている。(科学アカデミー図書館は18世紀末で約4万冊,モスクワ大学は1802年の時点で9944冊)
ドイツで教育を受けたコルフは科学アカデミーの総裁(第三代 1734–1740)を務めた当代を代表する知識人で、外交官としても駐コペンハーゲン大使などを歴任している。
晩年、エカテリーナ二世が息子のために彼の蔵書を丸ごと購入した。


 ◇ ミハイル・シチェルバートフ
Mikhail Mikhailovich Shcherbatov  1733-1790

博識をもって聞こえた歴史家・イデオローグ。公爵であり元老院議員も長く務めている。
蔵書は1万5千の本に写本多数との事であるが、一方で4万巻という説もあり、上記コルフに匹敵する存在である。
この時期のロシアにおける保守派の代表と目され、西欧化の進展に対してロシア古来の醇風美俗の価値を主張した。歴史の代表作としては全15巻にものぼる大著『古代よりのロシア史』 Istoriya Rossiiskaya ot drevneishikh vremen があり、その一方で当時のロシアを統計的に記述した著作も残している。
シチェルバトフの邦訳としては、ユートピア作品の「オフィル国旅行記」がある。これは前に読んだ時は保守派というよりもフリーメーソンの理想社会を描いているような印象を受けた。今読んでるある本によると、シチェルバトフはやはりフリーメーソン会員でありこの書もその思想が投影されたものだという。そこに出てくる屯田兵制度などはその後ロシアで実施されている。

 

 ◇ シェレメーチェフ家三代
ポリス(1652-1719),ピョートル(1713-1788),ニコライ(1751-1809) 
このシェレメーチェフ伯爵家も三代にわたり1万冊ほどを蒐集していた。下の順位表にあるこの数字は、二代目ピョートルあるいは三代目ニコライの時期の頃だろうが、シャムーリンの記述によると初代のボリスの段階ですでに25000冊あったという。ロシアの蔵書家の所蔵数は説の開きが非常に大きく、もしこの数字が正しければこの時期なら三万、四万は下らないだろうと推察される。
しかし、この一族は農奴はもっと多く所有していて、その数21万と言われる。当時のロシアでは領主が農奴を歌手や俳優としてオペラを上演する「農奴劇場」が盛んだったが、とりわけシェレメーチェフ家(三代目ニコライ)によるそれ(1775~97 年)は有名で、現在でも研究対象になっている。

 

 


 ◇ ミハイル・ワシリエヴィチ・ロモノーソフ
(Михаи́л Васи́льевич Ломоно́сов  Mikhail Vasilyevich Lomonosov 1711–1765)
18世紀ロシアの国民的科学者でその業績は物理・化学などの自然科学から人文・社会科学までフォローし、ロシア語文法の基礎を作ったことでも知られる。科学アカデミー会員。ペテルブルク大学学長。
ロモノーソフは必ずしもこの時期を代表する蔵書家の一人とは言えないかもしれないが、18世紀以前のロシア最大の知的存在であり、当然その蔵書内容や読書遍歴にも最も興味を抱かれる人なので特別にカテを設けてみた。
貧しいロシアの漁村に生まれ、若い時期は苦学していたため、その集書は人生の半ばになってからであろう。彼の蔵書はエカテリーナの恋人としても知られるオルロフに売却されたため、全体の点数は不明なのだが、ヘルシンキ大学図書館で発見された55点が書き込みなどから彼の所蔵と認定され、1977年にロシア科学アカデミー図書館に寄贈されている。これ以前に本国で発見されていたのは3冊のみ。


 ◇ エカテリーナ二世
(Екатерина II Алексеевна, Yekaterina II Alekseyevna 1729-1796)
多くの蔵書家のコレクションを丸ごと買収していったエカテリーナ二世だが、彼女の場合は国家蔵書の充実が念頭にあり、それはやがてペテルブルク図書館に結実することになるので、冊数が他と桁違いに大きくてもやはり別格にすべきであろう。
上記のコルフの厖大な蒐集(30000~34000冊)をはじめとして様々な蔵書を買収しているが、その対象はフランス啓蒙主義者のものにまで及んだ。特にディドロ蔵書2904冊の買収などは、ディドロ本人をその管理人に任命しているのでこれは事実上の資金援助とみていいかもしれない。ほかにヴォルテールの6801冊,F・ガリアー二の1000冊,夫ピョートル3世の4153冊,恋人だったオルローフの2708冊,シチェルバートフ蔵書の一部分8631冊などなど。
またドイツ人ニコライを通じて13000冊を購入しているし、ポーランドのザウスキ兄弟の巨大な図書館を没収した話も有名だ。シャムーリンはエルミタージュには1794年に40000冊あったと述べているが、もっと多かった可能性もある。シャムーリンはエルミタージュには1794年に40000冊あったと述べているが、もっと多かった可能性もある。

 

 

 

 

1740年以後の18世紀ロシアで著名な個人蔵書を書き出してみると下記の通り


1 科学アカデミー総裁コルフ(1697-1766) 30000~36000冊。
2 歴史家シチェルバートフ(1733-90) 15000冊の他多数の手稿。40000説もあり
3 シェレメーチェフ家三代(ポリス,ピョートル,ニコライ) 10767冊に版画,絵画,地図2746点
4 エカテリーナ二世の夫ピョートル三世 4153冊
5 オルローフ(1734-83)エカテリーナ2世の寵臣:1441点(2708冊)
6 科学アカデミー会員,物理学者Φ.y.T.エピヌス(1724-1802) 879点(1075冊)
7 外務参議会職員ジューコフ(1736-82) 585点。
8 侍医レストーク(1692-1767)317点。
9 サンチェス (800)
10 女帝エリザヴェータ・ペトロヴナ(1709-61,在位1741-61) 仏語文献142点(583冊)
11 フルシチョフ蔵書 391
12 科学アカデミー会員,解剖学・生理学者,医者プロターソフ(1724-96) 338点(約400冊)
13 ヴィノグラードブ(1720-58)ロシアの磁器の生みの親 冶金学文献91点,多言語の多分野186点
14 政治家ソイモーソフ(1692-1780)124点。
15 博物学者,探検家クラシェニーンニコフ(1713-55) 122点または152冊。
16 J.アマン 106

 

 

 

 

以下はこの後の時代の材料置き場です。まだ読まないでください

[220] ロシアの蔵書家たち 十九世紀

Le comte Alexei Ivanovitch Moussine-Pouchkine (en russe : Алексей Иванович Мусин-Пушкин ; 1744-1817) est un homme

Nikolai Petrovich Rumyantsev ( Russian : Никола́й Петро́вич Румя́нцев ; 3 April 1754 – 3 January 1826), born in Saint Petersburg , was Russia ‘s Foreign Minister and Chancellor of the Russian Empire in the run-up to Napoleon’s invasion of Russia (1808–12). He was the son of Field Marshal Pyotr Rumyantsev-Zadunaisky from the Rumyantsev comital family.
ルミャンツェフ外相その膨大なコレクションはロシア国立図書館の核となった


Abraham (Avraham) ben Samuel Firkovich ( Hebrew אברהם בן שמואל – Avraham ben Shmuel ; Karayce : Аврагъам Фиркович – Avragham Firkovich ) (1786–1874) was a famous Karaite writer and archeologist, collector of ancient manuscripts, and a Karaite Hakham . He was born in Lutsk , Volhynia , then lived in Lithuania , and finally settled in Çufut Qale , Crimea . Gabriel Firkovich of Troki was his son-in-lawユダヤ文書13700

Aleksey Ivanovich Khludov (23 August 1818–22 March 1882) was a Russian Old Believer merchant who amassed the richest private collection of early mediaeval manuscripts in Imperial Russia
帝政ロシア期における最も豊富な中世写本のコレクター

ストロガノフ家→トムスク大学

ADチェルトコーフ 1万7千


Mattityahu Strashun ( Hebrew : מתתיהו שטראשון ‎, also spelled Strassen ; October 1, 1817 – December 13, 1885) [1] was a Russian Talmudist , Midrashic scholar, book collector ロシアのラビで膨大な所を集め死後私設図書館を作った


トルストイ 2万2千

Gennadii Vasil’evich Yudin 8万4千
ユディンコレクション
ロシアの歴史、書誌、および文学に関する出版物、18世紀から19世紀。 絵画資料 ロシア系アメリカ人会社の論文。
G ennadii Vasil’evich Yudin(1840-1912)、裕福なシベリアの蒸留所とアマチュア書誌学者は、ロシア帝国で最も優れた個人図書館の1つを開発しました。 ロシアの書誌、歴史、文学の分野で広く収集されて、ユディンは地方の公報、18世紀と19世紀の文学作品の初期版、初期のロシア語出版物、そしてロシアの文学と歴史の雑誌の重要な所蔵を集めました。 シベリアのクラスノヤルスク近くの自宅から、彼はロシアの主要図書館の注目を集めた地元の出版物を入手することができ、故郷の比類のないコレクションを集めました。 同時代の多くの人々は、1898年からシベリアで亡命している間にコレクションを使用したレーニンの中でも、ユディン図書館の範囲に感銘を受けました。ユディンコレクションは、1906年にアメリカ議会図書館によって購入されました。リソース 80,000冊が一般のコレクションに吸収されたけれども、オリジナルの手書きの目録は珍しい本と特別コレクション部門で相談することができて、そしてマイクロフィルムで同じく利用可能です。 Sergius Yakobsonの記事、「 Gennadii Vasil’evich Yudinの自伝 」、1946年2月、第3巻、第3巻、3頁に掲載されています。 13-15年には、ユディンによる伝記文と彼の図書館に関する情報が含まれています。
ユディン図書館の貴重な出版物は、貴重書と特別コレクション部門に保管されており、18世紀のロシア語の所蔵品の大部分を占めています。 アレクシス・バビーンによるユディン図書館への言及は、ラディシェフによる農奴の批判の最初の版、ピーターブルガ対モスクヴ (サンクトペテルブルクからモスクワへの旅)(1790年)などの貴重な記事を強調している。 シベリアで出版された最初の雑誌、 イルティシュ (1789)。 1753年にローマで発行されたSlavonic ABCの本。 そして最初のロシアの幾何学書(1725)。 これらは、出所を示さずに、Tatiana Fessenkoによって作成された米国議会図書館の18世紀ロシア出版物:カタログ (Washington:1961. xvi、157 p。Z2502.U5)に掲載されています。 Dostoevskiiの最初に出版された小説Biednye liudi (貧しい人々)(1847年)の最初の版と中世の詩Slovo o polku Igoreve (イゴールのキャンペーンの歌)の数少ないコピーのうちの1冊を含むまれな19世紀の本1812年にモスクワの焼却を免れるため。

ストラヴィンスキーの父 20


[221] ロシアの蔵書家たち 二十世紀

ダヴィド・ギンズブルグDavid Goratsiyevich Gunzburg (Russian: Барон Давид Горациевич Гинцбург, David Goratsievich Gintsburg, 5 July 1857, Kamianets-Podilskyi – 22 December 1910, St. Petersburg) ロシアのユダヤ系貴族で東洋学者。父がクリミア戦争成金で男爵位を得たほどの億万長者だったために豊かな資金力を持ち、同時代のヨーロッパで最大の個人蔵書の一つとされた。


Le baron Ivan Maximilianovitch de Chaudoir (Иван Максимилианович де Шодуар), ne en 1858 et mort a Jitomir le 5 mai 1919 , est un mecene russe, descendant d’une famille francaise. Il est le fils de l’entomologiste Maximilien ロシアの貴族 祖父以来の蔵書3万冊 絵画や貨幣のコレクション


ニコライ・リハチョフNikolay Petrovich Likhachyov ( Russian : Николай Петрович Лихачёв ), alternatively transliterated as Likhachev (12 April 1862 – 14 April 1936) was the first and foremost Russian sigillographer (that is, an expert on seals ) who also contributed significantly to an array of auxiliary historical disciplines, including palaeography , epigraphy , diplomatics , genealogy , and numismatics . 古代史家美術史家15000のコイン1500のイコン8万冊の本最大の古代コレクション

〔ソヴィエト連邦時代〕
中国もそうだが共産主義時代には大きな蔵書家はさほど多く出てこないようだ。その中にあって

スターリン 2万冊

Yefim Alekseevich Pridvorov better known by the pen name Demyan Bedny (Russian: Демья́н Бе́дный, IPA: [dʲɪˈmʲjan ˈbʲednɨj] ( About this sound listen), Damian the Poor), was a Soviet Ukrainian poet, Bolshevik and satirist. Contents.詩人 ソ連時代最大の蔵書家で3万冊以上 スターリンも本を借りに来たという

 

 

 

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テーマの著者 Anders Norén

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