蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[13] 欧州大陸の蔵書家たち

欧州大陸の蔵書家たち

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はじめに


 西洋において蔵書家の星とされてきたグロリエの所蔵数は3000冊ほどです。美しい装丁を施されたそのコレクションは当時最美ものとされ、量的にもこの時期のフランスでは群を抜いていました。
 ただ、フランス最大の蔵書家としてこの3000という数は、当時の他の文化圏にくらべ、いささか少なめにも感じられます。それはイスラムや明朝の例を出さずとも、これより80年程前の島国日本でさえ一条兼良が3万5千巻を所有してたことを思えば明らかです(但し巻物なので冊数に直すと数分の一になる)。
 グロリエが活躍していた16世紀の西欧はいまだ中世から完全に抜け切れた世界とは言えず、その名残を処々に残していました。

 西欧において「中世」と定義される時代は5世紀から15世紀までのおよそ千年に渡っており、こうした時代区分は無理があると言われ続けながらも、この呼称は今に至るまでずるずると続いてきています。
 この中世西欧というものが、知的な意味でいかに暗黒時代だったかということは、少々言葉を尽くさなければ中々理解してもらえないかもしれません。
 極端に言うとこの時代、文化は修道院(と、後期には司教座聖堂)にしか存在しませんでした。領主はギリシア・ローマの学芸と切り離されて無教養だし、あとは農奴です。商人階級にしてみてもこの時期は未だとるに足らぬ存在で、海外交易はヴェネチアなどの一部を除けば文化的先端地のオリエントとは断絶していました。そんな中にあって、古代からの古典的な書物を保存してルネサンス期にまで伝えたのは修道院でした。というか、正直そこしかなかったわけです。

 しかしその修道院が有していた文化にしてみても、同時代の中東や中国に比べてたかが知れている、と言われても仕方のないような状況でした。
 一例を挙げますと、かのクリュニー修道院は名実ともに西洋中世最大の修道院であり、聖ユーグや尊者ピエールなどの歴代修道院長は教皇にも匹敵する権威を持っていました。ただ、そのようなクリュニーでさえ12世紀の蔵書目録をみると、わずか570冊というありさまです。しかしこれですら、当時はダラム大聖堂と並ぶ西欧最大級の書籍蒐集だったわけです。
 クリュニーでこの有様だから、他は知れています。
 修道院の蔵書目録で現存する最古のもの(8世紀)には20冊ほどしかありません。
 また、寺院の「書庫」といわれるもの自体が現在考えられるイメージとは大きく異なっています。書庫に当たる言葉 “armarium” は元来衣装戸棚を意味し、要するに修道院の奥の部屋の壁にそういう書棚が添えつけてあったという、それだけの事です。
 この時代は、修道士一人に、一年間の読書分として、写本一冊あてがう事が出来れば、まず良い方だったといわれていました。

 次の13世紀になっても、こうした状況はさほど変わり映えしません。
 この頃には、修道院や司教座聖堂に変わって大学が台頭する時代になっているのですが、当時全欧の最高学府だったソルボンヌ大学は、同時期の蔵書目録にはわずか1000冊足らずの記載しかありませんでした。この大学はアベラールこのかた神学では誉れ高く、アルベルドゥスマグヌス、ボナヴェントラ、トマス、エックハルト、スコトゥスなど錚々たる面々が教鞭をとり、イノケンティウス三世をはじめとする歴代ローマ法王も多く学んだところです。自分なんかは、書庫が膨大な神学書に埋もれてるようなイメージを抱いていました(初学者用テキストのスンマですら現在の洋装本で全50冊になるのに・・・)。 ところが、そのソルボンヌですら、この始末なんです。
 中世の学生が学問を学ぶ上でのスタンダードなテキストといえば、神学ならペトルス・ロンバルドゥス「命題集」、論理学ならペトルス・ヒスパヌスの「論理学綱要」、文法ならプリツキアヌス「文法書」あたりでしょうが、これらを揃えただけで相当な分量になります。おそらく、学生は大学などで読む事はあっても自ら所持はしてなかったのでしょう。

 12、3世紀は十字軍派遣を経て中世も終わりに近づき、文化的にも近世への架け橋的な要素が多く出てきている時代です。とても8、9世紀のような暗黒時代ではありません。
 ところが、それでも実際に文化面をみてゆくと、想像以上にプリミティブな世界のままです。 子供の頃、中公文庫「世界の歴史」の中世の巻を読み、活気ある市場の精細な描写に感心した覚えがありますが、こうした木村尚三郎の(あるいはその種本のアシル・ルフェーブルの)豊饒な記述は主に物産面に限定されており、よく考えたら文化面がほとんどないんですね。古代ギリシアですら市場では食品店の隣に本を商う店がありましたが、そういう話が全くない。

 これらの理由としては、まず本一冊の価格が、今の感覚からすれば驚異的に高額だったことが挙げられるでしょう。
 ハスキンスの「12世紀ルネサンス」によると、ミサ典礼書をぶどう畑と交換したり、プリツキアヌスの全18巻の文法書のうち2巻を買うにのに家一軒と土地一区画を提供した例もありました。
 それともう一つ、本屋自体がこの時代には存在しません。パリとボローニャが本を売買する場所として文献に登場していますが、本を取引する市場は存在しないし、筆写を専業とする人もいません。
 この当時の本の生産は、主に修道院の書写室で行われていました。農場を所有していた修道院が自産した羊皮紙に、修道僧がペン書きで量産していくそのコストは半端なものではなかった事は推察に余りあります。まず、羊皮紙自体が羊一匹につき、A2四枚しか取れません。羊皮紙はパピルスと違って裏表に書けますが、それでも本一冊作るのに最低羊15頭は必要でした。また、読み書きができる写字生自体が貴重なので、写字生を殺害する行為は司教殺害と同等の罪にされていた例すらあります。

 こういう時代に、個人蔵書が到達しうる規模はおおむね予想できます。
 10世紀頃、本をたくさん持ってると評判だったパソー司教の蔵書数は57冊でした。また、前述の如くソルボンヌに1000冊しか本がなかった13世紀当時に、蔵書家として名高かったヴァロ枢機卿は堂々の「100冊の所有」です。
 名だたる蔵書家の所蔵数が50冊だったり、100冊だったりするのは、今から考えるとおかしいと思われるかもしれませんが、西欧中世であればごく普通のことです。

 石田幹之助の「唐代図書雑記」によると、中国の場合、諸種の文学作品から、8~9世紀の唐の時代には本屋の存在が確認できるそうです。蔵書家も呉競だの蘇弁だの、一万巻クラス、二万巻クラスがゴロゴロいました。
 イスラム社会でも、11~12世紀になると一万クラスの蔵書家はざらに存在するし、この時期最大の書籍蒐集であるコルドバ図書館には40万冊があふれかえっていたといいます。

 ここまでの話を踏まえていただければ、”中世最大の蔵書家”リチャード・ド・ビリーの1500冊という所蔵数が、いかにこの時代の西欧社会では飛びぬけた個人蔵書であったかが、お分かりだと思います。
 今から語るルネサンス期は、このようにヨーロッパの歴史上で最も本のなかった暗黒時代である中世をいまだ引き継いでいる反面で、文芸復興の思潮に活版印刷の普及という技術的側面が加わって、宮廷・大学・個人の蔵書が飛躍的に拡大する、そんな時代にあたります。
 そうした中にあって、まずイタリアにニッコロ・ニッコリやヴィスコンティ・スフォルツァが、さらにこれに続いてフランスにグロリエが登場するわけです。

 

 

Astruc de Sestier, ne vers

1370 a Aix-en-Provence et mort vers 1439 a Aix-en-Provence[ref.?necessaire], est un medecin juif d’Aix-en-Provence, reconnu comme l’un des plus grands bibliophiles de son temps ユダヤ人医師 15世紀フランスの最も重要なコレクター

 

 

☆☆☆☆
 ジャン・グロリエ Jean Grolier de Servieres(1479 リヨン ~ 1565 パリ)

16世紀フランスの貴族・官僚。
ミラノ公国の財務官・フランス財務官 (1534)などを歴任したグロリエは(以前よく言われてた「ローマ教皇庁へのフランス大使」という経歴はフランス語版wikiによると誤りだそうです)、ミラノ時代の1510~20年代に、「グロリエ様式」と呼ばれる装丁を施した蔵書群を製作させています。
彼の交友の中には、当時の王室蔵書を管理していたギョーム・ビュデもおり、ちなみに当時のフランス王家の図書室はフランソワ一世が愛書家として知られたわりには1890冊ほどしかありませんでした。このようにグロリエの3000冊という所蔵数は当時のフランスにおいては群を抜いたものでしたが、単純に数だけでみれば同時代のイギリスの占星術師ジョン・ディーによる4000冊もの収集にすぐに乗り越えられていますし、ドイツのフッガー家のそれには到底及びません。
むしろグロリエの重要性は、愛書家のカリスマとしての地位を中世最大の蔵書家だったリチャード・ド・ベリーから引き継ぐのみならず、ヴェネツィアの印刷業アルドゥス一族を庇護して(彼自身アルドゥス版のコレクターとしては代表的な存在です)、現代ではグロリエ式装丁と言われている多くの豪華本を作らせ、書物工芸の面で蔵書家というものの意味を変革したことにあります。ド・ベリーの場合は、著書「フィロビブロン」で、本の大切さと保存について言葉を尽くしていましたが、グロリエに至って「愛書家」という言葉には現在のような意味が加わります。これは彼がコインやメダルのコレクターでもあったこととも関係がありそうです。
そのコレクションは当時最も美麗なものであり、これは没後10年ほどで散逸しているものの、残った約550冊にはモロッコ皮、鹿皮、子牛皮などが使用され、幾何学模様につた様の花形が金箔押しされて、小口には天金が施され、表紙中央に本文のフレーズと銘文が押された装丁スタイルをとっており、往時の装本芸術を偲ばせるに十分です。我々が絵画や映画などからイメージしている「洋書」がこのあたりから本格的なかたちをとりだしたのかもしれません。
グロリエのこうした装飾スタイルは以後、その生地リヨンをはじめとして、フランス全体の装丁に影響を与え、彼に続く愛書家たち(ド・トゥ、アンリ二世など)もやはりその道を進みました。
現在においてもその名は愛書家の星としての輝きを維持しており、代表的な愛書家団体であるニューヨークのグロリエクラブも設立時には彼の名前を冠しています。1974年には日本グロリエクラブも設立。
蔵書印(というか、いつも表紙に押していた銘文)は、「Jo.Grolierii et amicorum 《グロリエとその友たちへ》」

 


☆☆☆☆
 ジャック・オーギュスト・ド・トゥー Jacques Auguste de Thou(1553~1617)

ヨーロッパ大陸(フランス)の場合、書籍コレクターの最盛期はグロリエ、ド・トゥーからマザラン、コルベールあたりでしょう(英国の場合だったらこれが18~19世紀頃に下ります)。
前記グロリエに続く大コレクターが、ジャック・オーギュスト・ド・トゥであり、彼は1693年から亡くなるまでフランス王室の図書の頭も務めています。跡を継いだのも息子のフランシス・オーギュスト・ド・トゥで、1642年までその任にあり、一家で五十年も王室図書館を支配していたことになりますね。
館長時代の大きな業績は、カトリーヌ・ドメディチの古写本コレクションを受け入れたことです。ド・トゥの所蔵数は1万2729冊。死後甥のデュピュイ兄弟へ遺贈されました。ラテン語で書かれた回顧録を出版しています。


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ブルワの司書メラン・ド・サン=ジュレ


 アンリ・ド・メスム
パリ高等法院院長。私設図書館メスミアーナ図書館は8000冊の蔵書を持ち、後述するガブリエル・ノーデが一時期司書を務めている。


 リシュリュー枢機卿1585

Paul Petau ( Orleans en 1568 et mort a Paris le 17 septembre 1614, est un magistrat, erudit, bibliophile et numismate francais. Il a constitue une riche bibliotheque de manuscrits et d’imprimes, continuee par son fils Alexandre Petau.
彼の息子アレクサンドルが蒐集を継続し1650には1800あったが1500をクリスチナ女王に販売した

☆☆☆
 セギュエ大法官 Pierre Seguier  ne le 28 mai 1588 a Paris, et mort le 28 janvier 1672 a Saint-Germain-en-Laye, est un homme
蒐集した4000もの写本は同時代では王室コレクションに次ぐ最も貴重なものと評価された。死後メッツの司教が譲り受け、さらにサンジェルマン修道院に寄付される。

☆☆☆☆
 マザラン枢機卿 Jules Mazarin, 1602年7月14日 – 1661年3月9日
16~7世紀のフランスの蔵書家全盛期にとりわけ盛名を誇ったのがマザラン枢機卿で、その4万冊の収集はこれまで集められた最も貴重なコレクションと言われました。グロリエと比較してひと桁違うのは活版印刷の普及によるこの間の出版点数の増加が反映されています。この人と次のコルベールは、学校の歴史でも習う人なので経歴からくどくど説明することはやめにします。
マザランの収集活動に関してやはり語らなければならないのは、そのお抱えの司書ガブリエル・ノーデの存在でしょう。フランス内外で大量の本を買い集めたのは主にノーデで、図書館として一般にも公開することを進言したのもノーデでした。
マザランはフロンドの乱で失脚するのですが、その際蔵書も没収され散逸しましたが、ノーデが一部買い戻して救出しています。


☆☆☆
 コルベール Jean-Baptiste Colbert (29 August 1619 ? 6 September 1683)

コルベールといえば王室図書館の拡充に最も寄与した存在として知られていますが、彼自身もマザランに続くコレクターでした。
フランスが領事館を置いていた中近東の国々から集めさせた文書のコレクションは当時から評判で、これは没後の1732年に孫により王室図書館へ売却されます。

Jean-Baptiste Boisot 父アボット Boisot のコレクションは1604段階で最大の個人コレクションのひとつ 1500 1695の時点で2247+239

Louis-Emery Bigot 1689 年 10 月 18 日に死去、 1626 年 10 月 23 日に生まれ 父親のジャンは6000冊と500以上の写本 息子の代に16000冊に

☆☆☆
 シャルル=モーリス・ル・テリエ Charles-Maurice Le Tellier (1642 in Turin ? 1710 in Reims)
ランス大司教。兄はコルベールとともにルイ十四世絶対王政を支えたルーヴォア陸相。あのマビヨンも出版したガリア典礼の注釈を彼に献呈している。所有していた60冊の写本はビブリオテークフランスに、5万冊の印刷本は聖ジュヌヴィエーヴ図書館に。17c後半を代表する蔵書家。




 ド・ヴィゼ

 ド・ヴィリエ

 モリエール


☆☆
 ヴェリュー伯爵夫人 Jeanne Baptiste d’Albert de Luynes, comtesse de Verrue (18 January 1670 ? 18 November 1736) 1万8千冊
書籍のみならず家具・宝飾品・絵画・服飾などのコレクションでも名高かった。本は1万8千巻を所有していたが没後に散逸する。


Jean Bouhier, ne le 16 mars 1673 a Dijon ou il est mort le 17 mars 1746, est un jurisconsulte et magistrat francais, egalement 法学者 3万五千 +写本2000

ドイム伯爵~1746当時のもっともすぐれた愛書家


Jean-Daniel Schoepflin1, ne le 6 septembre 16942 a Sulzburg (actuel Bade-Wurtemberg) et mort le 7 aout 1771 a Strasbourg, est un historien et bibliophile ストラスブール大学の参事官でルイ十五世の国史編纂官 1万冊

☆☆☆
ルイ・セザール(ラヴァリエール侯爵)
Louis Cesar de La Baume Le Blanc, duc de Vaujours, duc de La Valliere (9 October 1708 ? 16 November 1780)
貴族・軍人。18世紀フランスでは最大の蔵書家。
没後行われたオークションでは、当時としては異例の五万冊という数でした。しかも他にマザラン図書館へ行った分があり、フランスもこの時期までは仏王室を越える規模の蔵書数の人がいたわけですね。

☆☆☆☆
ポルミー侯アントワーヌ=ルネ・ド・ヴォワイエ・ダルジャンソンMarc Antoine Rene de Voyer , Marquis de Paulmy and 3rd Marquis d’Argenson (1757) (22 November 1722, Valenciennes ? 13 August 1787) 外交官。18世紀で最大の蔵書家の一人。10万冊 個人の最高のコレクションの一つ.。没後その蔵書はオカルト文献の殿堂にして演劇文献の宝庫たるアルスナル図書館の基礎になった

☆☆☆
 ピケ侯爵 Jean-Baptiste Marie de Piquet, Marquess of Mejanes (1729-1786)
蔵書は6万から8万とされる


 デュボア枢機卿

 マルグリット・タングレーム


 ヴォルテール 6801冊 エカテリーナ二世が購入

 ディドロ 2904冊 エカテリーナ二世が購入。ただしディドロをその蔵書の管理人に任命してるので実質的には資金援助だろう。

Henri de Paschal (ou Pascal), marquis de Rochegude (Enric Pascal de Rochaguda en occitan), ne le 18 decembre 1741 et mort le 16 mars 1834 a Albi, dans le Tarn, es 没年時におよそ2万冊あったと推定される 軍人


Charles de Baschi, marquis d’Aubais ou d’Aubais, ne a Beauvoisin le 20 mars 1686 et mort au chateau d’Aubais le 5 mars 1777  25000

Jean-Louis Barre mort le 26 octobre 1741) est un bibliophile francais des XVIIe et XVIIIe siecles qui a rassemble plus de 10 000 ouvrages, notamment des

Charles-Marie Fevret de Fontette, ne le 14 avril 1710 a Dijon ou il est mort le 16 fevrier 1772, est un historien, bibliophile et homme de loi francais 10500の文書が王立図書館に買い上げられる


財務総監チェルゴ5000タイトル
大法官ポンシャルトラン15300タイトル

ルイ十六世 ヴェルサイユ11392冊
王弟プロヴァンス伯 ヴェルサイユ13000冊
マダムアデライード(ルイ15世娘)10580冊 
ポンパドゥール夫人4000タイトル
マリー・アントワネット トリアノン1910冊チュイルリー1808冊

☆☆☆☆
 フランス王家(ヴァロア→ブルボン朝)

 シャルル五世

 ルイ十一世
 シャルル八世
 ルイ十二世
 フランソワ一世
 アンリ二世 & ディアヌ・ド・ポアティエ
 アンリ四世
 ルイ十四世
 ルイ十五世

フランス王室の蔵書は、中世末期としては異例の膨大な書籍(1000冊)を集めたことで知られるシャルル五世が王室文庫 (Bibliotheque du Roi) を作ったことに始まります。教養がある半面で迷信深く蔵書の7分の1を占星術、天文学、予見関係が占めていました。彼には当代一の学者ニコル・オレームが側近として仕えていたので蔵書の充実にはその影響もあったと推測する事は許されるかもしれません。ピュリダン→N・オレーム→P・ダイイ→ジェルソンと続く師弟関係は中世末期フランスにおける最良の知的伝統であり、彼らはいずれも王室と関係を持ちましたが特にニコル・オレームとシャルル五世のそれは密接で王の王太子時代にさかのぼるものでした。
ただ、この時期の王室文庫は王の個人所有物の色彩が強く相続などで分散されることも通例でした。なのでコレクションとしては不安定であり、継続的な施設としてはルイ11世が1480年に創設した王室図書館を初めとした方が良いかもしれません。これはシャルル8世,ルイ12世の時代に、主に戦争などでの蔵書没収によって量を拡充します。
フランソワ一世の治世では、先代のルイ12世の図書館1890冊を継承拡充し、1537年にはフランスで刊行された本を1冊ずつ収めさせる「納本制度」を始めます。(これは検閲の目的もあった)
それがアンリ四世の時代(ド・トゥの王室図書館長時代)には4430冊になり(カトリーヌドメディチの古写本のコレクションを加えた)、17世紀のコルベールによる強化を経て、写本が6千、印刷本は2万にまで膨らみ(1666)、この世紀の終わり(1699)には、印刷本は5万5千に至ります。フランス革命直前には15万冊という欧州を代表する蒐集のひとつになっていました。
図書を管理する歴代の図書の頭にはギョーム・ビュデ、ジャック・アミヨーのような著名な人文主義者の名がみえ、前述したように自身も蔵書家として名高いド・トゥもその任にありました。
欧州では納本制度が始まる前はリチャード・ド・ベリーやヤコブ・フッガーのようにどこの国よりも沢山の本を持ってる個人が存在したが、17世紀あたりからそれは徐々に苦しくなってきます。


 王室の人々 ☆ ポンパドール夫人
       ☆ コンデ皇女マリー・ド・クレーヴ
       ☆ マリー・アントワネット


《トピック1 英国王室 vs フランス王室 または 大英図書館 vs ビブリオテークナショナル》
フランスの場合、王室の巨大な蔵書は革命後に新政府に没収されビブリオテークナショナルという国立図書館として生まれ変わります。これはその美術コレクションが現在ではルーブル美術館になっているのと同様ですね。
イギリスの場合、ご存知のように大英図書館は大英博物館の付属図書館であり、その大英博物館はハンス・スローンの巨大な博物コレクションをもとに設立されています。なので付属図書館もやはり当時英国最大の蔵書家だったスローンのそれ(5万冊という膨大なもの)が基礎になっています。この図書館の設立直後にジョージ2世という英語のわからない外国出身の人が王位について、その時点での王室の本(2万冊)を全部寄付してしまいます。その後英国王室は今も現存しているので王室としての蔵書は別にありますが、歴代の国王の中にはジョージ三世(およそ8万冊を所有)のような著名な蔵書家が存在し、彼をはじめとする個人蔵書のいくつかは大英図書館へ入ってるんです。
だいたいにおいて
各国の国立図書館で、立ち上げた当初にその蔵書の核になったものを挙げていくと
アメリカ議会図書館→ジェファーソン
大英図書館→ハンス・スローン、
仏ビブリオテークナショナル→フランス王室
伊フィレンツェ国立中央図書館→マリアベーキ
日本国会図書館→昌平坂学問他


Antoine Marie Henri Boulard , né en 5 septembre 1754 à Paris où il est mort le 6 mai 1825 , est un bibliophile, traducteur et homme politique françaisアントワーヌ・マリー・アンリ・ボーラード ブルワール ブーラール 
フランス語の政治家、翻訳者である。彼は1808年までパリで公証人の職業を務め、1800年から1804年まではパリの11区の市長、1803年から1808年まではセーヌ川の副議長を務めた。
彼はまた、 ラ・ハープの執行者であり、書店と芸術のジャーナルの編集者でもあります。
著名な翻訳家であり、彼は彼の家のあらゆるフロアを満たす本のための彼の情熱のために最もよく知られている。
彼の死に際して、約50万冊の本を数えた彼の図書館のカタログだけで、数冊が詰まっています。 古い書店は、1866年にピエール・ラウルス ( Pierre Larousse)と書いたが、依然として敬意を払って柔らかさを兼ね備えたBoulard父の名前を思い出していた。
彼はHenri-Simon Boulardの父です。


☆☆
 ナポレオン・ボナパルト
フォンテーヌブロー宮殿に1万六千 これは彼の死後に甥のナポレオン三世が同宮殿に集めたもの。その他あちこちに分散してるので総量は ナポレオンといえば戦時も 3千冊の移動図書館

ルイ十六世の二人の弟のプロヴァンス伯とアルトワ伯は、いずれも王政復古後にそれぞれルイ十八世、シャルル十世として即位しますが、共に名だたる蔵書家でした。このうち特に重要なのはそのコレクションがアルスナル図書館に発展するアルトワ伯です。


王弟プロヴァンス伯 ルイ=スタニスラス=グザヴィエ・ド・プロヴァンス伯爵、(後のルイ十八世)
プロヴァンス伯は魯鈍であったとされる兄ルイ十六世との差別化を図るために、自身の知的なイメージを作り上げようとしたと言われる。多くの書を集め、アカデミー会員や学者と交遊した。その書庫には1万1581冊もの書があった。

☆☆
王弟アルトワ伯(後のシャルル十世)
アルトワ伯はある意味兄のプロヴァンス伯を遥かに超える大蔵書家なのだが、それはダルジャンソン家のポルミ侯爵の巨大な蒐集を買い上げ図書館を作り自身がその館長におさまったからである。最大の蔵書家のコレクションを丸々買い取っただけじゃないの?と言いたくもなるが、ノディエなどを司書として遇し19世紀のアルスナル図書館の栄光を準備した人物としてこの王様の功績は見過ごせない。

(トピック3 愛書家の殿堂アルスナル図書館)
オカルトや魔術の文献では西欧を代表する蒐集を誇り、ノディエやラクロワといった著名な書痴作家が司書として管理してきたアルスナルは現在はビブリオテークナショナルの分館になっている。、
ここは演劇関係の蔵書でも有名で


《トピック2 作家の蔵書家たち》

☆☆☆
 シャルル・ノディエ
あんた貧乏なのに何でこんなに本持ってるの系蔵書家の典型としてまずこの
オカルト文献では古来メッカとされてきたアルスナル図書館の館長の地位を王弟アルトワ伯から引き継いだノディエは、中世以来秘伝のグリモワールが大量に所蔵された書庫の中で

☆☆
 テオフィル・ゴーチェ

☆☆
 シャルル・アスリノー
Charles Asselineau


ピクセレクールRene-Charles Guilbert de Pixerecourt (22 January 1773 ? 27 July 1844)
大衆向けメロドラマ作家でゲーテに批判される。4000冊を所有

Jean-Pierre-Jacques-Auguste de Labouisse-Rochefort, ne le 4 juillet 1778 a Saverdun et mort a Castelnaudary le 21 fevrier 1852 , est un homme de lettres et poete francais. Biographie[modifier | modifier le code]. Jean-Pierre Auguste de?… 詩人 貧しさにかかわらず12000冊


ポオル・ラクロワ Paul Lacroix (1806-1884)は 愛書家ジャコブBibliophile Jacob の筆名をも用い、19世紀の中葉約40年にわたり多くの著作を世に問いまし た。パリのアルスナル図書館 l a B i b l i o t h e q u e d e l’ A rs e n a l で、管理者(司書)の職にありました が、一方で彼は、歴史家、書誌学者、ジャーナリスト、小説家、劇作家などと呼ばれるように、様々 な文筆活動に生涯身を置いていました。一言で表すなら、 L’Erudit 「碩学」であったと言えましょう。文化史(風俗史)1869年から10年足らずの期間に刊行 大部9巻からなる著作を 一纏めにして、現在では『ラクロワのフランス文化史』軍隊生活、宗教、科学、文芸、演劇、芸 術、礼儀作法、風俗習慣、服装、流行、料理、社会制度、かなりの 数の原典資料を駆使 当時有数の図書館で本に囲まれて生活


ユザンヌOctave Uzanne1852-1931
アルスナル図書館の常連でノディエのグループの一員 作家としては愛書家がテーマの小説を残している


 フローベル

 デュマ

☆☆
アンドルー・ラング


ユゴー ユゴーは書痴というほどもないがそれでも国民的大作家だけあって記念館に1万1千冊も残している

ミシェル・ベルンシュタイン文庫
設置
1977年
所蔵
本館(特別書庫)
概要
フランスの古書籍商であるミシェル・ベルンシュタイン氏旧蔵のフランス革命期の大コレクションを購入したものである。資料の質・量ともフランスの国立図書館のそれに次ぐものといわれ、専修大学創立百年記念事業を飾るものとなった。
内容はフランス革命期に印刷、記録された印刷資料と手稿資料などからなり、印刷資料には『モニトゥール』などの新聞、年報などの定期刊行物、革命諸議会の議事録、法令集、小冊子、ポスター類がある。手稿資料その他の考証資料は旅券、通行書、身分証明書、逮捕状、死刑判決書、パンや肉の配給券など激動期の生活や世相を伝えるものなど多種におよぶ。
「人権宣言」とその成立過程を示す資料、複数のデザインの「ルイ16世の遺言書」、大判の「マリー・アントワネットに対する死刑判決書」、数あるフランス革命絵画の原点となる『フランス革命史画集成』(3巻)など、今日の教科書に載る原資料が揃っている。ここにはベルンシュタイン氏が資料調査・書誌作業などに使った参考資料なども含まれる。
このコレクションの圧巻は、ベルンシュタイン氏が40数年の歳月をかけて築いたコレクションの収集記録作業につかったフランス国立図書館蔵書目録のフランス革命期文献の部(A.マルタン、G.ワルテル共編)である。ベルンシュタイン氏はこの5巻の目録を分解し、白紙を挟み、自身が収集・所蔵するものに所蔵記録を記し、「比較目録」として結実させた。また、フランス国立図書館に所蔵の見当たらないものは自らカード目録を1万余枚作成し自身の所蔵記号を記している。「ルイ16世裁判」関係資料やエベール編集の『ペール・デュシェーヌ』誌の異版・偽版関係書誌などは粘り強い作業となった跡がうかがえる。このように細部にも心血を注ぎ、自身の持つコレクションの性格を明確にしようとした。
人物
Bernstein-Rolin, Michel(1906年1月13日~2003年8月15日)。フランスはリヨンで生まれる。国立東洋語学校を経て、商船会社に勤務、商才を発揮する。多少の資金を得て、退職後1932年にパリで古書籍業につく。第二次大戦中は兵役につき、捕虜となるが脱走を果たし、レジスタンス運動に参加。解放後は1944~1948年4月にかけて雑誌の編集・執筆活動を経て古書籍業に復帰。17・18世紀の政治・経済、思想、歴史に関する書誌情報提供者として知られるようになる。フランス革命資料収集のきっかけとなったのは19歳の時「人権宣言に魅せられたこと」と書き記している。積極的な収集を始めたのはその10年後からで、40年の歳月が費やされ畢生のコレクションを創りあげた。
数量
資料約43,500点、雑誌約400誌95,000号

サンシモン回顧録エストレー伯爵という愛書狂が全く読まぬ書物を五万二千冊、それも釘づけの梱こりに入れて所有していたと書いてある。同じ本の種類を幾通りも持っている点では、

Baron Jerome-Frederic Pichon (3 December 1812 ? 26 August 1896)  書誌学者 十九世紀もっとも重要な蔵書家。


Francois Gustave Adolphe Guyot de Villeneuve (20 octobre 1825 a Paris – 4 mars 1898 a Paris), est un administrateur francais, qui fut l’un des plus grands bibliophiles francais de la seconde moitie du XIX  19世紀後半フランス最大のコレクター

1920年代四大
Angelo Ferdinand Henri Beraldi1849~
Ferdinand de Rothschild1839~
Louis Roederer870
Robert Schuhmann 869

ボナス家 Famille Bonnasse


Lucien Graux  (1878-1944 医者 写本の最大級のコレクター レジスタンス運動のため収容所で死を迎える


ロベール・デ・ロトゥール Robert des Rotours 1891-1980
シャヴァンヌ門下で唐代制度の専門家。
漢籍ではヨーロッパ最大級のコレクターで、フランスでもその量はピブリオテークナショナルやソルボンヌ中国研究所に次ぐ。
貴族出身であり、その広大な邸宅には十数万巻を蔵していたというから清末四大蔵書家にも比肩する量である。


Robert GuyRobert Guy est un ecrivain francais ne le 29 aout 1907 dans l’Aube et mort en octobre 1993 en Mayenne. Robert Guy. une illustration sous licence libre serait bienvenue. Biographie. Naissance. 29 aout 1907 フランスの弁護士 著述家 魔術やオカルトを中心に2万冊


Maurice Dumoncel Decede le 24/12/2013 (voir toutes les personnalites decedees en 2013)
Dumoncel, Maurice, Editeur. Ne le 7?decembre 1919 a Paris. Fils de Remy Dumoncel, Editeur, et de Mme, nee Germaine Tallandier. Mar. le 18?avril 1963 a Mlle Constance de Toulouse-Lautrec (2?enf.?: Valerie, Daphne).
編集者 モーリアック城に4万冊のコレクション  仏の大手出版社会長

Philippe Zoummeroff, ne le 10 mars 1930 a Paris, est un ancien industriel et l’un des collectionneurs et des mecenes les plus actifs 実業家 切手コレクターとしても著名。10,000 古書のコレクション フランス語、文学、旅行、科学、哲学、薬、料理、レジャーの元のエディション 刑事司法に関する15000冊と1000の写本


早稲田大学フランス経済・社会・思想文庫(文庫22)当館が新中央図書館開館を記念して昭和63年に購入したコルヴェア家旧蔵のコレクション。 総数約10000点。フランスの16世紀から19世紀にかけて、政治・経済・法律・哲学・歴史・思想等社会科学全般にわたる重要な原典をほぼ網羅している

プロイセン ホーエンツォレルン家

☆☆☆☆
オーストリア ハプスブルク家 
アルブレヒト三世1365-1395以来、歴代の当主は蔵書を増やしてきたが16世紀前半フェルディナンド一世がウィーンに宮廷図書館を作り、17世紀にはカール六世が現在の場所に改築して公開する。ただ公開といってもこの時は一部の学者に限られていた。その際に当時ヨーロッパ最強の名将と言われたオイゲン公の膨大な蔵書(1万5千)も加えられている。設立に当たってはライプニッツが呼ばれ、図書館に備えておくべき2500冊の目録を作成した。第一次大戦後に王政が転覆する直前の蔵書は20万冊ほど。

☆☆☆☆
バイエルン王室 ヴィッテルスバッハ家
それ以外の蔵書の大きな増加は、ドイツで修道院が多く取り壊された1802年から1803年にかけて。この時1000年以上にわたって蓄積された稀覯書の一部でを各領邦の領主図書館が引き受けた。
約90200点の写本。この蔵書目録は図書館員ヨハン・アンドレアス・シュメラー(Johann Andreas Schmeller, 1785年 – 1852年)が作成した。
ヴィッテルスバッハ宮廷図書館はバイエルン王国が倒れた1919年にバイエルン州立図書館になる。


ザクセン


☆☆☆☆
ブラウンシュヴァイク家 アウグスト二世 → ウォルフォンビュッテル図書館 1666で13万5600冊 八番目の

☆☆
プファルツ選帝侯 オットー・ハインリヒ(Otto Heinrich、1502~1559年)パラティナ文庫
「プファルツ文庫」とも呼ばれている。 現在はハイデルベルク大学図書館にある
16世紀プファルツ選帝侯として芸術と学問を愛しこの地方に善政を敷いた名君オットー・ハインリヒが基礎を築き、その後大学蔵書と一体となって形成されていったもので
30年戦争のときにこの文庫は奪われ、教皇グレゴリウス15世に贈られている

☆☆☆
ワイマール公家 → アンナアマリア公爵夫人図書館
ゲーテが宰相になったことで有名な小国ワイマールだが、彼はこの宮廷図書館でも彼は館長を務めている。
小国にもかかわらずゲーテの亡くなった1832年には8万冊という当時の欧州でも有数の規模に。終始公爵夫人がイニシアティブをとったのでこの館名だが、ヨーロッパで初めて大衆に公開された王侯の蔵書でもあった。現在ではゲーテ・ヘルダー・シラーなどの蔵書のほかコペルニクスのそれも入っている。



オイゲン公 1万5千

ハルトマン・シェーデル(Schedel, Hartmann, 1440-1514)
ニュルンベルクをはじめとするドイツの各地で市医を務めた医者、著述家。
ライプツィヒ大学教会法を専攻し のちパドヴァ大学で医学やギリシア語を学ひ人文主義に関心をもつ。市医として勤務する傍ら、修道院蔵書を探索。
シェーデルは現在ではインキュナブラと呼ばれている初期印刷本を蒐集し800冊以上を所有(370の写本、460冊の印刷本)蔵書目録は645冊623タイトル。


ヨハン・アルブレヒト・ヴィドマンシュテッター → 1558 アルブレヒト五世 ウィッテルスバッハ宮廷図書館の核
1506~1557 東洋学者、神学者。クレメンス七世、パウロ三世に秘書として仕える。シリア語、ヘブライ語、アラビア語文献を集め、ヨーロッパのセム学の祖とされる
ヘブライ語アラビア語の文献800冊


ヨハン・ヤコブ・フッガー Johann Jackob Fugger(1516-75)→ 1571 同
フランスではグロリエが最大だったが、ドイツのフッガーは富商だけあって資金力とネットワークとを兼ね備え、量的にはそれをはるかに上回る。
スペイン、イタリア、オランダへ人をやって一万冊を買い集める。
アルプス以北で最も重要な人文主義的な蔵書とされたハルトマン・シェーデルの蔵書(写本やインキュナブラ)も500ギルダーで購入。


Zacharias Conrad von Uffenbach (22 February 1683 – 6 January 1734) was a German scholar, bibliophile, book-collector, traveller, palaeographer , and consul in Frankfurt am Main who is best known today for his published travelogues 書誌学者 12000冊

Johann Christoph Wolf (born at Wernigerode , February 21 1683; died at Hamburg , July 25 1739) was a German Christian Hebraist , polyhistor , and collector of books.
東洋学者 25000冊の本と写本に上記の12000冊を得る

Leeser (Eliezer) Rosenthal (1794-1868) was a Jewish book collector in the first half of the nineteenth century. ユダヤラビ6000の写本


ゲーテ 3900冊がアンナアマリア公爵図書館に


詩人のメルツェルは1万8千

サヴィニー 阪大320×3
モムゼン 4万
マックスミュラー2万
ギールケ 1万
カール・メンガー 2万
ヴント 1万5千840
ゼッケル 7380+小冊子1万
ウェルナーゾンバルト 1万8千前後 うち11,574冊が大阪市大に 

トレルチは当時のベルリンを代表する蔵書家

ミュンヘン大学の統計学者 ゲオルク・フォン・マイヤー(Georg von Mayr, 1841-1925) 教授の蔵書で、ヨーロッパ各国の統計・調査資料および各種統計学雑誌が網羅されている。約15,000冊。「Mayr文庫目録」(予備版)(1985
ライプチッヒ大学の後期ドイツ歴史学派経済学者 カール・ビュッヒャー(Karl Bucher, 1847-1930)の蔵書で、岩崎小弥太氏が購入し、大正13(1924)年1月に京都大学に寄贈したもの。経済学、社会学、新聞学等、広範囲にわたるコレクションである。約11,500冊。「ビュッヒャー文庫目録」(1970)がある。

東京大学河本文庫 河本重次郎1万5700 J.Hirschberg収集の眼科学関係文献 ドイツ留学中に教えを受けたベルリン大学の眼科教授ユリウス・ヒルシュベルグから彼の蔵書を譲り受け、東京大学附属中央図書館に寄付している。この「河本文庫」は、ギリシャ、ローマ、アラビア時代の眼科に関する歴史書のほか、16世紀の有名な眼科医であるGeorg Bartischの本、18世紀の解剖学者たち(Johann Gottfried, G. Zinn, Antonio Scarpa)の貴重な著書、そして19世紀の眼科学上の発見を報告した数々の原著が多数含まれており、眼科学の「世界の遺産」であることを示している。

マルクス・エンゲルスの蔵書としてベルリンのマルクスレーニン主義研究所が保管してるのは700冊ぐらい
ただマルクスの晩年には2000冊ぐらいあったといわれる


アビ・ヴァールブルク 6万

ルドルフ・シュタイナー9000アイテムとかいってるので、冊数では万レベルでしょう。シュタイナーの場合生前の書斎がそのまま保存されてい

ゾンマーフェルト 1101冊
20世紀初頭を代表する大物理学者の一人だが、教師としても高名で門下からは数多くの逸材が出た。
弟子のハイゼンベルクによるとゾンマーフェルトは理論物理学の全分野がカバーできた最後の学者とのことで、一人で執筆したその厖大な教科書はプランクのそれと並ぶ権威を持っていた。管理人が持ってるのは一巻の力学だけだが、ヴィヴィドなイメージが浮かび上がる良書だった(熱力学に関しては数学的厳密さを極めたプランクのものをゾンマーフェルト自身が推薦していた)

トーマス・マン 4000点ほどだが原稿や文書を含むので本の冊数は不明

アドルフ・ヒトラー 1万7千 ヒトラーの個人蔵書は一万六千冊ほどあったといわれている。うち七千冊は戦争史、一千冊以上は芸術関係の評論、一千冊は大衆小説で、ポルノ小説もいくつかあったそうな。有名どころなら「ガリヴァー旅行

ハインリヒ・ヒムラー 1万3千 法的にはヒムラー個人の蔵書というよりその管理下にあった蒐集。ナチスドイツがオカルト・魔術・魔女狩り期に関する文献を全欧の図書館260館から強制的に供出させていた。プラハ国立図書館で見つかった


Lothar Maximilian Lorenz Schmid (10 May 1928 – 18 May 2013) was a German chess grandmaster . He was born in Radebeul near Dresden [1] [2] into a family who were the co-owners of the Karl May Press, which published the German Karl May adventure novels. 西ドイツのチェスのグランドマスターで世界でもっとも有名なチェス文献のライブラリ

ザンクト・ガレン修道院(St.Gallen)
修道院に併設された現在の図書館は1767年に建造されたものである。
ここは世界最大級の中世期文献の蔵書数を誇り、欧州ドイツ語圏内では、中世初期の文献に関する包括的なコレクションを抱えている図書館のひとつとなっている。
その蔵書数は2005年段階で16万冊を超え、そのうち2200冊が写本であり、500冊は1000年以上前のものである。
現在では、こうした値段のつけようがない写本の数々をデジタル化する計画も始まっている。
このほかに、インキュナブラも1600冊以上保有している。

Albin Schram (1926–2005) was one of the greatest collectors of autograph letters by shapers of world history. He was born in Prague to Austrian parents. He studied law at Vienna University and worked in Vienna , Germany and Switzerland . After the annexation of Czechoslovakia, he was conscripted into the Wehrmacht in 1943 オーストリアの手紙の大コレクター。


ダヴィド・オッペンハイマー プラハのチーフラビ 古代ヘブライ語の最大のコレクション  7000冊の本と 1000写本

Jan Tęczyński (1581–1637), of the Topór coat-of-arms , was governor of Kraków (1620–37), Crown Cupbearer ( czesnik koronny ) from 1618, starosta of Płock , and owner of Tenczyn and Rytwiany 下記姪の夫にその巨大な蔵書が受け継がれる

Łukasz de Bnin Opaliński ( Latin : Luca Opalinius ; 1612–1666) was a Polish nobleman , poet, political activist and one of the most important Polish political writers of the 17th century ヨーロッパで最大の個人蔵書といわれる

Jozef Andrzej Za?uski ( 12 janvier 1702 ? 7 janvier 1774 ) 弟 ポーランドのキエフ司教 兄弟はそのコレクションによって18世紀最大の図書館を設立 フランス語書物を中心に40万冊 25万をエカテリーナに奪われる
Ludwik Za?uski, bishop of P?ock 兄

文人王カールマン11~12c

15世紀の後半,ハンガリー最盛期のマーチャーシュ・コルヴィヌス王(1443‐90 第34代国王)による蔵書「コルヴィナ文庫」
往時には1500から2000冊に及ぶ古典関係の貴重書を所蔵し「ヴァティカンに次ぐ」とも称された絢爛たる蔵書コレクションである
現在欧米の図書館には残存する232点の所在が確認 現ハンガリー国内では54点,そのうち36点がこの国立セイチェーニィ図書館に収められている
マーチャーシュ王は,在位中「義王」として誉れも高かった名君であり,ユーロ導入までのハンガリー通貨1000フォリント紙幣にもなっている。
「コルヴィナ文庫」のための基盤は,王が幼少の頃より受けたラテン語など人文主義的な文化教育であった。
もっともこの図書館蔵書は,王の死後,南から攻勢を強めたトルコ軍が1526年モハーチの戦いの余勢を買って北進しブダを攻略した際,その多くがドナウ川に散った。

Ferenc Szechenyi Personal details Born (1754-04-29) 29 April 1754 Fert?szeplak, Kingdom of Hungary, Austrian Empire Died 13 December 1820 (1820-12-13) (aged 66) Vienna 一万三千印刷本 1200写本 現在のハンガリー国立図書館の蔵書の核を形成する

Beatus Rhenanus 423冊の印刷物、264本の保存された手書きの手紙、および33冊の写本(94本)が

Martin Bodmer (November 13, 1899 – March 22, 1971) was a Swiss bibliophile , scholar and collector マーティンボドマー 16万冊 聖書 ホメロス ダンテ シェイクスピア ゲーテを核に


エラスムス ある時点での所有していた400冊ほどの目録がある
https://translate.googleusercontent.com/translate_c?depth=1&hl=ja&prev=search&rurl=translate.google.co.jp&sl=en&sp=nmt4&u=https://www.colophonbooks.com/pages/books/27538/egbertus-van-gulik/erasmus-and-his-books-translated-by-j-c-grayson&xid=17259,15700021,15700186,15700190,15700248,15700253&usg=ALkJrhjx8PtY64mYe2cuiBsYI0JAbuzkqg

Gerard Jean Vossius (Voss) (ne a Heidelberg en 1577 , mort a Amsterdam le 19 mars 1649 ) etait un universitaire neerlandais du XVII ライデン大学神学部長
Isaak Vossius, sometimes anglicised Isaac Voss (1618 in Leiden ? 21 February 1689 in Windsor, Berkshire) was a Dutch scholar and manuscript collector. オランダの比較言語学者 クリスチナ女王の司書 最高のコレクションといわれる 4000冊 

Adriaan Pauw (1581 – 21 fevrier 1653) est le grand-pensionnaire de Hollande de 1631 a 1636 et de 1651 a 1653 オランダの政治家 1万6千冊

Levinus Warner (c. 1618 ? 22 June 1665) 17世紀オランダの外交官・東洋学者 オスマン帝国で900の古文書を収集


Arnold Heertje (born 19 February 1934) is a Dutch economist , Emeritus Professor at the University of Amsterdam , writer and columnist. He became more generally known for his opposition to the Betuwerouteオランダの経済学者 科学関係の一万二千冊と経済学の古書3000冊

子爵シャルル・ド・スポールベルク・ド・ロヴァンジュール(Charles de Spoelberch de Lovenjoul, 1836年4月30日 – 1907年7月3日)は、ベルギーの学者、収集家、作家。ブリュッセルに生まれ、ロワイヤに没した。その蔵書は、フランス学士院によって保存されている。 フランス19世紀の作家たちに関する単行本、文学雑誌、新聞、さらに1870年以降には、手稿や書名入りの書簡類も収集して、貴重な蔵書を形成し、そのすべては1905年5月にフランス学士院へ委ねられた。その中には、オノレ・ド・バルザック、ジョルジュ・サンド、テオフィル・ゴーティエなどの手稿や印刷物、ギュスターヴ・フローベールの書簡の大部分、シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴをはじめとする19世紀の作家たちに関する多数の書類など、1500点の手稿、40000点の印刷本、(1800年から1907年に至る)900種類の定期刊行物、諸々の遺物、記念品、ロヴァンジュール自身の、15000通を越える書簡を含む、膨大な量の個人的書類が含まれていた。

Thomas Philip Wallrad de Hénin-Liétard d’Alsace named Cardinal d’Alsace [2] ( Brussels , 12 November 1679 – 5 January 1759), was a Cardinal – Archbishop of Mechelen , Belgium . He participated in 2 conclaves, during the conclave of 1758 he acted as Cardinal Proto-Priest. 枢機卿 9000冊

François-Joseph Fétis ( French: [fetis] ; 25 March 1784 – 26 March 1871)19世紀最大の音楽批評家 その音楽蔵書は院長を務めたブリュッセル音楽院へ

リヒテンシュタイン公国王子2万冊がHPクラウスに底値で買われる


デンマーク王室 
フレデリク三世が自身のコレクションをもとに1648年にデンマーク王立図書館を設立。当初は王族と学者に閲覧は制限されていたが1789年のちに一般開放される
フレデリク三世の没時には2万冊になっていた。クリスチャン五世とフレデリク四世によって拡充され18世紀前半には7万まで増加した

オットー・トット otto thott (1703 年 10 月 13 日-1785 年 9 月 10 日) デンマークの大臣 13万8千冊 デンマーク最大の個人蔵書
英の政治家エドワード・ハーレーの蔵書をオークションですべて手に入れた。

ペーター・フレデリク・スーム Peter Frederik Suhm (18 October 1728 ? 7 September 1798),
デンマークの歴史家 アカデミーの議長も務める。蔵書は約10万冊

ニールス・フォス Niels Foss ( 1670年 8月6日 Slagelse – 1751年 3月17日 コペンハーゲン
デンマークの弁護士 文学作品中心に11491冊

Bolle Willum Luxdorph ( 1716年 7月24日、 コペンハーゲンの NrrregadeのBispegardenで生まれ 、 コペンハーゲン で 1788年 8月13日に死去)は、デンマークの歴史家であり 、詩人であり公式だった。
15000冊に写本500

Daniel Gotthilf Moldenhawer (11 December 1753 – 21 November 1823), was a German – Danish philologist , theologian , librarian , bibliophile , palaeographer , diplomat , and Bible translator東洋学者 デンマーク王立図書館の主任司書 12000冊

ヘンリック・ヒールムスティーン Henrik Hielmstierne ( 1715年 1月1 日? 1780年 7月18日 )は、 アイスランド語 – デンマーク語の 賛美歌 、 歴史家 、 本のコレクターでした10000以上デンマーク文学


Carl Gustaf Warmholtz , född den 1 januari 1713 i Stockholm , död den 28 mars 1785 på Kristineholm , var en svensk lärd och samlare av historisk litteratur . スウェーデンの史家 6000~7000冊

Erik Waller (1875–1955) was a Swedish surgeon and book collector スウェーデンの外科医でインキュナブラ150と2万5千の本


MartinSchoyen1940 ノルウェーのビジネスマン。14000の古文書を所有 最古のものは5000年前のもの


シチリア王家 → ヴァチカン図書館のギリシア語蔵書の核。


ベッサリオン Bessarion, Johannes 1400頃.トレビゾンド [没]1472.11.19. ラベンナ
ビザンチン出身の人文主義者,神学者。のちにバジレウス Basileusと呼ばれた。 1437年ニカイアの大主教。東西両教会合同をはかるフェララ・フィレンツェ公会議に出席したが,合同を支持する彼の意見はビザンチン教会に拒絶された。そのままイタリアに残り,カトリックに改宗,39年枢機卿に任命された。主著『プラトン誹謗者に駁して』 In calumniatorem Platonisのほかアリストテレスの『形而上学』,クセノフォンの『ソクラテスの思い出』のラテン語訳がある。オスマントルコに滅ぼされる直前にビザンツに伝わる古代の古典を救い出す。1000冊の写本をイタリアに持ち込み、寄贈する 今日伝わる最古のホメロス写本は彼の蔵書に含まれていたものである。


14世紀末から15世紀にかけて人文主義者や富裕市民が書物コレクション
コルッチョ ・サルターティ Coluccio Salutati
レオナルド ・ ブルーニ Leonardo Bruni
カルロ ・マ ルスッピーニ Carlo Marsuppini
ニッコロ・ニッコリ Niccolo Niccoli
ポッジョ ・ ブラッチョリーニ Poggio Bracciolini 人文学者で修道院に残るラテン語文献を探索した
ジャンノッツォ ・マネッティ Giannozzo Manetti

ニッコロ・ニッコリ (1364-1437) 全財産を古今の古典文献の蒐集に費やし約800冊の蒐集。
ヴィスコンティ・スフォルツァ 1000冊

☆☆☆
メディチ家
当初60→150→ トスカナ1589年 写本3000 
メディチ家2代当主コジモ(1359~)はニッコロ・ニッコリやポッジョ・ブラッチョリーニらの収書を援助,また彼らの協力の下にギリシア・ローマ古典や教父著作の古写本を買い集め自分自身のコレクションも作る
ニッコリが死ぬと,彼が遺贈した蔵書に自らの蔵書の一部も加え、サン・マルコ図書室を開設。一般公開もする。1447年
メディチ家の書籍蒐集は息子ピエロPiero il Gottoso (1416-69)が継ぎ,さらに孫ロレンツォLorenzo il Magnifico (1449-92) はラスカリスに命じ旧ビザンティン領内に残存しているギリシア古典写本を系統的に蒐集。
書籍コレクションはロレンツォが当主だった1469~1492年の間に250冊から1,000冊に増大。写本のうち貴重なものはサン・マルコ図書室の蔵書とは別に非公開の蔵書として自邸内にとどめられたが,フィチーノやポリツィアーノら人文主義者には貸し出し古典研究に協力した。
ロレンツォはルネサンス文化の寵児で、人文学的教養を持っていたがこの間メディチ家は没落する。ロレンツォの死後1571年にロレンツォ図書館 (Biblioteca Laurenziana)が建造されそこにメディチ家の蔵書が集められる。1589年時点で写本3000。少し前に亡くなったグロリエとあまり変わらないぐらいの量。(現在ではおよそ1万冊を所蔵)

ラスカリス Andreas I?ann?s Laskaris 1445‐1535
ビザンツ出身の人文主義者。フィレンツェでメディチ家当主ロレンツォの庇護を受けギリシア古典の校訂本をつくる。またメディチの意を受け旧ビザンツ帝国領を巡って,ギリシア古写本を買い集めた。

フェデリーコ Federico da Montefeltro 1422年6月7日 – 1482年9月10日ウルビーノ公。傭兵隊長として、教皇やヴィスコンティやメディチのために働くが無敗の名将、フランチェスカによる肖像画は有名だ。その蔵書はバチカン図書館を凌駕するとまで言われ、1760に及ぶ。1657年にバチカンに買い取られる 

マントヴァのエステ家
ローマのヴィスコンティ家

Gian Vincenzo Pinelli (1535 – 31 August 1601) was an Italian humanist , born in Naples and known as a savant and a mentor of Galileo . His literary correspondence put him at the center of a European network of virtuosi . He was also a noted botanist , bibliophile and collector of scientific instruments16世紀イタリアでもっとも偉大なコレクター8500の印刷物と何百もの写本


ローマでは 教皇シクストゥス5世の時代にヴァティカン宮殿内に教皇庁図書館(Biblioteca Apostolica/Biblioteca Vaticana) が完成 (1587-88)。
これは15世紀以来ニコラウス5世(トマーゾ ・パレントゥチェッリ) やシクストゥス4世によって営々と積み上げられてきた図書コレクション
ニコラウス五世没時の1455年に1200
1475 3500
1481 2527


書籍商ヴェスパシアーノ
これ以後活版印刷が普及しイタリアでも蔵書家の規模が一桁大きくなる。

フェデリコ・ボローメオ枢機卿 1564年 4万冊 → アンプロージア図書館

アントニーオ・マリアベーキ Antonio di Marco Magliabechi (October 29, 1633 – July 4, 1714)
金銀細工師からメディチ家の司書となる、三万冊(一説によると四万冊)の蔵書は死にあたって寄付されフィレンツェ国立中央図書館の基礎をなした。


ガエターノ・メルツィGaetano Melzi (Milano, 28 dicembre 1786 ? Milano, 9 settembre 1851)
蔵書は3万冊。3500を越えるインキュナブラを所有していた


ソランツォ
全27巻の手稿譜は、1745年にはヴェネツィアの元老院議員、ヤコポ・ソランツォ伯爵の書庫にあったことが証明されています。おそらく、伯爵は、ヴィヴァルディの作品を印刷販売する法的権利を有していた弟のフランチェスコ・?
カノニチ
カノニチ司祭は、コレッジョの真筆であると判断した。(:)私は、かつてヴェネツィアのイエズス会士であったマッテオ・ルイジ・カノニチ司祭殿より、宝石商の計測によると重みが十リッブラ(一リッブラ

ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは1822年、父ジュゼッペ・ポルディ、母ローザ・トリヴルツィオの第二子として生まれた。ポルディ家とペッツォーリ家の名前を一つにまとめた父は1818年、貴族の爵位とともに莫大な財産を受け継ぎ、当時ミラノで最も著名で伝統的な家系の一つであるトリヴルツィオ家の娘と結婚した。1833年、ジュゼッペが死去すると、ジャン・ジャコモの教育は母であるローザに任された。
 ジャン・ジャコモの蔵書リストからは彼の歴史や政治に対する強い関心がうかがえる。一方、美術に関する素養は本を通じてよりも、むしろ当時のミラノの個人コレクションの最も重要なものの一つであったトリヴルツィオ図書館での経験によってはぐくまれていった。また彼は、母とともに様々な場所を旅行した。父の故郷であり、ポルディ家が館を保有していたパルマ、姉が勉強していたフィレンツェ、そしてナポリ、ヴェネツィアなどを旅することで早くから美術に親しんだのである。数ヶ月間滞在したパリでは初めて美術館やギャラリーを訪れ、のちの彼の美術館構想に影響を与えることになった。

マシュー・パーカー Matthew Parker (6 August 1504 ? 17 May 1575)  600冊 カンタベリー大司教。ヘンリー八世による修道院の破壊による本の散逸を防ぐために蒐集した。
ロバート・コットンSir Robert Bruce Cotton, 1st Baronet (22 January 1570/1 ? 6 May 1631) 膨大な写本を集め、その数は王室の所蔵をうわまった。。

ジョン・ディー 4000 エリザベス一世付きの占星術師 図書館設立を目標に1580年から図書を集めたが、1583年に大陸に旅行した間に盗まれてしまう。100冊のみ現在大英図書館に
トマス・クランマー

サミュエル・ピープス 3000
オルデンブルグ 331
ロバート・フック 3380
ニュートン 1624
アダムスミス3000
ダーウィン1480
オックスフォード大学サマーヴィルカレッジ所蔵のThe John Stuart Mill Collectionである。当コレクションには、ミルが長年研究目的に活用していた蔵書が約1700冊あり、これらの蔵書には、ミルによる多数の書き込みが確認された。新たな研究資料として位置付けられる当コレクションでの資料収集・情報収集・


ロバートハーレーエドワードハーレー父子by Robert Harley (1661?1724) and his son Edward (1689-1741).7600の原稿、14000の法律文書、500の巻物

トーマス・ブラウン 1605オークションカタログには1711冊
ハンス・スローン 5万
ジョージ2世 英語はわからないわ、もともと本は嫌いだわの国王が王室文庫1万7千冊を設立されたばかりの大英博物館にそのまま寄付してしまう。

旧王立図書館
https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Royal_Library

王立図書館 ウィンザー文庫
John Glover 1837-1860
Bernard Woodward 1860-1869
Richard (later Sir Richard) Holmes 1870-1905
The Hon. (later Sir John) Fortescue 1905-1926
Owen (later Sir Owen) Morshead 1926-1958
Robin (later Sir Robin) Mackworth-Young 1958-1985
Oliver Everett 1985-2002
The Hon. Jane (later Lady) Roberts 2002-2013
Oliver Urquhart Irvine 2014-

スウィフト 680

トーマス・グレンヴィル Thomas Grenville PC (31 December 1755 ? 17 December 1846) 政治家。冊数は2万240冊。タイトルはおよそ1万6千。ホメロスやアリオストの複数の版の収集 大英図書館に寄付


コンスタブル ゴードンストン蔵書買収してエルディン卿に売る

三代ロクスバラ公爵 1万
祖父・父以来の蔵書一万冊はインキュナブラ、シェークスピア、フランスの騎士文学、イタリア・イギリスの初期文学、戯曲など
業者は主にニコルを使い晩年はコンスタブルとも取引した
1812年のオークションはイギリスの集書の歴史で記念碑的なもので巨額の売り上げを記録した
スペンサー伯、ブラッドフォード侯 デヴォンシャー公等が群がる
1471年印刷のボッカチオ作品は2260ポンド 1884年まで70年間記録は破られなかった

Richard Heber (5 January 1773 ? 4 October 1833)
William Henry Miller (1789 ? 31 October 1848)
Christie Miller (d.1898)


二代スペンサー伯爵 4万5千 ロクスバラクラブ初代会長
ウィリアム・ベックフォード William Thomas Beckford, 1760年10月1日 – 1844年5月2エドワードギボンの全蔵書を買収してそれを基礎に置く
リチャード・ヒーバー 14万6千 ウォルタースコットやコールリッジが裨益
ウィリアム・ヘンリー・ミラー William Henry Miller (1789 ? 31 October 1848)
サミュエル・クリスティ・ミラー 

トーマス・フィリップスSir Thomas Phillipps, 1st Baronet (2 July 1792 ? 6 February 1872) 10万 (印刷本4万 写本6万) 史上最大の写本コレクター。
『フィリップス研究』全五巻は書誌学者マンビーが10年を要して完成させたフィリップス文庫の形成と分散の歴史の全貌である。ちなみに、本書によりマンビー氏は博土号を授与されている。フィリップス文庫とは写本収集家トーマス・フィリップス(Phillipps,Thomas,Sir,1792-1872)が生涯をかけて作り上げた英国史上最大の個人コレクションであった。それらは彼の死後数十年にわたってその主要なまとまりがいくたの競売の末,欧米の大図書館の蔵書に帰し、それら各館の蔵書の核となったほどのものであり、今なおその残余の部分が古書市場に登場するほどの質と量を備えたコレクションである。そのうらのいくつかは近年我が国にも将来されている。マンビー氏はこの文庫の歴史をフィリップスが出版した文庫目録を検討することから始める。続いてフィリップス家の歴史を繙きトーマスの人となりを追う。そして、1838年までと1841年以降に分けて、彼の収集活動を詳細にたどり、最後に1957年に至るまで文庫分散の顛末を競売を中心に追跡して、どこにどのようなまとまりが収蔵されたのかを明らかにした。マンビ一氏は本書を単なる書物の羅列にすることなく、豊富な書簡・文書などのドキュメントを利用して文庫をめぐる人々の情熱を伝えている
ヴィクトリア朝時代の蔵書家黄金期でもトーマスフィリップスは印刷本よりも中世やルネサンスの写本を中心に集めた
有名なエピソードは詐欺師シモーニデスの話と娘婿JOハリウェルの話。
大英図書館のフランシス・マッデンは騙されなかったが、フィリップスは騙され最後まで本物だと固執した
大邸宅が本で埋まる 大英図書館やオックスフォードボドリアン図書館も彼のコレクションを狙うが、嫌いな婿に遺産を渡したくないため娘を相続人にしてサザビーでオークションにかけられる 家は遺贈しても本は嫌だというのが面白い。
蔵書は内容ごとに分類されて、86~78まで100年にわたる競売でモルガン親子などが多く群がった 最後はニューヨークのhpクラウスが一括買い上げ
最初のオークションから100年を経た1977年になっても2000の写本と13万もの手紙や古文書が残っていた。

マカロック 経済学書一万冊

ハーバート・フォックスウェル
ケンブリッジ大学、ユニヴァーシティ・カレッジ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで教鞭を取った経済学者です。生まれは1849年。経済学に革新をもたらしたジェボンズ(1835年生まれ)やマーシャル(1842年生まれ)より10歳前後若く、20世紀を代表する経済学者ケインズ(1883年生まれ)より二回り年上です。エコノミック・ジャーナル誌の創刊やイギリス経済学会(後の王立経済学会)の創設に関わり、1929年から1931年まで学会の会長を務めたイギリス経済学界の重鎮でした。(フォックスウェルの2つ違いの弟エドワードは、東京帝国大学の経済学教授として教鞭を取ったお雇い外国人です)
フォックスウェルは経済学の研究ではほとんど業績を残していないようです。その代りに生涯を賭けたのは、経済学文献の蒐集です。フォックスウェルがなぜ経済学文献の蒐集を思い立ったのか、詳しいことは分かりませんが、親友で文献に詳しいジェボンズとの交流の中から、文献蒐集への興味が芽生えてきたようです。経済学の文献を蒐集しようと決意し、一冊目を購入したのが1875年、フォックスウェル26歳の時です。以来、講義の合間や休日にケンブリッジの古書店に足を運び、自分のポケットマネーで文献を購入する生活が始まります。
25年ほど経過し、約3万点の個人コレクションが形成された頃、フォックスウェルはコレクションを販売することを決意します。これに真っ先に反応したのはアメリカ人だったようです。
ロンドン大学のゴールドスミス文庫と、ハーバード大学のクレス文庫
この二つの文庫は、ともにケンブリッジのフォクスウェル教授(1849-1936)の旧蔵書を基礎にしています。彼は生涯で7万冊の蒐書をしたといわれ、その中にはスミス、リカード、ロック、ベンサム、ウィルバーホース、オーエン、ピール、ワーズワース、マルクス等の旧蔵書が相当数あるということです。彼の最初の大きなコレクション約3万冊は、ゴールドスミス会社が一括購入し、1903年にロンドン大学に寄贈しました。第二の大きなコレクションは、彼の死後1938年にハーバード大学におさまり、資金提供者の名を記してクレス文庫とよばれています。これも3万冊をこえるものです。


アイザック・ディズレーリ 2万

ジョージ三世 8万
グラッドストン 3万2千
ヘンリーバックル 2万

ウォルタースコット9千

トールキン指輪物語 2000タイトル

ウィリアム・エドワード・バックリー William Edward Buckley (1817 – 18 March 1892) was a Church of England clergyman, an academic who taught both classical languages and Old English, and also a journalist. He was Rawlinsonian Professor of Anglo-Saxon at the University of Oxford from 1844 to 1849.
オックスフォード大学教授 2万5千冊

ジェームス・リンジー伯爵 天文学者。
19世紀の終わりから20世紀初頭にかけてのイギリスで最も重要な蔵書家。4500の稀覯本を蒐集する。伯爵家代々の蔵書であるBibliotheca Lindesiana全体では10万に及ぶ


チャーチル 一万以上 数百冊が著者の署名入り チャートウェルハウス

グレアム・グリーン 2000

ピエロ・スラッファ 7000 『論考』を書き終えた後のウィトゲンシュタインに影響を与え、『探究』への道を進ませた事でも知られる独創的な経済学者

ウィリアムオスラー オックスフォード欽定医学講座 マギル大学に内8000冊

Lawrence M. Lande, OC (November 11, 1906 – 1998) was an author, bibliophile, bibliographer, and collector of books and manuscripts. カナダを代表する古書コレクター1万2千

Alexander Horsburgh Turnbull (14 September 1868 – 28 June 1918) [1] was a New Zealand merchant, dandy [2] and book collector .ニュージーランドのコレクターで55000冊


フェリベ2世
マドリードの巨大な宮殿=修道院エル・エスコリアル宮に、1567年ホアン・デ・エレーラの設計で宮廷図書館を造営する。エスコリアルの暗い一室から世界帝国を統治していたフェリペ2世はやはり多くの蔵書に囲まれていた。
エスコリアルの図書館はその重要性・貴重性の点ではヴァチカンやウォルフォンビュッテルに並ぶとされる。大きな火災を経ており現在残るのは15~6世紀の書物が4万5千冊。5千ほどの写本を含む

ベラスケス150冊


ムガール帝国三代皇帝アクバル宮廷図書館に2万4千 皇帝は字が読めず毎日本を選んで召使に読ませた

ハキム・ジルール・ラーマン 医学者 ウルドゥー語アラビア語ペルシャ語サンスクリット語など2万冊 自身の創設した研究所に寄付

バグワン・シュリ・ラジニーシ osho15万


Meet The Couple Behind India’s Biggest Private Library With Over 1,20,000 Books
Gnanalaya Research Library in Tirukokarnam is one of the largest private libraries in India and is maintained by a couple in its 70s ? B Krishnamurthy and his wife Dorothy.
They established this library in 1999 which has a collection of over 1,20,000 Tamil and English books that are decades old (most of them got published before they were born). Dorothy, an ex botany professor, says, “We bought some book in our collection at a certain stage of our life, so each volume has a story behind it.”
Krishnamurthy, who has been an educator all his life, says it was his father who encouraged him to read books of all kinds. “My father was my earliest supporter in this hobby. I had been collecting old books from my college days in the 1950s, but started thinking of starting a library only after my father gifted me a trunk containing a hundred of his favourite books when he retired in 1962.”
After their retirement, the couple built their home in Palaniappa Nagar, Tirukokarnam, in 1985, and stored their books in their residence. Later, they bought a 2400 sq ft plot next to their house and constructed the Gnanalaya Library at a cost of Rs. 11 lakhs. Their mission was/is to save these books for the new generation and encourage it to take up reading.
Today, the library is regularly visited by political speech writers, students of Tamil culture and scholars from foreign universities looking for authentic publications related to South Asia and Southern India.
At that, Krishnamurthy has a concern. He says, “The biggest drawback in modern Tamil publishing is that books as recent as 60 years old have not been reprinted. So what is the hope of reviving older publications that chronicled the achievements of an earlier generation? How many people know anything about the great musicians and cultural icons of those days?”
Annually, a total of Rs. 2.5 lakhs is spent on the library maintenance.

李王家 奎章閣
李氏朝鮮の宮廷蔵書で1776年に設立された。正祖が第22代国王として即位した直後の発足である。日韓併合後は朝鮮総督府を経てソウル大学によって管理されていた期間が長く後独立した。
現在は古図書約17万5千冊、古文書約5万点、冊板約1万8千点など総約30万点の資料を所蔵しているが、その後の収集や寄贈を含んでおり、李氏時代末期の蔵書はおそらく15万冊程度とみられる。148819冊(漢籍67785冊 朝鮮本81034冊)
宮廷時代の奎章閣は、当初歴代国王の御製・御筆・王室族譜等の保管を目的とする王室ライブラリーであったが、徐々に王立学術機関としての色彩を備えてゆく。専門官による研究、書物の編纂・出版、国王の諮問や国政運営のための資料収集などへと業務が拡充されてきた。現在朝鮮王朝実録をはじめとする7種7125冊の国宝を所蔵している

そもそもローマ法というのが本当に名前の通り貿易業者の怪しいものである
またその市民法的原理もローマ的な市民のものかどうか、またゲルマン系の法系を逆に受け入れてる面もあるわけで
キリスト教同様に起源である


多くの好きもの(=数寄もの)が集まり切磋琢磨して、
玄人衆 鳥師

価値とはそうやってできるものではないのか
実業家が工場を建てるために「焼き物を二つ三つ処分するか」みたいな話があったんだけど


益田岩崎 実業の世界でも本当に戦ってた人



脇村義太郎の「東西書肆街考」に、岩崎弥太郎・弥之助の兄弟が神田古書街に頻繁に通って古書を蒐集していたとか、西園寺公望の姿も神田で見かけられとか、そんな話が書かれていました。
明治から大正初期にかけてはネット・テレビ・ラジオなどはなく新聞・雑誌や新刊書からの情報も取るに足りないものだった事から、当時接することのできる最も巨大な情報は、狭い区域に集積された膨大な古書だった様子が、こういう話からもよくわかりますね。

自分が一番興味があるのは、いついつの時期に、どこどこの地域では、どのくらいの情報があったかという点です。
古来、権力は情報を求めるものだし、また情報があるからこそ権力につながったともいえる。これは鶏と卵みたいなものでどちらが先かを論ずることには意味がありません。
書物面では飢餓状態に近かった中世から、ルネサンス~17世紀あたりへの推移を、欧州各地の様子を比較しながらみていく場合、いろいろと意外な点が目につきます。

例えばルネサンス最初期の15世紀後半で、なぜハンガリーのコルヴィヌス国王がバチカン図書館に次ぐコレクションを持っていたのかとか、
そのバチカンが図書館設立に至る数十年の間に急速に蔵書を拡大してソルボンヌを抜く規模になったのはなぜかとか、
なぜ同時期のメディチ家とフッガー家で三千冊と一万冊という大きな差が出たのかとか、
イタリアではメディチ家・ボルジア家と併称されているがボルジアの場合は書の収集はなかったのかとか
同様にドイツで併称されているフッガー家・ヴェルザー家のうちヴェルザーはどうだったのかとか、

例えば、メディチとフッガーでなぜ大きな差が出たのかという点に関してはこういう背景があります。
メディチは銀行を中心とする商業資本とはいいながらも実質はまだ都市貴族の延長で、それに比べてフッガーは、一見ドイツ奥地のアウグスブルグに拠点を置きながら実は裏でヴェネチアにつながるルートでの貿易量が大きく、メディチに比較するとヨーロッパ規模の交易網・情報網を所有する国際商業資本といえる存在であった、そのことが集書活動にもこれくらいの差が出たという事なんでしょう。

また、ドイツが領邦に分かれていたことが逆に近世以降、英仏に比べて常識外れの王侯コレクターを何人か生んだ点も興味深いです。
このサイトの当初のプランでは、日本における欧米愛書家に関しての一般的な叙述のセオリー通りに、フランスを中心とする大陸系蔵書家(グロリエやマザラン)と、大英帝国全盛期の蔵書家(ロクスバラやスペンサー)を、型どおりに記述して、あとは付け足し程度の予定でした。
ところが当初から薄々予感してたように、独墺系の宮廷図書館は質・量ともに英仏のコレクターを上回りかねないし、デンマークなんかにも相当の規模の蔵書家が存在する。これはもうちょっとヨーロッパを幅広く見ていかないとな、という気持ちに今なっていてサイトの構成をどう変えるか考え中です。


中山正善が主催し、中村幸彦、神田喜一郎、壽岳文章という当時の和漢洋を代表する書誌学者で同時に万クラスの蔵書家でもある三人が顔を揃えた豪華な座談会があり、そこに出席していた唯一の業者であった反町茂雄が、

◇第六変奏
アリストテレス,キケロ,サモニクス 
《古代の蔵書家たち》

◇第七変奏
リチャード・ド・ベリー,教皇シルヴェステル,シャルル五世 
《中世の蔵書家たち》

◇第八変奏
 カリフ ハキム,イブン アバッド,イブン アッバス
《イスラムの蔵書家たち》

◇第九変奏
現代日本の蔵書家たち 井上 谷沢 渡辺 紅野

◇第十変奏
現代欧米の蔵書家たち デリダ エーコ マングェル 

 

◇第四変奏
メディチ、教皇ニコラウス、ボローメオ、マリアベーキ
《イタリアルネサンスの蔵書家たち》

◇第五変奏
 コルフ男爵, ダヴィドギンズブルグ,ユディン
《ロシアの蔵書家たち》


オランダの蔵書家
北欧の蔵書家
東欧の蔵書家
ラテンアメリカの蔵書家

アジアの蔵書家

[24]英国の蔵書家たち
[37]清末の四大蔵書家[43]
[44]20世紀アメリカの蔵書家たち


The Contest Between Harmony and counterpoint(和声と対話法の試み)


  FRANCE ENGLAND    GERMANY    ITALY  

 16th century 16th century 16th century 16th century  16c overview
17th century 17th century 17th century 17th century  17c overview
 18th century 18th century 18th century 18th century  18c overview
 19th century 19th century 19th century 19th century  19c overview
 20th century 20th century 20th century 20th century  20c overview

FR overview GB overview DE overview IT overview

和声と対位法の試み(The Contest Between Harmony and counterpoint)


 フランス イギリス  ドイツ  イタリア

 16世紀 16世紀 16世紀 16世紀  16世紀概観
 17世紀 17世紀 17世紀 17世紀  17世紀概観
 18世紀 18世紀 18世紀 18世紀  18世紀概観
 19世紀 19世紀 19世紀 19世紀  19世紀概観
 20世紀 20世紀 20世紀 20世紀  20世紀概観

  仏概史  英概史  独概史  伊概史

各国比較史 Compare history


仏蘭西             十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  仏蘭西概説   
伊太利             十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  伊太利概説
独逸              十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  独逸概説
墺太利 洪牙利 捷克       十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  墺太利概説 
和蘭 白耳義 瑞西       十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  蘭白瑞概説    
丁抹 瑞典 諾威 芬蘭      十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  北欧概説 
英吉利 愛蘭          十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  英吉利概説 
波蘭 羅馬尼 南斯拉夫 亜勃牙利 十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  東欧概説   
露西亜             十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  露西亜概説
西班牙 亜爾然丁        十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  西班牙概説
葡萄牙 伯剌西爾        十 六 世 紀  十 七 世 紀  十 八 世 紀  十 九 世 紀  二 十 世 紀  葡萄牙概説    

   16c各国比較史 17c各国比較史 18c各国比較史 19c各国比較史 20c各国比較史 

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小島屋
屋代翁の蔵書十萬巻、紅葉山の文庫の御本ょり多しと云へり、また我學兄松屋翁の蔵書五萬巻、岸本氏の蔵書も是になずらふべし、さては津軽屋・小島屋など聞えたる皆幾萬巻の蔵書家な

住友殿村鴻池
富豪といわれた住友家、殿村家、佐々木家はみな大蔵書家であった。そうした伝铳は明治,大正期になつても連綿と続き、錚々たる蔵書家たちがあった

鴻本
備前の鴻本氏などは大蔵書家であつた。家にない書は、なんでも募り求めた。諸国にこのような人が


河本家
河本家「稽古有文館」に伝わる蔵書は古典籍880点余(約4,800冊)からな る大規模な蔵書である。河本家古典籍の蔵書調査は、米子工業高等専門学校 の原豊二氏(現在の所属はノートルダム清心女子大学)らにより開始され4)、 2004(平成16)年度以降、国文学研究資料館に調査が引き継がれて、2014(平 成26)年度まで10年間にわたって同館による調査が行われた。  蔵書の特徴や分野ごとの主要な古典籍の解題については、原豊二氏の論 文5)に詳しく述べられている。それによると、多くは江戸時代の版本であり、 中には明治期の版本や、江戸時代の写本も含まれ、その分野は、文学・歴史・ 仏教・漢籍など多岐にわたっている。その蔵書は、江戸時代から明治・大正 期にかけて収集されたものと考えられ、特に十二代伝九郎通繕、十三代芳蔵 の頃に収集されたものが中心となっていると考えられている6)。蔵書の分野 別割合を次に示す(図1)。


山陰の浜田藩

小島宝素


入江信雄 入江文庫

深田久弥
広田栄太郎

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羽田亨 敦煌秘笈 個人としては世界最大の敦煌文献コレクション760点


藤原為経定家の母の前夫

近藤正斎
宮野尹賢 数千

中山信名 ほきいちのでし

伊能忠敬5千

幕府御用の味噌屋の福田文庫主 古書籍商達磨屋五一と
関根只誠


平瀬家と平瀬露香 
大阪で両替商「千種屋」を営んでいた豪商で、最盛期には住友や鴻池に次ぐほどの勢力を誇ったとされる。しかし、住友や鴻池が幕末から明治時代にかけて後に財閥と呼ばれるような近代的な経営体に変化していったのと比べると平瀬家は露香の時代、旧態依然とした体制のままにとどまり明治以後に始めた事業はほとんどが成果を上げられずに衰退する一方であり、明治時代後期には平瀬家の別宅や所蔵品の売り立てを何度も行うまでの窮乏状態になっている
平瀬家第7代当主の平瀬露香(1839年(天保10年) – 1908年(明治41年))は江戸時代末期から明治時代にかけての人物である。
本名亀之助または亀之輔。春愛。号は露香、同学斎、桜蔭寺などと称していた。俳号は蘆の丸屋貞瑛。
平瀬露香はのちに平瀬家第6代当主となった平瀬宗十郎(1818年(文政元年) – 1866年(慶応2年)、春温、士陽)と千種屋の奉公人の娘の子として生まれたものの、宗十郎は平瀬家第5代当主平瀬水(1806年(文化3年) – 1835年(天保6年))の六男であり当時の宗十郎は当主となることなど考えられない部屋住みの身であったため父母は結婚を認められず[6]実母は実家に帰されて露香は分家の子として育てられ、兄が早世したために宗十郎が平瀬家の第6代当主となった後も正妻(露香出生後に結婚した相手であって露香の実母ではない)との間に男子が生まれず宗十郎の男子が露香独りであったために結果的に露香は10代半ばで本家に迎えられて、結局平瀬家第7代当主となった[7]。
そのようないきさつから露香は若いときから本業(=商売)に熱心ではなく道楽に走った生活をしていたともいわれており、まだ父親が存命中であった17歳のころには「放蕩が過ぎる」ことを理由に京都の天竜寺に謹慎のために預けられたこともある。さらに父親が死去して家督を相続した後も支配人から理由を付けられて明治元年から二年にかけて一度隠居させられている。このような複雑な事情で露香は第7代の当主となったが、当主となった後もさまざまな事業の運営のほとんどは前代からの従業員たちに任せきりであり、これは同人が平瀬家の当主となるまでの複雑な事情に加え、同人の道楽にふけっていた素行を不安視する人物が平瀬家の中にも多かったためであると見られている[8]。
そのため同人は第三十二国立銀行を設立し、日本火災保険を設立して社長をつとめるなど著名な実業家ではあった一方で、本業よりもむしろ俳諧・和歌・書画・茶道・能楽など諸芸

水谷不倒 和久正辰 岡本閻魔庵 

清野謙次


明治大正期の大阪では
浜和助、水落露石、渡辺霞亭 永田有翠、打越晴亭、+ 加賀豊三郎
昭和期の大阪では
高木利太、小竹園森繁夫、上野精一、戸川浜男、岡田真
これらのうち最も珍希に富むものは渡辺、量が多いのは永田

大阪古典会 永田有翠、渡辺霞亭、打越晴亭、永江為政、水落露石、楓文庫主人・肥田渓風


明治もの
柳田斎藤木村 初期              青山督太郎 生田源太郎
山宮充 ●勝本清一郎 形田藤太 塩田良平   直井静逸 ●入江
岡野他家夫 成瀬正勝 吉田精一        阪本猷 中山正善 
村上浜吉

小泉八雲2435冊


梅棹忠夫


Giovanni Vacca
Lodovico Nocentini

維新後の蔵書家たちに関しては、ホーレーに関するある文章でも
中山正善、和田維四郎、安田善次郎 
徳富蘇峰 ホーレー
黒川家三代 富岡家二代、
狩野享吉、内藤湖南

徳富  和田 内藤  安田

中山正善 富永牧太 児玉三夫 塩川利員 村口四郎 反町茂雄 東畑謙三 高宮利行
塩川利員 米山寅太郎

 毛晋・毛扆父子
■馮鈴・馮班兄弟(1602-1671)清初の文学者。銭謙益に師事する。厳羽の『滄浪詩話』に反対して,晩唐を宗とした。主著『鈍吟雑録』 (1巻) ,『鈍吟集』 (3巻) 。
■陸貽典(1617-1686) 詩人。
■馮文昌 蔵書家
 季振宣
 朱彝尊
■葉奕苞(1629 – 1686)
 徐乾学
■顧濵 蔵書家 金石学者


 範氏の天一閣
 項氏の天籟閣
 銭氏の術古堂
 朱氏の曝書亭
 徐氏の伝是楼
 趙氏の小山堂

 鮑士恭
 汪啓淑
 馬曰琯
 范懋柱

■周厚堉
■蔣曾瑩
■吳玉墀
 ■孫仰曾
■汪汝瑮


 黄丕烈
■周锡瓒
■袁寿阶
■顾抱冲


 邵承燦 「澹生堂」
 銭謙益 「絳雲楼」
 銭曽  「述古堂」  
■朱学勤 「結一瀘」
 丁氏兄弟「八千巻楼」
■盛宣懐 「愚斎」号 上海の実業家一族
 周越然 「官言斎」


 司馬光の読書堂
 尤袤の遂書堂

 毛晋の汲古閣
 湯鈔厓の萬巻楼
 黄居中の千頃堂
 
 錢曽の述古堂
 徐乾学の伝是楼
 徐元文の含经堂
 严元照の芳椒堂
 阮元の文選樓
 阮元の学海堂
 張金吾の愛日精廬
 陸心源の?宋楼
 紀昀の閲微草堂


22万 ●  
21万
20万 ●
19万
18万
17万
16万
15万 
14万
13万 
12万
11万
10万 ●●●
9万 ●●
8万 ●●
7万 
6万 ●
5万 ●●●
4万 ●●●●●●●●●●●
3万 ●●●●●●●
2万 ●●●●●●●●●●●●●●●
1万 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

「鏡像フーガ」より 明治維新以後1970年前後までの100年間で


狩野 大宅 岩崎小武田 徳川岩崎久 岩瀬     内藤藤本暁烏 土肥福田浅羽三宅大木中野三浦牧野石浜 市村鹿島伊藤柳田上野徳川 伊達渡辺井上井上村上小田切久原藤田五島織田新村江戸川渋沢  鴎外坪内桑原松本九鬼中村木村林須永富士川中野西園寺星内田石崎伊佐早武藤秋葉浜野尾崎石田神原川合加藤アス山田武内津田高柳福沢長岡中島 
      徳富          黒川家 井上        和田サトウ              富岡           加賀松井                          田中ホレチェバ
中山安田ホーレー小汀岡田
幕府 細川 毛利 光圀 蜂須賀 尾張        水野 一条松浦大谷池田 北条松平紀州      徳毛徳川松平吉田
   守村           屋代浅野小山田大塩    岸本渋江朽木市野 羅山狩谷塙保太田木村  天海伊沢福井伊藤小津竹川古賀 
お上前田林家直江菅原大江近衛九条小槻冷泉


22万   
21万
20万 
19万
18万
17万
16万
15万 
14万
13万 
12万
11万 ●  
10万 ●〇
9万 
8万 ●
7万 ● 
6万 ●
5万 ●〇〇〇〇
4万 ●
3万 ●●●●〇〇〇〇
2万 ●●●〇〇〇〇〇
1万 ●●●●〇〇〇〇〇〇〇

「鏡像フーガ」より 石上宅嗣以後明治維新までの1100年間で


前田
細川
近衛
九条


8黒川真頼 29            ①一 06
6井上頼圀   39              14
 田中光顕    43          二        39
8岩崎弥之助     51         08
4和田維四郎      56         05四20
10徳富蘇峰        63                ④七 57
20狩野亨吉         65      ② 12 23    42
9岩崎久弥         65         五24       55
8黒川真道         66       06  25
5内藤湖南         66 34
8岩瀬弥助         67             30
10武田長兵衛         70                 58  十78
9徳川頼倫          72        2325
 安田善之助          79     三  23   36
10岩崎小弥太          79       ③ 六   4045
 小汀利得       89 九72
20大宅壮一                00              ⑥72
 中山正善                 05         ⑤八 67
 ホーレー                 06           61

前田

中山久弥   
安田和田   近衛
狩野弥太   九條冷泉
徳富     内藤ホレ武田
       小汀

井上ひさし野間宏司馬遼太郎大佛次郎松本清張 荒俣宏高見順京極夏彦舟橋聖一 水上勉江戸川乱歩畑正憲 森鴎外
松岡正剛江口朴郎黒川真頼立花隆 村上陽一郎 猪瀬直樹 和田維四郎土肥慶蔵 丸山真男中村元榎一雄由良君美市村瓚次郎  成瀬正勝吉田精一石井進井上哲次郎有沢広巳山本達郎 


「十一万クラスって、いないんですね。広い日本に探せばいるだろうけど・・・ というか管理人が知らないだけ。」

★関谷「じゃどうしよう?」

☆梅本「どうしましょう?」


★関谷「ところで、今度またそのランクに該当する蔵書家が一人もいなかった時どうしよう?」


★関谷「つぎにこうなったら、それやることにしよう」

☆梅本「絶対ですよ」


⑤ 本でかっこをつける人
☆梅本「さっきの開高健の話に戻りますが、大量の書物を自宅に備えるにしても、本を一切置かないにしても、本でカッコをつける事には意味はありませんね。
    18世紀のロシアでクロステルマンって人が紙くずで作ったオブジェの本を売って大儲けしたんです。貴族たちがこれ買って偽の図書室を作って悦に入ってた。室内装飾家が壁面に本棚の絵を書いたりするのは今でもよくありますよね。こういうのは開高健がやってたことと同じだと思うんです。」

アマゾンで釣りしたりベトナム行って戦争のルポ書いたりフランス料理を食べ歩いてワインの蘊蓄披露したり
一昔前のメディアによる「才能の枯れた作家の使い方」の典型だな 雑誌で対談させたり、旅行に行かせて紀行文書かせたり、評判の店に食べに行かせたり、選挙に出馬させたり
私ならコンビに行くのも苦痛ですね。
今はこういうのお笑い芸人がやってるでしょう芸人の方が反応が敏捷で製作者サイドに懸命に媚びてくれて、その上、作家みたいに教養がないから余計なこと言い出さないので使いやすくて、仕事欲しい感が満面に出てるから何でも言うこと聞くじゃない
今はみんな小説読まないでマンガ読んでるけど、作家なんてそういう面でも今は使い道がないんですよ。
売れてる順番からいうと、漫画雑誌>漫画単行本>小説文庫本>小説単行本>文芸雑誌、ということになりますがネット時代になってからというものの漫画雑誌ですら部数の凋落はもの凄いです


⑥ エピローグのエピローグ

★関谷「最後だし他にやることもないんで、昭和~平成の大物蔵書家同士の対談本をみていくことにしました」

☆梅本「それでは、まず井上ひさしと司馬遼太郎の『国家・宗教・日本人』です」
★関谷「これ思ったほど面白くなかった。博識なお二人だけに読んでたら知らなかった事も多いし、参考にはなるんだが・・・」
☆梅本「なぜでしょう」
★関谷「なぜだろうな? 二人ともサービス精神豊かな人だし、仲も悪くない。だから盛り上がるかな、と思ったら、両方とも年取って気難しくなってテレビや新聞をネタにした政治批判ばっかりの印象だな。特に司馬は最晩年でしょ」

☆梅本「谷沢永一と渡辺昇一の対談本はほんと無数にあるんですが・・・ この中では・・・」
★関谷「あまり政治色の強くないやつがいいね。その中では「大人の読書」ってのがまあ参考になった。めちゃくちゃ珍しい本が紹介されているわけではないんだけど、一般の読書指南の本とはちょっと毛色が変わってて、さすが2人共本をよく知ってるなと」

☆梅本「もっと新しいところで、片山杜秀と佐藤優の「平成史」はどうでしょう?」
★関谷「面白そうなので読みたいんだけど、アマゾンマーケットプレイスで300円以下になるのを待ってる」

松岡正剛荒俣宏
立花隆司馬遼太郎
立花隆佐藤優

★関谷「そもそもだ、文芸評論家ってのは文芸時評が本職で、その書いた本をソースがどうのと専門的な研究者が書く学術書みたいに・・・」

☆梅本「しかしああいう研究書と錯覚されるような体裁の本を上梓したのは小林さんなんですよね。要するに小林さんは過渡期の人で、そういう学者がやるような専門研究もどきの著作を、文芸評論家が上梓する先駆けになった存在なんです。
    だからエッセイでやってれば叩かれなかったかもしれない。もともと『本居宣長』っていう著作自体が、『考へるヒント』の中の一連のエッセイで江戸の儒者を取り上げたところから派生してきた本でしょ? 私はあっちの方が好きですが」

★関谷「だからそこのところをよくわかってない国文系の学者が勘違いしてだな・・・」

☆梅本「もともとあの人は昭和初期の文芸時評家でしょう? 出発点は『アシルと亀の子』でしょう?
    でも彼の後に続く文芸評論家は、なべてそういう学術書もどきの本を上梓するようになってくるんですよ。また内容的にも、研究書といえるだけの原典資料にあたったオリジナルな情報と学問的な体裁を兼ね備えてくるんです。そして、彼ら自身も(編集部育ちの人ですら)大学に籍を置き教授として迎えられるような『半学者』になっていくんです」

★関谷「評論家なんか生活が安定しないから飛びつくんだろうな。社会的信用もできるし」

☆梅本「みんな仏頂面で引き受けるんだけど、内心はウハウハなんでしょうね」

★関谷「でも文芸批評家の真髄は文芸時評にあり、だろ? それが本職なんだから。江藤淳なんかいくつか書いてる漱石本よりも『江藤淳全文芸時評』こそが彼のベストワークでしょ?」

☆梅本「そこが難しいところですね。みんな本を買うとしたら、特定の人物なり思潮なりを主題にしたものを読みたがるわけでしょ? いくら好きな批評家でも誰誰の「評論集1978~1986」には手が伸びませんね。「モオツァルト」とか「ゴッホ」とかの方が手が伸びる」

★関谷「小林秀雄の弟子筋が『二葉亭四迷伝』とか、『漱石とその時代』みたいな本を出すのはわかるんだけど、アンチまでが『言語にとって美とは何か』とか『探究』とか・・・」、

☆梅本「じっさい文学論ばかりで知られてて、肝心の批評をほとんど読んだことない人って多いですもんね。みんな哲学者気取りで。そんなに哲学が好きならなんで批評家になったの?って聞きたくなる人が80年代にはホント多かった」

★関谷「本出すとなるとなんかテーマが必要で、雑文集みたいなものには買い手がつかないのかな」

☆梅本「文芸評論家はともかくとして、映画評論家なんかは今でもそうですね。雑誌で読んだ彼らの文章はほとんどが本にならない。本になるのは限られた一部の人だけです。それでやっぱり大体テーマを持った著述です」

★関谷「昔スクリーンで滋野辰彦って爺さんの文章をよく読んでた。左翼崩れで癖のある人だったけど、本人は真面目なつもりなのにかなりひねくれた文章で面白かった。しかし本となる

☆梅本「音楽評論家だってそうですね。浅里さんとか歌崎さんなんかレコ芸では重鎮なんだけど、彼らの文章を本で読んでる人は少ないと思います。ロックでも小倉エージとか渋谷・・・」

★関谷「まあクラシックの評論家で本を多く出してるのは吉田秀和とか柴田南雄みたいな主導的な存在か、宇野功芳とか黒田恭一みたいなものすごく個性的な人だし。」

☆梅本「音楽評論家は名盤指南の本が出せるのでまだいいんです。映画評論家も100本名作選んだみたいな本が出せます。
    サブカル系ムックのライターなんかになると、あのうちで本を出せる人はもっと少ないですよ」


☆梅本「『学者化』というのは厄介な現象でね。どうしてもモノを知ってくると人は学者に近づいてしまう。小林秀雄は批評家においてそのはしりですけど、小説家においてその代表格が司馬遼太郎なんです。あ、その少し前に大佛次郎がいたか。
    昔の歴史小説家は考えてみると楽でした。何書くにもアンチョコがあって、たとえば戦国武将の話を書きたいなら「名将言行録」、幕末モノを書きたいなら上で挙げた蘇峰の「近世日本国民史」なんかを参照すればよかったわけです。ところがみんなが同じ本を種本にしてるもんだから、ネタが被ったり、マンネリ化になってくる。だから歴史小説家がまず大量の文献を収集するようになります。」


司馬遼太郎がやっかいなのはそこなんです。

みんな本を読めば読むほど学者に近くなって、やってる事が考証学に近くなっちゃう
阿川弘之とか丸谷才一
あれだけ大勢の人たちが目指してて、最後までゴールにたどり着いたのがこんな二人ですか
三島は空中分解しちゃった

この二人が「ゴールまでたどり着いた」「勝てた」のは頭はよかったけれど小説家としてのエモーショナルな天分に不足してたからですよ


森丌園
内藤湖南みたいに「あんたのところのどの本棚の何段目にこういう本があってその何ページぐらいにこういう事が書いてあった筈だからちょっと調べておいてくれないか」


[118] 閲覧者様のご要望を 企画⑤
企画⑤「記述の流れ」


☆梅本「種本特集をやろうっていう企画提出の時、それに関連して思いついたんですけど。ある同じテーマの著述にはだいたい系統があって、それを概説していこうって企画です」

★関谷「たとえば?」

☆梅本「基本的にはこれもやはり種本の話になってくるんですけど、それをもう少し長くとらえて変遷を追跡していこうって事です。
統帥民法フランス解析

企画⑥「関谷企画 コレクターの争い」
企画⑦「この一冊」
企画⑧「スッカスカ コンサル一橋 管理人が喜びそうな 大内谷沢


〇蔵書目録
〇図書館

〇十夜一夜

リンク 蔵書印の世界
日本の漫画(手塚治虫のライバルたち
一巻物
司書歴伝

            北沢書店 一誠堂     
和泉屋 待賈堂 浅倉屋 村口書房 弘文荘   
        琳浪閣  文求堂 
        丸善           雄松堂

竹苞楼 竹苞楼 竹苞楼   
        松雲堂  松雲堂 中尾松泉堂

江戸 寛永正保 和泉屋半三郎 上野池に

京都 佐々木竹苞楼二代目惣四郎


江戸 文化から天保にかけて 和泉屋老泉・萬笈堂英太助と 和泉屋安西雲煙
              待賈堂達磨屋五一


江戸 浅倉屋 大阪 鹿田松雲堂 京 佐々木竹苞楼

明治初期 尚古堂岡田屋佐七 浅倉屋吉田久兵衛 青山堂青山清吉

明治後期三十年以後(国書)青山堂 浅倉屋 文行堂 
         (漢籍)斎藤琳浪閣 文求堂    西 佐々木竹苞楼 鹿田松雲堂

戦後洋書 松村龍一 進省堂鴨志田三郎

古書店  北沢書店 一誠堂 厳松堂図書   高山本店 南陽堂
     一誠堂 小宮山書店 厳松堂図書

Guillaume de Bure (1734年5月10日 – 1820年2月14日)フランス革命時


パリPaul Geuthner 東洋関係専門
パリMaisonneuve Freres,
ライプツィヒOtto Harrassowitz
ライプツィヒkarl Hiersemann,
ハーグMartinus Nijhoff,
ロンドンBernard Quarrich,
ロンドンKegan & Trubner


バーナード・クォーリチ
マグス

ローゼンバハ

HPクラウス オーストリア生まれのユダヤ人
フレミング
ジョナサン・ヒル


エフライムディナール(1888-1926)Ephraim Deinard (1846–1930) was one of the greatest Hebrew “bookmen” of all time.

【国会図書館】
浅倉屋


【田中正顕】
斎藤琳浪閣

【岩崎弥之助】
斎藤琳浪閣
浅倉屋

【大野酒竹】
浅倉屋
斎藤琳浪閣
吉金
村幸

【市島春城】
斎藤琳浪閣

【安田雄之助】
浅倉屋 吉田久兵衛
文行堂 横尾卯之助 横尾勇之助
村口書房 村口半次郎●
一誠堂 酒井宇吉 晩年
弘文荘 反町 晩年

【和田維四郎】
村口書房 村口半次郎●
鹿田松雲堂
佐々木竹苞楼

【徳富蘇峰】
文行堂●
村口書房
一誠堂

【中山正善】
弘文荘 反町● 

【ホーレー】 
村口四郎● 
若林正治(京都)日頃手近な書物
放出反町茂雄

【小汀利得】
村口書房 
藤園堂(名古屋)
弘文荘

【武田長兵衛】
井上書店
佐々木竹苞楼

【松本清張】
一誠堂●

【司馬遼太郎】
高山本店●

【荒俣弘】
雄松堂●
一誠堂

【池波正太郎】
高山本店●

【大岡昇平】
高山本店

【JPモルガン】
バーナード・クォーリッチ 
ローゼンバッハ 
LCハーバー 
ベーアー 
ピアーソン 
オルシェキー 
マルティーニ 
ド=マリニス

【JPモルガンJr】
ローゼンバッハ 

【ハンチントン】
ローゼンバッハ

【フォルジャー】
ローゼンバッハ 

【レッシング・ローゼンヴァルド】
HPクラウス

書物奉行
図書頭

マザラン ガブリエル・ノーデ
アルトワ伯シャルル・ノディエ
スペンサートマス・ディブティン
前田 木下順庵 津田光吉
安田 川瀬一馬
岩崎 和田維四郎 石田幹之助
岩崎 重野安続 諸橋徹次
中山 富永牧太

金沢文庫 沓掛伊佐吉
天理図書館
東洋文庫
大東急記念文庫
静嘉堂文庫 米山寅太郎

御書物師出雲寺

須原屋茂兵衛 蔦屋重三郎
京都書林十哲 元禄・寛永期 林白水(歌書)・平楽寺(法華書)・風月(儒医書)・武村市兵衛(有職書)・田原仁左衛門(禅書)・前川権兵衛(真言書)・中野小左衛門(真言書)・西村九郎左衛門(一向宗書)・金屋長兵衛(謡本)

ab狩谷棭斎
ab渋江抽斎
ab和田維四郎ac田中敬 (図書館学概論)
b内藤湖南ac和田万吉ac内田魯庵 (日本書誌学解題)(東西愛書趣味の比較 丸善顧問 洋書と和書では和田万吉と並ぶ権威)
b島田翰
a森銑三a柴田宵曲b神田喜一郎
c寿岳文章c庄司浅水b長沢規矩也
a川瀬一馬 
a中村幸彦
a紅野敏郎a谷沢栄一
a中野三敏
c高宮利行 
a林望
c雪嶋宏一
c原田範行

清朝末期に葉昌熾「蔵書紀事詩」が登場して以降、倫明「辛亥以来蔵書紀事詩」、楊立誠・金歩瀛「中国蔵書家考略」、陳登原「古今典籍聚散考」、李希泌・張椒華夫妻「中国古代蔵書与近代図書館史料(春秋至五四前後)」、「中国蔵書通史」、「中国蔵書楼」、「中国古代蔵書楼研究」などの書籍が世に出た
中国著名藏书家与藏书楼 范鳳書著


中国私家蔵書史(修訂本)範鳳書

「瓦の響 しのぶくさ」達磨屋五一

http://www.ndl.go.jp/zoshoin/etc/itiran.html

狩谷 海保漁村 島田重礼  服部宇之吉

        竹添進一郎 諸橋徹次  長澤
                    川瀬
              島田翰 


天理図書館の善本稀書 日本における書籍蒐蔵の歴史 古書肆の思い出 紙魚の昔がたり 西洋書誌学入門 訪書余禄 狩谷湖南 神田中野壽岳

▮狩谷棭斎◎
▮和田維四郎◎
▮内藤湖南◎
▮神田喜一郎◎
▮川瀬一馬
中村幸彦
▮中野三敏◎

和田維四郎 ジョン・カーター マビヨン
反町茂雄 川瀬一馬
石田幹之助 脇村義太郎 ケニヨン ハスキンス


●ラグランジュ スコトゥス ライプニッツ
●外国例 ヴェンチューリ、フェルゼンシュタイン、プフィッツナー フランツ・シュミット、ジェンティーレ プルグシュタール


群書類従 大正新撰大蔵経 東洋美術大観          永楽大典 四庫大全
古事類苑                平凡社大百科事典 
国書総目録

大日本史料


大日本史 本朝通鑑           六国史      二十五史
  

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9 コメント

  1. srvthbem 2019年12月31日

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29 ピンバック

  1. 総目次 2019/5/9更新 – 蔵書家たちの黄昏
  2. [116] Twilight of the Book Collectors – 蔵書家たちの黄昏
  3. [13] 鏡像フーガ8 昭和期の蔵書家 (1970年頃まで) – 蔵書家たちの黄昏
  4. 総目次  11/25更新 – 蔵書家たちの黄昏
  5. [8] 鏡像フーガ3 大名たち – 蔵書家たちの黄昏
  6. [210] イスラムの蔵書家たち バグダッド – 蔵書家たちの黄昏
  7. [103] 現代日本の蔵書家たち1 一万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  8. [122] 現代欧米の蔵書家たち 100000越え.150000越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  9. [123] 現代欧米の蔵書家たち 300000越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  10. [113] 現代日本の蔵書家11 十五万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  11. [10] 鏡像フーガ5 明治大正期の蔵書家 – 蔵書家たちの黄昏
  12. [213] イスラムの蔵書家たち 十字軍以降 – 蔵書家たちの黄昏
  13. [206] 中世の蔵書家たち 9, 10c – 蔵書家たちの黄昏
  14. [7] 鏡像フーガ2 蒐集のはじめ – 蔵書家たちの黄昏
  15. [104] 現代日本の蔵書家たち2 二万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  16. [112] 現代日本の蔵書家10 十万越えのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  17. [115] 現代日本の蔵書家∞ エピローグ – 蔵書家たちの黄昏
  18. [120] 現代欧米の蔵書家たち 30000クラス,40000クラス,50000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  19. [9] 鏡像フーガ4 江戸の蔵書家  蔵書家たちが交流をはじめる – 蔵書家たちの黄昏
  20. [16] 鏡像フーガ付録1 川瀬一馬による主題 – 蔵書家たちの黄昏
  21. [12] 鏡像フーガ7 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する – 蔵書家たちの黄昏
  22. Grolier, De Thou, Mazarin, Colbert – 蔵書家たちの黄昏
  23. [105] 現代日本の蔵書家3 三万クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  24. [204] 古代の蔵書家 ローマ – 蔵書家たちの黄昏
  25. [209] イスラムの蔵書家たち 前史ペルシア – 蔵書家たちの黄昏
  26. [208]中世の蔵書家たち 13,14c – 蔵書家たちの黄昏
  27. [300] 主題回帰 反町茂雄によるテーマ – 蔵書家たちの黄昏
  28. [118] 現代欧米の蔵書家たち 10000クラスのひとたち – 蔵書家たちの黄昏
  29. 総目次 4/15更新 – 蔵書家たちの黄昏

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テーマの著者 Anders Norén

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