蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[72] 中国の蔵書家Ⅵ 清

§ 清
 清朝に於いては其の異民族支配であった事が漢族文化を弾圧する事につながらずに寧ろ之を崇敬し保護する施策が採られた。其の結果此れまで集積されてきた中華文明の集大成的な事業が多く行われるに至る。
 其の官刻に就いては従来から屡々語られるところであるが私刻や坊刻もこれに劣らず盛んであった。
 蒐集に於いても宮廷には珍本秘籍があつまり、官による集書はここにその頂に達した。宮中に限っても内閣大庫・国史館・皇史館・英武殿・方略館・会典館・昭仁殿・五経萃室・藻堂など書庫は多くを数え、これに四庫七閣が加わる。(四庫全書は三万六千巻を越える膨大さゆえに実際に刊行を行う予定はなく筆写された副本が七部のみ存在した。此れを納める為だけに北京紫禁城に文淵閣、円明園に文源閣、奉天故宮に文溯閣、承徳避暑山荘に文津閣、鎮江に文宗閣、揚州に文匯閣、杭州に文瀾閣が建てられ是を称して四庫七閣と云った。焼失により文淵閣文津閣文溯閣文瀾閣の四閣のみが今に残る。)
 清朝畢生の事業である四庫全書の編纂にあたっては、総纂官の紀昀、経部の戴震、史部の邵晋涵、子部の周書昌以下、三千六百人に及ぶ天下の学者が動員されたが、多くの蔵書家も書を進献してこれに協力している。ことに江浙二省の范氏の天一閣、項氏の天籟閣、銭氏の術古堂、徐氏の伝是楼、朱氏の曝書亭、趙氏の小山堂などは重くみられ、其処に人をやって尋ねる事まで指定されたという。(明朝以来の項氏範氏の楼は既に触れた。銭氏徐氏朱氏趙氏については以下で語る)
 蔵書家中500種以上の書物を献じた鮑士恭,范懋柱,汪啓淑,馬裕の4家には古今図書集成が各1部下賜され、100種以上の周厚堉、蔣曾瑩、吳玉墀、孫仰曾、汪汝瑮は武英殿初印の佩文韻府を賜ったという。
 蔵書家が公の事業の為に書を進献する事は晋の張華以来東晋、北斉などその例に遑ないが四庫全書の場合はその極みといえよう。
 書の貯蔵はこの様に世を裨益する事甚だ多いものであるがこれは公の事業のみに留まるものではなく、一例を挙げれば銭大昕の学の大成なども蔵書家黄丕烈との交友なしにはあり得なかったろう。
中国歴代のうち王朝の安定と長期に渡る平和繁栄で文化が極められたのは漢唐宋明清の五つをもって数えるが個人による書の蒐集は、漢よりも唐、唐よりも宋、宋よりも明、明よりも清の方がこれを蒐める人士の数も又その規模も共に大となった。
 愈愈個人蔵書においても頂に達したとされる清朝にこれより筆が及ぶ。

 

 

 

 ■ 銭曽 (1629–1701) 「述古堂」

 前頁末尾で触れた蔵書家銭謙益の曽孫にあたる。銭曽の集書は幼少のみぎり焼失した曽祖父の楼の焼け残りを貰った事から始まった。銭謙益も明末最大の蔵書家だったが銭曽も清初を代表する存在となる。
 当ブログ江戸篇では市井の蔵書家達が互いに行き来する様を描いたが其の百年前の清でもとりわけこの銭曽は毛晋・毛扆父子、馮鈴・馮班兄弟、陸貽典、馮文昌、季振宣、朱彝尊、葉奕苞、徐乾学、顧濵などの蔵書家たちのネットワークの中にありすべての善本はここに集まったという。
 蔵書目録『述古堂蔵書目』あり。目録学に於いてもその著「読書敏求記」は当時大きな影響を持った。のちの黄丕烈もこれを熟読していたという。


 銭曽の周囲に集った蔵書家のうち毛氏は前頁で既に語ったが他に重要なのは以下の三氏であろう
 ■ 季振宜 (1630-?) 
 官人・学者で若くして英才をうたわれた。その編纂した「全唐詩」は康熙の代のものの礎となった。
 
 ■ 朱彝尊 (1629-1709) 「曝書亭」
 目録学上の業績に「経義考」あり。蔵書は八万巻に上る。

 ■ 徐乾学  (1631‐1694) 「伝是楼」 
 官人・学者。明史総纂官。楼に蒐められた古今の経典注釈の校定が弟子により「通志堂経解」として公刊される。

 


 ■ 徐元文 (1634~1691) 「含经堂」
 顧炎武の甥にあたる。二人の兄の乾學、秉義と共に崑山三徐と呼ばれた。進士としては状元であり翰林院修撰に進む。秘書院侍読、国子監祭酒、内閣学士、翰林院掌院学士と要職を極めた。《明史》監修総裁官として召された折には黄宗羲の登用も進言している。同年11月内閣学士に再任され、ついで刑部尚書・戸部尚書を経て文華殿大学士に任ぜられた。著書に《含経堂集》がある。

 


 ■ 唐彪(1640〜1713)「万卷楼」仁和人。文法家であった
 ■ 陆漻(1644〜?)「佳趣堂」医家であった。蔵書は千六百種数万巻に上る


 ■ 姚際恒(1647-1715)「好古堂」千五百種「好古堂书目」四卷あり

 ■ 何焯 (1661年-1722年)
 考証学者 進士から翰林院編修となる。馮班の実事求是の方法を継ぎ桐城派の方苞と対抗した。蔵書は数万巻

 

 ■ 鄭性 (1665-1743) 「二老閣」
 黄宗羲の弟子であり其の学統を継いだ。二老閣は当代有数の蔵書楼であったが水害に逢い多くの書が濡れた。然し尚三万巻が残ったという

 

 ■ 龚翔麟(1658-1733)仁和人。官人。万卷を有した。
 ■ 王聞遠(1663-1741)「孝慈堂」目録学者
 ■ 黃之雋 (1668年-1748年)二万余巻 清朝官人


 

 ■ 馬曰琯 (1687-1755)
  馬曰琯は錢曾、季振宜、徐乾学などの亡き後を代表する蔵書家の一人であり、所蔵は十万余巻とも言われる。その名声により四方から学者が訪問し、全祖望、厉鹗、陈绶衣、杭世骏、金农、郑板桥などは常連であった。四庫全書編纂の際に供出した書の数でも上位四人に入った。

 ■ 趙昱(1689-1747)・趙信(1701-?) 「小山堂」
 四庫全書編纂の折は清朝からこの楼が重くみられた事は先に記した。趙兄弟の母は「澹生堂」の祁氏の女であったため、世に名だたる祁氏澹生堂の蔵書の多くがこの趙氏「小山堂」に引き継がれている。

 


 ■ 杭世骏(1695—1773)仁和人。経学、史学、文学に明るく蔵書は十万巻
 ■ 黄树谷(1701-1751)仁和人。数万卷を人に供し閲覧せしめた

 


 ■ 袁枚 (1716-1797) 「小仓山」

 詩人で散文家である。文章家としては銭謙益なき後の清朝にあって一世を風靡したと云えよう。
 進士より翰林院に進んだが早く官を退き以後読書と学究と美食の生活を送った。蔵書は一説に四十万巻とも語られる。従来から我が国では翻訳が多く青木正児の名訳による「随園食単」は親しまれた。小説集「子不語」も近年になって全訳されている。

 

 

 ■ 卢文弨(1717-1796)「抱経堂」
 数万巻を蔵した。考証学者 目録学者で進士に及第した後、翰林院編集・侍読学士・湖南学政などを歴任したが、1768年に官を辞し、江浙各地の書院で教えた。集めた書を校勘し出版した 戴震・段玉裁とも交際した
 ■ 卢址 (1725-1794)「抱经楼」
 数万巻を蔵した。楼の名が上と紛らわしいが同族であり「東西抱経」と称されておった。古代史家であり善本に巡り合うと金を惜しまず投じたとされる。民国成立後の1916年になって楼にあった五万巻が上海へ売られ多くは劉承幹の「嘉業堂」へ流れた

 


 ■ 張仁濟(1717-1791)「照曠閣」 江蘇常熟人。萬卷。宋元本に富む
 ■ 蒋宗海「椒馨阁」 官人。蔵書三万余巻。唐宋元の古書を多く集めた
 ■ 翟灏(-1788)「書巣」 仁和人。蔵書は万巻を越えた
 ■ 孙宗濂(1720-1763)数万巻 祁氏澹生堂から流れた書を収めた
 ■ 盧鎬(1723-1785) 全祖望に学んだ。 数万巻を蔵した

 

 

 馬曰琯の後を代表するのが乾隆の四大蔵書家と呼ばれる范懋柱(天一閣),鮑士恭,汪啓淑,汪汝瑮の四人で最初の三人は馬同様に四庫全書へ500種以上の書を献じている。残る汪汝瑮も百種以上を献上している

 

 ■ 紀昀 (1724-1805) 「閲微草堂」
 紀昀と言えば先ず四庫全書に動員された三千六百もの学者の頂に立つ総纂官として知られる。其の学風は宋学を厭い寧ろ戴震を引き立て考証を重んじた。怪異小説などを書いていた顔もある「閲微草堂筆記」

 ■ 鮑廷博(1728-1814) 「知不足斉」 
 十万余巻 富商。その財力によって善本を蒐集。そこから選んだものを校訂し叢書として出版した。上にも述べた如くその子鮑士恭の代には四庫全書編纂のため宋・元代の弧本など六百二十六種を献じ褒賞に与っている。
 
 ■ 汪啓淑(1728年 – 1800年) 「開萬楼」 
 十万巻。 地方官人。上に記した如く四庫全書編纂に際して600種以上の書を献上する程の大蔵書家だが、世にはむしろ古代から清代に至る古印の収蔵の方で知られた。こちらの蒐集も数万に上った。この面の著述が多く(「飛鴻堂印譜」や印人の伝記「続印人伝」 など)、印譜の出版なども行い後の世を益している。自ら篆刻も嗜んだ。収蔵に「春暉堂」「飛鴻堂」「琴硯楼」「一泓斎」などの楼を作る。

 ■ 汪汝瑮 「振绮堂」
 杭州出身。父汪憲がやはり名高い蔵書家であり楼は父が建てた。子の汪誠の頃は三千三百種六万五千巻を数えた


 ■ 李文藻(1730-1778)「竹西書屋」金石学 蔵書数万
 ■ 汪辉祖(1730-1807)官人。学者 数万巻を蔵した

 


 ■ 周永年(1730-1791)「貸書園」
 進士であり官途に就く 校勘学目録学に優れ、古今の書十万巻をその楼に積んだ。

 ■ 彭元瑞(1731-1803)「知圣道斋」
 死の六十年後アロー号戦争で多くの楼が崩壊しその書が流れ込んだのが朱学勤の二つの楼とこの「知圣道斋」であってその際には書の数に於いて巨大化した

 

 ■ 朱文游 「滋蘭堂」
 蘇州で黄丕烈の登場する以前、乾隆年間を代表する蔵書家である。

 ■ 吳騫(1733-1813)「拝経楼」
 官人。学者。五万巻。黄丕烈や顧逵と交友した

 

 ■ 吴为金 
 钱塘人。祖父の吴焯(1676年-1733年「繍谷亭薫習録」あり)から書には富み、父の吴城(?-1780)を継いだ彼の代で十数万巻を蔵するに至っていた。王曾祥門下であった

 ■ 汪日桂 考証学者 仁和の人。「欣托斋」
 二十万巻に至ったと記される。汪憲、趙昱、汪啓淑、鲍廷博、吴焯、孙宗濂などと並ぶ蔵書家である 

 ■ 孔繼涵(1739-1783)
 孔子の子孫で数十万巻を蔵していたと云われる。金石学者で刻書家でもあった

 ■ 王宗炎(1755-1826) 「十万巻楼」 
 浙江出の進士。楼は子の王端履(1776-)が継ぐ

 

 ■ 黄易(1744-1802)「小蓬莱阁」に金石文献3千種を蔵した。
 ■ 陳仲魚(1753-1817)黄丕烈と交際した。蔵書印に自らの肖像を用いた為悪評で知られた

 

 


 先は長い。この辺りで暫く休憩してみたい。
 清では前期にも大きな蒐集があったが、中期より末期にかけてさらに幾人もの巨きな蔵書家が出現する。以下に内藤湖南の言葉を引く。
 「錢謙益及その族孫錢曾、又は季振宜などは、順治より康煕の初年に有名であるが、併し藏書家の最盛期は乾隆の中頃以後にあるので、乾隆の末から嘉慶を經て、道光の初頃まで居つた蘇州の黄丕烈は最も有名で、殆ど清朝を通じて第一の藏書家と言つてよいのである」

 江浙は書に富めると云うも、清末に浙江で多く蔵書家が出たのに対し、清代の中頃、乾隆嘉慶年間は江蘇で黄丕烈を中心に多くの蔵書家や考証学者による交わりがあり之が大いに経学に裨益した。
 殊に蘇州は繁栄繁華に於いて京師に勝り其の城内での書の購買も瑠璃廠に劣らぬ程であった。書院私塾の類も多く栄え科挙に及第するものも多く出た。段玉裁や銭大昕の学の大成もこの地に於いてこそ成ったと云えよう

 清代を大まかにみてゆくと、清初の銭曽を中心とする集い、中ごろの黄丕烈を中心とする蔵書四友の時代、そして清末の四大蔵書家の時代に殊に大きな存在が林立した様に思える。(勿論その間も上記の袁枚の様に書に満てる者は間断なく現れて居るが)
 また之も極めて大まかながら、清初を代表する銭氏や毛氏の楼にあった書の多くを中頃の黄丕烈が庫に収め、やがて黄の書が散じたものを清末四大蔵書家たる瞿氏や楊氏がのちに購う、そして其れが今日の中国国家図書館にある、そういう書の流れもみて取ることができると思う。極めて大まかながら。

 

 ■ 黄丕烈 Huang Peilie (1763 – 1825) 「百宋一廛」 

 中国に藏書四友という言葉があり其れはこの黄丕烈と顧逵・周錫瓚・袁廷檮ら四人の書に富める者の交わりを言った。黄は清の目録学者であり父の代からの蔵書家である。嘗て湖南はこの黄丕烈を清朝随一の蔵書家としていた。
 「この頃の藏書家は、單に收藏の多きに誇るのみでなく、又多く古版の本を得ることを努めて、而もその上に古版を以て通行の本を校勘することを努めた。この黄丕烈は、その點に於ても最も名高い人であるが、この人の刻した士禮居叢書は、多くは宋版その他古版の本を飜刻して、精巧を極めたので、清朝に出版された叢書の中でも最も善い本と言はれ、今日に於てはその値の高きことも、殆ど古版の本に匹敵するほどで、我國に傳來したものは恐らく二部位に過ぎない」 
 黄丕烈は自ら書魔と称した。官途に就いたが早く退いた。世間にない書、読書人の未だ未見の書などの悉くを集めようとした。銭曽の「読書敏求記」を屡々愛読した話は先に述べたが彼の蒐集には嘗て銭毛二氏に蔵せられていたものが多い。
 銭大昕や段玉裁が彼の書を多く利用したのは善く知られているが殊に大昕に於いて著しく抑々黄丕烈の庫に元代の書に富んでいた事が其の元史研究を成らしめたと云っても過言ではない。また此の二大儒も善く集書のアドヴァイスを行い黄の蒐集内容の完備せるは正にそれに因るところ多しと云って、此方も過言ではなかろう。清朝第一の蔵書家と第一の碩学が此の様に互いを高めあう姿が乾隆嘉慶年間の江蘇にはあった。
 彼は多く集めるのみならず多く読み多く校勘し金があると出版もした。出版の精密美麗なる事は上に湖南が語っているから繰り返さぬが其の校勘に於いても定評があった。学者の校勘が他所での引用や異字、音韻・字形への考察等文献学的の方面へ傾きがちなのに対し黄の其れは装丁、紙質、墨色、印記、書の来歴など賞鑑家ならではのものであり今日的の書誌学により近い。
 嘉慶二十年ごろから家運が傾いた。やはり湖南が紹介した話に、金に窮した晩年の黄が秘蔵の珍本を汪士鐘に売り其れをまた汪から借りて校勘していたというものがあったが、そのような状態に至っても同時に蒐集活動は続けていたそうである。一方で売りながら一方で買い続ける生活の末、黄は最後に自ら本屋を開業するに至り、その年に死ぬ。
 黄の蔵書が散逸した際にこれを得たのが件の汪士鐘で、さらにその散逸後には常熟の瞿氏の楼に入った。現在では北京の中国国家図書館に収蔵されている。


 ■周錫瓚
 蔵書四友の一。朱文游や何焯が蔵した書を多くその楼に収めた。銭大昕に学び大昕もその書を利用した。段玉裁が最も多く利用したのは彼の書であった。

 ■ 袁廷檮(1764年-1810年) 「紅蕙山房」
 蔵書四友の一。その子は黄丕烈の婿である。蔵書は数万巻に及び宋元の秘本に富んでいたそうである

 ■顧逵
 蔵書四友の一。やはり互いに書の貸し借り写し合いなどをしたが45歳で早世した。

 

 

 ■ 阮元(1764-1849) 「文選樓」
 官人・学者。戴震の学を継承し経学の広い領域に渡って考証学を大成する。学者を多数集める編纂事業なども多く行った。

 ■ 江藩(1761年-1831年) 「雕菰楼」
 清朝揚州の経学を代表し「国朝漢学師承記」を著す。上の阮元について学んだ。書は八万巻を蔵していた

 


 ■ 金壇(1765-1826) 「文瑞楼」
 ■ 陈寿祺(1771-1834) 「小馆」十万巻
 ■ 李祖陶(1776-) 「尚友樓」 文学者。数万巻を蔵す。
 ■ 陈逢衡(1778-1855) 主に父の遺贈だが十万巻に及ぶ
 ■ 严元照(1773-1817) 「芳淑堂」 左記蔵書楼の他「柯家山馆」「画扇斋」などへ数万の蔵書を蓄えていた

 


 ■ 莊仲方(1780-1857)政治家 五万巻を蔵した。
 ■ 杨文荪(1782-1853)著述多く蔵書は五万巻を下らぬ

 

 

 ■ 汪士鐘 (1786 – ?) 「藝芸書舎」

 このころでは蔵書家として黄丕烈に次ぐ存在であり彼の死後にはその書を得、他にも周锡瓒、袁寿阶、顾抱冲などの蒐集も其の内に収めて大きな楼を築くに至った。
 当時の蔵書家の例に漏れずやはりその蒐集から出版を行い世を益した。元来財に富んだ商人であったがその蔵書は宋元本書目のみを残して南の瞿氏鐵琴銅剣楼と北の楊氏海源閣へ分散した。


 ■ 張金吾(1787-1829) 「愛日精廬」
 汪士鐘程ではないが張金吾も黄丕烈の散じた書を多く収めた一人である。然しかの内藤湖南はこの張金吾を最も悲惨な蔵書家とみた。父祖から継承したものに自ら集めたものを併せその書は八万巻に上ったが借金のカタで奪われている。

 

 ■ 汪文臺 安徽の人。校勘に精を出し楼には数万巻あった
 ■ 錢泰吉(1791-1863)四万巻
 ■ 翁心存(1791-1862)四万巻 度々大学士を務めた。子の翁同龢も著名な蔵書家である

 

 

 ■ 孔繼勳(1792-1842) 「岳雪楼」

 蔵書は三十三万巻と称される 広東人である。孔子の六十九代目の子孫を称していた。同族では孔繼涵もやはり数十万巻を蔵しておった。進士に及第し官吏となるが早く郷里に戻っている。
 息子の孔广陶(1832-1890)が楼を継ぎ、「三十三万巻楼」を称し後に広州四大蔵書家の一人に数えられている。息子も官人で、かつ富商であり刻書も行った。

 

 

 


≪清末四大蔵書家≫ 

 ■ 瞿紹基   「鉄琴銅剣楼」 1772年-1836年 

 瞿氏5世代は次の通り。(瞿紹基・瞿鏞・瞿秉淵・瞿秉清・瞿啓甲・瞿済蒼・瞿旭初・瞿鳳起) 息子瞿鏞の代で凡そ10万余巻という。汪士鐘の死後に其の書は瞿氏と下の楊氏の楼へ入った。殊に瞿氏は黄丕烈以来の稀書を得たという。→ 現在は中国国家図書館に。


 ■ 楊以増   「海源閣」   1787年-1856年

 山東省聊城市・光岳楼南万寿観街北の楊氏屋敷内。四代に渡る楼である。中国で最も有名な個人蔵書楼の1つでもある。蔵書は計4千種22万巻あまりで、宋・元代の珍本は1万巻を超えている。黄丕烈以来の稀書を有する点でも瞿氏と並ぶ存在である。次子の楊紹和も進士から翰林院编修,侍読へと進んだ秀才であったが父同様に書を好み楼の富を増した。1926年土匪に荒らされて荒廃、そのうち五十箱ほどを天津租界に避難し売却。この時分は莫伯驥「五十万巻楼」などが多く手中に収めている→ 現在は多くが中国国家図書館へ 


 ■ 丁申・丁丙 「八千巻楼」「後八千巻楼」「小八千巻楼」

 八千巻楼というのは是を創建した祖父の書が其の位の数であったからである。 丁丙(1832 – 1899)は二十万巻を有して居った。うち宋本四十余種,元本は约百種であった。太平天国の乱の際杭州文瀾閣が散逸した時此れを収拾し修復した事は丁兄弟の功とされている。目録に「善本书室藏书记」四十卷、「八千卷楼书目」二十卷、「嘉惠堂新得书目」等あり → 現在は南京図書館へ 


 ■ 陸心源(Lu Xinyuan、1838 – 1894)「皕宋楼」「十万巻楼」「守先閣」

 陸心源は上記三つの楼を創設し、併せて15万巻を越えた。 字は剛甫または剛父、号は存斎、晩号は潜園老人。浙江省帰安出身の官人・金石学者である。著書は『金石録補』『穣梨館過眼録』『千甓亭古専図釈』など。1906年子の陸樹藩が蔵書を岩崎の静嘉堂文庫に売った。其の前には張元済が購おうとして結局金額が折り合わず諦めている。
 蒐集の特徴はやはり宋代・元代の古版本にある。殊に医書に秀で南宋刊の「外台秘要方」と「新雌孫真人千金方」は天下の孤本でもあり東洋医学研究上では多大の価値を持とう。岩崎静嘉堂文庫に引き受けられたうちでは、宋刊本『傷寒総病 論薑史載之方冒類証活人吉』『鶏峰普済方」、元刊本の「素問要旨論」「啼萢句解八十一難経」『傷寒百証歌」「傷寒直格」「証類大観本草」「本草術義」「医方大成論」なども重要である。

 

 

 漸く中国篇全体の題にも冠した清末四大蔵書家まで辿り着いた
 然し、何大蔵書家、何大蔵書楼のと云う様な言葉は古来中国で好むところであり「清末四大蔵書家」だけに留まるものでは無い。是は其れだけ蔵書家の社会から崇敬せられていた証左であるに相違ない。我邦では加賀前田、幕府紅葉山、豊後毛利の三つを「三大大名蔵書」と称するぐらいが其の例になろうか。
 ただ「清末の四大蔵書家(蔵書楼)」がこの時代にあって決して他の大蔵書家よりも断然突出した存在であるとは必ずしも云えぬ事は確かだと思われる。書の数に於いて是を上回る楼は幾らもあり質の話になれば正に議論百出であろう。弧本の多さなどでは楊守敬が優に勝る。旧くから蒐めたと云う点では天一閣が南宋に遡る豊氏の楼の書を引き継いだ点で筆頭に挙げられよう。
 せめて清末四大蔵書家のうちからあえて順列を定めるならば楊氏瞿氏を先ず採り恐らく陸氏が之に続く。丁氏は其の後であろうか。鉄琴銅剣楼と海源閣の二楼は共に汪士鐘を介して嘗て黄丕烈の蒐めたる集を永く蔵し今の中国国家図書館へと齎した。謂わば中国蔵書史の本流に位置するとも云え其の事が重く観られて度々其の名が挙げられるに至ったものであろう。
 兎に角他の「何大蔵書家」の類を知らねば話は始まらぬ。乾隆の四大蔵書家と蔵書四友には既に触れた。以下に其れ以外のものをみてゆく事としたい。
 先ず「浙江三大蔵書家(蔵書楼)」という言葉があり是は范氏「天一閣」(明代)、葛金烺「传朴堂」(清代)、劉承幹「嘉業堂」(民初)の三つを云った。葛金烺と劉承幹はその蔵書の巨きさの為に選ばれたものであろうが、範氏天一閣は宋代よりの豊氏の書を受け江南の地にあって永く継続して来た伝統と格式の故であろう。
 次に「浙江四大蔵書楼」という言葉では、天一閣、海寧别下斋 湖州嘉業堂 瑞安玉海楼の四つが挙げられている。「江南四大蔵書楼」という語で選ばれたる四楼も是と同じである。三大も四大も共に書に満てる浙江の地から選ばれたる楼ではあるが、先の三大浙江蔵書家から葛金烺「传朴堂」が除かれ、代わって蒋光煦の「别下斋」と孫詒譲の「玉海楼」が採られて居る。何れも甲乙つけがたい巨きな存在だがともあれ葛金烺、蒋光煦、孫詒譲の三名は下に記して置いたので先ず其れを読まれたい。また陸氏丁氏の楼は何れも浙江にあったが共に此のどちらにも選ばれてはおらぬ。
 更に「広州四大蔵書家」という言葉もある。中国の枢要な蔵書楼が集中する浙江江蘇程では無いにせよ広州も其れに次いで蔵書家の多く出た地であり此処では 康有为「万木草堂」、孔广陶「岳雪楼」、潘仕成「海山仙馆」、伍崇曜「奥雅堂」の四人の名が挙げられている。
 他に「全国四大蔵書楼」「现存古代四大藏书楼」などと云う言葉もあると聞くが是らは「清末四大蔵書家(蔵書楼)」と選択は全く同じである。
 因みに「清代宫内四大蔵書楼」という言葉は北京文渊阁、沈阳文溯阁、承德文津阁、杭州文澜阁など清朝四庫七閣の今に残る四閣を云ったものに過ぎず私人の蔵書楼ではない。
 兎に角「清末四大蔵書楼」を書の数に於いて越える楼は此の下に幾らでも出てくる

 

 

 ■ 葉元階 (1805-1840)
 浙江人。清朝の書家として名高い。蔵書は十万余巻を蔵していた

 ■ 朱绪曾 (1805-1860)
 官人。詩人。主に工部省で要職を歴任する。其の住んで居た「秦淮水榭」には十数万巻を数えた。太平天国の乱が江寧に及んだ時それらは焼かれた。

 

 ■ 蒋光煦  (1813 – 1860) 「别下斋」

 書画も多く蒐集したがとりわけ善本に出遭うと金を惜しまなかったと云われる。钱泰吉、俞樾、邵懿辰、张廷济などその下には著名な学者が訪れた。 
 其の「别下斋」は浙江四大蔵書楼の一つにも選ばれている。最盛時で古籍十万余巻があったとされるが太平天国の乱で焼けた,

 

 

以下の三名は上で語った「広州の四大蔵書家」である。残る一人の孔广陶「三十三万巻楼」は父の孔繼勳「岳雪楼」を継いだもので上に既に載せてある。

 ■ 潘仕成(1804-1873) 「海山仙馆」
 広州の富商。中国大蔵書家で官人や学者以外は珍しい

 ■ 伍崇曜(1819-1863) 「粤雅堂」
 やはり広州の富商 然し此方は科挙に於いて挙人となり官人でもあった。後事業を起こし巨富を築いたという。刻書家でもあった

 ■ 康有為(1858–1927) 「万木草堂」
 康有為の万木草堂も四つのうちに選ばれているが自分などはここは学校だと思っておった。然し本も数万巻あった様である。

 

 

他に「感豊年間の三大蔵書家」と云う言葉もあった。丁日昌、朱学勤など知られた名が並ぶが最大は袁芳瑛であろう。

 ■ 袁芳瑛(1814-1859)
 進士から翰林院に進む,朱学勤、丁日昌と並び咸豊年間の三大蔵書家とも称されるが、取り分け彼は清末の四大蔵書家に匹敵すると云われ、李盛鐸などはこの二百年来で最大だとしていた

 ■ 朱学勤(1823-1875) 「艺海楼」「丹铅精舍」
 進士から翰林院に進む。アロー号戦争の折に他の蔵書家の書が流れ込み北京では最大に膨れた。

 ■ 丁日昌(1823-1882) 「持静斎」
 十万余巻。清代後期の洋務派。「持静斎書目」には四庫全書総目の分類法に沿い宋元善本や名家精鈔及び西洋科技訳著2913種を収録。

 

 


 ■ 徐时栋(1814-1873)「烟屿楼」六万巻が焼けたが直ぐに元の数に戻ったと云う

 ■ 陶福祥(1834-1896) 刻書家で十万巻を所蔵していた

 ■ 杨文莹(1838-1908)「丰华堂」進士から翰林院に進む 蔵書は5720種48000冊

 ■ 李世珍(1849—1925) 「延古堂」 
 進士である。弟に李士鉁(1851-1926)がいた。祖父以来の楼であり先祖の蔵書を継承し自らもまた拡充に努める。収蔵は四千余種に渡る。明抄本、明刻本が多い。盧氏抱經樓、南陵徐氏積學齋、楊氏海源閣から散逸した書を多く収めたと云われる。

 

 


 ■ 方功惠(1829-1897)「碧琳琅館」「十文选斋」「玉笥山房」「传经堂」
 地方官人。いくつかの省知事を兼ねた。日本へも人を派遣し毛利高標の文庫から本国で既に消えている弧本を多く買うなどした。その蒐集は20万巻を越えた。

 

 ■ 葛金烺(1837-1890) 「传朴堂」

 浙江平湖の人。詩人であり金石書画家でもあった。子に葛云威、葛嗣浵がいる。十歳で詩を作ったともいわれ、進士となり様々な官職を歴任する。
 其の「传朴堂」は「天一閣」「嘉業堂」と並び称され往時は浙江三大蔵書家と呼ばれた。とりわけ地方志を多く収蔵し、その蔵書は十万卷に及ぶ。
 楼を継いだ其子葛嗣浵が是を拡充してゆき三十年のうちに四十万卷に達したという。

 

 

 ■ 楊守敬(1839-1915)「観海堂」 ”杨守敬””藏书” 

 楊守敬は中国蔵書家の例に漏れず文人としての多彩な顔を持つ。目録学、地理学、金石学に通じ、殊に書家として広く名を成している。
 文化問題担当の公使随員して来日するが、この時中国国内で既に散逸していた書を始めとして大量の古書籍を購入した話はもはや伝説となっている。四年間の滞在中、最初の一年だけで三万巻を買ったとされ、最終的にどのくらい持ち帰ったのか分からない。のち岩崎が陸氏の蔵書を買った際には、この報復ではないかとあちらで言われたものである。その目的、購入の規模、占めていた地位などから、清政府の文化政策的なものが感じられ、ある程度の公費支出を想定することも或いは許されるかもしれない。
 帰国後は多くの蔵書を所蔵し、晩年にはそのうち幾らかを売りもした。現在その多くが台湾の故宮博物館に蔵せられる。彼の蒐集の全貌についても、一般に数十万巻とも言われているものの、十万余巻から四十万巻まで諸説ある。四十万であれば同時代でも葛金烺に並ぶ数だ。 数十万巻のうち、孤本が数万巻あり、宋版も数千を数えたというから、量のみならず質の面でも最重要の蒐集である。
 先日購った『学書邇言』を読んでみても書家として碑・帖にまで造詣の深い有様が見て取れ、其の一方、日本の書を論じたくだりでは「空海をもって第一とす」「晋人の風あり」と弘法大師をベタ褒めであった。

 


 ■ 黎庶昌(Li Shuchang、1837‐1897)
 貴州省遵義の人。曽国藩の門下であり其の幕僚となる。張裕釗・呉汝綸・薛福成と共に「曽門四弟子」と称された。
 公使として来日した後、既に着任していた上記楊守敬の蒐集に協力し亦自らも古典籍を集めた。其の成果は『古逸叢書』に著している。彼の随員として来日した知友・親戚の陳矩・黎次謙も我邦で多く書を求めた。
 彼の蔵書楼招尊園には十万巻程を所蔵していたらしい。黎庶昌は其の生家に既に勤経堂という楼があり其処には祖父黎安理と叔父築物による蒐集が三万冊、七、八万巻に上り是は貴州有数であったという。亦親戚でも巣経室に五,六万巻を有した鄭珍、影山草堂にも数万巻を有した莫友芝などが居り、幼少から多くの書に接して育った。

 

 


 ■ 孫詒譲(孙诒让 Sun Yirang、1848-1908) 「玉海楼」

 清末の学者・官人である。浙江温州瑞安の人。幼時より英才の誉れ高く13歳で「広韻姓氏刊誤」、18歳で「白虎通校補」を著す。官は早く退き刑部主事を務めた後は読書と学究生活に入った。兪樾・黄以周と並び清末三大先生と呼ばれ、その著「周礼正義」は名著の誉れ高く今日も広く読まれる。金石文の大家であり、他に「契文挙例」を著すなど甲骨文字にも業績があった。
 書は八、九万巻を蔵した。彼の死後は杭州大学に行った。

 


 ■ 陳宝琛(1848-1935)
 官僚・詩人・歴史家。清末には宣統帝溥儀の帝師であったが、のちの満州国への招きは断っている。十万冊を所有していた。

 ■ 王存善(1849-1916) 「知悔斋」
 浙江仁和の人。代々書に富む家に生まれ父は王斯恩である。汪兆銘政府に参画しのちに漢漢奸とされた王克敏は子にあたる。蔵書は二十余万卷に達した

 


 ■ 繆荃孫(1844-1919) 「芸風堂」
 清末の官人・学者。翰林院編修にも任ぜられ、のち北京京師図書館(中国国家図書館の前身)の初代館長を務める。蔵書は上海で売却。

 ■ 葉昌熾(1849-1917)
 中国蔵書史の草分けともいえる彼自身も蔵書家で楼には三万巻を蔵した。金石学家、文献学家、進士から翰林院編修へ進み以後は国史館で編纂官などを務める。その著「藏書紀事詩」七巻は400余人もの収蔵家を載せ斯学を切り開いた。
(张鲁庵の様に著名蔵書家たちの印譜を集めた者も興味深いが清代は蔵書家の数が多過ぎ今回は省くことにした)

 


 ■ 沈德寿(1854-1925)
 陸心源を訪問しまた其れに憧れて秘籍をあつめはじめた のち3万五千に達した

 ■ 王同愈(1855-1941)
 進士であり翰林院編集に進んだ。書画や絵も善くした。随筆で自ら語るところによると楼には六万乃至七万あったという。辛亥革命後引退し上海に住んだ

 ■ 李盛鐸(1859-1937) 「木犀軒」
 清末の進士であり駐日公使として来日した。民国でも参院議長など要職を歴任している。木犀軒は祖父の代からの蔵書楼だという。北京大学に彼の蔵書9309種59691巻が纏まった形で保存せられており、うち善本は5005種32367巻と云うから全体の半ばを越え質の高さが伺えよう。 

 

 


 ■ 葉徳輝(1864-1927) 「観古堂」
 目録にあっても今に残らない書が我が国日本で多く保存されていた事に驚き、やはり多くを買っている。目録学に令名があり邦人にも塩谷温など幾人か弟子がいた。共産党に殺された後、その蒐集は遺族が日本人へ売った。


 ■ 羅振玉 Luo Zhenyu (1866–1940) 「大雲書庫」
 羅振玉が三十万巻もの書を持っていたのは今回初めて知った。考古学者であり殊に甲骨文字の研究では広く名を成した。辛亥革命の際に我が国へ亡命したこともあって近代の中国人ではとりわけ親しまれた名である。
 契文では「殷虚書契考釈」があり是の著により王国維・董作賓・郭沫若などとともに甲骨四堂とも称される。他に敦煌学でも令名がある。
 辛亥革命後訪日し京都で多くの知識人と交流し大変に尊敬せられた、のち溥儀の家庭教師を務めた縁から満州帝国でも参議などに就いた。日満文化協会会長の任にもあり現代中国での評価は低い。

 

 ■ 徐乃昌(1868-1936)「積学斉」
 ■ 胡思敬(1869-1922)二十万巻。進士から翰林院へ進んだ

 

 ■ 鄧邦述(1868-1939) 「群碧楼蔵書」
 清末の進士であり翰林院に進んだ。民国成立後も政府に務めている。書は三万八千巻あったが借金のため晩年中央研究院に売却した。

 

 

生没年のわからぬ蔵書家を以下に加える。殆どが浙江人である
 ■汪二尹 杭州人。官人。四十万巻を蔵したと伝えられる
 ■汪曾学 杭州人。藏书数十万卷
 ■王洪源 萧山人。藏书数万卷
 ■吴  模 钱塘人。蔵書数万卷
 ■汪  震 仁和人。藏书数万卷
 ■张之鼎 杭州人。蔵書万卷 「丰庵斋」
 ■张敬谓 钱塘人。藏书万余卷
 ■陈  春 萧山人。数万卷三千種 「湖海楼」
 ■金承朴 藏书家。三千種
 ■钱任钧 仁和人。蔵書万卷
 ■蒋  炯 仁和人。蔵書万余卷 「蒋村草堂」

 

 

 

 清代は蔵書家が多く是でも可成り落とした。後日改めて増補する。
 此処に至る中国の蔵書家全体に就いて云える事であるが、考証を生業とするか自ら筆を執って行う人が多く、日本や西欧の如くに貴族・金持ちなどが讀めない本を蒐めるケースは至って少ない。
 また書を蒐める場合楼を建設する事が通例であり其の為一代限りでは終わらずに宮廷蔵書の様に数代に渡る傾向を持つ。殊に清朝ではそれが極まった感を抱く(蔵書楼が消えてからの中国の個人蔵書は華を失った)。
 今一つ注目せられてよい事に名のある蔵書楼が江浙二省に多く分布する様がある。四庫全書編纂の折、范氏「天一閣」、項氏「天籟閣」、銭氏「術古堂」、徐氏「伝是楼」、朱氏「曝書亭」、趙氏「小山堂」などが宮廷から重んじられた事は既に述べたが、この他にも明代では祁承燦の「澹生堂」、毛晋の「汲古閣」、銭謙益の「絳雲楼」、趙琦美の「脈望館」などがあり、清代では 周越然の「官言斎」や瞿氏の「鉄琴銅剣楼」、丁兄弟の「八千巻楼」などが其の地に栄えた。
 清代末期に至ると動乱で王朝は安定を欠き、蔵書楼も戦乱により或いは焼失し或いは書の図書館への移管などで消えてゆく。現存のものは百ほどである。

 同時期の本邦江戸時代にあって十万巻を越えたのは加賀前田、幕府紅葉山文庫、林家家塾の三つを数えるのみであり、何れも個人的色彩の薄い官による蒐集である。純然たる私人によるものでは屋代輪池・小山田与清・浅野梅堂の五万をもって最高とする。
 しかるに清代では、馬曰琯、杭世骏、袁枚 鮑廷博、汪啓淑、周永年、吴为金、孔繼涵、汪日桂、王宗炎、陈寿祺、陈逢衡、孔繼勳、瞿氏、楊氏、丁兄弟、陸心源、葉元階、朱绪曾、蒋光煦、丁日昌、陶福祥、方功惠、葛金烺、楊守敬、黎庶昌、陳宝琛、王存善、羅振玉、胡思敬、汪二尹、汪曾学が十万を越え、銭曽、彭元瑞、黄丕烈、汪士鐘、袁芳瑛、朱学勤なども恐らく越えていたと思われる。しかも清王朝の蔵書は是とは亦別に置いてである。五万程の蔵書家を数えて行けば限がない。葛金烺や袁枚の有していた四十万などと云う数は我が恐らく我が邦では想像も就かぬ筈である。
 清代の書を蒐める事此れを凌駕するは盛期イスラムの外は無く、殊に清初の銭曽、中頃の黄丕烈、後半の瞿紹基と楊以増、清末の葛金烺、袁芳瑛、陸心源、楊守敬あたりは中華圏のみならず広く人類世界を代表する蔵書家といえよう。

 

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