蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

ワイタムの森

 

Wytham Woods

 

 

(このページは中世篇1  2  3  4 の番外に当たります。)

 

 コリン・デクスターの長編推理小説「森を抜ける道」の舞台にもなったワイタムの森は、世界で最も詳細に調査された森林だと従来から言われてきました。その地に生息する菌類から昆虫、小動物に至るまでの生態の複雑な相互作用がここまで詳しく解明された例は世界でも稀です。

 というのも、この森はオックスフォード大学が所有しており、この大学の動物学教室はかつてサウスウッドやメイナード・スミス、ウィリアム・ハミルトンらを擁した事で分かるように、斯学のメッカ的な位置づけだからです。ワイタムの森は、豊饒さや生物種の多さという点ではおそらくアマゾンやボルネオのジャングルには及ばないでしょうが、数多く研究の対象にされたという点ではこの森の右に出る存在はないと思います。

 最近、ワイタムの森研究の金字塔と言われるエルトンの「動物群集の様式」をパラパラめくっていたら、西洋中世における蔵書の研究と妙な類似点があるように思えて仕方がありませんでした。

 

 

 中世ヨーロッパは最も書物の少ない文明社会のひとつです。しかし、その後裔にあたる欧米先進諸国が現在の人文諸学を先導する立場にあるため、彼ら自らの文明のルーツとして、残存している資料を遺漏なく駆使して最も精細な調査が行われた時代でもあります。これは中世史全体に関してもいえますが、個人蔵書においてはとりわけその趣を強く感じます。

 中世篇でカテゴリーを作って紹介したのは900年間でわずか14、5人でしたが、それでも他の文明圏であれば選んでいなかったような人が過半です。本当の意味で蔵書らしい蔵書を持っていた人は、まあカール大帝とシルヴェステル二世、リチャード・ド・ベリーの3人ぐらいでしょうか。

 にもかかわらず、中世は、諸種の年代記の類が駆使されて「名だたる蔵書家」の名前だけは、それなりに蓄積されてきました。しかし、そうした「名だたる蔵書家」たちはコレクションの質の高さを問う以前に、所持数が数十冊だったり百冊に満たないケースがほとんどで、中には8冊なんて人もいます。
 他の時代や文明圏では到底載せるわけにはいかないんですが、むしろ、乾いたぞうきんを絞るように名前を見つけ出してきた人たちに敬意を表し、「ワイタムの森」と題して、これからWEB空間上に蔵書家の名前を刻んでいく事にしましょう。

 

 

 

● 五世紀の南フランスで、ラテン語による世俗的な古典作品のほとんどを網羅する個人蔵書が存在することを、ソルボンヌの司教ルスティウスが書き残している。
● 五世紀のアポロニュース・シドニイウスはその著述からみて明らかに相当量の図書を利用している。

● ナルボンヌでブブリウス・コンセンティウスという人物が、三代がかりで文庫を築いていた
● ニームでトナンティウス・フェレオルスという人物が、かなりの規模の蔵書を持っていた。

● アーヘン文庫の収集者だったアルクイン(Alcuin 735年-804)個人に関しても、和田万吉は12世紀の英仏のどの文庫より優れた蒐集があったとしている。

● 上記アルクインの後継者でカール大帝の伝記作者だったアインハルト(Einhard 770-840)もその蔵書に関する伝承がある。ただおそらく数十冊程度の規模だと思われる。

● 上記アインハルトの弟子のフェリエールのルプス(Servatus Lupus 805–862)は未読の写本の探索に熱中していた。自ら院長を務める修道院のためのものに加えて自分個人のものもあり、それには神学書以外にキケロ、スエトニウス、ヴェルギリウスその他のラテン著作者があった。ただ、これも所蔵はおそらく数十冊の規模だろう。

● 九世紀にブルゴーニュ地方の貴族ヘッカード伯(Count Heccarrd)も神学書のほかに法律、農業、軍事の著作を所有していた。

 

9世紀から12世紀には南イタリアとシシリー島には、私設の図書取集が例外的にみられた。ヴェネツィアやこの辺りは所謂「暗黒の中世」から外れていた地域で、ビザンツやイスラムとの交流があり、ラテン、ギリシア、イスラム、ユダヤなどの文化がひしめき合っていた。
イタリアは9世紀から13世紀にかけての修道院蔵書の発展ではフランスやドイツにやや後れを取ったが、個人的な蒐集は比較的多く形成されている。エルマー・ジョンソンは「これらは小規模ではあったが質は高い」と評価している。

 

● フリウリ侯爵のエーベルハルトも864年に亡くなった時、かなり多くの蔵書を残している。彼は広く学者と文通していた。
● 九世紀から十世紀にかけてのナポリ公は、ラテンとギリシアの図書収集家でありかなり大きな蔵書を残している。
● イタリアのベルガモのマギステル・モーゼ(Magister Moses)はコンスタンティノープル滞在中にギリシア語著作を集め持ち帰っている。

 

 

● 十世紀のパソーの司教は56冊の自分の文庫を自慢している
● 十世紀のゴールのゲルベルトは科学書を含む書物を集めていた。
● ランスのギルバート(Gilbert of rheims 967-997)は神学書以外に若干のラテン語著作を持っていた。

● 南フランスのアキテーヌ公ギヨーム5世(Guillaume V 969-1030)も図書収集家で学者であった。

 

● バイユーの司教フィリップ・ダ・アルコート(Philip de Harcourt -1163)はこの時期としては珍しく目録が残っており(1164年)、143冊を数えた。内容は神学、古典、現代もの。そのうち113冊が寄贈されたベック修道院は蔵書を大幅に増加させた。

● あのソールズベリーのジョン(John of Salisbury 1115-1180)にもやはりそれなりの蔵書はあったらしく、1180年にシャルトルの大聖堂へ遺贈した記録が残る。

● 1180年に死んだ聖アルバンス寺院の僧院長シモンは三つの箱に収めた小文庫を残している。
● 12世紀にパリ司教だったヌムールのピーター(Peter of Nemours)は22巻の聖書を持っていたが聖ヴィクトルの大修道院へ遺贈している。

● 12世紀のテウルナイのフランダースの婦人であったマリー・ベイエンヌ(Marie Payenne)は女子修道院に寄贈

 

ヨーロッパ北部のユダヤ人たちはイスラム圏のユダヤ人に比べて生活が貧しくシナゴーグに必要な書物さえ満足に入手できずにいました
● 12世紀のジュダ・イブン・ティボン(Juda Ibn Tibbon)の持っていた蔵書は規模は小さいが整理されていた。彼はアラビア語からラテン語に多く翻訳した哲学者。

 

 

● 13世紀ではヴァロ枢機卿(グァロ・ビッチェリー Gualo Bicchieri 1150–1227)が100冊所蔵していたという記録が残っている。内容はすべてが神学書である

● またアミアン大聖堂の司祭リシャール・ド・フルニヴァル(Richard de Fournival 1201–1260)がこの世紀に「ビブリオノミア」という目録を著していて、それは哲学を中心に文法、弁証法、修辞学、数学、医学、法律、音楽、天文学、詩など162巻にもおよぶのだが、実際に所有していた蔵書か、願望のライブラリなのかが不明である。仮に所有していたにしても、本人のものか聖堂のものかもよく分からない。他でも同定できる書名が、うち35巻にとどまるため、空想上のライブラリーという可能性もある。

● 13世紀になると教区牧師でさえも多くの蔵書を持っていたケースもみられる。ロンドンの聖マグヌス寺院にいたジョフレイ・デ・ラウス(Geoffrey de Lawath)は49冊もの文庫を持ち、そこにはラテン語の文法書や医学書が含まれていた

● エグゼターの大補祭ロージャー・デ・ソリス(Roger de Thoris)は1226年エグゼターにあるグレイフリアスへ自分の蔵書を寄付している

● ロンドン司教のリチャード・グレーヴセンド(Richard of Gravesend -1303)は1280年から1303年にかけて8冊の本を持っていた。三冊の聖書に教父著作、教会法、世俗史など。

 

 

次は女性たちを見てゆきましょう。
● ルイ十世の妻であったハンガリーのクレメンスは14世紀初頭に彼女固有の文庫を持っている

● シャルル四世の妻であったジャンヌ・デヴルー(Jeanne d Evreux 1310-1371)は宗教書からなる蔵書を所有していた。

● フィリップ五世の妻ブルゴーニュのジャンヌ(Jeanne II de Bourgogne 1291-1330)と
● フィリップ六世の妻ナバールのブランシェ(Blanche of Navarre 1330-1398)は嫁ぐにあたって多くの書を持参しフランス王室の蔵書を増やした。

● 婦人所有で中世最大のものはオーストリアのマリー(Marie of Austria)で蔵書をブルゴーニュのデュカル図書館へ遺言で譲っている。蔵書数が多かったのでその図書館の規模を二倍にした。
● チャールズ四世の妻イザベル女王はかなりの蔵書家で次女の一人が司書の役を務めていた

 

● チョーサー(Geoffrey Chaucer 1343-1400)にも60冊の蔵書があった事がわかっている。

 

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テーマの著者 Anders Norén

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