蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

Grolier, De Thou, Mazarin, Colbert

《はじめに》
 フランスの蔵書家としてとりわけシンボリックな名前に、16世紀から17世紀にかけてのグロリエ、ド・トゥ、マザラン、コルベールなどがあり、先にこの四人の項だけつくっておきました。彼らに先立つ名前もあるし、彼らの同時代で重要な人は他に幾らでもいるので、全体が完成したらこの頁は壊しちゃって、これらの記述も適切な位置へ再配置する予定です。近世編は調べれば調べるほど豪華純欄・複雑怪奇・魑魅魍魎跋扈する世界なので、当初の予定から完成がどんどん遠のいてます。とりあえずフランスで一番有名な人たちだけ試験的に載せることにしました。
 四人の所有していた冊数は以下の通り。16世紀から17世紀にかけての飛躍が見て取れます。(ただグロリエは8000冊説があるし、マザランにも45000冊説があります) インキュナブラに関してはフランスはイタリアやドイツの半分しかなく、印本が増えるのは16,7世紀以降だそうですが、それが反映したのかもしれません。

グロリエ  3000
ド・トゥ  12729
マザラン  40000
コルベール 23000

 

 

 


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 ジャン・グロリエ Jean Grolier de Servieres 1479-1565

Ⅰ 16世紀フランスの官僚。
 ミラノ公国の財務官・フランス財務官 (1534)などを歴任したグロリエは(以前よく言われてた「ローマ教皇庁へのフランス大使」という経歴はフランス語版wikiによると誤りだそうです)、ミラノ時代の1510~20年代に、「グロリエ様式」と呼ばれる装丁を施した蔵書群を製作させている。
 彼の交友の中には、当時の王室蔵書を管理していたギョーム・ビュデもおり、ちなみに当時のフランス王家の図書室はフランソワ一世が愛書家として知られたわりには1890冊しかなかった。このようにグロリエの3000冊という所蔵数は当時のフランスにおいては群を抜いたものであったが、単純に数だけをみれば同時代のイギリスの占星術師ジョン・ディーによる4000冊もの収集にすぐに乗り越えられているし、ドイツのフッガー家やスペインのエルナンド・コロンのそれには到底及ばない。(ただ、同姓だが別人の書誌学エリク・ド・グロリエはグロリエの所蔵数を8000冊としている)

Ⅱ むしろグロリエの重要性は、愛書家のカリスマとしての地位を中世最大の蔵書家だったリチャード・ド・ベリーから引き継ぐのみならず、ヴェネツィアの印刷業アルドゥス一族を庇護して(彼自身アルドゥス版コレクターとしては草分け的存在だった)、現代ではグロリエ式装丁と言われている多くの豪華本を作らせ、書物工芸の面で蔵書家というものの意味を変革したことにある。ド・ベリーの場合は、著書「フィロビブロン」で、本の大切さと保存について言葉を尽くしていたが、グロリエに至って「愛書家」という言葉には現在のような意味が加わった。これには彼がコインやメダルのコレクターでもあった事実との関連性を想定する事も許されよう。
 そのコレクションは当時最も美麗なものであり、これらは没後10年ほどで散逸しているものの、現存する約550冊にはモロッコ皮、鹿皮、子牛皮などが使用され、幾何学模様につた様の花形が金箔押しされて、小口には天金が施され、表紙中央に本文のフレーズと銘文が押された装丁スタイルをとっており、往時の装本芸術を偲ばせるに十分である。我々が絵画や映画などからイメージしている「洋書」がこのあたりから本格的なかたちをとりだしたのかもしれない。

Ⅲ 皮に金箔を押す技術は14世紀のペルシアで開発され、それがアラビアやトルコに伝播し、欧州には16世紀末にヴェネツィアやナポリに入ってきた。一方、そのヴェネツィアで、モロッコ皮装丁のブームを作り出していたのが件のアルドゥス工房であった。
 この二つが結合した「モロッコ皮に金箔押し」の書物を、フランスの書物愛好家は主にミラノで買っていたが、その最大の買い手グロリエがパヴィアの敗戦でパリに戻ったことから、パリの職人がこの技術をイタリアから取り入れ、やがて本家イタリアを追い越すことになった。
 グロリエの好んだこうした装飾スタイルは以後、生地リヨンをはじめとして、フランス全体の装丁に影響を与え、彼に続く愛書家たち(ド・トゥ、アンリ二世など)もやはりその道を進む。
 現在においてもグロリエの名は愛書家の星としての輝きを維持しており、代表的な愛書家団体であるニューヨークのグロリエクラブも設立時には彼の名前を冠している。1974年には日本グロリエクラブも設立。
 蔵書印(というか、いつも表紙に押していた銘文)は、「Jo.Grolierii et amicorum 《グロリエとその友たちへ》」

 

 

 


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 ジャック・オーギュスト・ド・トゥ Jacques Auguste de Thou(1553~1617)

Ⅰ フランスの法服貴族。議会領収の地位にあった反面で、スカリジェルなどとも交際した文人であり、自らの豊富な蔵書を駆使して浩瀚な同時代史を書き残している。
 ヨーロッパ大陸(フランス)の場合、書籍コレクターでもっともよく知られた名前がみられるのはグロリエ、ド・トゥからマザラン、コルベールに至るあたりだといえるかもしれない(英国の場合ならこれが18~19世紀頃へ下る)。 前記グロリエに続く大コレクターが、ジャック・オーギュスト・ド・トゥであり、彼は1593年から亡くなるまでフランス王室の図書の頭も務めた。
 彼の館長時代の大きな業績は、カトリーヌ・ドメディチの古写本コレクションを受け入れたことであろう。

Ⅱ ド・トゥ自身の蒐集も当時の法服貴族の水準を大きく越えており、自邸の図書施設は学者や外国人なども多く訪れて広く知られた存在であった。フランスの個人ライブラリーとしては、最も精巧な印刷物や最も美麗な装丁のものを所蔵していたという。
 これらは死後、遺言により甥のデュピュイ兄弟が引き受けることになる。ドトゥの蔵書を譲り受けたポアトゥヴァン通りの兄弟の家には人文主義者たちが集まり、ここはデカルトやパスカルが集まったメルセンヌ宅などと並び、アカデミー設立前夜におけるフランスの学者たちの集会所であった。
 のち1680年になって、これらは家族の手からまるごとPresident de Menarsによって購入される。さらに18世紀に至って首飾り事件で有名なシャルル・ロアン公爵の家が引き継いだ。一般に1万2729冊と称されたド・トゥコレクションの冊数が、これらのどの時期のものなのかよく分からない。ド・トゥ自身の生前には6000冊未満ともいわれていた。一方、エルマー・ジョンソンはそれを8000冊以上の刊本と1000冊余の写本としている。
 ド・トゥはフランスのみならず海外からも多くの書籍を買い入れている。現在残っているフランクフルト書籍市の統合目録には彼の書き込みがみられ、そこでは既に持っている本に星印、買いたい本には斜線マークがしるされていた。 
 王室図書館長の跡を継いだのも息子のフランシス・オーギュスト・ド・トゥであったが、これはフランスの猟官制度の賜物で、就任したのはわずか九歳の時。息子フランシスは1642年まで35年間に渡ってその任にあり、親子で半世紀も王室図書館を支配していたことになる。(実質的な館長だったのは文庫官のニコラス・リゴだった)。しかし、後フランシスはスペインに内通し、サン=マールと共にリシュリューに斬首されている。
 尚、ドトゥにはラテン語で書かれた回顧録もある。

 

 

 


☆☆☆☆
 マザラン枢機卿 Jules Mazarin 1602-1661 マザラン図書館

Ⅰ 16~7世紀のフランスの蔵書家全盛期にとりわけ盛名を誇ったのがマザラン枢機卿で、その収集はこれまで集められた最も貴重なコレクションと言われ、質・量ともにフランス王室を凌いでいた。グロリエと比較してひと桁違うのは活版印刷の普及によるこの間の出版点数の増加が反映されたためだろう。この人と、次のコルベールは、高校の歴史で習うような人なので経歴からくどくど説明することは控えた。
 マザランの収集活動に関してやはり語らなければならないのは、そのお抱えの司書ガブリエル・ノーデの存在である。フランス内外で大量の本を買い集めたのは主にノーデであり、図書館として一般にも公開することを進言したのもこのノーデだった。
 ここはマザランの項だが 岩崎2家の問題 の岩崎久弥の項における石田幹之助のケースと同様に、所有者マザランよりもむしろノーデに関する記述の方が中心になる。司書の方が、コレクションの来歴や内容に密接に関わってくる典型例だからである。
 一例をあげると、マザラン蔵書に文学作品が少なかったのは、アカデミック嗜好のノーデの意向が反映されてのことだと言われている。
 また、稀覯書以外に比較的近年に出版された本や新刊本も併せて集めている点、コレクションが体系的でその網羅性が執拗な点なども、ノーデが常に公開図書館を念頭に置いていたためであろう。
 収集方法の面でも、希少本を得るため重複を気にせず高名な個人蔵書を丸ごと購入するというやり方はやはりノーデが著書で説いていた方法であった。
 書物の外装に過剰なほどの装飾を施すグロリエ、ド・トゥ以来の「愛書家の伝統」に対し、「そんな事をするぐらいならその金で良書を買え」と、一見背くようにも見える著書での主張も、その図書館志向のしからしむるところだと思えば、別に過激でも何でもないのである。

Ⅱ ガブリエル・ノーデ(Gabriel Naudé 1600-1653)という人物は、はじめソルボンヌで医学を学んだ後に、メスム家の図書館を管理する任に就き、そこで書誌学的な方面へ目を開かれた。この後パドヴァに留学して再度医学を学ぶが、結局ローマでもド・バグニ卿やバルベリーニ卿の私設図書館に入った。医学に進むか、司書に進むかの迷いは、結局イタリアに11年も滞在した事によって決まったようで、留学先が当時はフランス以上の書物王国だった事が命取りになったのかもしれない。ずっと後になってマザランが失脚して蔵書が競売にかけられた時、司書だったノーデが自費で多くを購入して散逸をわずかながらに救った話は有名である。だがそれらも主に彼の専門の医学関係の書物だったという。
 このローマ時代に名声を得たことによって、ノーデはリシュリュー枢機卿に招かれ、パリにあるその図書館に入ることになった。しかしこのリシュリューがその年に亡くなったため、今度は後任のマザラン枢機卿の招きに応じた。リシュリューの図書館も評判だったが、従来から書物好きであったマザランはこの時すでに故国のローマに数千巻のコレクションを有しており、パリでもリシュリューに対抗しようと蔵書を拡大する意向を持っていた。

Ⅲ そもそもマザランはノーデの存在がなくともこの世紀を代表する蔵書家になっていたかもしれない。イタリア出身であったマザランはローマからパリに移ってきた時5000冊の蔵書を携えてきていた。 書籍だけでなく美術コレクターとしても大きな存在でその遺品の多くは死後ルーブルに入っている。
 ノーデは、このマザランのために短期間で1万2千冊の印刷本と4千冊の写本を集めた。1643年にはコレクションを一般にも開放する。といっても、対象は有力納税者であり、主に学者が中心であった。開館日の木曜にはおよそ80人から100人が研究に訪れていたといわれる。デンマークのフレデリック三世もここを訪問し後に建設する自らの王室図書館のモデルとした。
 1648年には開館日が毎日になった。このころマザランの蒐集は4万冊にも達している。(4万5千という説もあり)
 マザランはフロンドの乱で一時失脚し、その際蔵書も没収されて、1652年反対派によってオークションにかけられた。この競売は彼らがマザランの首にかけた賞金の費用を捻出するためである。(先に述べたように、この時散逸したものをノーデが一部買い戻して救出している)
 この後、ノーデはクリスティナ女王の招きに応じてスウェーデンに渡り、今度はその蔵書を管理する事になった。しかしこの女王の招きに応じた人はデカルトにせよグロティウスにせよ何故かすぐ死んでしまう。ノーデもその例に漏れなかった。復権したマザランが再度図書館を構築することになり、ノーデを呼び戻したが、帰途で病に倒れ帰らぬ人となっている。
 マザランは、代わりにフランソワ・ド・ラ・ポトリを司書に任じ、ノーデが行っていたようなスタイルでの集書活動を復活する。八年後の1661年、図書館の寄贈を遺言して彼も亡くなった。以来マザラン図書館はフランス最古の公開図書館として、またコレクションの点でもビブリオテーク・ナショナルに次ぐ名門中の名門であったため、歴代館長には例えばシルヴェストル・ド・サシの様な泰斗もいるし、あのサント=ブーヴまで館員として勤務していた程の存在であったが、個人所有を離れたためここから先は筆を置く。

Ⅳ ガブリエル・ノーデは「図書館設立のための助言」という著作により、現在では図書館学の祖の様な位置づけである。先行著作として、トルトーサの司教ジャン・バウティスタ・コルドーナの「エスコリアル王室図書館建設の際の言」があるが、ノーデはこれを不完全なものと評価している。
 彼の「図書館設立のための助言」はメスム家司書時代のかなり若書きの書で、1627年の初版は散逸し多くが失われたらしい。しかし広く読まれた第二版は、1644年という彼がマザランのために集書活動を行っていた真っ最中に出版されたために、当時の蔵書家や古今東西の書誌的な知識に溢れた円熟の書で、これは邦訳も出ている。
 マザランやノーデが生きた時代は、フランスやイタリアの富裕な貴族や市民の自宅に図書施設が多く作られ豪華さを競っていた。その一方で、王室図書館を別にすれば、機関蔵書らしい機関蔵書は大学と修道院ぐらいしかなかった。ノーデ自身、19世紀以降の国民国家による国立図書館設立のずっと前の人なので、彼の図書館の構想もあくまで個人蔵書の延長上での図書館を考えていたように見受けられる。にもかかわらず、その図書館に関する思想の基本的な骨格は現在にまで継承されている。
 若くして当時有数の蔵書家たちの書庫に入り、イタリアでアンプロシアーナやアンジェリカなどの著名な図書館も見てきたこの人物が、最大の権力者であったマザラン枢機卿と出会ったことが、質・量ともに17世紀ヨーロッパ最大の蔵書の誕生につながったと言えるかもしれない。

★このブログは「変奏曲」と銘打った事からも明らかな様に、パロディサイトの一種です。パロディサイトらしくノーデに関しても別にそういうページを設けています。 Bibliophile Interview  Gabriel Naudé 前編 後編 少しふざけ過ぎかもしれませんが、種本の「図書館設立のための助言」2版がちょうどノーデがマザラン蔵書の構築に邁進していた時期の書なので、架空インタビューの後編には実際のマザランの蒐集内容がかなり反映されていると思われます。

 

 

 


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 コルベール Jean-Baptiste Colbert 1619-1683

Ⅰ コルベールといえば、フランス王室図書館の歴史上で蔵書の拡大に最も寄与した存在として知られており、それと共に彼自身も書物コレクターとしてはマザランに続く大物であった。
 マザランにノーデがいたように、コルベールにもお抱え司書としてピエール・カルカヴィ(Pierre de Carcavi 1603-1684)とエティエンヌ・バルーゼ(Étienne Baluze 1630-1718) の存在がある。1663年に任命された数学者のピエール・カルカヴィはわずか四年後に退き、王室図書館の司書へ栄転したが、職を引き継いだエティエンヌ・バルーゼはコルベール歿後の1700年まで務めた。教会法の専門家のバルーゼは在任中の33年間に蔵書の拡充に貢献している。
 コルベールが亡くなった時点で残されていたのは、本が23000と文書5212。ことにフランスが領事館を置いていた中近東の国々から集めさせた文書のコレクションは当時から評判だった。(コルベールに関してもエルマー・ジョンソンの推定では数が大きく刊本4万、写本1万3千となっている)

Ⅱ コルベールのコレクションに於いて興味深いのは、彼が活躍していたフランス絶対王政期に近代的な官僚制度が確立された事と、それが不可分ではないことである。
 リシュリューやマザランの役職は、日本では通常「宰相」と訳されているが、これは正確には(貴族たちからなる)王の顧問会会議の長である。コルベールは、リシュリューやマザランがそのような貴族政治の延長上の地位にいたのとは違い、親政を始めたルイ十四世の下で官僚組織の長として仕えた。
 この時期以前のフランスは、公文書と私文書は明確に区別されておらず、作成された文書は当事者が保管していた。官職に関わる文書の所有権が役人個人ではなく、国家にあることが明確にされたのはこの時代なのである。
 文書管理を国に移そうという流れは、リシュリューあたりから顕著になってきているものの、そのリシュリュー本人に関する文書からして死後は一族が保存しており、まだまだ過渡期的な様相をみせている。日本の場合なら小槻氏の官文庫があって朝廷の文書はそこで保管される事になっていたが、そうした特別な「家」のないフランスでは、中世末期に王の尚書局が崩壊したあとは、その事務を担当した役人が文書を持ち去ることは通常であった。
 コルベールのコレクションには、中央集権国家を統治する彼が行政上の実務で必要性に迫られて収集した文書が多く、当初はそのための文書館の色彩が強かった。それは内政から外交に及び、具体例を挙げると、課税目的での人口調査もあればイギリス海軍に関する軍事機密文書もあった。
 司書で言えば、前半のカルカヴィが主に公文書を集める補佐役のような役どころで、後半のバルーゼになってからギリシア・ラテンの稀覯書などの蒐集が本格化した。カルカヴィは王室のアーカイヴをはじめ政府の諸機関から重要文書をコピーする任務に携わり、これは次代のバルーゼにも受け継がれる。しかし、人文学者のバルーゼが管理する様になってから学術的な指向が強まり、個人蔵書を購入したり書籍の購入のために書店や海外の学者と連絡をとったりするようになった。

Ⅲ コルベールの蔵書は息子が継承し、孫の代になった1732年にコルベール家はこれをルイ15世に30万ポンドで売却する(ただし1725年から売りに出されておりこれらは全部ではない)。
 コルベールが大臣の任にあった時、王室蔵書は飛躍的に拡大をみせるが、死後にもその量・質共に豊かな彼の蒐集がそこへ入ることとなり、王国の書庫を充実せしめることとなった。(ちなみに、現在ビブリオテーク・ナショナルのコルベールコレクションにある14世紀の外交条約文書の原本などは、コルベールが在任中に王室書庫から持ち出して自らのコレクションに加えていたものらしい。しかしこの売却で元の鞘に収まったわけである。)
 なお、上で触れたドトゥと同様に、コルベールもまた猟官制度を利用し、自らの親族を王室の文庫官へ任命している。これに加えてコルベール自身は王室建物の管理者でもあった。(ド・トゥの様な図書頭でもない彼が王立図書館を実質的に牛耳っていた理由はこの2つである。)

 

 

 


《おわりに》
 四人のうち、グロリエやド・トゥが愛書家のカリスマとなっているのに対し、マザランやコルベールは集めた冊数も稀覯書の数も多いけれども、そうした伝統からは少し離れたところで特色をみせています。装丁芸術に関してはマザランの司書だったノーデにやや冷めた言葉があり、学術のために完備した内容の蔵書を構成しようとする彼のスタンスは、むしろボドリアン図書館のトーマス・ボドリー卿などに近い印象です。
 コルベールにおいてはこれはなおさらでしょう。
 マザラン蔵書が近代的な公開図書館の嚆矢であったとすれば、コルベール蔵書は文書館の嚆矢といえるかもしれません。行政上必要な文書の収集から、古典的な蔵書のコレクションへと移行した彼の場合、出自が貴族ではなかったことが大きな意味を持っています。17世紀フランスの主要な蔵書家は法服貴族がほとんどであり、商人階級出身の蔵書家としてコルベールはその先駆け的な存在でした。
 フランスはこのあとの18世紀になってもポルミ侯爵やラヴァリエール侯爵のような大蔵書家が登場しますが、当初ほとんど機能してなかった献本制度が徐々に軌道に乗りだし、またこの17世紀の後半にコルベールが行った王立図書館の拡大が決定的であったため、王室を上回るような存在は以後なかなか出てこなくなります(ブーアールを除いて)。

 

 

《近世西欧篇 予告》 

 近代欧州篇は最初は壽岳文章的な世界観の下で、例えば仏ならグロリエ、ドトゥ、マザラン、英ならロクスバラ、スペンサー、ヒーバーと型通りに済ませる目論見でした。(つまり上の様な感じのページになります)

 しかし予定が変わり、かなり規模の大きなものに仕上げるつもりです。今はデータを集めている最中ですが、とりあえず全体の目次だけ先に作りました。計76項目のリンク先に全てページを作るのでかなり大変です。

 

 


     蔵書家たちの黄昏
    ヨーロッパ近代篇 目次

GB 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
FR 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
DE 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
IT 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
AT 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
ES 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
BX 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
NR 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
ES 15c 16c 17c 18c 19c 20c H
RU 15c 16c 17c 18c 19c 20c H

   Ove Ove Ove Ove Ove Ove 

 

Ⅰ GB15 イギリス十五世紀
Ⅱ GB16 イギリス十六世紀
Ⅲ GB17 イギリス十七世紀
Ⅳ GB18 イギリス十八世紀
Ⅴ GB19 イギリス十九世紀
Ⅵ GB20 イギリス二十世紀

Ⅶ FR15 フランス十五世紀
Ⅷ FR16 フランス十六世紀
Ⅸ FR17 フランス十七世紀
Ⅹ FR18 フランス十八世紀
ⅩⅠ FR19 フランス十九世紀
ⅩⅡ FR20 フランス二十世紀

ⅩⅢ DE15 ドイツ十五世紀
ⅩⅣ DE16 ドイツ十六世紀
ⅩⅤ DE17 ドイツ十七世紀
ⅩⅥ DE18 ドイツ十八世紀
ⅩⅦ DE19 ドイツ十九世紀
ⅩⅧ DE20 ドイツ二十世紀

ⅩⅨ IT15 イタリア十五世紀
ⅩⅩ IT16 イタリア十六世紀
ⅩⅩⅠ IT17 イタリア十七世紀
ⅩⅩⅡ IT18 イタリア十八世紀
ⅩⅩⅢ IT19 イタリア十九世紀
ⅩⅩⅣ IT20 イタリア二十世紀

ⅩⅩⅤ AT15 オーストリア十五世紀
ⅩⅩⅥ AT16 オーストリア十六世紀
ⅩⅩⅦ AT17 オーストリア十七世紀
ⅩⅩⅧ AT18 オーストリア十八世紀
ⅩⅩⅨ AT19 オーストリア十九世紀
ⅩⅩⅩ AT20 オーストリア二十世紀

ⅩⅩⅩⅠ ES15 スペイン十五世紀
ⅩⅩⅩⅡ ES16 スペイン十六世紀
ⅩⅩⅩⅢ ES17 スペイン十七世紀
ⅩⅩⅩⅣ ES18 スペイン十八世紀
ⅩⅩⅩⅤ ES19 スペイン十九世紀
ⅩⅩⅩⅥ ES20 スペイン二十世紀

ⅩⅩⅩⅦ BX15 ベネルクス十五世紀
ⅩⅩⅩⅧ BX16 ベネルクス十六世紀
ⅩⅩⅩⅨ BX17 ベネルクス十七世紀
ⅩⅩⅩⅩ BX18 ベネルクス十八世紀
ⅩⅩⅩⅩⅠ BX19 ベネルクス十九世紀
ⅩⅩⅩⅩⅡ BX20 ベネルクス二十世紀

ⅩⅩⅩⅩⅢ NR15 北欧十五世紀
ⅩⅩⅩⅩⅣ NR16 北欧十六世紀
ⅩⅩⅩⅩⅤ NR17 北欧十七世紀
ⅩⅩⅩⅩⅥ NR18 北欧十八世紀
ⅩⅩⅩⅩⅦ NR19 北欧十九世紀
ⅩⅩⅩⅩⅧ NR20 北欧二十世紀

ⅩⅩⅩⅩⅨⅠ ET15 東欧十五世紀
Ⅼ ET16 東欧十六世紀
ⅬⅠ ET17 東欧十七世紀
ⅬⅡ ET18 東欧十八世紀
ⅬⅢ ET19 東欧十九世紀
ⅬⅣ ET20 東欧二十世紀

ⅬⅤ RU15 ロシア十五世紀
ⅬⅥ RU16 ロシア十六世紀
ⅬⅦ RU17 ロシア十七世紀
ⅬⅧ RU18 ロシア十八世紀
ⅬⅨ RU19 ロシア十九世紀
ⅬⅩ RU20 ロシア二十世紀


ⅬⅩⅠ GB History イギリス通史
ⅬⅩⅡ FR History フランス通史
ⅬⅩⅢ DE History ドイツ通史
ⅬⅩⅣ IT History イタリア通史
ⅬⅩⅤ AT History オーストリア通史
ⅬⅩⅥ ES History スペイン通史
ⅬⅩⅦ BX History ベネルクス通史
ⅬⅩⅧ NR History 北欧通史
ⅬⅩⅨ ES History 東欧通史
ⅬⅩⅩ RU History ロシア通史

ⅬⅩⅩⅠ 15th Overview 十五世紀概観 各国比較史
ⅬⅩⅩⅡ 16th Overview 十六世紀概観 各国比較史
ⅬⅩⅩⅢ 17th Overview 十七世紀概観 各国比較史
ⅬⅩⅩⅣ 18th Overview 十八世紀概観 各国比較史
ⅬⅩⅩⅤ 19th Overview 十九世紀概観 各国比較史
ⅬⅩⅩⅥ 20th Overview 二十世紀概観 各国比較史

 

 

総目次
 
まずお読みください

◇主題  反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4

◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ 
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
 

◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya

◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》

◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》

フランス イギリス ドイツ  イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀  16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀  17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀  18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀  19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀  20世紀概観
仏概史  英概史  独概史  伊概史

◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元   中華・中共    

◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
 
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ

◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期

◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
 
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC

◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 

◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀①   19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③

 

 

Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
 
◇終曲   漫画の蔵書家たち 1 
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
 

§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]

§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
 
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
 
Θ カーテンコール 
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④


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テーマの著者 Anders Norén

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