漂流教室関谷「では、図書館を設立するにあたって、実際にどのような本から集めていくかをお尋ねしたいのですが・・・」
Naude「案内と指針として本研究に役立つことを何一つもらさないようにするため、守らねばならない第一原則はまず第一に、最良の版で選んだ古今の主要著作の作品のすべて、さらには、あらゆる学問領域に見いだしうる最善でもっとも学問的な解釈や注釈を、あまり一般的でないが結果としては面白いものも忘れることなく、すべてを図書館に備えることです。
例えばそれは神学全体にあっては、何種類かの聖書、教皇と教会会議の記録であり、実証哲学にあってはリルのニコラウス、フーゴ、トスタード、サルメロンであり、スコラ派学者としては聖トマス、オカム、デュラン、ペテル・ロンバルドゥス、ゲントのヘンリー、ヘールズのアレクサンデル、ローマの聖ギレス、アルベルトゥス・マグヌス、アウレオルス、バーレイ、カプレオルス、マジョル、ヴァスケス、スワーレスであり、ローマ法と教会法の集成、法学では、バルディ、バルトルス、クヤキウス、アルチァティ、デュムーランであり、医学ではヒッポクラテス、ガレノス、パウルス・アエギネータ、オリバシウス、アエシウス、トラリアヌス、アヴィケンナ、アヴェンゾアル、フェルネルであり、占星学ではプトレマイオス、フィルミクス、ハリー、カルダーノ、ステフラー、カウリコ、ジウンティーノ、光学についてはアルハゼン、ヴィテリオ、ベーコン、アギロンであり、算数ではディオファントゥス、ポエティウス、ジョルダヌス、タルタリア、シリセオ、ルカ・ディ・ボルゴ、ヴィレフランシであり、夢占いではアルテミドロス、アルブマサル、シネジウス、カルダーノであり、その他その他、正確に数え上げるとわずらわしくなるほどです。」
関谷「主要著作をまず最良の版で選ぶということですね」
Naude「第二には、考慮に値する古今の著作をその固有な言語や特殊な言葉で手に入れることです。聖書とユダヤ教のラビはヘブライ語で、ローマ教皇はギリシア語とラテン語で、アヴィケンナはアラビア語でボッカッチョとダンテとペトラルカはイタリア語で、さらに、それらのラテン語とフランス語、見られるかぎりの他の最良の翻訳とともに、その後者は外国語の知識を持たない多くの人の利用のために、その前者は、もともと議論あるいは論争をしかけている本文の語句を明らかにすることは言うにおよばず、技巧や見せかけなしの自然の流れのなかで、多くの支流が派生する源をとらえ、原語の中にのみ輝きを保っていることが明らかな概念の明快さと鮮やかさを、絵画を妥当な光のなかでとらえることが目的にかなうからです。」
関谷「最初に記された原語に遡って理解しなければならないというのは大事なご指摘だと思います。」
Naude「第三に、論争神学のベラルミーノ、道徳意識の場となっているトレドおよびナバラ、解剖学のヴェサリウス、植物学のマッティオリ、動物学のゲスナーとアルドロヴァンディ、魚類学のロンドレとサルヴィアーニ、隕石のヴィコメラトゥス、その他のような科学や学問のある部分を扱っている著者もいるのです。」
関谷「うーん、諸学に渡る蔵書を構築する・・・これは言うは易し行うは難しですね」
Naude「四番目には、特定の著者や著作を見事に論評したり解説しているもののすべてです。例えば『創世記』についてのペレイラ、『エゼキエル書』のヴィラルバンディ、『福音書』のマルドナトゥス、『分析学』のモンロリウスとザバレッラ、テオフラストゥスの『植物学』についてのスカリジェル、プラトンについてのプロクルスおよびマルシリウス、フィチーノ、アリストテレスについてのアレクサンデルおよびテミスティオス、アルキメデスのフルランス=リヴォー、ユークリッドについてのテオンとカンバヌス、プトレマイオスについてのカルダーノ、さらに、古今のあらゆる本や論文の解説書や論評者となっている人たちがあります。」
関谷「原典だけでなしに概説書のたぐいも集めるということですね。今の日本では、逆に原典がなく、学生は概説書ばかり読まされるという状況ですが・・・」
Naude「次いで、一般あるいは特殊な主題のいずれにせよ、それについて書くか、あるいは編纂する著作者のすべてがあります。結婚について広くあつかっているサンチェス、聖餐式についてのサンクテスおよびデュ=ペロン、磁石についてのギルバート、樹上の鳥についてのマイエル、ナイル河についてのスコルティア、ヴェンデリン、ノガローラがおり、同様に、法学、神学、歴史、医学、あるいはその他の何であれ、限定はあろうが同様に取りあげ、好みの題材ならばほぼ何でも職業として取り組む人間の姿を示しております。」
関谷「特定の主題に対する著作も見逃さない・・・そうなると揃えなければならない本は無限に増えそうですね。」
Naude「ええ、寛大なるマザラン猊下の恩顧を蒙って達成に向かっております。
しかしさらに重要なのは、どの学問にも反対して満足している者、きわめて有名で評価の高い本にたいして、原則的には新機軸も変更も加えないままに、自分の学識と力量をもって反論をはかる者のすべてがあります。そうした理由から、すべての学問をくつがえしたと述べるセクストゥス・エンピリクスやサンチェスやアグリッパ、天文学者たちを学問的に論破したピコ=デッラ=ミランドラ、サルモネウスや不信論者の態度をはげしく攻撃したエウグピヌス、科学者たちの間違いを打倒したモリソー、カルダーノの反論に成功してドイツの一部では今でもアリストテレス以上に信奉者の多いスカリジェル、大枢機卿バロニウスの『年代記』をあえて攻撃したカゾーボン、ガレノスを相手にしたアルヘンテリオ、パラセルルスを適切に論破したトマス・エラストゥス、ラムスに強硬に反対したシャルパンティエ、そして最後に、知的な対決に取り組み、一組になっているので、一方をもう一方から切り離して聞き入れたり判断したり、あるいは反対者抜きに相手を取りあげるのはまったくの間違いであり、そうした者すべてを除外すべきではないのです。
学問における何かを紹介したり修正したりする者のすべても除外すべきではない、なぜなら、こうした著作者についてわれわれが持っているとぼしい知識すら無視して、それがため古代の人たちにたいして反論することもできず、伝統を受け入れている人たちから学ぶこともできないならば、それは人間のひ弱な知性の束縛に屈することにしかならないからであります。こうした理由で、評価の高い30人か40人の著作が最近ではアリストテレスへの反対をとなえているのであり、コペルニクスやケプラーやガリレオが天文学をまったく変えたのであり、パラセルススやデーン人のセヴェリヌスやデュシェーヌやクロリウスが医学を変えたのであって、他の多くの者たちも新しい原理をたて、それに則して、これまでになかったような聞いたこともない不思議な理論を確立している以上、これらすべての著者は図書館には必須のものだと確信するのです、それは、一般的に言われているとおり、『新奇もまたもっとも楽しいこと』であり、一つの弱い立場の理論にだけ引きずられることもないからですし、また、こうした本の知識は、そこからあらゆる利益を認めてそれを引出しうる者にとって、きわめて有益で価値あるものであって、探究心が強く、偏見にとらわれない、開かれた精神、『いずれの巨匠にも屈することのない者』に一千もの糸口と新たな概念をもたらし、この者は、あらゆる主題の本質にかなった発言が出来、いかなる場面にあっても、功績ある文人の多くに見られるよりはるかに確かな判断と展望と解決にたっする議論ができるでしょう。
関谷「真に学問的な認識には、一方の側の主張だけでなしに、それに対する異論も参照せねばならない。図書館は、それを可能にする必要があるということですね」
Naude「また本の選択にあたっては、それが取りあつかう主題について書かれた最初のものであるかどうかに注目せねばなりません、人間の学問については、水をあつかうようなもので、源泉よりきれいに澄んでいるものではないからですし、すべての発明は最初の著作者から発しており、模倣は他からのくりかえしで成りたっているからであり、それは、ヘブライ語およびカバラについて最初に書いたロイヒリン、ギリシア語と貨幣についてのビュデ、共和国についてのボダン、観相術についてのコクレス、スコラ神学についてのペテル・ロンバルドゥスおよびトマス・アクィナスが、その時代以降に同じ主題にとりくんだ多くの者よりはるかに見事であったことを見れば明らかです。」
関谷「ある問題に関して最初に書かれたオリジナルの主張を参照するのは、その問題を把握するのに必要不可欠であり、学術図書館はそれをフォローするのは欠かせない、そういう事だと受け取らせて頂きます」
Naude「先程の繰り返しになりますが、世間的にくだらないと言われているようなものでも、図書館は集めておく必要があります。
まず第一に、断片的か気まぐれ以外にはこれまで取りあげられなかった、あまり知られていない主題についての著者、例えば『生命の起源論』や『古代の夜明け』のリケティ、『欠けた鼻の手当て法』についてのタリアコッチ、催眠軟膏についてのリバヴィウスとゴクレニウスを受けいれるよう図書館を開放しておくべきであります。
第二には、カルダーノ、ボンポナッツィ、ブルーノ、および、カバラや記憶促進術やリュル美術、賢者の石、易断、その他の事物について書かれた有益な、あまり一般的でない本のすべてです。」
関谷「そういう細部の問題に際しても、それに関する書物を取り揃えておかなくてはならない。これは学術的な図書館の責務かもしれませんが・・・」
Naude「もう一つの同様な結論、すなわち、われわれの間で普通に崇拝されているのとは異なる、新しい信仰の保持者、あるいは、異端者の作品すべてを、より健全で正しいものとして無視しないことにつながるのです。」
関谷「しかし宗教的に異端の書まで置く必要はあるのでしょうか?」
Naude「当代の学者は、反論するがため、時には手に入れることが必要です」
関谷「おっしゃることはわかりますが、それで問題は生じませんか?」
Naude「ド・トゥ氏がそれらを集めることに反対しておらず、初期の教皇や博士たちはそれらを身近に置いていたのであり、異端者よりも危険な非難を限りなくイエス・キリストとわれらの宗教にあびせかけてきた『タルムード』や『コーラン』を持つことにためらいはありません。
図書館がもっとも学識のある有名な異端者である、ルター、メランヒトン、ポメラヌス、ブーツァー、カルヴァン、ベーゼ、ダノー、グアルテル、ホスピニアン、パレ、プリンガー、マルロラ、ケムニッツ、オキーノ、ペーテル=マルティル、イリリクス、オシアンデル、ムスクルス、センチュリアトール派、デュジョン、モルネー、デュムーラン、そして、『評判が高くないままに埋もれてしまった』功績の少ないさらに多くの人たちの作品すべてを、図書館が受けいれる、とはいえ、認可の規制と責任ある筋からの許可のもとではありますが、それは不条理とも危険とも考えておりません」
関谷「わかりました。それ以外には・・・」
Naude「タルムードや教会会議、教皇の著作といった同一主題について書かれた異なった作者の集成や収録、『批判的文章宝典』、『ゲルマニア聖典』、『トルコ聖典』、『イスパニア聖典』、『ガリチア聖典』、『真実の証言目録』、『皇帝政治』、『浴場大典』、『婦人科著作者集』、『ナポリの病名』、『古代の雄弁家』、『古代の文法学者』、『ギリシアの演説家』、『著名学識者』、『詩集大全』、および、同様のコレクションもまた、できるだけ多く図書館に入れるべき必要がありますが、それは、第一に、きわめて異常であり普通にはできない元本を探す努力を省略させてくれるからであり、第二に、他の本に場所を譲って図書館の場所の苦境を救ってくれるからであり、第三に、これがなければ多くの場所を苦労して探さねばならぬものを便利な一冊にまとめてくれたからであり、最後の第四には、そこに含まれているすべての著者を個別に購入するには何テストンもの銀貨が必要なのに、これなら買い入れるのにいくらもかからないからであります」
関谷「うーん、そこまで集めるとなると・・・」
Naude「辞典、混成本、さまざまな教科書、金言集、その他の知識の宝庫もまた見逃すべきではありません、
また、良書のすべてを所有すると明言する者にあって、決定的に劣る著者の平凡な本を選ぶ権利を保有しながら、われわれが目を閉じていても選別の余地なく取り入れるべきである、エラスムス、チャコヌス、オヌフリウス、トゥルネプス、リプシウス、ジェネブラール、アントニウス・アウグスティヌス、カゾーボン、サルマジウス、ボダン、カルダーノ、パトリッツィ、スカリジェル、メルキュリアーレその他の著作のいずれもを無視するのは、明らかな見落としであり、言い訳できない間違いであります。
最後にいえるのは、時代と場所と習慣を考慮せよと勧告しているヒッポクラテスの警句を実践すべきことです。ある種の本はある国で時に流行っていても、他の国ではそうでないし、現在そうであっても過去にはそうでなかったのです。こうした理由で、ローマやナポリやフィレンツェの図書館で多数の実証主義哲学の著作を多く見いだすのであり、ミラノやパヴィアの図書館では多数のローマ法の本を、スペインの図書館およびイングランドのオックスフォードとケンブリッジの古代の図書館で多数のスコラ哲学の本を、フランスの図書館で歴史と論争術の本をかなり多く見かけるのです」
関谷「では、最近の傾向で何か気づかれた点はありますか?」
Naude「長大な作品が有難がられる反面で、短いものは軽んぜられる事でしょうか。
短いものでも優れた著述は多いです。例えば、ペルシウスとフィレルフォの風刺詩、ウアルトの『英知の試練』とヴァラの作品、ラムスとフォルカデルの数学、マキヤヴェッリの『君主論』と50名以上にのぼる学者の著作、ドュムーランの論法とヴァリウスの論法、ヴォルシウスの『年代記』とサルストの『歴史』、エピクテトスの『講義』とロリオの『道徳秘儀』、フラカストロの著述と多数の哲学者や医師たちの著作などなど。
しかし、この点で驚かされるのは、人によっては、ある作家の大作または小作品が分散しているがために無視し、それらが後に一冊にまとめて綴じられると、所有しようと熱中することです。こうした人たちは、例えば、ジェームス・クライトンの演説を、それがばらばらに印刷されているからとの理由で無視するでしょうし、他方で、ルリオ、ガルニウス、ニグロニウス、ペンチウス、ベルビニアンの演説は、学識あるスコットランド人クライトンより優れて雄弁であるからではなく、まとまった著作集としてみつけうるからとの理由で図書館に入れているのです。
もし小冊子のすべてが無視されるのであれば、聖アウグスティヌス、プルタルコスの道徳論、ガレノスの作品どころか、エラスムス、リプシウス、トゥルネプス、ミゾールド、シルヴィウス、カルカーニ、フランシスクス・ピクス、その他の同様の著者たち、医学や哲学の30名から40名におよぶ小作者、ギリシアの古い最良の作家たち、さらに多くの神学者たちの大部分を考慮する必要がなくなるのは明らかであります。」
関谷「おっしゃることは誠にごもっともだと感じ入りました。では最後になりますが古い作品と現代の作品について、どちらに重きを置かれるかということをお聞きします」
Naude「ツキジデスを8回読んだとどこででも自慢しているマルセルスとか、デモステネスを10回読んだとスイダスが述べているのはみっともないと思います。
もしも、気まぐれなボッカリーニが近代作者と古代作者を比較したならば、彼は古代の作者の多くが近代作者より有能ではなく、近代作者を超える者は少ないと気づくことでしょう。
こうした理由で、図書館を作ると明言している人間が、そこにアリストテレスの古い解説者とともに、ピッコロザミーニ、ザバレッラ、アキリヌス、ニフォー、ポンポナッツィ、リケティ、クレモニーニを置かないとしたら、『法典』や『法規類纂』に並べて、アルチアティ、ティラケオー、クヤキウス、デュムーランを持たないとしたら、聖トマスといっしょに、ヘールズのアレクサンデルの『神学大全』およびゲントのヘンリーの『神学大全』を置かないとしたら、ユークリッドおよびアルキメデスとともに、クラヴィウス、マウロリーコ、ヴィエタを持たないとしたら、セネカおよびプルタルコスと同時にモンテーニュ、シャロン、ベーコンがないとしたら、ガレノスおよびアヴィケンナとともに、フェルネル、シルヴィウス、フックス、カルダーノがなければ、ヴァロとならんで、エラスムス、カソーボン、スカリジェル、サルマジウスがなく、リヴィおよびコルネリウス、タキトゥスとともに、コミーヌ、グィッチャルディーニ、スレイダヌスが置かれず、ホメーロスおよびヴェルギリウスとともに、アリオスト、タッソー、デュ=パルタスもなく、近代のもっとも著名な作者すべてがこうしたリストにないとしたなら、大きな間違いであると結論出来るのです。」
関谷「はい」
Naude「しかし、古の作者をなおざりにするのはもっといけません。
あらゆる新刊書に心酔し、熱中するあまり、すべての古代人を考慮しないばかりでなく、6,7百年前に人気のあった繁栄し名の聞こえた作者たち、すなわち、ポエティウス、シンマクス、シドニウス、カッシオドルスの時代から、ピクス、ポリティアン、バルバロ、ガザ、フィレルフォ、ポッジョ、トラペゾンティウスの時代にいたる人たちまでを無視して、多数の哲学者、法学者、医師、天文学者を単にその黒いゴシックの印刷字体が現代の繊細すぎる学徒を辟易させるがために排斥する・・・
例えば哲学を例にとってみると、アルベルトゥス=マグヌス、ニフォー、エジディウス、サクソニア、ポッポナッツィ、アキリヌス、ヘルヴェウス、デュラン、ツィマラ、ブッカフェレウスが顧みられないのは不幸なことです。
アマトゥス、ドリヴェリウス、カピバッチョ、モンターノ、ヴァレスクス、その他ほぼ近代の医学者を比類のないまでに尊敬する一方でそういう事が起こっているのです
前世紀の二人の偉人、スカリジェルおよびカルダーノが、過去三百年の間での十大学者の一人として、一致して称賛している、打算者とも呼ばれたリチャード・スイセスを、もっとも有名な図書館でもその著作が見いだせないと言ってよいのではないでしょうか。
本を選ぶにあたって、もっと研究すべきなのに、その機会は少ない、印刷発行する望みがほとんどないために、当分は写本のままであるような著者のすべてを無視することができるとは、実に判断の狭さを示していると思われます。」
関谷「本日はお忙しいところ、ありがとうございました」
32/1/2020/ La bibliothèque Mazarine Institut de France
企画 Joshua, Dyle, Canfield & Cruikshank LLP
(「図書館設立のための助言」Gabriel Naude著 藤野幸雄 藤野寛之訳より、一部会話調に変更して引用)
ビブリオフィルインタビュー
第一回
Gabriel Naude ガブリエル・ノーデ(マザラン図書館)
第二回
Falconer Madan ファルコナー・マダン(ボドリアン図書館)
第三回
Delisle Leopold レオポルド・ドゥリール(フランス国立図書館)
第四回
Mikinosuke Ishida 石田幹之助(東洋文庫)
第五回
Thomas Dibdin トマス・ディブティン(スペンサー伯図書室)
最終回 ビブリフィル座談会
Gottfried Wilhelm Leibniz ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ(ヴォルフォンビュッテル図書館)
Lodovico Antonio Muratori ルドヴィコ・アントニオ・ムラトーリ(モデナ公図書館)
Guillaume Budé ギヨーム・ビュデ(フランス王室図書館)
Johann Wolfgang von Goethe ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ(ワイマール大公図書館)
漂流教室関谷(司会)
総目次
◇まずお読みください
◇主題 反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4
◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya
◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》
◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》
フランス イギリス ドイツ イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀 16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀 17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀 18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀 19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀 20世紀概観
仏概史 英概史 独概史 伊概史
◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元 明 清 中華・中共 附
◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ
◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期
◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC
◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 2
◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀① ② ③ 19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③
Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
◇終曲 漫画の蔵書家たち 1 2
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]
§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
Θ カーテンコール
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④