蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[7] 鏡像フーガ2 蒐集のはじめ

まず引用。
「日本の蒐書の歴史は、古く八世紀のあの芸亭文庫主にまで遡ります。平安朝時代の初めに中国へ渡った、弘法大師をはじめとするかなりの数の僧たちが、彼の地で多くの書物を蒐集して持ち帰った事は、当時の請来目録の類によって窺う事ができます。その以外では、平安末期の藤原信西・藤原頼長の名が知られます。以後には、鎌倉時代では、明恵上人・藤原定家・北条実時及びその一族等々、足利時代では一条兼良・上杉憲実・同憲房等の名がすぐ記憶に浮かびます」

 以下、反町茂雄の文章で挙げられていた蔵書家を■で、ブログ側が追加した蔵書家を□で表していきます。

 

 

 

〔Ⅰ 奈良末期 八世紀〕


 ■ 石上宅嗣 Isonokami no Yakatsugu 729-781
石上宅嗣による奈良時代の芸亭文庫から、反町が記述を始めているのは概ね妥当といえる。漢籍と仏典の蒐集で、自宅を寺に改築した際文庫として一般に公開したため日本最初の図書館とも言われ、宅嗣死後の9世紀初頭まで存在していたとされる。

 

 勿論これ以前に日本で著名の文庫がなかったというわけではありません。恐らく本格的なものは聖徳太子に発すると思われますが、記録は存在しません。 記録に残る我が国最古の例は、蘇我入鹿父子が私邸に蒐集を置いたというもので、日本書紀の記述です。 ただ、所蔵数までが記録に残っているケースとなると、これは橘奈良麻呂(Tachibana no Naramaro 721-757)ではないでしょうか。 さらに、蔵書の内容までわかる個人目録では、のちの信西のものが最も早かったと思います(ここは間違ってるかもしれない)。
 さて、上記の橘奈良麻呂が背いた時に没収された書が、しめて480巻にも上りました。大学頭にも任ぜられただけに黎明期のこの時代としては大変な数です。この人はちょうど石上宅嗣の同時代人で少し年嵩なので、彼を第一号に始めようかとも思いましたが、縁起が悪いのでやめておきました。
 なお、朝廷による蒐集は、記録に残る形では大宝令制定(701)の図書寮から始まります。他に中務省にも文庫がありました。

 

 

 

 

〔Ⅱ 平安初期 九世紀〕


 □ 和気広世 Wake no Hiroyo
これに続くのが、大学別当だった和気広世の弘文院で、やはり私邸を改築し数千巻の書を収めた。反町弘文荘というのはこの弘文院からとったのではと思っていたが、反町は和気広世には触れていない。図書収集というより大学として解釈したのかもしれない。


 □ 秀良親王 Prince hidenaga 817-895
嵯峨天皇の皇子であり、三品の時に、1693巻の没官の書を賜ったという記述が日本後紀にみえる。二品の時には、上記の橘奈良麻呂から没収された480巻を賜った記述が続日本後紀にある。余程書物好きであったのか、親王は賜った分だけで2000巻を軽く越えている。国史に載せられる程だからこれらが当時にあって尋常の数でなかった事は察せられる。他に自らの書もあったはずで、所蔵量では和気広世に匹敵する存在だろう。


 □ 石川河主・長津 Ishikawa no kawanushi,nagatsu 754-831,785-854
文徳実録にみえる石川河主・長津父子の庫にも数千巻が保管されていたが、多くは文書のようである。ただし河主は漢籍や仏典の教養で知られた人だった。


 ■ 空海 Kūkai 774–835
空海が招来した経典群は彼個人の所有物ではないのだろうが、反町茂雄は名前をあげている。一応、その裁量の下で管理されていたようなので(これは最澄の借覧要請を断ったエピソードからも伺える)蒐集家として記しておく事にした。806年の有名な「御招来目録」には216部461巻が載せられている。

 

 この後、叡山側も円仁・円珍などが唐へ行き、さらに多くの経典を持って帰朝する事になりました。9世紀には高野山には6000巻あったと伝えられ、一方、延暦寺は山王院の蔵書目録だけで1090点、2959巻を数えます。925年の「山王院蔵書目録」は本来四帖の目録で現存するのはうち二帖だけです。だとすると、延暦寺は山王院だけで金剛峯寺に匹敵する仏典を所蔵していたわけで、叡山全体ならどのくらいになるのか想像がつきません。なお、こうした寺院には写経所が設けられ経典を量産していました。
 帰朝した留学僧等が本朝へ書を持って帰るケースは、叡山や高野山以前の奈良時代からです。8世紀に時代を遡りますが、よく語られるのは玄昉・吉備真備・鑑真の三人で、玄昉などは五千巻を齎したと「元享釈書」にあります。吉備真備も100冊巻を献上しています。但しこれらは国による購入の代行者とみられここでは載せません。

 ちなみに、この時代に本が一番多くあったのは、やはり宮中の書庫です。日本国見在書目録には、1579部、16790巻が載せられており、現在の中国本国では見当たらない漢籍の名前も記されています。この目録は編纂者が大学頭であった事から大学寮の蔵書という説が有力で、朝廷としてのメインの蔵書である図書寮の巻数は分かりません。
 天皇のプライヴェートな文庫としては、冷然院と嵯峨院の文庫があげられ、その両方に関係の深かった嵯峨天皇こそ、当時を代表する蔵書家だったのでは?という気もしますが、朝廷や皇室の蔵書に関しては別に頁を設ける予定です。ちなみにこの目録が編纂された理由も、冷然院の焼失がきっかけだったとされています。

 嵯峨天皇の皇子である秀良親王も、朝廷からの下賜を受けて、大きな蔵書家として上に登場していますが、こうした本屋が存在しないような時代の、蒐集がプリミティヴな時期にあっては、規模の大きな蔵書家は政府下賜物を受けたケースが多いです。後漢末期最大の蔵書家だった蔡邑のコレクションもそうでした。

 

 

 

 

 

 

〔Ⅲ 平安中期 十世紀~十一世紀〕


 □ 菅原家 Sugawara clan
 □ 大江家 Ooe clan
反町が挙げなかった人物の記述が続くが、漢籍に関しては従来から菅原・大江の2家による独占といってよい状態だった。朝廷を別にすればおそらく量・質ともに圧倒的なのはこの2家の筈である。しかし後の世になって、大江匡房(Ōe no Masafusa 1041-1111) は大江家に伝わる典籍を江家文庫にまとめて収蔵するが、これが火事で全焼してしまう(1153年)。失われた数は数万巻という見方もある。
一方、管家の方では、菅原道真(Sugawara no Michizane 845–903) の「紅梅殿」がつとに知られている。しかし、これは「方一丈という二間四方に足らない大きさで三層の吊棚を四方にかけていた」というから、家に伝来した蔵書ではなくて、道真のプライヴェートライブラリーであろうか。


 □ 藤原道長 Fujiwara no Michinaga 966–1028
この管江2家による漢籍独占を破ったのが藤原道長で、多分11世紀初頭を代表する個人の蒐集家。所蔵は2000巻を数えた。


 □ 日野資業 法界寺文庫 Hino Sukenari 988-1070 
やはり文章道の家に生まれた日野資業が、自ら建立して隠棲した法界寺に作った文庫も、京では後世よく語られた。

 

 

 

 

〔Ⅳ 平安末期 十二世紀~〕


 ■ 藤原頼長 Fujiwara no Yorinaga 1120–1156
 ■ 藤原通憲 Fujiwara no Michinori 1106–1160
反町が挙げたように、平安末期の双璧といえば藤原頼長と藤原通憲。この二人は、当代屈指の教養人であったにもかかわらず、乱に絡み、いずれも非業の最期を遂げているのが興味深い。
頼長は学識に関しては慈円が日本一と激賞したほどの人で、その宇治文庫は書に満ち満ちていたらしい。日記として著した「台記」からはこの時期の公家社会の風紀の乱れが読み取れる。彼自身男色を好み、パートナーとしては藤原忠雅・藤原為通・藤原公能・藤原隆季・藤原家明・藤原成親・源成雅などの名が特定されている。特定したのは五味文彦らだが、やる方もやる方なら特定する方も特定する方である。
通憲はその頼長を保元の乱で敗死させた側の人物である。藤原通憲というと、一瞬誰?と思ってしまうのだが、要は信西のことである。信西自身も次の平治の乱で敗れ、晒し首になった。信西も相当な蔵書家であり「通憲入道蔵書目録」がある。これは個人の書物目録としては最初期のもの。一部現存するだけなので全体の量はわからない。


 □ 源師頼 Minamoto no Moroyori 1068-1139
この二人にやや先立ち源師頼も多くの書物を集めていたが、師の大江匡房同様火災にあい数千巻が灰と化している。


 □ 徳大寺実定 Tokudaiji Sanesada 1139-1192
上記の頼長の甥であった徳大寺実定も、当時は大変な蔵書家であると言われていた。歌人としては新古今にも多く採られているおなじみの存在である。

 

 平安末期の特徴としては、宋学の導入で漢籍に比重が傾いたことです。また、写本から版本への移行もこの頃から顕著に確認できます。すでに道長に版本蒐集の端緒がみえていましたが、信西の目録にも宋版本が加わっています。

 他にこの時期で記録に残る文庫としては藤原基親のものでしょうか。

 

 

 

 

〔Ⅴ 鎌倉初期 十三世紀前半〕


 ■ 藤原定家 Fujiwara no Teika 1162–1241
 ■ 明恵 Myōe 1173–1232


鎌倉時代初期における双璧もやはり反町が挙げたように、藤原定家と明恵。和歌の最高権威であった定家の場合、子孫が健在で冷泉家時雨文庫には彼のコレクションも残っている(冷泉家時雨文庫に関しては公家の蔵書を扱うコーナーでまた触れる)。また、定家は母の前夫藤原為経がかなりの蔵書家でそこから多くを得たのではという説もある。一方、複数の寺を渡り歩いた明恵のそれは高山寺時代のものであろうか?
 □ 三善康信 名越文庫 Miyoshi Yasunobu 1140-1221)
重要さの点では上の二人に及ばないが、鎌倉幕府問注所初代執事だった三善康信の名越の自邸にあった文庫をあげておく。

 

 上の名高いお二人の解説を端折ってまで、ここで語っておきたいのは三善康信の名越文庫が、公家文庫と武家文庫の折衷的な性格を持っている点です。
 ご存知のように鎌倉幕府成立直後には、大江広元の様な京の公家が招聘され、行政実務を担当しましたが、三善康信も同様の存在です。 彼は問注所の機能自体を自らの屋敷へ移したため、この文庫には幕府文書を多く保管しました。その意味では朝廷における小槻氏の官文庫に近い面もありますが、日記などもあったようでカテを作りました。
 この文庫が興味深いのは、下級公卿のものでありながら、武家の拠点たる鎌倉にあり、次に来たる金沢文庫の先駆け的な存在だからです。

 尚、この時代の京の公卿の蔵書から、定家の他にあげておくべき存在があるとすれば、藤原宗隆(Fujiwara no Munetaka 1166-1204)の梅小路文庫に、西園寺公経(Saionji Kintsune 1171-1244)の北山文庫あたりでしょうか。

 

 

 

〔Ⅵ 鎌倉中期 十三世紀後半~十四世紀前半〕 


 ■ 北条実時 Hōjō Sanetoki 1224–1276  金沢文庫
三善康信に半世紀ほど遅れて登場するのが北条実時(金沢北条氏)であり、蒐集した和漢の書のための書庫を晩年に称名寺(横浜市)内に設立した「金沢文庫」は、彼の死後も拡充され、孫の北条貞顕の頃には2万巻に達したというから、中世末期では最大級の蒐集のひとつかもしれず、また武家としての最初の重要な蒐集であろう。
従来「金沢文庫本」が多岐に富む内容の優良本群として伝承されてきたのは、実時が六波羅探題という京における幕府代表の地位にあり、その蒐集も、ある程度は幕府の威光を背景にしていた事情にもよる。そもそも公家の蔵書の場合は、明経道、文章道、歌道など、それぞれ専門の「家」にその「筋」の書物だけが伝承される傾向があり、それらを網羅的に所蔵する事は関白家でさえままならなかった。おそらく実時は各々の家筋に、その秘伝の書の書写を請い受けたとみられ、それがこれまでにないヴァラエティ豊かな善本群の誕生につながったと言う事ができよう。
この金沢文庫は、北条氏の滅亡後も、称名寺や上杉氏など、管理者を変えながら関東において細々と継続した。蔵書の多くは足利将軍家、後北条氏、徳川家康、前田綱紀などの歴代の書籍コレクター達に持ち出されているのだが、安土桃山時代にこの文庫を根こそぎ持って行ったのが、かの関白秀次である。これについては後述する。

 

 これまではほとんど公卿の蔵書家ばかりを紹介してきました。日野さんも徳大寺さんも藤原氏なので、藤原一門だけで6人を数えます。しかし本格的な武家の文庫の嚆矢とも言える金沢文庫の出現で、ここから少し潮目が変わってきます。
 金沢北条家の他にも、鎌倉には武家による大小の文庫がありました。なかでも二階堂道蘊の書庫や、長井宗秀の長井洒掃文庫、 佐介氏の松谷文庫はそれなりに知られており、そのうち長井家には金沢家とよく書の貸し借りをしていた様子が記録に残っています。
 あと、この時代で気になるのはやはり「本朝書籍目録」の編者でしょう。誰なのかは諸説ありますが、自らの蔵書を中心に撰んだとされているので、相当の蒐集があった人物だと思われます。

 

 

 

 

〔Ⅶ 室町初期 十四世紀後半〕


 □ 二条良基 Nijō Yoshimoto 1320–1388 
 二条良基は一般には連歌の確立者として知られるが、当代きっての学者だけに蔵書も有名であった。とりわけ有職故実に関しては多くが助言を求めた。蒐集には奇書珍書が多かったという。下の一条兼良の祖父に当たるのだが、著名な蒐集家は血縁関係で繋がっているケースが多い。義満と強い関係を結び、政治的にも大きな力を持った。 ちなみにその義満だが、彼は五山の僧を招いて講学を聴いたり、金沢文庫に使いを出してものを尋ねさせたりしている割に、その文庫の記録は残ってない。

 

 

 

 

〔Ⅷ 室町中期 十五世紀〕


 ■ 一条兼良 Ichijō Kaneyoshi 1402–1481
 ■ 上杉憲実 Uesugi Norizane 1410–1466
 ■ 上杉憲房 Uesugi Norifusa 1467–1525
さて室町時代から反町が挙げたのは、一条兼良と、上杉憲実・憲房。
この時期で文句なく最大の蔵書家といえるのが一条兼良であり、所蔵した書は3万5千巻とされている(これは箱にして700合という表現を本居宣長が1合に50巻入るとして推定した数である)。兼良は有職故実の大家にして和漢にも通じ、仏僧を別にすれば室町期最大の学者といっていい。「日本無双の人」「五百年来の才人」とも称され、屡々平安時代の大江匡房にも比せられた。(ちなみに管理人はこの人をずっと「かねら」と読んでいたが「かねよし」が正しい) 
その名高い桃花坊文庫は応仁の乱で焼けたといわれるが、幾分かは他へ避難したような記録も残る。この文庫の焼失は、フェルナンド・バエスの著作にも書かれているほど海外でもよく知られているらしい。ただ、一条家では兼良の名前だけが語られがちだが、桃花坊文庫もそもそもは家祖實経が興したものであり、そこからの蓄積があった点は留意して置くべきかもしれない。

次の上杉憲実は前述の金沢文庫の管理者で、その中興の祖とされる。同時にその個人的蒐集は 足利学校 の文庫の基礎をなし、この時代の二大文庫の両方にかかわっている。

後世東国のこの名高い二文庫の貴重書は豊臣秀次によって京へ持ち去られた。天守閣から通行人を火縄銃で狙う様な殿様だけあって相当に大胆な行動であるが、のち家康が元に戻した。しかしその際、欲しかった一部の書を自らの手元に置き、こちらも仲々家康らしい行いである。なお憲房は憲実の孫にあたる。


 □ 清原業忠 Kiyohara no Naritada 1409-1467
応仁の乱での被害が兼良に次いだと言われるのが、やはり碩学として名高い清原業忠である。然しこの後、清原家は吉田兼倶から迎えた養子が家学を集大成し学問的に頂点を極める事になった。


 □ 太田道灌 Ōta Dōkan 1432-1486
再び東国に目を移すと、太田道灌の静勝軒文庫が万里集九によれば「貯数千余函」と事実だとすればかなり大きな規模である。道灌は元来文武両道として知られるが、金沢文庫、足利学校などの興隆でこの時期には関東八州にも書物が増えていた様子が伺える。


 □ 大内政弘 Ōuchi Masahiro 1446–1495
近世初頭で挙げておくべき他に重要な存在といえば、上の兼良とも交際のあった大内政弘であろう。明貿易で富をなし、応仁の乱では山名の背後で黒幕的な動きをした大内一族だが、城下には戦乱の京を離れた公家が多く滞在し小京都と呼ばれる文化の中心になっていた。歴代の中でも特に政弘の集書は著しい。自身も和歌を2万種も残しており、旧知の公家に書写を依頼するなど、その山口殿中文庫は古今の典籍を集めてかなりの所蔵に達したという(「名だたる蔵書家、隠れた蔵書家」参考)

 

 

 

 

  以上、古代末期から近世初頭まで駆け足で見てきましたが、この頁ではあまり問題は生じません。(江戸時代から蔵書家の数も増え煩瑣になります)
 一条兼良、二条良基、清原宣賢などの碩学を生み出して爛熟を極めた公卿の文化が、応仁の乱以降には徐々に振るわなくなり、一方東国のあたりでは武家による文庫がいくつも生まれている、そうした時点でこの頁を閉じることになります。
 もうひとつ感じるのは、日本という国が中世をとおして知的に高い水準にあったことでしょうか。その社会にどれだけ本があるかということは、知の総量を示すものだからです。西欧中世末期で最大の蔵書家といわれるリチャード・ド・ベリー(14C)の所有数は1500冊ほどだし、時代を遡るともっと少なくなってきます。13世紀最も本の多かったソルボンヌ大学でも1000冊程度、10世紀のクリュニー修道院では570冊程度。(これは西洋中世が一種の情報飢餓状態にあったためで、古代ローマ期であれば何万クラスの蔵書家は存在します)
 ただ、上に何巻何巻と書いたのは巻き物の数であり、冊数ではありません。冊数に直すとその数分の一になってしまうことに留意すべきでしょう。

 

総目次
 
まずお読みください

◇主題  反町茂雄によるテーマ
反町茂雄による主題1 反町茂雄による主題2 反町茂雄による主題3 反町茂雄による主題4

◇主題補正 鏡像フーガ
鏡像フーガ 蒐集のはじめ 大名たち 江戸の蔵書家 蔵書家たちが交流を始める 明治大正期の蔵書家 外人たち 岩崎2家の問題 財閥が蒐集家を蒐集する 昭和期の蔵書家 公家の蔵書 すべては図書館の中へ 
§川瀬一馬による主題 §国宝古典籍所蔵者変遷リスト §百姓の蔵書
 

◇第一変奏 グロリエ,ド・トゥー,マザラン,コルベール
《欧州大陸の蔵書家たち》
近世欧州の蔵書史のためのトルソhya

◇第二変奏 三代ロクスバラ公、二代スペンサー伯,ヒーバー
《英国の蔵書家たち》

◇第三変奏 ブラウンシュヴァイク, ヴィッテルスバッハ
《ドイツ領邦諸侯の宮廷図書館》

フランス イギリス ドイツ  イタリア
16世紀 16世紀 16世紀 16世紀  16世紀概観
17世紀 17世紀 17世紀 17世紀  17世紀概観
18世紀 18世紀 18世紀 18世紀  18世紀概観
19世紀 19世紀 19世紀 19世紀  19世紀概観
20世紀 20世紀 20世紀 20世紀  20世紀概観
仏概史  英概史  独概史  伊概史

◇第四変奏 瞿紹基、楊以増、丁兄弟、陸心源
《清末の四大蔵書家》
夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・新・後漢 三国・晋・五胡十六国・南北朝 隋・唐・五代十国 宋・金・元   中華・中共    

◇第五変奏 モルガン,ハンチントン,フォルジャー
《20世紀アメリカの蔵書家たち》
アメリカ蔵書史のためのトルソ
 
◇第六変奏
《古代の蔵書家たち》
オリエント ギリシア ヘレニズム ローマ

◇第七変奏
《中世の蔵書家たち》
中世初期 カロリングルネサンス 中世盛期 中世末期

◇第八変奏
《イスラムの蔵書家たち》
前史ペルシア バグダッド カイロ コルドバ 十字軍以降
 
◇第九変奏 《現代日本の蔵書家たち》
本棚はいくつありますか プロローグ 一万クラスのひとたち 二万クラスのひとたち 三万クラスのひとたち 四万クラスのひとたち 五万クラスのひとたち 六万クラスのひとたち 七万クラスのひとたち 八万クラスのひとたち 九万クラスのひとたち 十万越えのひとたち 十五万越えのひとたち 二十万越えのひとたち エピローグ TBC

◇第十変奏 《現代欧米の蔵書家たち》
プロローグ 一万クラス 二万クラス 三万・四万・五万クラス 七万クラス 十万・十五万クラス 三十万クラス エピローグ1 

◇第十一変奏
《ロシアの蔵書家たち》
16世紀 17世紀 18世紀①   19世紀① ② ③ 20世紀① ② ③

 

 

Δ幕間狂言 分野別 蔵書家
Δ幕間狂言 蔵書目録(製作中)
 
◇終曲   漫画の蔵書家たち 1 
◇主題回帰 反町茂雄によるテーマ
 

§ アンコール用ピースⅠ 美術コレクターたち [絵画篇 日本]
§ アンコール用ピースⅡ 美術コレクターたち [骨董篇 日本]

§ アンコール用ピースⅢ 美術コレクターたち [絵画篇 欧米]
§ アンコール用ピースⅣ 美術コレクターたち [骨董篇 欧米]
 
§ アンコール用ピースⅤ レコードコレクターたち
§ アンコール用ピースⅥ フィルムコレクターたち
 
Θ カーテンコール 
閲覧者様のご要望を 企画① 企画② 企画③ 企画④


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