蔵書家たちの黄昏

反町茂雄の主題による変奏曲

[76] アメリカの蔵書家たちⅠ 前史 ピルグリムファーザーズ

 

 

 ≪ Ⅰ 前史 ピルグリムファーザーズ ≫ 

 

 

 管理人が意外に感じたのは、メイフラワー号に乗って新天地アメリカに渡りプリマス植民地を開いたピューリタンたちが案外多くの本を多く持っていたことです。
 まず総督ウィリアム・ブラッドフォードが80冊(フランス語の本もあった)。プリマスの牧師ラルフ・パートリッジもこれとほぼ同数。マイルズ・スタンディッシュでさえも50冊持っていました。
 そして彼らのうち最大なのが、長老のウィリアム・ブルースターで、死亡した時には400冊も持っていました。この後で述べるように、植民地時代のアメリカでは400冊も持っていたら、いっぱしの蔵書家と言っていい存在です。
 しかし、最初期にアメリカに渡ってきた人たちは一年足らずのうちに半数が病死しています。そういう過酷な環境の中で、後の世の、経済的により安定した社会に比しても遜色のない量の書物を彼ら持っていた事は、かなり驚きです。
 またブルースターの書物はすべて新世界で手に入れたそうで、現地に書物があったのか、故国との通商ルートが存在していたのか、そこはよく分かりませんが、こちらも意外でした。
 こうした清教徒たちの本棚はやはりほとんどが宗教関係で、そこに歴史書、旅行書、政治学関係などの雑書がまじる蔵書構成です。

 

☆ ウィリアム・ブルースター William Brewster 1568–1643
 上に述べたように所蔵は約400冊。英語だけではなくラテン語やヘブライ語の書物もあった。

 

 

 マサチューセッツに在住した初期の清教徒たちの間では、主に牧師と医師が個人ライブラリーを持っていて、量的には10冊ほどから数百までの間の規模でした。
 記録に残ってるものをみてゆきますと、牧師のトーマス・ジェンナーはほとんどが宗教書からなる200冊を残しています。
 やはり牧師のトーマス・ウェルド所有の195冊は、説教者ジョン・エリオットへ売却されました。
 1669年に牧師ベンジャミン・バンカーが80冊を残しています。これもほとんどが宗教関係です。
 1676年に亡くなった医師ジョン・アロックが残した100冊はその半分が医学書で占められていました。
 ジョナサン・ミッチェルは宗教書180冊と古典が74冊と他に医学書がありました。 
 牧師のジョン・ブロックも360冊を残しました。
 この頃になると植民地での生活もかなり安定してきた様子が伺えます。そして17世紀半ばのニューイングランド最大の蔵書家はコネチカット州の総督ジョン・ウィンスロープでした。
 また1636年にはハーバード大学が創立されて、ジョン・ハーバード(John Harvard 1607–1638) というイギリス生まれの牧師が遺言で土地と蔵書300冊(400冊という説も)寄付しました。同大学はこれを基礎に現在の様な世界を代表する大学へと発展することになります。

 

☆ ジョン・ウィンスロープ John Winthrop 1588-1649
 1640年という植民地時代でもかなり早い段階で、彼の蔵書は1000冊に及んだ。注目すべきはその書籍の言語の多様さであって、英語、ラテン語、フランス語、オランダ語、スペイン語と、まるで世界市民である。分野も宗教、歴史、旅行記、哲学、法学、文学と多岐にわたる。

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テーマの著者 Anders Norén

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